鈴の音の記憶
(2003/12/31)
「いかにも出そうだよねー」
大介に続いてバスを降りた女生徒が、大声で後ろの女子に呼びかけた。
林間学舎、初日。木島大介の通う高校は都内でも有名な進学校の一つだったが、1年生の夏には、懇親目的を兼ねた2泊3日の林間学舎の制度があった。昼からバスに乗って、山間の温泉地にやってきたが、これがまたチープなホラー映画にでも出てきそうな古い旅館だったのだ。
「飛鳥井くん、平気?気分悪くなってない?」
「ああ、平気だったよ。ありがとう」
バスの横で大きく伸びをしている大介の後ろを、クラスメイトが話しながら通り過ぎた。学級代表の金子郁江と、飛鳥井柊一だった。普段から病弱で学校を休みがちの柊一を、車酔いしないかと郁江が気遣ったのだろう。
大介はちらりと後ろを振り返った。後姿の郁江と、それに首を向ける柊一の横顔が目に入る。平均的だがやや華奢に見える体格と、嫌味なまでに整った顔。あれだけ休んでおきながら試験は常に学年10位以内に入っているのも気に入らない、と大介は思う。旧家のお坊ちゃまだという噂なので、優秀な家庭教師か何かが付いているのだろう。そして、それだけ出来すぎていれば女子が放っておくわけもなく。本人が物静かなタイプなので遠巻きにではあるが、密かにアイドル扱いされているのも知っている。…いちいち気に入らない。こいつを気に入る男なぞいればお目にかかってみたいくらいだ、と大介は内心一人ごちると、館内に入って行く行列の後ろについた。曇天を背にした古い旅館は、確かに一種独特の雰囲気を醸し出していた。
もちろん大介は、その建物を見た柊一が、かすかに眉をしかめたことを知らない。
折角温泉旅館に来ていても、高校生に湯を楽しもうという雰囲気は皆無だった。一部の風呂好きを除いて皆さっさと出てきてしまうと、部屋ごとにどんちゃん騒ぎを始めようとしていた。他人より少し遅れて風呂から出てきた大介は、そのまま洗面所へ寄って歯を磨いていた。遠くでざわめきは聞こえているが、廊下の外れにある洗面所は静かで、空間のあちこちに闇が下りている。気持ちいいもんじゃねえな、と思いつつ鏡を見ていた大介は、その隅に何かが動いた気がして口から歯ブラシを出した。ゆらり、と闇が動いた気がしたのだ。
風で布でも揺れたのか?と振り返ってみた大介は、その揺れた場所に目をやった。特に何があるというわけでもない壁の隅。しかしそこにうずくまった闇は、周囲より濃いような気がした。そんなワケは、と思った大介が見ている前で、影がゆらり、と動いた。何かが蠢き、形あるものが壁から出てこようとして、いる…?
リン
その時、大介の背後でふいに鈴の音がした。その瞬間、今まで揺れていた闇がぴたりと動きを止める。ぎょっとした大介は飛び上がるようにして後ろを振り返った。
「…飛鳥井?」
そこにいたのは柊一だった。大介の動きにびっくりしたような顔をしている。
跳ねる心臓を気取られないようにして大介は柊一を見、ちらりと壁のほうに目をやった。壁は何事もなかったかのように沈黙している。
「なんだお前?」
「なんだって…風呂帰りだよ。この奥の階段からも上がってこれるんで」
確かに柊一は、生乾きの髪をバスタオルで受けるような格好をして、手に風呂グッズを持っている。
「今、鈴の音がしなかったか?」
「鈴?さあ、気が付かなかったけど」
柊一はきょとんとした顔をしている。急に大介は、焦った自分が馬鹿馬鹿しくなって、歯ブラシをくわえて鏡に向き直った。鏡に映る壁に異常はない。
柊一は特に何も言わずに部屋に戻っていった。出席簿順に割り振られた部屋は、大介と同じである。嫌な奴に嫌なところで会ったな、せめて部屋が別ならよかったのに、と大介は内心ヤツアタリな気分になっていた。
「じゃーんっ。トランプ持ってきたぜえ」
大声で数人の女子が乱入してきた。よっ、待ってましたーっ、と部屋の男子が答える。タオルを干していた大介も、にこやかに乱入者を迎えた。消灯までの短い時間の楽しみである。トランプというのも芸がないが、麻雀やRPGでは人数が限られるのでやりにくい。折角敷かれた布団を横に避ける同室男子を尻目に、「ほらほら、飛鳥井くんも」と女子どもは柊一に参加を迫っている。そんな奴寝かしておけよ、と大介は口の中で呟いたが、女子パワーの前に柊一も断りきれないようだ。
「お菓子争奪杯、大富豪大会だよ。こっそり持ち込んでおいたんだー」
「…大富豪?」
きょとんとした顔で、柊一が聞き返した。えーうっそー大富豪も知らないのー?と、女子共はかしましい。真剣に困っているような柊一に大喜びでルールを教えている。確かに、林間学舎に来ただけでも奇跡に見える柊一だから、トランプを知らなくても不思議はない…のかもしれない。とんだお坊ちゃまだ。
「ふっふっふー。こんなものも持ち込んでみましたー」
郁江がタオルに包んだワインを見せた。学級代表自ら何をしているのだか、と思ったが、大介としても規則など破って当然の感覚がある。同室の奥田幸一と一緒に、こそこそと栓を抜き、同じく持ち込んだ紙コップに少量ずつ注ぐ。みんなちびちびと舐めながら、8人という大人数大富豪が始まった。
「よっしゃー上がり。大富豪にてイチヌケ〜」
最後の二枚、キングのツーペアを場に出して、大介は後ろに倒れこんだ。ひっでーという声は無視する。少量とはいえアルコールが入ったおかげで、ふわふわと気分がいい。まだまだ続いている場を眺めながら、横になって半目を閉じる。単純でもやり始めてしまえば意外なまでに必死になるのがトランプの不思議なところで、みんな大騒ぎしながらカードを出している。輪から外れてしまうと、冷静な目で眺められるものである。何となくうとうととし始めた大介は、しかし、ふと耳に異質な音を拾った。背後の床の間のあたりから、声が聞こえる気がする。ぼうっとした頭で聞くともなく聞いていた大介には、それが女のすすり泣きに似ているように思えた。残りのメンバーは気付いていないようだ。あと二人、と騒いでいる。しかし、そうしている間にも、音はだんだん大きくなってくる。はっきりと、これはすすり泣きではないか、と大介は思い始めた。隣の部屋で誰か泣いているのか?
その時、急に柊一が声を出した。
「今思い出したんだけど。このあいだちょっと変わった手品を教えてもらったんだ。林間のときにみんなに披露してみようと思ってたんたけど、今試してみてもいい?」
勝負もついていないのに唐突な奴だな、と半分寝ぼけたまま大介は思ったが、眠いので特に動かず、見たい見たいという女子の声だけを聞いていた。しかし、リン、という音がして、一瞬背中が硬直する。柊一が鈴を出して振ったようだ。これは、さっきの鈴の音とは無関係なのか?
そっと顔を向けたが、人の背中に隠れて、鈴も柊一も見えない。リン、シャラ、シャララ、と音がして、ふっと何人かがふらついて横になった。一人、また一人と横になっていく。何かおかしい、と大介が思った時、既に6人は寝込むように倒れており、柊一だけがその中央に残っていた。
何だ、と大介が起きようとしたのと、すすり泣きが大きくなったのはほぼ同時だった。咄嗟に大介は硬直する。先ほどから聞こえていたすすり泣き、それがはっきりと部屋の中で聞こえたのだ。
声は床の間の端、部屋の角から聞こえていた。目だけでそちらを伺うも、声はすれど姿はない。おかしい、と混乱する大介の目の前で、ふいに闇が濃くなったように見えた。先ほどの洗面所と同じだ。ゆっくりと影が揺れたかと思うと、その壁から血まみれの女の手が浮き上がってきた。
大介は目を見開いた。しかし、動けない。その目の前で、ずるり、ずるりと手が伸びてきて、髪を振り乱した女の上半身が現れる。顔は暗くてよく見えないが、全身が血まみれである。女はゆっくりと壁から出てくると、血にまみれた足で大介の前を歩きすぎた。それに続くかのように、同じ場所から今度は男が出てきた。体の半分が腐っており、片側の眼球は落ちていた。その後ろから、半分白骨化したような人物が出てきた。性別がどちらであるかすらわからない。その後に、また腕が生える。
呆然と目を見開いたままの大介の前を、ずる、という音を立てて半分腐った男が通り過ぎようとした。その時である、急に男の二の腕がずるりと音を立てて大介の目の前に崩れ落ちてきたのは。腐臭を立てて飛び散った肉の破片が、大介の顔に当たる。
「ひいっ…!」
こらえきれなくなって、大介は飛び起きた。途端、男がきろり、と大介を睨む。しまったと思う間もない。死霊の行列は完全に大介のほうに向き直ると、二番目の男が残されたほうの腐った手を伸ばしてきた。激しい腐臭が鼻を突き、座り込んだままの大介は顔をしかめたが、腰が抜けてしまって動けない。あと少しで手が触れる、というその時。
「馬鹿!伏せろ!」
鋭い声が飛んで、目の前を何かが通り過ぎた。シャン、という音と共に、腐った腕に組み紐のようなものが巻きついて動きをとめた。その音で我に返った大介が声のしたほうを向くと、紐を操っていたのは柊一だった。ぐい、と紐を引くと、腕が千切れて床に落ちた。嫌な音がして腐臭が立ち上る。
紐を引き際、柊一は鈴の一つを外したように見えた。「受け取れ!」という声とともにそれが飛んできて、大介は咄嗟に受け止めた。大ぶりの、神社にでも奉納していそうな古い鈴である。
「それをゆっくり振るんだ」
柊一が指示を飛ばす。何が何だか理解できないまま、大介はゆっくりと鈴を振った。リーン、という澄んだ音が響き、死霊たちが動きをとめる。大介と柊一が行列を挟んだまま鈴を振る。リン、リーンとだんだん大きくなっていく鈴の音は、やがて不思議な共鳴を始めた。空気が振動し、奇妙な音の空間を創り上げる。その音を聞くような顔をした死霊たちは、やがてゆっくりと薄くなっていった。
最後に残った、壁から生えていた腕が見えなくなったのを機に、柊一は鈴を振るのをやめた。ふいに呪縛から放たれたように、大介は手に持っていた鈴を取り落とした。まだ、自分の身に何が起こったのか、理解できない。できないが、柊一が何かを知っていることだけは理解できた。
「…なんだったんだ、今のは?」
大介は柊一に問い掛けた。しかしむしろ聞きたいのは、なんなんだお前は、という問いだった。急に、クラスメイトが見知らぬ人間になったかのような気がしていた。いつもの柊一とは違う、まとう空気が全く違う。そこにいたのは、病弱で大人しい控えめな少年ではなく、尊大で他人に命令し慣れている、異質な誰かだった。
「…百鬼夜行の一種だな。この建物に鬼門が開いているのは気付いてたが、ここに出るとは思わなかった。百鬼夜行は手を出さないのが鉄則だ。一人じゃ多分、消すのは難しかったし、力の強い行列なら封じると歪みが生じるから、手を出さないほうがいい。静かにしていれば問題なかったのに、なんで寝てなかったんだ」
大介を責めるかのような視線に、咄嗟に頭に血が上った。動かなかった体が動く。
「最初からわかっていたのか?さっき洗面所で影消したのもお前だな!?」
柊一はため息をつくと、大介に向き直った。
「ぼくの力じゃない。この鈴だよ。ぼくの家に伝わるお守りなんだ。これ見えるか?」
柊一が大介の目の前に鈴を掲げた。見ようとした目の前で、かすかに揺れる。その動きに吸い込まれそうになった大介は、しかしさきほどの様子を思い出して咄嗟に目をそらした。
「その手に乗るか!こいつらみたいに催眠暗示にかけようとしたな?だいたいいつもと、態度も口調も違うじゃないか。お前、本当に病気で学校休んでるのか?影で隠れて何かコソコソやってんじゃないのか!?」
怒りに任せて叩き付けるように怒鳴ると、柊一はびっくりしたかのように目を見開いた。
「お前がそんなにカンがいいとは思わなかったよ。百鬼夜行も見えていたみたいだしな」
何を、と言おうとした大介の口は、鈴の音で封じられた。柊一が鈴を振り、シャララ、と共鳴音が鳴り響く。しまった、と思った時には遅く、大介は視界が白く霞んでいくのを感じた。
霞む視界の端に、柊一の端正な顔がにじむ。そこに、少し寂しそうな影をみつけて、大介は思う。本当はこいつは、何かを隠していることに孤独を感じているのではないのだろうか、と。
思考は言葉にならないまま、大介の意識は白い闇に飲まれていった。
翌朝は、昨日の曇天が嘘のように晴れ渡った。
朝目が醒めると、男女混成のまま雑魚寝状態になっていた。いつのまにみんな寝込んでしまったのかわからないが、酒が入っていたせいだろう。教師の見回りにひっかからなかったのが奇跡のようだ。点呼が始まる前にと、女子4人はあたふたと部屋に戻っていった。
大介も、ぼうっとした頭を抱えて、何か釈然としない気分を味わっていた。途中から記憶がない。そんなに飲んだわけでもないのに、すっきりしない。軽い二日酔いだろうか。
「朝食の時間が終わるよ。早く動かないと」
ぼうっとしたままの7人に対し、柊一だけが涼しい顔をしている。やっぱりこいつ気に入らない、と思った大介は、しかし何となく昨日までと違う感覚を覚えて戸惑った。柊一に対して、同情するような気分が入り込んでいるのは何故なんだろう?
そんなバカな、と、大介は首をひとつ振って気を取り直した。何が変わったわけでもない。嫌な奴は嫌な奴だ。ただ、珍しく長時間一緒にいるから違う気分になっているだけだ。
タオルをつかみ、大介は洗面所へ向かった。夜と違ってそこに凝る闇はなく、あっけらかんとした朝日に包まれている。冷たい水で顔を洗うと、大介は窓の外に顔を向けた。抜けるように青い空。しっかり目をさまさないと、林間学舎は明日まで続くのだ。
朝食へ向かう生徒達のざわざわとした気配が、あちこちから伝わってきていた。今日も暑くなるだろう。大介は顔をぬぐうと、部屋へと戻って行った。
ベタ万歳。(いきなりそれかい…)
ええと、すみません。ネタ的にはベタですが、目的に一番近かったので(^^;)
多分、3年ぶりくらいに書いた小説。もともと人と「誠志郎でも柊一でもいいから、
クライメイトにびっくりされるところが見たいなー」という話をしていて、
ネタを冬コミの行きの新幹線内でこそこそと書き留めて、翌日帰宅してから
3時間でさくっと上がってしまってびっくり、なシロモノです。400字詰め
原稿用紙換算で17枚ほどあるんですが。授業中フルに使っても30枚書くのに
1週間が最高記録だった昔が嘘のようです。それだけ、オリジナルより
パロディのほうが書きやすいということなんでしょうね。
念のため。柊一以外は全てオリキャラです。クラスメイト視点が欲しかったので。
ちなみに、私は基本克誠なので、実は鈴男(柊一)はどーでもよかったりしますが(^^;)
こいつを気に入る男とゆーと、多能さんとか安芸くんとか誠ちゃんとかでしょうか、
と自己ツッコミ入れていたことを告白します。(オモチャとして、な気がしますが…)
あと実は、大介が鈴を受け取ったシーンで、カレーの匂いがする、と入れそうに
なったんですが、ギャグになってしまうのと、本編知らない方には何かわからない
だろうと思って抜きました(^^;)(誠志郎の仲間である安芸・美佳子コンピに鈴を
奪われ、カレーに煮込まれて匂いがついてしまった事件があるのです。これを理由に
柊一には「鈴男」という愛称の他に「カレーの王子様」という愛称もあったりします)
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