空へ
(99/09/15)
1996年1月15日。世間を騒がせた「レディ・ジョーカー」事件も息をひそめ、大物政治家を巻き込んだ、企業と総会屋の献金疑惑が新聞を賑わせた日々も、落ち着きを見せ始めていた。
ことの発端をつくった日之出麦酒の元社長・城山は、翌日に第一回公判を控え、浅い眠りから目覚めた。
短い拘留の後自宅へ帰ることができた城山は、殆ど家から出ずに、静かに神に祈る生活を続けていた。めまぐるしかった36年の生活と、事件対応に追われたこの1年を過ぎてみると、何と穏やかな日々が続くのだろう、というのがここ数ヶ月の城山の心情だった。
同じく公判を待つ倉田とは、一度電話で話しただけで、それ以降連絡もとっていなかった。今頃彼はどんな気分でいるのだろう、以前聞いたように自由を味わっているのだろうか、と城山はふと思った。公判は長くは続くまい。執行猶予の期間は大人しくしているほかないが、その後は、長く不義理をしてきた妻と一緒に外国へ旅に出よう、と城山は考えていた。まずは聖地だ。そして、ヨーロッパをまわり…。
その時にはもう公安の警護はいらない、とふと考えて、城山の脳裏に背筋のまっすぐ伸びた後ろ姿が1つ浮かんだ。城山が拘置所にいる間に、同じ刑事に刺されたという彼は、今はどうしているのだろう。一度妻を見舞いに行かせたが、落ち着いていたとはいえ、やや翳りのある表情だったと聞く。義兄である検事から退院したという話は聞いていたが、その後顔は見ていない。
そこまで考えて、城山は苦笑した。かつて警護を勤めた刑事一人と今は犯罪者である自分が、この先顔を合わせることはあるまい。
「おはようございます。お早いですね。食事になさいますか?」
台所から、妻が声をかけてきた。
「はい、お願いします」と答え、城山は玄関へ向かった。日課となった新聞の受け取りも、事件の直後には緊張したものだったと、ふと思い出した。犯人からの連絡が、新聞に重ねられていたり、庭に落ちていたりしたからだった。そういえば、あの時合田刑事はこの門の横に立っていたのだと、またどうでもいいことを思い出す。今も、護衛の刑事が路地のどこかにいる筈だが、彼ほど存在感のある者はいないようだ。良い意味でも悪い意味でも。
城山は玄関のドアを開けた。うららかな小春日和だった。今年の成人式は天候に恵まれて良かったと思っている人間も多かろう。公判を明日に控え、最後に残された1日としては、この天気は悪くない。
早く公判を済ませて、自由になるのだ。企業人としての、人としてのしがらみから逃れて、自由な空へ帰るのだ。
逮捕直後から時折感じていたその解放感が、自宅へ戻った後の城山の空白を埋めていた。60年生きてきて、やっと手に入れた心の平安だった。今日は教会へ行こう、と城山は思った。今のこの平安をもたらしてくれた主に、感謝を捧げるために。
降り注ぐ真冬の太陽の光に目を細めたその一瞬、城山は路地の片隅で光るものを見た。警護はどうしたのだ、という焦りが心をかすめた次の瞬間、城山は至近距離で3発の銃声を聞いた。胸に衝撃を感じる間もなく、鼻孔を火薬の匂いがかすめていった。
―――天のいと高きにホザンナ
ゆっくりと膝を折りながら、城山は耳の奥で讃美歌を聞いた。
―――主はわれら弱き者を見捨て給わず
妻の悲鳴が聞こえた。去って行く足音、車の走る音。
ああ、こんな空に帰りたかったのだ。かすかに網膜に写った空の青さに、城山は微笑を浮かべた。少なくとも、神は自分を見捨て給わなかった。こうして、永遠の自由を与えてくれたのだから。
それが、意識を手放す前に見た最後の情景だった。
路地に、見張りの刑事はついていなかった。城山の妻も、銃声を聞き、倒れる主人の姿は見たが、犯人の姿も車もまったく見ていなかった。目撃者、遺留品共にゼロ。翌日の公判は、被告人死亡により閉廷となった。その状況や手口の鮮やかさを考えれば容疑者は自ずから浮かんだが、事件は公安扱いになったまま、遂に進展をみることはなかった。
翌日、1月16日は雪になった。珍しく、東京でもわずかに積もるほどの、しかしやわらかなぼたん雪だった。
少しずつリハビリがてら署に出るようになったとはいえ、まだ自宅療養の段階にあった合田雄一郎は、その事件を前日の義兄からの電話で知った。朝刊を開くと、狙撃のニュースは大々的に報じられていた。それでも警察は動かないであろうことを、確信している自分が哀しいと思った。
ふと目を窓の外に投じると、大粒のぼたん雪が舞っていた。
懺悔の涙のようだ、と雄一郎は思った。
実は本を見直してないので、数字データがおかしいかもしれません。讃美歌に適当な文言を入れているのは、バレなきゃいいんですけど(爆)
ここは、上手い人が書くと泣けるシーンだと思うんですけど…誰か書いてくれないかな(泣)
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