煌 月|
初めてあの人と言葉を交わしたのは何時の事だろう。 先代の勇名を聞いてここへ流れてきてから暫くの間、顔は知っていても 特に言葉を交わした事は無かった。 ただ、時々見かけた際に「あまり似ていない兄弟だな」と思った位で。 先代は精悍で闊達な感じの人だけれど、あの人はずっと大人しそうな印象だったから。 確かあれは・・・そう、何気ない初夏のある日だった。 ---------- 先代が、誰かを探すかの様に辺りを見回して城内を歩いていた。 「孫策様。何かお探しですか?」 声を掛けると、先代は苦笑する。 「権を、探してるんだ」 「弟君ですか」 そういえば朝から姿が見えなかった。 「あいつ、もしかして狩りにでも行ったのかな」 先代は少し困った様な表情をする。 「権はああ見えても変な所が俺に似ててさ。 時々勝手に森に狩りに出てっちゃうんだよな。 誰か護衛でも付けて行ってくれればいいんだけど・・・、 そこはほら、俺に似て・・・まぁ・・・」 先代はまた苦笑して、言葉を濁す。 その意味は言わずとも自分にも良く解った。 「あ、そうだ。 もし時間があるなら権を探すの、少し手伝ってくれないか?」 「・・・別に構いませんが」 「俺まで勝手に一人で森に出て行くとまた皆に怒られるからさ。 ちょっと、外を見てきてくれないか?」 「解りました。見つけたら孫策様の所へお連れしますから」 そう答えると、先代はまた城内を探す為、歩き出した。 馬を駆って、近くの森まで走る。 この近くで狩りが出来そうな場所は限られている。 「あいつは結構大きい獲物が好きなんだよな」 先代がそう言っていたのを思い出し、森の中でも一番深い部分に踏み込む。 馬を止めて近くの木に繋ぎ、周辺を歩く。 ・・・暫くして。 あの人を見つけた。 大きな樹に寄りかかって、ゆっくりと虎の背を撫でている。 耳を澄ますと、何か虎に向かって話し掛けている様で、声を掛けるかどうか躊躇う。 しかし人間の気配を感じたのか、虎がぴくりと顔を上げてこちらの方向を見る。 「・・・誰・・・?」 その声には警戒する響きが含まれていた。 「弟君、私です」 そう声を掛けて、ゆっくりと歩み寄る。 「・・・ああ、何だ、幼平殿か・・・」 ほっとした表情をして、彼はにこりと笑う。 「孫策様がお探しでしたよ。 勝手に一人で城外に出られるのは私も危ないと思います。 さあ、戻りましょう」 促すと、彼は虎の頭を優しく撫でて、 「ごめんね、もう帰らなきゃ。また遊びに来るから。 さあ、君もお帰り」 と言った。 虎も大人しく踵を返して茂みへと去って行った。 それを見届けて、彼も傍に置いてあった弓矢を持ち、馬の手綱を取る。 「狩りにいらしたのではないのですか?」 「・・・そうだよ」 何でそんな事を尋くのか解らないといった表情で彼は答える。 「何故今の虎を獲らなかったのですか?良い獲物ではないですか」 狩りに来たとはいうが、彼の手には獲物は一匹も無い。 「・・・でも、今の子は友達になっちゃったから」 「いつもそうなのですか?」 「うん、そう。 狩りとはいっても、殆ど馬を駆るだけだから遠駆けと変わらないかな」 そう言って彼は苦笑する。 「虎が・・・怖くは無いのですか?」 「・・・別に」 短く答えて、彼は馬に飛び乗る。 「何故、一人で城外へ出たのですか?」 「だって、兄上は忙しいから我侭言えないし・・・それに、 私には公瑾殿の様な人はいないから」 「公瑾殿?」 耳慣れない名前を聞いて、思わず問い返す。 彼はそんな自分に、 「兄上に尋いてみればわかるよ」 と言って微笑った。 その微笑がどこか僅かに寂しげに見えたのは気のせいか。 「・・・そういえば幼平殿とこうやって沢山話すのは初めてだね」 馬をゆっくり駆けさせながら、彼はぽつりとそう、言った。 「・・・幼平殿って、さっきの子と似てる」 「そうですか?」 「・・・うん」 城に戻ると、彼を先代の所へと連れて行った。 「権、心配したんだぞ。 勝手に外に出たらだめだっていつも言ってるだろ?」 「ごめんなさい」 彼はぺこりと小さく頭を下げる。 「とりあえず今日は部屋に戻って大人しくしてろよ」 「はい」 彼は素直に頷いて、部屋を出て行った。 「孫策様」 「ああ、ありがとな、権を見つけてくれて」 「・・・あの・・・、公瑾殿、というのは、どなたの事でしょうか」 その問いに、先代の表情が僅かに曇る。 「弟君が、自分には公瑾殿の様な人はいないから、と」 「・・・権が?」 先代はそのまま暫く黙ってしまった。 「・・・尋いてはいけない事でしたら別にこれ以上この話は・・・」 そう言ってこの話題を切り上げようとした時。 「・・・公瑾は、俺の、たった一人の大切な人間だ。 親友・・・ともちょっと違うけれど。今は訳あって離れてる」 そう言った先代の表情が少しだけ、柔らかくなる。 それだけで、先代にとってその人が大切な人間だったのだと知る。 「そうですか」 あの時の彼の言葉を改めて思い返す。 ・・・あの言葉は、自分にとって親友と呼べる人間がいないという意味だったのか。 「権は、あれで結構人見知りだから。 ・・・そうだ、幼平、暫く権の護衛役になってくれないか?」 「私が・・・ですか?」 「今日だって大人しく言う事聞いて戻ってきたし・・・、 幼平の事、結構気に入ったみたいだし。 誰かが傍にいて、色んな世界を見せてやれば権にもまた違った友達ができるかもしれない。 頼めないか?」 主君にそう言われて断れる訳も無い。 「弟君が私でも良いとおっしゃっていただけるのでしたら」 そして、あの人に仕える事になった。 あの人は先代の突然の申し出に少し驚いた顔をしたが、 「幼平殿なら・・・」 と小さく頷いた。 それを見た先代は「後は頼んだ」と言ってその場を去り、 部屋には彼と自分二人だけになる。 「幼平殿、また、あの子に会いに行ってもいい?」 不意に、そう問われる。 「・・・私が一緒でしたら」 その言葉に、あの人は嬉しそうに微笑った。 「・・・幼平殿は、ずっと傍にいてくれる?」 「仲謀様がそう、お望みでしたら」 「・・・うん」 あの時の寂しそうな表情がずっと心から離れなかった。 その時そっと触れられた小さな手の温もりを感じて、ずっと、この人の傍にいようと、 そう、思った。 ---------- 「・・・幼平」 字を呼ばれて背後を振り返る。 そこには記憶の中より幾分大人びたあの人の姿。 「ああ、仲謀様」 彼は楼に座って外を眺めていた自分の傍らに座り、その肩に身を寄せる。 「何を、考えていた?」 「少々、昔の事を」 「・・・そうか」 それ以上は何も尋ねない。 この人はいつもそうなのだ。 「仲謀様はどうしてこちらへ?」 「・・・夕焼けが綺麗だったからな。ここなら空が良く見える」 「でも、少し寒いですね」 確かに空は綺麗な夕焼けだが、空気は秋の夜の気配が漂ってきている。 「大丈夫だ。幼平とこうしていると、暖かい」 そう言って小さく笑ったあの人の顔に、虎を傍らに微笑んでいたいつかの表情が重なる。 「虎の様、だからですか?」 笑いながらそう言った自分の言葉に、あの人は少し困った顔をして、呟く。 「いつの話だ」 その頬はもしかしたら朱いのかもしれないけれど、今は鮮やかな夕焼けに紛れて判らない。 「寒くないのでしたらもう少しだけ、こうしていましょう」 その言葉に小さく頷いたあの人の肩をそっと、抱き寄せる。 抱き寄せた手に、あの人の手が重ねられる。 それはあの日と変わらない温もり。 「明日は久し振りに狩りにでも行くか」 「はい」 この夕焼けなら明日はよく晴れるだろう。 肩にかかる体重を心地良く感じながらそう、思った。 夕焼けは、だんだんと宵の色に変わり始めていた。 <終> |