―――7月5日、19:59 とある街の宿屋にて 手渡されたのは一枚の紙切れ。 「何これ?」 オレの質問に対して、渡し主である糸目の男はいつも通りの笑顔を貼り付けたような顔で、 こう言った。 「七夕だヨ。その短冊に願い事を書いて笹の葉に吊すって言う行事なんダ。 エドもなんか書いてヨ」 なんでもシンの国では、年に一度しか逢えない恋人達の言い伝えがあるらしく、それに ちなんだ風習なんだと、リンは言う。 所変われば風習も変わる。 だからっつって、いきなり宿屋の三階の窓からニュッと顔を出された時は、オレもかなり ビビったんだけど。 「ふーん、そっちの国の風習なんだ。……ま、別に良いけどさ」 言われたままに願い事を書こうとして、オレはふとペンを止めた。 オレの願い事ってなんだろう? 『アルの身体が元に戻りますように』 これは願い事と言うよりも、絶対に元に戻すんだから適切じゃないよな。 『背が伸びますように』 ……って、こんな屈辱的な事書けるかあぁぁーッ!! 意外に願い事を書くって難しい……とあーでもないこーでもないとやっているオレに、リンは 呆れ顔で溜息を吐いた。 「早くしてヨー。これから司令部にも行こうと思ってるんだからサ」 「……司令部!?お前、ココと司令部がどれだけ離れてると思ってんだ?」 そう。 今オレ達が滞在している宿屋はセントラルからは大分離れていて、行こうと思えば行けない 距離じゃないけど、それでも半日は移動に掛かる。 わざわざ移動するなんて、コイツ本当に馬鹿じゃないのか。 「だっテ、沢山の人に書いてもらった方が盛り上がって良いじゃナイ?」 相変わらず糸目のままでヒョイと肩を竦めてリンは言う。 「どーでも良いケド、早くしてヨ〜。汽車の時間があるんだかラ」 ペンが止まったままの状態から早く書けと促されて、オレは仕方無く短冊とやらに 願い事を書く事にした。 ……オレの願い事。 今、本当に願っている事。 それは……。 ―――7月6日、15:00 中央司令部執務室 「ヤッホー、皆さん」 見も知らぬ糸目の男が突如として司令部に現れたのは、昼下がりの一服休憩中だった。 陽射しが強かったのでカーテンを引こうと窓辺に立った瞬間に、俺の目の前にニュッと 顔が出てきた時はマジでビビッたんだけど。 「中に入れてヨー」 糸目の男は木の枝に足を引っ掛けて蝙蝠のようにブラ下がりながら、窓をコツコツと 叩いている。 なんだっけ、コイツ。 「………あー……三丁目のヨシュアさん…?」 絶対に違うと解っているけれど、とりあえずそうじゃないかなーなんて思った人の名前を 口に出してみた。 案の定、違う人らしい。 笹の葉片手にこの炎天下の中ブラ下がる人なんて、俺の知り合いには居ないからな。 「…良いから入れてやれ、ハボック」 「あれ、大佐の親戚ですか?どうりで黒髪と切れ長の瞳が良く似ていると…うあッち!!」 ちょっとエスプリの効いたジョークだったのに、襟足の辺りを軽〜く燃やされた。 「彼の名はリン・ヤオ。ちょっとしたワケがあって知り合いでな。…良いから入れてやれ」 大佐がそう言うので、仕方無く窓を開けてやる事にした。 別に入れてやるつもりだったけど。 窓を開けた瞬間に、もっさりとした笹の葉と共に男は執務室の中に入ってくる。 …う。 笹くせー。 こーゆー青臭い匂いって苦手なんだよな。 と、目の前にずいっと紙切れが差し出された。 「ハイ、皆も願い事書いてヨ」 「何だコレ」 差し出された紙を取り敢えず受け取って、俺はひらひらと靡かせてみせる。 「七夕だヨ」 「何だソレ」 リン・ヤオの説明するところによると…年に一回だけ逢う事の出来る恋人達の言い伝えに ちなんだ行事なんだそうな。 短冊に願い事を書いて笹の葉に吊るすと言うのが、メインイベント(?)らしい。 恋人、と言う単語に、ちくりと胸に針のような痛みが生まれた。 どこか遠くの街に居るであろう、俺の可愛い恋人の事を思い出したからだった。 もう、3ヶ月近く逢っていない。 前に逢った時は、まだ春になるかならないかで肌寒い季節だったのに。 どうしてんだろう、あのやんちゃな大将は。 『行って来るね』と行き先も告げずに出て行ったきり、電話一本寄越さない。 こっちがどれだけ心配してるかも知らないで、まったくあのお子様は……。 「…ちょっと、煙草のお兄さん。まだァ?」 とんとん、と肩を叩かれて俺はハッと我に返った。 「え、あ、何?」 「何、じゃ無いヨ。もう皆には書いてもらったんだヨー。あとはアンタだけ」 早くしてヨ、とばかりにリンは掌を俺に差し出す。 …願い事願い事。 『仕事を溜め込む上司を、100回殴りたい』 …こんな願い事を書いた日にゃあ、俺が100回燃やされるって。 『給料アップ』 …あまりにも現実的すぎて、我ながら悲しくなりすぎる。 「願い事…か。何でも良いんだよな?」 さらさらとペンを走らせながらリンに確認するように問い掛ける。 リンは相変わらず、貼りついたような笑顔のまま『良いヨー』と頷いた。 今、自分が一番に願っている事。 叶えば良いと思っていること。 ……それは、たった一つかも知れない。 ―――7月7日、21:00 何処かの街の何処かの廃屋にて 「今日は晴れて良かったですね、リン様」 リンと共に七夕の飾り付けを眺めながら、ランファンがぽつりと呟いた。 「そうだな。折角の七夕なのに、雨が降ったら牽牛も織女も逢えなかっただろうし」 ごろりと床に寝そべり、リンもそれに相槌を打つ。 「…こっちの牽牛と織女も、逢えた頃だろうし」 頭の後ろで腕を組み、吹き抜けていく風に心地良さそうに目を細めてリンが独り言のように 言った。 「え?」 その言葉の意味が解らないランファンが聞き返す。 リンは小さく笑って、飾り付けを終えた笹の葉をチョイチョイと指差した。 「二人して同じ願い事を書いた人が居たからさ。ちょっとお節介焼いて、織女の居る場所を 牽牛に教えてあげたんだよ」 「……はあ…?」 更にワケがわからないとばかりに首を傾げるランファンに、リンは『良いの良いの』と ひらひらと手を振った。 「一年に一回と言わず、毎日逢いたいと思うのが恋人同士だろうしな」 どこかから吹いて来た風が、笹の葉をさわりと揺らす。 『逢いたい』 たったそれだけの言葉が書かれている二枚の短冊が、小さく揺れた。 |