ジレンマ



ギシギシと鳴り止まぬ事の無いベッドの軋み。
男の腕の中で少年は絶えず泣き続けている。
身体を抉られる、痛みに。
大粒の涙を双眸から零し、唇からは悲痛な叫び声。
それでも、男は残酷な行為を止めない。
何故なら、それはこの少年が望んでいる事だから。
たとえ其れが、決して男が望んでいる行為では無いとしても。



「…ったく、嫌な雨だな…」
朝からずっと降り続いている雨の雫を眺めながら、ハボックは溜息を吐いた。
今日は折角の非番の日だと言うのに、生憎の空模様。
天気が良ければ食料と酒を買出しに行こうと考えていたのだが昼の三時を過ぎても
止む気配を見せない雨音に、外出する気分などとうに消えてしまっていた。
冷蔵庫の中を覗けば、まだ二日分くらいの食材はある。
まあ、良い。
今日は一日ダラダラしていようとハボックがベッドに仰向けに寝転がった瞬間、
アパートメントのドアを叩く音が部屋に響いた。
全くこんな日に誰だよ、と寝転がったばかりの身体を起こして扉まで歩き、ドアチェーン
を外す。
鉄のドアを開けた瞬間にハボックの瞳に映ったのは、一人の少年。
輝くような金色の髪と、蜂蜜色の大きな瞳。
「……エド…」
傘も差さずに歩いてきたのか、少年はずぶ濡れだった。
ああ、またか…と心の中で呟いてハボックは天井を仰ぐ。
「………少尉、ごめん……」
酷く沈んだ声でか細く謝罪の言葉を告げる少年の腕を掴んで、ハボックは早く
部屋に入れと促す。
「…………いや、どうせ非番だったからな。服脱いでベッドの上で待ってろ」
エドワードにタオルも差し出さず、ハボックは胸ポケットから煙草を取り出し、火を
点けた。
水を含んで重たくなったコートやジャケットを脱いで裸になったエドワードが、両肩を
抱いて寒さに震えているのを横目で眺める。
ハボックは短くなった煙草を灰皿に押し付け、ベッドの前で佇むエドワードの背を突き
飛ばしてベッドに沈ませ、服も脱がずにエドワードの上に覆い被さった。
ジーンズのジッパーを下ろして適度に己の掌で昂ぶらせた凶器を四つん這いにさせた
エドワードの蕾に無理矢理捻じ込む。
慣らしもしていない狭い其処は、みりみりと裂けながらゆっくりと男を飲み込んで行った。
「……ぐ、……ッ、ァ………ッ、ヒ……!!」
腿から伝い落ちた鮮血が、白いシーツに真っ赤な華を咲かせて行く。
「痛い…ッ……痛い………少尉…ッ、痛いィ……!!」
指先が白くなるほどにシーツを握り締めてエドワードが叫ぶ。
痛いと、悲鳴を上げて泣き叫ぶ。
「泣けよ」
己を拒む肉襞を強引に掻き分けて最奥まで穿つと、エドワードが背を縮こませて大きく
息を呑んだ。
「もっと泣けよ。…大声で泣けよ」
エドワードの肩がヒクヒクと不規則に跳ね上がる。
やがて堰を切ったように溢れ出す、嗚咽。
わあわあと泣き続けるエドワードの身体を、ハボックは犯し続けた。
ハボックにはエドワードの今の表情を見る事は出来無いが、きっとエドワードよりも
自分の方が辛い顔をしているのだろうと、そんな事を考えながら生理的な快楽すら
生まれない行為をひたすら続けた。
エドワードの泣き声が、部屋に響く。
泣きたいのはこっちだ、と胸の内でハボックが舌打ちをした。



こんな関係が、もう一年以上も前から続いている。

『乱暴に犯して欲しい』

そんな衝撃的な告白をエドワードからされたのは、やはり今日みたいに雨が降る
日の事だった。

『愛撫もキスも要らない。痛くても構わない。寧ろ、そっちの方が好都合だから』

どこか思い詰めた表情と言葉に、ハボックはエドワードの申し出を断る事が出来
なかった。
勿論、最初は多少慣らそうとしたり、キスをしようとしたりもしたが、それらは全て
エドワードに拒まれた。
1ヶ月から2ヶ月に一度、エドワードはハボックのアパートメントにやってくる。
3回目の時に、ハボックはある事に気が付いた。
エドワードやアルフォンスに取って辛い事があった時、少年は自分の部屋にやって来る
のでは無いか、と。
エドワードは、どうしても泣きたくなった時、どうしても涙を流すのを堪え切れなくなった
時に自分の部屋を訪れる、と。
無理矢理身体を貫かれる痛みによって、その時のエドワード自身の遣り切れない
憤りや悲しみをオブラートに包んで涙を流し、所謂一種のストレス発散をしているのだ。
泣いているのは痛みの所為なのだと、自分に言い訳をしながら。
絶対に泣かないと決めた頑固な子供の決意は、思わぬ所で彼の精神に歪みを来たす
原因になってしまっていた。
人間は泣く事でバランスを保っている一面だってあるのだから、ただでさえも子供の
エドワードが泣かないと言う時点で、それこそが既に大きなストレスになっていたに
違いない。
そして唯一のストレスの捌け口となってしまったハボックには、エドワードを乱暴に
犯す事を拒めなかった。
ここで自分が拒んでしまったら、エドワードが泣ける場所は何処にも無くなってしまうと
考えたからだ。
ハボックに取って、こんな行為をするのは本意では無い。
寧ろ優しく抱き寄せて、口付けをして、ちゃんと抱いてやりたいと思っている。
ハボックの不幸は、彼がエドワードに対して恋心を抱いてしまっていた事だった。
それ故に、ハボックはエドワードに想いを打ち明ける事も、この行為を拒む事も
出来無くなってしまった。
想いを打ち明けてしまったら、エドワードはきっとハボックに遠慮してこの部屋を
訪れる事はしなくなってしまうだろう。
そしてこの行為を拒んだら、ハボックはエドワードが唯一泣く事が出来る場所を奪って
しまう事になる。
そんな事になったら、一体この少年は何処で、誰の所為にして泣いたら良いのだろう。
こんな事が正しいとは、ハボックは勿論思っていない。
それでも、他に自分がしてやれる事が思いつかないのだ。

碌に言葉も交わさない。
抱き締めてやった事も無い。
キスもしてやれない。
どんな顔で泣いているのか、それすらも見る事は許されない。

「……もういいよ、ありがと」

エドワードがこの言葉を紡ぐまで、ハボックはエドワードの身体を犯し続ける事しか
出来無いのだから。
それを彼が望んでいる限り。



行為が終わると、ハボックは風呂の用意をして、2時間ばかり時間を潰すために外に
出て行く。
生憎の雨で外に出るのも億劫だったが、そう言う訳にも行かないので仕方無く外出
する事にした。
近所の喫茶店でコーヒーを飲みながら、じっと時間が過ぎるのを待つ。
カップの中の液体が、いつもよりも苦く感じられた。
「………正直、キツいって……」
両手で顔を覆い、深く長い溜息を吐いた。
労わりの言葉くらい掛けてやりたい。
細い肩を抱き締めてやりたい。
涙で濡れた頬を拭ってやりたい。
でもそれを、エドワードは望んでいない。
エドワードが風呂に入って身体を清め、身支度を整えてハボックの部屋を出て行った
頃合を見計らってハボックは外から帰って来た。
扉を開けて室内を見渡すと、エドワードの姿はやはりもう無かった。
乱れたシーツの上には涙に濡れた跡と、紅い花弁が転々と散っている。
ハボックはベッドの上に腰を下ろし、煙草のヤニで薄汚れた天井をぼんやりと眺め
ながら、何度目になるのか解らない溜息を吐いた。
いつか自分の想いを告げられる日が来るのだろうか。
否、そんな事は出来やしない。
目標に向かって進んでいるエドワードに取って、自分の想いなどは邪魔以外の何物
でもない。
もしも告げる日が来るのならば、それはあの兄弟が全てを取り戻した時。
しかしその時には、きっとエドワードは泣き場所なんて探さなくても良い筈で。
そうなった方がエドワートに取っては幸せなのだろうと考えれば考えるほど、正直言って
キツいのだ。
これから先も、エドワードの身体を抉る行為は何度もあるのだろう。
それでも、きっとハボックは其れを拒む事は出来無いのだ。
エドワードが、それを望む限り、細くて痛々しい身体を少年が悲鳴を上げて泣き続ける
まで苛むのだ。
なんと言うジレンマなのだろう。
煙草を咥えてベッドに寝転がり、ハボックは窓に視線を向ける。



―――外は、まだ雨が降っている。