<act X> それから視察が終わるまでの数日間は何事もなく過ごした。 初日に海兵とやりあったおかげで、ハボックは連日海兵達との実践組み手をするハメに なり、セントラルに居る時よりもある意味忙しい数日間となった。 エドワードも小麦色に日焼けした海兵達に『小さい』『豆っこ』とからかわれながらも 気のいい荒くれ男達とのコミュニケーションは意外に楽しいものだったらしい。 海風に当たって鎧が僅かに錆びてしまった弟を気遣いながらも、なんのかんのと 海兵達と色んな話題に花を咲かせていた。 そして最終日。 「1週間の間、大変お世話になりました」 普段職務をサボってばかりの人間とは思えぬほどの有能ぶりで、ロイが別れと感謝の 言葉を述べる。 エドワードが向かい合っている海軍の兵隊達の顔をざっと見渡すと、初日にハボックと 乱闘事件を起こしたナイルの姿もそこにはあった。 エドワードとナイルの目が一瞬合うと、男はバツの悪そうな顔でふいと視線を逸らす。 …どうやらまだ彼はエドワード達の事を良く思っていないらしい。 エドワードは隣にいるハボックに、こっそりと呼びかけた。 「ね、ね、少尉」 「…なんだよ、エド」 一応自分の上官が挨拶をしている最中なので、ハボックも極力小さい声でそれに 答える。 「アイツ、まだオレの事良く思ってないみたい」 「…あー…まあ、そりゃそうだろ」 眩しい日差しが照り付け、ナイルの事よりもこの日差しがキツイ、とハボックはエドワード にぼやいた。 眩しさを堪えている所為か、下手をすると相手を睨んでいるようにも見えるハボックの 視線。 エドワードが再びナイルに視線を移すと、今度はナイルが難しい表情でハボックの顔を じっと見ているのが判った。 しかしその表情は決して喧嘩を吹っ掛けるようなモノではなく、何かじっと考えながら ハボックの顔を凝視している、と言った風合いのモノだった。 「…では、失礼します」 ロイの挨拶が終わったと同時に、向かい合った二つの隊員達が一斉に敬礼をする。 ナイルに気を取られていたエドワードは礼をするのが遅れ、ハボックに肘で軽く 突付かれてから慌てて敬礼のポーズを取った。 「じゃあな、チビ!」 「また組手やろうぜ、少尉さんよォ!」 「アンタのうんちく、もっと聞いていたかったぜ…!」 「ホークアイ中尉殿!是非また来てください!!」 「少し日に焼けたんじゃないですか、大佐さんも」 「いくら人見知りだからってそんな鎧着てて暑かったろう?」 口々に色々な別れを惜しむ声が飛び交う中、ハボックがやっと日差しを遮れるとサン グラスを取り出し、色素の薄い瞳を保護するために装着したその瞬間。 「ああああああああああああああああーーーーーーーーーーッ!!??」 天を劈く、男の絶叫。 何事かとその場に居た全員が声のした方向に注目の眼差しを向ける。 声の主は、ナイル。 ハボックに人差し指を突き付けているその指先は、プルプルと震えていた。 サングラスを掛けたハボックが僅かにナイルを睨む。 「…なんだよ、まだ文句あん…」 ハボックの言葉を遮って、ナイルが興奮した口調でまくし立てた。 「ジャンだろ!?地獄の番犬ケルベロスのジャン・ハボック!!狂犬のジャン!!」 …ザザーン。 ……ザーン。 一瞬の静寂。 波の音と、海鳥の泣き声が辺りに響き渡った。 「地獄の…」 「番…犬…」 「ケルベロス?」 「……狂犬のジャン…?」 リザ、ファルマン、ブレダ、エドワードの順番にナイルの言葉を反芻する。 『ぷ!』とエドワードが吹き出したのを切欠に、その場に居た全員が笑い出した。 そしてナイルに指を突き付けられたハボック当人は。 「……おまッ…お前…ッ……なん…ッ…」 かつてこれほど動揺しているハボックを見たことがあっただろうか。 耳まで真っ赤に紅潮させ、口をぱくぱくと開け閉めさせている。 そんなハボックには一切構わずナイルはハボックの手を取って感慨深そうにウンウンと 頷いていた。 「覚えて無えのかよ!ホラぁ、良くマルタの酒場でお前に殴り飛ばされてたじゃんかよ!!」 「知らねーよ!覚えてねえよ!!つうかお前本当ふざけんなよ!!!」 今までの敵対心はどこへやら。 『元気だったかよケルベロス!』と抱き付かんばかりの勢いでハボックにじゃれ付くナイル。 「…えっと、ナイル少尉はハボック少尉の知り合いだったってコト?」 エドワードが腹を抱えて笑いながら尋ねると、ナイルは嬉しそうに語りだした。 「おうよ!まだ軍人になる前の話だけどな。対立してる二つのグループがあってよ。 一つは俺が率いるグループと、もう一つはこのジャン・ハボックが率いるグループでな。 縄張り争いが激しくてな〜。つっても、いつも俺はジャンにワンパンでのされてたんだけどな? とにかくコイツはキレると手に負えないってんで、『地獄の番犬ケルベロス』って 恐れられててなあ!!」 嬉々として思い出話を語るナイルの肩を、ハボックがぽんぽんと叩く。 それでもナイルは語ることを止めなかった。 「いやー、コイツも今じゃこんなに真面目ぶっちゃってるけど、昔はチャラチャラした 長髪でよお!」 「ウソッ!!?」 『長髪』発言に驚いたのはエドワードだ。 「初日にワンパン喰らった時、懐かしいカンジがしたんだよな、ハハハハハハハ!!」 「…いーかげんにしろっつーんだ!!!」 自分の恥ずかしい過去を大勢の人間の前で暴露されたハボックの怒りが頂点に達した。 無言でナイルの背後から腕を回すとジャーマン・スープレックスの要領でナイルの体を 持ち上げ、地面に叩きつける。 「お先に失礼します!!先に駅で待ってますんで!!」 顔を真っ赤に紅潮したままで、ナイルには目もくれずに自分の荷物だけを取って駅へと 向かって歩き出した。 「…あ、少尉待てよっ!」 ザカザカと大股で去っていくハボックと慌てて小走りに追い掛けていくエドワードの後ろ姿を 眺めながら、その場に居た全員が再び爆笑する笑い声が、穏やかな波の音と共に青空に 響いていた。 後日談になるが、ハボックの武勇伝(?)はセントラル司令部中に知れ渡り、 『ハボック少尉にケルベロスと言う言葉は厳禁』と言う事がセントラルの若い軍人達の間での、 新たなる暗黙のルールとして追加されたと言う…。 |