+ flower of hope +





買い出しの帰り道、ふとある路地でオレは足を止めた。
オレの目を引いたのは、一輪の花。
名前も知らない小さな桃色のそれにオレは見覚えがあった。



それはまだオレが国家錬金術師になったばかりの頃の事だ。
オレはある日東方司令部の庭にある大きな樹に寄り掛かって本を読んでいた。
麗らかな日差し。
穏やかな春風。
一息付いて本から顔を上げたオレは、その長閑な風景と自分の手にしている本の内容の
アンバランスさに思わず苦笑を零す。
自分の手の中にある本は、医療と錬金術の応用についての本だ。
中には内臓や骨格の精細な図もあるし、生々しい研究レポートもある。
こんな長閑な風景の下で読むにはそぐわしくない物であった。
読みかけの本を閉じて、樹に背を預ける。
文字を追って疲れた目を閉じると不意に日差しが陰って、オレは再び目を開いた。

「・・・ハボック少尉」

日差しを遮った青い軍服に咥え煙草の男はオレの視線に気付くとニッと笑う。

「よぉ大将、何だか冴えないカオしてんな」

少尉はオレの隣に腰掛けると、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

「んー・・・、何かこんな春っぽい長閑な日にこんな本読んでてアレだなー・・・って」

そう言って苦笑を浮かべる。
すると少尉はいつもみたいにわしわしとオレの頭を撫でてくれた。
そして何やら樹の下の地面をごそごそと探ると、もう一度少尉はオレの頭を撫でる。
撫で終わると、何故か少尉はオレを見て小さく吹き出した。

「???」

オレが訝しげな顔をすると、笑いながら少尉が言った。

「あー、似合う似合う。可愛い・・・っ」

まだ笑い続ける少尉を置いてオレは司令部の建物に駆け寄ると、綺麗に磨かれた
窓ガラスを覗き込む。
オレの髪には、小さなピンクの花が飾られていた。
金の髪に揺れる、淡い桃色。
振り返ると、少尉はまだ笑っていた。

「少尉ッ!!」

オレは再び樹の下に駆け寄ると少尉を睨む。

・・・少し下降気味だった気持ちは、いつの間にかどこかへ消えていた。

少尉はオレを見上げると一瞬だけ柔らかく微笑い、「・・・可愛い」と呟く。
それは、同じ言葉のハズなのに。
さっきとは全く違う響きを持ったその声に、オレの頬が赤くなる。
・・・何故か、少尉の向こうに見える空の蒼がいつもよりも綺麗に見えた。


―――オレが恋という気持ちを知ったのは、それから暫く後の事。




「・・・エドワード、どうしたんだい」

親父の声に意識を引き戻され、オレは我に返る。
今この花を見つけるまでは忘れていた、些細な日常。
でも、今はそれが何よりも愛しく・・・切ない。
こっちの世界に来て、何度も思う。
もし自分の持つ全ての物から代価を選べたなら。
・・・それは記憶だったらいい、と。
あの人の事を忘れてしまえれば、こんなに胸が痛む事も無い。
こんな晴れた日の空の蒼を見る度に、泣きそうになる事も無いのに、と。
小さな桃色の花が緩やかに風に揺れる。

「でも・・・」

オレは呟きながらその花を摘み取った。
こんな低い位置にある花を見つけたのは、オレの目線が下を向いていたから。
オレはいつの間にか弱気になっていたのかもしれない。
向こうとは違う街並み、鮮やかな青空、届かないかもしれない未来。
そんな物から目を逸らして、前を見れずに。
・・・だとしたら。
この花を見つけたのはきっと、諦めるなというメッセージ。
小さな花を手に、下を見つめていた目線を真っ直ぐ前に上げて親父の後を追う。


見慣れない街並みを、鮮やかな青空を、あの人を思い出させる全てを見る度
まだこの胸は痛むけれど。

・・・でも。

後悔しないと・・・泣かないと、決めたから。

・・・もう一度、アンタの笑顔を見る為に。




手には、あの日と同じ小さな花。

空は、あの日と同じ綺麗な蒼。




―――それは、いつか来る明日への、希望の色。