聖夜−白の断章−
(1996/12/07)



 手土産持参で友人が訪れた時、私はまだワープロに向かっていた。
「何だ?まだ終わってねぇのか。今朝宅話した時、昼には上がってるとか言ってなかったか?」
「悪かったな。予定というのは変わるもんや。あと一時間もあれば終わる」
 事件の関係で大阪府警に行くので帰りに寄る、と火付助教授から電話があった時、私、推理作家の有栖川有栖は、本日16時締め切りの中編と格闘中だっ た。もうすぐ終わる、と気を抜いたのが災いして、正午を大きくまわった今もまだ片付いていない。
「まあがんばってくれ。一時間くらいなら勝手に待ってるさ」
 勝手知ったる様子でリビングに上がり込んだ火村は、窓際にかかった鳥籠に気づいて、にやにやしながら振り返った。
「また預かってるのか、このカナリア。そうか、今日は24日だもんな」
「言っとくけど一昨日からやぞ」私はドアを閉めながら答える。
「イヴにかかるとわかってて預けられてるわけだな」
 何が言いたいかやっとわかった。
「うるさいな。締め切りに追われてることを話したからや。そういう君こそ、イヴに一人でいるやないか」
 そう。本日はクリスマスイヴなのだ。無宗教の日本人までもが一日だけ国をあげてのキリスト教徒になる、狂乱の祭りの夜。本来、妙齢(?)の成人男性が一人でいるべき日ではない。
 そういう日に締め切りをぶつけてくる編集部も編集部だが、「心おきなくクリスマスと正月を迎えたいでしょう?」という担当の片桐のありがたい配慮 らしい。―――もっとも、三時間後にこの原稿を取りに来る予定の彼は、これからクリスマス返上で校正にかかるのだから、文句など言えるはずもないが。
「独り者の寂しい友人に会いに釆てやるという、この優しい心遣いがわかってもらえないとはな」
 大ゲサな身振りでヨタを吐くと、助教授はさっさとダイニングに入っていった。勝手に飲むものでもつくっているらしい。こんな関係もいつものことな ので、私は小さくため息をつくと、特別何も言わずに仕事に戻った。

 やっとエンドマ−クをつけて顔を上げると、時刻は3時に近くなっていた。結局一時間では終わらなかったようだ。隣りの部屋が静かなところをみると 本でも読んでいるのか。
 私は大きくのぴをしながら立ち上がった。まだ昼間だというのに窓の外は薄暗い。どうにも雲ゆきがあやしいようだ。
 …ふと。
 目の端に何か動くものをとらえて私は手をとめた。窓の外にチラチラと光る白いもの。
「…雪や…!」
 私は思わず呟いていた。見る見るうちに、視界が白く埋めつくされてゆく。今年初めての雪が、あとからあとから舞うように天からこぽれおちてくる。
「おいセンセ、気付いてるか? 雪が…」
 いきおいよく隣室へ続くドアを開けたところで、私は足をとめた。静かだったはずだ。火村は大きなクッションを抱きかかえるようにして、深くソファに身をうずめていた。私の声にも気付かなかったようで、すやすやと静かな寝息をたてている。
 私はそっとソファに近付くと、友人を上からのぞきこんだ。誰でもそうなのかもしれないが、寝ている姿は無邪気そのものだ。一気に十は若返ったように見える。第一、この格好。まるで大きなテディ・ペアを抱いて眠る子供のようだ。
 毛布を取ってきてやろう、と思ったところで、客用の予備毛布をクリーニングにだしたままなのを思いだした。仕方なく自分のベッドから毛布をはがす と、それをそっと火村にかけてやる。これでも目を覚まさないところを見ると、余程疲れているらしい。
 そういえば、卒論の中間二次発表に向けて毎日深夜まで指導学生につきあったあと、すぐに大阪府警から呼び出されたと言ってたっけ。実は三日前に「一 緒に来るか?」と連絡はもらったのだが、この原稿に追われて行けなかったのだ。
 私はコーヒーをいれにダイニングヘ向かった。豆をだそうと冷蔵庫を開けたところで、火村が持って来た箱が目に入る。箱の中身は何とクリスマスケー キだった。二、三人で食べるのにちょうど良いくらいのサイズの。
 二人分のコーヒーを持って出たが、火村はまだ眠ったままだった。まあいい。もう少し寝させておいてやろう。もう一時間もすれば片桐がやって来るはず だ。そうしたらあのケーキを切って三人でお茶にしよう。―――片桐もそれくらいの時間はあるだろう。
 無邪気な火村の寝顔をサカナに、私はゆっくりとコーヒーを飲んだ。かすかにカナリアが羽をふるわせる音がする。窓の外には雪。この分なら、運が良 ければ明日の朝には白い街が見られるだろう。
 メリ−・ホワイト・クリスマス。
 こんなクリスマスも、悪くない。
 あとからあとから舞い降りてはベランダをうっすらと白に染めてゆく雪を見ながら、私は静かに目を閉じた。







多分、オフの同人誌用に書いた小説はこれだけだったと思います。
しかし、この本の編集者が、本をなかなか出さないまま音信不通に
なってしまったので、結局出たかどうかもわからないまま、原稿は
持ち逃げされてしまった形です(泣) これはコピーからのスキャン。
これ、私的には火×アリなんですけど…どこが?と言われそうですね(^^;)

TOPに戻る