<13>


――右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に銃を
           手負いて立つは 君がため 恋しい愛しい君がため――



夜の闇に銃声が轟く。
「…っくそ…!」
三人の将校を倒した時点で、ハボックの持ち弾が尽きた。
肩に受けた傷はじわじわと痛み、額には汗が滲み始めている。
「…やるしか、無ぇか」
隠れている塀に向かって、近付いてくる足音が聞こえた。
ハボックの弾切れを察知したのだろう、軍靴の重々しい音が、徐々に大きくなって
ハボックの耳に響く。

――あと五歩。三歩。一歩…――

先にしかけたのはハボックだった。
塀の陰から相手の前に背を向けて飛び出すと、相手の顔面――人中と呼ばれる
急所――に向かって裏拳を繰り出す。
見事にヒットし、後方によろめいた男の帯刀していたサーベルを引き抜くと、腕を
薙ぎ払った。
鮮血が飛び散り、ハボックの頬に生温かい感触が伝う。
サーベルを手にしたまま残る一人に振り向くと、相手が銃を構えるより早く踏み込み、
切り付けた。
踏み込みが浅かったのか、地面に倒れた相手が低くうめく。
「…浅かったか」
ハボックは舌打ちをして相手の胸倉を掴んで起き上がらせ、そのまま塀に叩きつけた。
「…誰の命令で動いた?……言え!」
喉元にサーベルの刃を突き付け、少しでも情報を引き出そうと試みる。
「…言え。死ぬより酷い目に遭いたくなけりゃ、な」
首に突き付けた刄を、僅かに滑らせる。
冷徹な碧い瞳は、男の沈黙を許さなかった。
刄の上を、一筋の紅が流れる。
「……う……」
男の唇が、微かに動いた。
「…ブラッドレイ……大総統…閣下…」
信じられない名前が男から発せられ、ハボックは自分の耳を疑った。
「なんだと…?」
あまりの衝撃にハボックの瞳が見開かれ、男を拘束していた腕の力が僅かに緩む。
「お前達は、知りすぎたんだよ。閣下はお前達を反逆者として手配した。
 『錬金術を使い、クーデターを企んでいる疑い有り』と言う名目でな…」
男の右腕に握られた銃が動くのを、ハボックは気が付かなかった。

ドン!

軽い炸裂音と共に、ハボックの体に熱が走る。
「…あ……」
一瞬の隙を突いて男が発砲した弾丸は、ハボックの右胸を貫いた。
堪らずに、地面に膝を付く。
「…馬…鹿な……っ」
激痛に顔を歪め、男を見上げる。
その額に、黒く冷たい鉄の塊が押しつけられた。
「マスタングとあのチビは生け捕りにしろとの命令なんでな。悪く思うなよ」
男の唇が、優越感に持ち上がる。
「…っざけんじゃねえぞ…」
男の指が引き金を引くより早くハボックが銃身を捕らえ、腕の関節と逆の方向に
捻じ倒す。
ごきり、と鈍い音がして男の腕の骨が折れた事を伝えた。
「…なんだよ、それ……!」
地面に転がった銃を取り、怒りのままに残弾全てを相手の体に撃ち込んだ。
絶命した相手に、尚もサーベルを突き立てる。
「畜生ぉ……っ…」
地面にサーベルを突いて自分の体を支えて何とか立ち上がり、壁に体を預けながら、
とにかくロイにこの事を告げなければと、その場を立ち去ろうとした。
「どこに行くの?少尉さん」
ふと、背後から声を掛けられる。
冷たい、声。

――タイミング悪ぃなあ――

ハボックが苦笑を浮かべて振り返る。
そこには黒髪の美女が、相変わらず妖艶な笑みを湛えて自分を見つめていた。
「私と遊んでくださらない?男前の少尉さん」
まるで男を誘う遊女のような軽口を叩きながら、一歩二歩とハボックに歩み寄り、
撃たれた胸の痛みに歪む頬を、白い指でしなやかに撫でる。
香水の甘い香が、ハボックの鼻についた。
「……悪ぃけどさ…」
ラストの腕をやんわりと払い、サーベルを握り直す。
「アンタみたいな化粧臭ぇオバサン、好みじゃねぇんだよ」
ハボックがサーベルをラストに向けて突き立てるのと、ラストの指先が針のように伸びて
ハボックの体を貫くのは、ほぼ同時だった。
「ぐっ…ぁ…!!」
ハボックの体に突き立てられた四本の黒い刺は全て、僅かに急所を外されていた。
「困るわあ…一回死んじゃったじゃない、少尉さん…」
ニッ…と笑みを浮かべて心臓部に突き立てられたサーベルを引き抜くと、ハボックの体を
貫いている指を、自分の生来の形に戻す。
支えを失ったハボックの体は崩折れ、地面に沈んだ。
「……悪趣味、だ…な……っ…」
わざと急所を外しやがったな、とハボックはラストを睨み付ける。
「あら、バレちゃった?」
うふふ、とラストが笑った。
「随分私を痛めつけてくれたから、苦しんで死んでもらおうと思ってね…」
ふと、ラストが視線をハボックから外して宿屋を眺める。
「証拠になるものは消さないとね…。此処も、あなたも…」
手榴弾のピンを引き抜き、店の中に放り投げた。


――ドォン!!


爆発音と共に宿屋に火の手が上がる。
炎を背に受け、ラストが黒髪を靡かせながらハボックに歩み寄り、その頬を優しく
撫でて囁いた。
「さよなら、少尉さん……永遠に…」
柔らかい感触とともに、頬に口付けられる。
「……テメェもな…!!」
最後の力を振り絞り、ハボックがラストの心臓部に手刀を突き刺した。
先程サーベルを引き抜かれた瞬間に、ラストの心臓部に何かキラリと光る物が
見えた事を見逃さなかったのだ。
ぐちぐちと肉を突き破り、心臓を鷲掴みにする。
柔らかいはずの心臓は酷く硬い感触だった。
それを掴んで一気にラストの体から抉りだした。
「…いぃゃぁぁあぁーーぁぁアアァァァ!!」
この世の物とも思えぬ絶叫が谺する。
抉りだされた心臓部分は、血のように赤い石。
彼らに取っては核を成す大切なモノなのだろう。
傍らに落ちていたサーベルを赤い石に突き立てる。
ピキッ!と中心に亀裂が入り、半分に割れた部分から砂となってサラサラと崩れて行く。
それは石を核として作り上げられたラストも同じだった。
ぽっかりと空いた心臓部分から、ラストの身体が砂となって地面に崩れ落ちた。
「…やっぱり、バケモンじゃねえか…」



真っ黒な砂と化したラストの残骸が、炎と共に風に吹かれて消えて行く。
黒と紅のコントラストが、ハボックの瞳に鮮明に焼き付いた。
「…っ、かは……ッ!」
一度大きく咳き込み、大量の血を地面に吐き出した。
ハボックはサーベルを支えにして立ち上がり、重たい体を引き摺って炎上する
宿を眺めた。
「…ヤバイんじゃねぇの……コレ……」


――死ぬ、のか?――


自分の体が思うように動かず、壁に付いた手は滑ってばかりでなかなか前に
進めなかった。
「…エ…ド……ワー……ド……」
無意識の内に、いつも彼とじゃれあっていた格子の前に足を運んでいた。
格子に手を掛けて室内を覗くと、まだこの部屋には火は回っていないようだった。
格子の傍に置かれた鳥籃には、相変わらず金糸雀が飼われていた。

――…お前、逃げな…――

格子の中に腕を伸ばし、震える手で鳥籃の葢を外す。

――もうこの場所に、お前の飼い主は戻って来ないから――

「…だから…早く……逃…げ……な…」
ハボックの体が格子の下に滑り落ちる。
もう自分の力で立って居る事さえ、不可能だった。
体を格子に預け、地面に座り込む。
血塗れのポケットから煙草を取り出して口に咥え、火を点けた。
吸い込む体力は残っておらず、ただ火が移動するのをぼんやりと眺める。

――あの子は無事に逃げただろうか。どこも怪我などしていないだろうか――

そんな事ばかりが、頭に浮かぶ。


からん。

からん。


ふと、下駄の音が近くで聞こえ、ハボックはゆっくり顔を上げた。

「少…尉…」

紅い着物。
蜂蜜色の髪。
琥珀の瞳。


――…金糸雀…?


逃がした筈の愛しい金糸雀の姿を捉えて、ハボックは思わず苦笑を浮かべた。



――なんだよ、お前。馬鹿だな……また戻ってきたのかよ――