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日々これ勉強(2003年1月の後半)

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百歩譲って1月(の後半)

(1/16) 早くも1月も半分が過ぎました。コロキウムの発表当番も近いです。論文も書かないといけません。しかし2月には森先生の講演会やら那古野コネクションのオフ会等々イベントが目白押しなので、上手くやり繰りできるのか不安です。しかしまあ、死ぬことはないでしょうし、どうにかなるだろうと楽観的に構えている今日この頃、本日は午前7時の起床でした。朝型生活になったことが、この時期を乗り切る上で奏功すればいいのですが・・。

 と無理矢理慣れない言葉を遣ってみましたが、「功を奏すること」を「奏功する」と表現されるのを耳にする(目にする)度に、えもいわれぬ違和感を覚えるんですよね。単に自分が今まで遣ってこなかったからかもしれませんが、「奏功する」なんて聞いただけじゃ「走行する」のか「壮行する」のか「送稿する」のか紛らわしくて居心地の悪さを感じるのです。おそらくもともとは漢語から来た言葉で「奏功」と表現されていたのを読み下して「功を奏する」と読むようになったのでしょうが、一方で「奏功」という熟語に「する」を付けて動詞形にするという日本お得意の外来語の日本語化もなされ、両方とも遣われてきたのでしょう。しかし言葉自体の意味はいつしかナリをひそめ「功を奏する」は訓読みされずにそのまま慣用的表現になったもんだから、「奏功する」という言葉に戻したときに違和感を感じるのではないかと思うのです、たぶん。つまり、「床から起きる」ことを「起床する」と言ったり、「店を開く」ことを「開店する」と言ったり、「水を放つ」ことを「放水する」と言ったり、「火を消す」ことを「消火する」と言ったりするのとは、わけが違うわけですよ。それらの言葉には具体的な動作が伴いますし慣用的表現は含まれないのです(「投球する」と「消火する」は微妙ですが)。ようするに、「功を奏する」という言葉である程度慣用表現として固まっている言葉を「奏功する」と別の表現にしてしまうことから来る違和感なんですね(うんうん)。他の言葉はまだ慣用表現ではないので、熟語の動詞形でも違和感無く受け入れられるという寸法です。あくまでも自分が感じる違和感の原因についての考察ですが。

 さて、そうこうするうちに(<それが言いたかったのか)、というかそうもこうもしないうちに(<しかもしないのかよ!)お風呂に入って体を暖め、9時頃に大学へやってきました。当たり前ですが、相変わらず外の気温は低くて肌寒いです。朝風呂に入らないと、とても家を出られないくらい。ほんと冬はやーねー。朝食はコンビニに寄って買ってきたおにぎりと平焼きカレーパンをコーヒーとともにいただきました。そのあとは適当に、だらだらと、論文読んだり、スイス旅行記を書いていたような・・。先日買った足元を暖める「ここだけ暖房」はまあまあ役に立ってますが、寒さが厳しい日は指先から来る冷えが治まりません。実は冷え性なのか。


(1/17) 金曜日も午前6時の起床。今日は阪神淡路大震災の日です。つまり兵庫県南部地震が発生した日です。テレビなんかで「震災が発生した」という表現をよく聞きますけど、ちょっと違和感がありますね、あれは。地震が発生した結果、人間活動に支障を来すような震災になったんでしょうに。「災害発生」というのも同じですが、結果として見て初めて災害だと認識できるものを、発生したと表現できるでしょうか。火事などで徐々に被害が大きくなる震災ならなおさらです。地震が発生して間もないときには、まだそれが震災に繋がるのかどうか判断できないんですから、「震災の発生」なんてナンセンスです。震災の定義にもよりますが、時間軸上の一点にその発生が集約できるほど震災の起点は明瞭ではないでしょう。実際に被害が出るかどうかは建物の強度も関係してきますし、時間帯にも影響されるでしょう。それら潜在的な要因があららこめ含まれているからこそ震災は成り立つのです。もし、地震が発生して、のちに被災地となる土地に揺れが到達した瞬間に、阪神淡路大震災となることが決まっていたのだとしたらそれは「震災の発生」と呼べるかもしれませんが、それを突き詰めて考えると、宇宙が生まれたときにすでに震災は発生していたと言うこともできてしまいます。もうなんのことやら解りません。だから震災は発生しません。第一次世界大戦がその当時「第一次」と呼ばれることがなかったように、震災とは振り返ってみた結果としてただあるだけです。すべての原因を宇宙に求めるのもいいでしょう。宇宙がなければ問題はすべて解決です(バンザーイバンザーイ)。

 なんてことをずっと考えていたわけではありません。5時46分には間に合いませんでしたが、ラーメンを食べながらラジオを聴きつつ、8年前を少し思い出していました。地震が起こったときのことは過去の日記に詳しく書いてありますので省略するとして、何を思い出したかというと、センター試験のために通った倒壊する前の阪神高速道路下の歩道橋とか、試験会場だったK戸商船大学での英語の試験が終わったあとの教室の雰囲気とか、地震のあと救援物資として被災地へ送る用に高校へ持っていったおにぎりとお米をダンボールに詰める場面とか、駅のホームから見える民家の屋根瓦が崩れている様とか、そういう何気ない風景が断片的に思い出されるのです。まあ、記憶とは、えてして断片的なものでしょうけど、どういう取捨選択を経てこれらの記憶が残ったのかは、よく判りません。特に悲しい思い出があるわけでもありませんし。東海地方に住んでいる限り、生きているうちに再びあの規模の地震を経験する確率は高いので、対策とか心構えはしておかないといけないなと思ったりして、とりあえず黙祷・・・。

 夜は9時半頃大学から帰宅(大学でのことは忘れたので省略)。映画「シックス・センス」をテレビで途中から観て、ああなるほどこういう話だったのかと納得しました。ラストがどうのこうのという噂をちらほら聞いていたのでうすうす予想はしていましたが、あれは映画版の叙述トリックみたいなもんですね(途中から見たくせに知ったふうな口を利く)。ブルース・ウィルス、なかなか渋いなあ。


(1/18) 土曜日の本日は、今年もやってきましたセンター試験の日です。昨日は久々に夜更しをしてしまったので、今朝は午前9時の起床でした。11時前に家を出て大学へ。道路が濡れていたので、朝方に雨がぱらついていた模様。天気は曇り。気温はそれほど低くありません。冬もずっとこんな感じなら過ごしやすいんですけどね。受験生でも教官でもないので、センター試験は現在の自分にとっては別にどーってことないイベントですが、大学内が比較的静かでゆったりできるのはなんとなく嬉しいです(にこにこ)。

 実は大学へ来る前、食料を買おうといつも行くコンビニに向かったのですが、行ってみたら全面改装中で当然中には入れず(入っても商品が無い)、しかたないのでその足で大学の生協に向かい、昼食用にお寿司の助六とお菓子類を買ってから研究室へ来ました。

 夜は夕食として久々にお餅をいただきました。このお餅、正月にH君が実家から持ってきてくれた例のやつで、最近姿を見かけなかったのですが、いつの間にか冷凍庫に保管されていたらしいのです。気づきませんでした。もう全部食べられてしまったのかと諦めていたところに、意外にも(入っていたところは意外でもなんでもないですが)見つかって妙な幸福感を味わいました(にっこり)。やっぱ正月はお餅だよね〜(正月終わってるけど)。

 そして明日は定例ではない那古野コネクションのオフ会だよね〜。なのです、はい。唐突ですが、計画は少し前からなされていました。で、非定例である今回のオフ会を開催するにあたって、今までの那古野コネクションオフ会でいつしか非公式に(どこからが公式なのか不明確ですが)存在が確認されていた素敵なお姉様方による麗らかな仮想組織・三十路コネクションが、この度リアルなオフ会の名称として表出することとなったのであります。早い話が那古野コネクションの細分組織みたいなものですね。規模がそれほど大きくない、ちょっとした集まりのときに、おそらく適応されていくのではないでしょうか。ちなみに、「三十路」とはいえ、年齢は不問ということになっているので私でも参加できます(笑)。再来週がコロキウム当番なので、余裕はなかったのですが、えいやと覚悟を決めて飛び入り参加させてもらうことにしました。とりあえず第1回目の明日は、初詣と新年会みたいなことをする予定。我々が詣でるところと言えば・・ほら、もう、あそこしかないでしょ。


(1/19) 今日もちょっと寝坊して午前9時の起床だった日曜日。いやぁしかし、9時で寝坊だなんて、偉くなったもんです(笑)。毎日夕方頃まで寝ていた人間のセリフとは思えません。コーヒー飲んでお風呂に入って体を暖め、11時頃大学へ。今日もお餅を昼食代わりに食べて、午後はコロキウム準備もせずにイラストレータで新しいHP用の絵を描きながらいろいろ構想を練って遊び、3時頃大学を出発しました。

 昨日も書いたように、本日は午後の黄昏時から、那古野コネクションメンバ数名が集まって、Kずえさん主催のもと三十路コネクション(略してみそこね)が開催されました。やることは初詣と新年会。初詣でお参りする場所は、もちろん那古野神社です(にっこり)。那古野コネクションと所縁の深い神社です(名前だけって話もあります)。今までに2回訪れたことのあるこの神社は、名古屋城の近くに位置し、ちょっとしたビル街の中にひっそりと存在しています。午後4時に丸の内の地下鉄出口に集合することになっていましたが、早めに到着してしまったので付近をぐるりと回って暇つぶし。4時10分ぐらい前に再び集合場所に戻ってみると、KずえさんとMさんが来ておられました。その後しばらくしてAなあなさんも地下鉄出口から出て来られ、4時になるのを待ちました。まだ飛び入り参加する人がいるかもしれないという可能性を考慮してです。集まってすぐの話題は地下鉄を降りてからこの出口までの距離の長さでしたね。一駅分はあるんじゃないかと思うくらい予想外に地下通路が長くて、集合時間に間に合わないかと思っただの疲れただの(笑)、そういう話が少しあり、4時になってももう人は来なさそうだったので、とりあえず4人で神社へ向けて移動を開始しました。

 そしたら100mぐらい進んだところで後ろから走って追いかけて来る人影が。誰かと思ったらそれはT花さんでした。話によると、実は集合場所の目の前の喫茶店の中で、ずっと待っておられたらしい(笑)。Kずえさんの姿が見えて慌てて出て来られたとのこと。こうして飛び入り参加T花さんを加えた一行は、角を曲り、那古野神社のある方向へ歩いて行きました。そしていよいよ神社に入ったわけですが、入ったのは隣の東照宮側からだったため、一度通り抜けて那古野神社の正面へ。

 まずは手をお清めして、石畳の上を本殿の方へ向かい、とりあえずみんなでおみくじを引きました。末吉の人が何人かいて、私は半吉。っていうか半吉なんてあったのか。初めて引きましたが、あまり良いことは書かれていませんね(はは)。ところで、末吉を引いてわりと喜んでおられた方もいましたけど、末吉って実は小吉よりも下で、と同じランクらしいですよ(にっこり)。そのあと、ここにお賽銭を入れてむにゃむにゃとお祈りしました。といっても健康と家内安全ぐらいしか思い浮かびませんでしたが。夕暮れ時、薄闇の中で明かりの灯った提灯が風情を感じさせますね。その後、記念品としてお守りの干支すず守というものを購入(飾りくらいにはなりそうだしね<そんな理由で!)し、さっきのおみくじは近くの紐に結び付けておきました。これでよしと。

 それから那古野神社をあとにして新年会のために名駅ヘ移動しようと最寄りのバス停に向かったのですが、そこで後ろから現れたのがFさんでした。うわっ! 油断していたのと神社の近くというシチュエーションも手伝って思わずびっくり(汗)。こうしてここからFさんも飛び入り参加となり、一行はやがてやって来たバスで名古屋駅へと移動しました。名古屋駅で降りてからは、まだ飲むには早い時間だったのでエスカレータ下で一旦解散し、それぞれ適当にうろうろしたのち5時半に再び集合して、駅近くの洋風居酒屋キリンシティで新年会となりました。

 キリンシティというだけあって、ビールの種類がなかなか充実してるお店でした。黒生が美味しかったです。ネタバレありの森ミステリィの話とか京都の講演会に向けての話とかでわいわいやっていましたが、最後の方では何故だかコンピュータの話をしていました。7時頃にはすっかり落ち着いていたので、場所を移すことにしたのですが、店を出て名古屋駅方向に向かう途中で、珍しいものを発見。電光掲示板のメモリカードエラー!でした。しかもこの店の名前が喜多萬」というなんとも出来過ぎの名前。一部の助教授ファンの方が喜びそうですね(笑)。三十路コネクションの終わりに、なかなか相応しい遭遇と言えるでしょう。その後、地下に降りてスターバックスでコーヒーを飲みつつしばらく談笑し、9時過ぎに解散となりました。参加された皆様お疲れ様でした。


(1/20) 酒飲み明けの月曜日も、変わらず早起きで、8時前には大学へ来ることができました。紅茶を飲んで朝のひとときをまったり過ごし、9時半からはコロキウムです。本日の発表はA原先生とT辺氏の当番。A原先生はPowerBookと液晶プロジェクタを使っての質量分析計で分析する元素の精度に関する発表で、T辺氏は旧式のOHPを使っての発表でした。放散虫化石がどうたらという話。うーん、旧式は旧式で便利なところ(シートの順番をバラバラにできるとか)はあるんですが、液晶プロジェクタの映像を見たあとでは見にくいなあと思ってしまいますね(OHPの機械が古いせいでもありますが)。なるべく液晶プロジェクタを使っていきたいものです。

 そして、コロキウムのあとに開かれたのが、かねてから話が出る度に数々の意見が飛び交い(しかし直接はぶつからず)喧々諤々の議論が小さな単位で繰り広げられてきた、サロン掃除に関する話し合いでした。そもそもことの発端は、サロン掃除が当番通りできていないことだったのですが、その状況が最近続いてしまったため、A原先生が見るに見かねて学生側にいささか勝手な方法で掃除を徹底させようとしたことが、逆に学生側の怒りを買い、サロン掃除問題は泥沼化の様相を呈することになったのです(少し大袈裟に書いています)。A原先生の言い分としては、サロンには隣に実験スペースも併設されていて汚れていると困るから、当番が決まっているんならせめて1週間に1回は掃除すべきなのに、それが1回も掃除されない週があったりするのはどういうことよ?というもので、対する学生側の言い分としては、サロンを使わない学生もいて彼らは掃除当番であることすら知らなかったりするし、そもそもサロンをよく使う教官が掃除当番に入ってなくて使わない学生が掃除をするというのは変じゃないか?というものなどでした。

 まあ、客観的に見て、悪いのはちゃんと掃除をしなかった学生側なんですが、一部には現在のサロン掃除制度に納得がいかないと主張する者もいて、さらにそこにサロン費不払い問題(サロンを使ってないのにサロン費を払うのは嫌だという掃除問題と同じ根を持つ問題)まで合わさって、サロンを取り巻く状況はますます渾沌の一途を辿っていたのです。そこで、ようやく少し前にサロン係であるU本君が、教官を掃除当番に含ませるとか、サロンの使用頻度によって掃除当番の頻度も変えるとか、サロンを一切使わないという人はサロン費免除とか、いくつかの解決案をメールで流し学生側の意見を聞いたのですが、これで万事解決となったかというと、そうは問屋が卸しません。その解決案を受けて、またいろいろ意見が溢れることとなり、もうどにもならないところまで問題は行き着いてしまいました。

 ここまで来るとどうにでもなれという諦観ムードが一部には流れ始めます。もはや何が問題だったのかも忘れてしまいそうになります。個人的にも、いい加減進展のない議論に嫌気がさしていたので、半分ヤケクソになって「そこまで掃除がイヤなら俺が毎日やってやろうじゃないか!」とか、「講座の一員になっといて月500円のサロン費が払えないとはどういうことやねん!」とか、「よしわかった、そんなに払いたくないなら俺が払ったる。誰が払いたくないんや?え?言うてみこら。いくら出したら済むんや?」とか、言い出す直前でした(笑)。自分が腹を切ることによって、不毛な議論に無駄なエネルギィと時間を使っているこの状況に終わりが来るなら、それでもいいと思ったのです。もうね、内心は「いつまでもグダグダ言ってんじゃねーよ!」ってな感じですよ(にっこり)。そんなこと考えていた矢先、さすがに収集がつかないと判断したのか、直接議論してもらおうというU本君の提案で、本日の話し合いが持たれたのでありました。

 しかし、まあ、あらかたの予想通り、顔を合わせて問題を再び蒸し返してみてもお互い主張しながら後退する感じで、サロン費払いたくないという人も折れる様子もないし、ピリピリしたムードのまま結論は出ず、結局サロン係のU本君が案をまとめて後日知らせるということで、一応落ち着きました。こうしてサロン掃除問題はひとまず終了。っていうか、初めからこうすべきだったんですよね。サロン係はサロン係の権限で勝手にズバッと決めて、みんなに仕事をやらせればいいんです。変に意見を聞くと決まるものも決まらなくなります。国会における自民党が長年これを実践してきたと言えるでしょう。それが良いか悪いかはともかく、何かを早く決めたいときは有効な手段ではあります。

 なんだか長くなったので、あとのことは手短に。昼食も夕食も理系カフェテリアで、夜は眠いながらも、HPのリニューアル用の素材作りに精を出していました。来週がコロキウムの発表なので、そっちに早いこと精を出してほしいものですが、自分の中のコロキウム係の権限はいまいち弱いようです(苦笑)。


(1/21) 火曜日は少し起きるのが遅くなって、大学に出てきたのは9時頃でした。午前中はぼうーとコロキウムに向けた構想を夢想し、理系カフェテリアでの昼食後、午後は元素分離のためのイオン交換カラムを実験室の酸環境と乾燥から守るためのカバーの骨組みを針金で製作していました。ひとつ、すでに完成していて使用中のカバーがあるのですが、もうひとつ作る必要がってずっと前に作ろうとして針金を捩りまくっていたのですが、なんだかんだあって途中で作業が止まっていたのです。それをようやく再開したというわけ。っていうか、来週のコロキウム準備そっちのけでやってるわけだから、単なる現実逃避なだけの気もしますが・・。

 まあ、作ってるときは楽しいですよね。あんまり考えなくていいし、時間を忘れられるし(あとで忘れた時間を取り戻したくなりますが)。ラジオペンチを使って捩るものの、片方は素手で支えなきゃいけないのでずっとやってると指がヒリヒリしてきます。下手すると竹馬を乗り過ぎたあとと同じように、人さし指の皮が剥けます。なんて書いても、竹馬を乗り過ぎた経験をお持ちの方なんて、そんなにおられないのでしょうか。一時流行りませんでした?竹馬。いや、一時というか、むしろ小学校時代には誰も通る通過儀礼のようなものだと思ってるんですが、他の学校ではどうなんでしょう。アルミ製の竹馬が出てきてから、たぶん一気に流行ったような記憶ですね。どこの学校にも置いてあったのかは不明ですが、休み時間になると順番待ちができるほど、うちの小学校では流行っていたほどです。最近はめっきり見なくなりましたけど(当たり前か)、今でも竹馬乗ってる子供はいるのでしょうか。似たような乗り物系でホッピングというのがありましたが、各家庭に1台はあったような気がします。あれは完全な流行りものっぽいので、もしかすると竹馬ももう廃れちゃったのかなと危惧しています。嘘です、そんなことでは危惧しません。ただ、竹でできたほんとの竹馬を作ろうとする気概は、今の小学生には無さそうです。っていうか、昔からそんなことするのは一部の人間だけですね。

 夜は今宵もHPのリニューアルに向けて、いろいろ描いては消してを繰り返していました。ある意味クリエイティブな一日だったと言えるでしょう。イラストレータとフォトショップが活躍する毎日です(使いこなせてないけど)。


(1/22) 水曜日もこれといったことはできていないのですが、コロキウム準備に取りかかろうという気運さえ湧く余地なく、昼間っからHPの素材作りなんかを始める始末です(苦笑)。できたのは素材だけ。いや、後ほどその素材すらもボツになってしまったので、振り返れば全く何も生産しなかったと言っても過言ではありません。これほど、恐ろしいことがあるでしょうか。しかも、このあとに書くことがもう無いなんて、ああ恐ろしい・・。


(1/23) 実は木曜日の本日もそれほど書くことはないのですが、2日連続「恐ろしい・・」で済ませてしまうのも忍びないので、今こうしてこの言い訳めいた文字数稼ぎをしているわけです。思い付いたことをダラダラと書いていけば、自然と文字数なんて簡単に稼げてしまうものですが、それ以前に何故文字数を稼ぐ必要があるのかを問うべきではないのか?と思ったりもします。しかしよく見たらその答えは直前の文章に書いてあって、「忍びないから」じゃないか。と唐突に自分に突っ込んでみたりしているうちに、昨日よりは文字数が多くなったでしょうか。さて、どこへ向かうこの日記。というか今日の日記。・・・ほら、ちょっとぼうっとしたら、もう書くことが無くなってきたぞ。休むな、気を抜くな、思考を止めるな、何か考えるんだ、頑張れ、自分。よしよし、そうそうやってなんとか言葉を繋げていればきっと大丈夫。たぶん大丈夫。あ、そうか、この感覚か。おしゃべりをし続けないではいられない人がたまにいますが、そういう人はおしゃべりを止めると何もしゃべれなくなるという不安に駆られているんでしょうかね。そうか、これはそういう感覚に近いに違いないと今思いました(違うと思うぞ)。()内の突っ込みも抜かり無く入れます(にっこり)。微笑みもね。なるほど、こうして書いた尻からすぐに直前の文を解説していけば、永遠に書き続けられる可能性があるんじゃないか、と今一瞬思いましたが、そんなことが可能なわけないことは書いている途中で気づいていました。でも書かないともったいないからさ、そこは、やっぱり逐一書いちゃうわけだよね〜。なんか口調が変わってるけど、気にしないでね。たまに人格変えていかないとやな、話がもたついてしまうやん? 思い浮かんでるくる言葉はいつも統一されとらへんさかいな。ってありがちな関西風味の人格も混ぜてみたり。実際に関西人やけど、リアルで人と接するときはあんまり関西弁は出えへん質なんやわこれが。なんでやろ。っていうか、こうやって関西弁で書くんも、変換とかメッチャ面倒やし、実際のとこ書きにくうてかんわ(これは名古屋弁)。こういう障害が思考の妨げになることってありますよね。どんどん思い付いたことをアウトプットしていきたいときに、道具が使えないやつだと能力が発揮できなくて困ります。もともと能力なんて無いやろ!という突っ込みをしたあなたに拍手。パチパチパチ。その突っ込み心を大切に育てられれば、この日記のひとり突っ込みもいずれ必要なくなるという寸法です。そうなれば、たぶん文章量が3割オフくらいになるんじゃないでしょうか。それもまた困りものですが、読者の突っ込み精神に支えられている日記なんて素敵ですね。現在でもそういう日記は散見され、憧れの的であったりします。さて、ここで改めて問おう。どこへ向かうこの日記。というか今日の日記。こういった繰り返しのパターンも文字数を稼ぐ常套手段ですね(にっこり)。二度目の微笑みもさりげなく入れるのでした。そしてここで、はいどうぞ(「全然さりげなくないやん!」)。どうですか、「」内の突っ込みをズババーンと入れていただけましたでしょうか(にこ)。っていうか、さっきから何をやってるんでしょうか。自分でも書いていて全然目的が見えてきません。いや、目的は明確で文字数を稼ぐことなんですが、着地点はどこ?と先行きの不透明感が頭をもたげてきました。もたげるって持ち上げるという意味なんですよね、語感からはいまいちしっくりこないんですか?(質問かよ!)。日本語覚えたての中国人が親切心で「わたし、その荷物、もたげるよ」なんて言ったりしませんか? っていうか、そういう話じゃなくてだなあ、これじゃ単なる独白じゃないかと思えてきましたよ、どうしましょ。いやいやいやそんなこと言ったら日記も体裁を整えた独白の一種という気もしますし、そもそも独白にもなってませんよなんてクレームがつけらそうな破綻具合だし、今更ここにきて振り返ることでもないわな。うん、ないっちゃないっちゃ。これは中国地方の方言っぽいな。言葉遣いも混然一体、むちゃくちゃです。そんなことにもういちいち構ってられません。あわあ〜もうどうにでもしてーって感じで、わけもわからずフェイドアウト・・ほわんほわわわ〜〜ん(<消えゆく音)。

 えーさて、おやつ時から夕方にかけて、実験器具を持って来てくれる業者さんと学生数人でサロンにて野球談義に花が咲きました。といっても、自分は野球にあんまり興味ないので適当に話を合わせるだけなのですが、なんとなく巨人1強というのは面白くないだろうなと思います。業者さんは巨人ファンで、それ以外がアンチ巨人みたいな構図でしたね。巨人ばっかりひいきして、結果ファンの偏りを生んでしまっているマスメディアの問題が話に出ていましたが、私に言わせればスポーツ報道が野球に偏ってることの方が問題ありに思えますね。オフシーズンの冬になってもやれキャンプだ、年俸アップだと騒ぎ立てるじゃないですか。そんなの見てると、せめて野球がオフシーズンのときくらい他のスポーツを取り上げてくれよと言いたいですね。他じゃ視聴率取れないのは解りますが、冬にスキーを取り上げないなんて信じられません。所詮、元スキー部員の遠吼えですけどね、野球は結果だけでも知れれば問題ないじゃないですか(言うなあ)。ましてやキャンプの様子などという裏方なんて見たくありません(<そりゃ興味がないからやろ)。一方、例えばスキーのワールドカップなら、その結果だけ知ったって面白くないんですよ。スキーってね、点数取ってハイ勝った、というスポーツじゃないですよ。マラソンの中継があるならノルディック競技の中継もやってほしいものです。スキーは上手い人が滑ってるところを見るからこそ参考になるんだし、滑りの華麗さを楽しむことができるのです(<他のスポーツもいっしょじゃん)。まだ野球の試合をする人口よりは、スキーに行く人口の方が多いだろうし、自分の滑りに生かせると思うんですけどね。なんてこと言うと、T中氏あたりに、わざわざスキーを上達しようと思う人自体が少ないんだって、とか言われそうですが。ああ、ひょっとしてあれですか、スポーツ観戦というのは、映画を観るのは好きだけど撮影技術を学ぼうとする人が少ないのと同じ状況ですか。おお、だんだんそんな気がしてきたぞ。全国上映される大作映画よりも単館上映の映画に人が入らないのは当たり前の道理なんですね。そうかそうか、うーん、登場人物の多い派手な映画に人が集まるのはしかたないことなのか・・。


(1/24) 曇り模様の金曜日。毎日ちょっとずつ早起きの無理が溜まってきているのか、微妙に起床時間が後退し始めています。所詮は夜型人間なんでしょうか。起きてからも眠気が残っているため、大学に出てきても午前中はぼうっとするばかりです。墓場の火の玉のようにボウッとしています。内面的には急ぐ必要のないこと(例えばHPのリニューアルとか)に燃えているのですが、実際やらねばならない事柄(コロキウムの準備とか)に対してはの虚ろ虚ろして身が入っていない状態です。なんかこれって夜型人間とか関係ないかもしれない。これでいいのか?と立ち止まって考えると、頭の中には筋肉少女帯の歌が流れてきます。だーめだめだめダメ人間、にんげ〜ん、にんげ〜ん、みたいな(笑)。しかしそんな自問には同じく筋肉少女帯の歌で理屈抜きに自答しようではないか。そう、これでいいのだ(にこ)<良くない良くない。

 さて、昼食後、午後からはようやくコロキウム発表用の論文を読むのもだんだん調子に乗ってきた(もう金曜だというのに読んでる段階か)のですが、本日午後5時からある講演があるということでコロキウム準備は中断することになりました。その講演とは、スイスから来日中だというあのナグラスイス旅行記を参照のこと)の放射性廃棄物の地層処理の専門家の講演で、スイスでは研究所を見学させてもらったことだし、自分の研究ともそう遠くない分野のことなので聴いてみようと思ったしだい。講演場所は工学部の新館の電子情報館でした。ここに入るのは初めてでしたが、さすがに綺麗な建物です。エレベータで8階に上がり該当の講義室へ。入ってみると、なんだ全然人が少ないじゃん。ちょっと拍子抜けです。でもまあ今更帰るわけにもいかないので、前の方に着席しました。ほどなくして講演(というかプレゼンみたいな感じ)が始まったのですが、講演者はイギリス人なのでもちろん英語でしゃべってます。なんとなく言ってることは解りますが、やはり油断してると眠くなりますね。後半は全然ダメでした。眠気に耐えるので必死で。ほとんど覚えていません(苦笑)。1時間ちょっと講演、はたして有意義だったのかどうか・・疑問を残したまま研究室への帰還となりました。

 夜は7時前に一旦帰宅して、ほぼ日からの荷物を受け取りました。先日購入した「ほぼ日元気ハラマキ」です(にこにこ)。今回のハラマキはマフラ代わりにもできるお洒落なやつなのです。全種類欲しくて、なんと2万円以上も払ってしまった代物です。でもねぇ、嬉しいんだなあこれが。何故でしょう。ひょっとしてショッピング依存症というやつでしょうか。しかし、だったらPS2ぐらいすでに買ってそうなのに、未だに買えてないんですよね(当然「すべてがFになる」はまだ未プレイ)。PS2に2万円出せないくせに、ハラマキにはあっさり2万円出せてしまうのは、我ながら不思議な感覚であります。あでも、ネットショッピングならPS2でも買えそうな気がするかも。そうか、やっぱり店頭で買ってから持って帰る行為を億劫に思っているんだな(箱でかいし)。いや、だからといってネットでPS2ごときを買うつもりはありませんが(難儀やのう)。


(1/25) 土曜日はのんびりとお昼前に大学へ来て、コロキウム準備を進めました。今回も液晶プロジェクタを使っての発表を予定しているので、それ見せるためのイラストを描いたりしていたのですが、絵を描くのはやはり時間がかかります。発表内容は論文紹介ですが、論文をチェックしながらなのでなおのこと時間がかかって大変。しかも描いた労力に見合わず本番ではさらっと流されるだけですからね、なんだか切なくなってきます。それでも描くのは、単純にこういう作業が楽しいからにほかなりません。もはやそれだけを糧に準備するしかないのです。しかし、全然本質的な部分じゃないので、コロキウム準備としてはほとんど進んでいないのが痛いところ。

 夜は早めの9時過ぎに帰宅。そしてテレビを点けたが最後、たまたまやっていた映画をついつい観てしまいました。全く知らない「ダーク・シティ」とかいうやつでしたが、ちょっと面白かったかも。最後はドラゴンボールみたいな展開になって、ちょっとどうかなあと思いましたけど。


(1/26) 日曜日はもうフルにコロキウムの準備。毎度のことながら始めるのが遅いからこうなるわけですが、まさか徹夜になってしまうとは思っていませんでした(とほほ)。当初の予定では、午後の6時くらいには仕上げて、本屋にでも行けるかなと思っていたのに、結局6時なんてとてもとても間に合わず、そのあとも準備は延々と続いたのでありました。

 半分徹夜を覚悟し始めていた夜は、もうすっかり諦めムードでもあったので、夕食は久しぶりの外食をすることになりました。息抜きがてらです。外食といっても行き着けのそば屋の大桐なんですが、かなり久しぶりに訪れたのは確かです。T辺氏とA川君と3人での夕食でした。食べたのは味噌煮込みうどん玉子煮込みとご飯で、なんてことはないいつものメニュー。しかし夜中になってからお腹が痛くなってしまいました。このうどんのせいじゃないと思いたいですが、味噌煮込みを食べるといつもお腹が下るような傾向がある気もします。まあだから、いつものことですね(笑)。きっと腸の働きを良くする効用でもあるのでしょう。単に普段より食べ過ぎただけという可能性もあります(ご飯がなくてちょうど良いくらいだし)。

 後ほどトイレに行って少しはすっきりしたものの、大学でコロキウム準備をしつつ朝を迎える頃、再び痛くなってきたので、コロキウム準備の目処がついたところで一旦帰宅し、態勢を整えることに。それはともかく準備はギリギリでした。というかまだ不完全なところもいろいろ残っていたのですが、もう時間がなかったので無理矢理スライドだけは揃えたという感じ。こんなんでいいのでしょうか(こんなこと毎回言ってるな)。うう、ものすごく不安だ・・。


(1/27) というわけで昨日の続き。月曜日は朝方一旦帰宅して、用を足してシャワーを浴びて、なんとか身だしなみだけは整えて再び大学に戻ってきたわけですが、それからコロキウムが始まる直前までの間も準備をしていました。それほどギリギリな状況だったのです。で、いよいよコロキウムの時間となり、発表したのですが、案の定もうなんだか全然ダメな出来でしたね(ははは)。はぁ・・情けない。明らかに徹夜が原因で頭が回っていませんでした。言いたいことがちゃんと口から出て来ないのです(だからといってお尻から出てくるわけでもありません)。声もあまり出なくて、きっと聞き取りにくかったことでしょう。にもかかわらず、発表が終わったあとは喉が痛くなっていたんですから、笑わせてくれますね。普段いかにしゃべっていないかが判るというものです。喋り続けるとすぐ喉にきます。森先生がよくおっしゃっている、授業のあとに喉が痛くなるというのは、たぶんこういう状態をいうのでしょう(力無くにっこり)。あと、わりと重めの棒を指示棒代わりに使っての説明もしていたので、持っていた右腕が筋肉痛っぽくなっていました。すっかり軟弱な躰になってしまったようです。こりゃ鍛えなあかんなと思ったしだい。2月には1年ぶりにスキーにも行くことになったし(第2回スキー部OB合宿で)、これから少しずつ鍛えていこうと思います。肉体的にも精神的にも。

 コロキウムのあとは、昼食を食べて、襲ってくる眠さに耐えながらなんとか夜まで大学に居ました。発表が終わってハイさよならじゃ感じが悪いですからね。まあ、居たからといって眠さに耐えながらできることなんて限られているわけで、大したことはしていません(忘れましたけど)。朝から雨が降っていた本日ですが、すっかり疲れて帰る頃には止んでいました。雨に降られて始まり、自分がフラフラになって終わった月曜日でした。


(1/28) 昨日とは打って変わって、ようやく晴れた火曜日。徹夜分の睡眠不足が残っていましたが、なんとか午前9時には起床。眠いながらも大学でそれなりに過ごすことができました(それなりですが)。昼食に納豆、玉子、ご飯、味噌汁、ブリの照焼を食べ、夕食はご飯、味噌汁、関東煮の玉子、ししゃもの天ぷらという組み合わせ。今日は献立を書く日か。

 夜は午後9時を過ぎてから本を買うために自転車で杁中三洋堂書店まで行きました。しかし自転車のブレーキがもうほとんど利かない状態になっていたので、下り坂では自転車を降りて歩かないといけないという有様(苦笑)。いい加減修理しないとやばそうですが、寒いのでなかなか自転車をいじることができません。言い訳ですけどね。さて、買った本は雑誌で「小説すばる」「季刊コミッカーズ」です。前者は森先生のエッセィ、後者は同じく森先生のインタビューが目当てです(にこにこ)。帰りも当然自転車のブレーキは利かないので、上り坂は自転車こいで上り、下り坂は自転車を押して下るという、奇妙な乗り方をせざるをえませんでした。この自転車、ブレーキの不調を知らないで乗ったら恐ろしいことになりますね。下り坂でスピードがついてきたときに、ブレーキが利かないことに気づくわけですから(ぶるぶる)。いやあ、日頃の点検は大事ですよね(<点検だけじゃ意味無いぞ)。

 大学に戻ってきて、さっそく買った森先生のエッセィとインタビューを読みました。「コミッカーズ」のインタビューはささきすばる氏のも一緒に載っていて、森先生の言葉との対比が面白いです。コンビニに寄ってカップヌードルやスパゲティを買って帰宅し、日付が変わった午前2時頃に就寝となりました。だんだん寝る時間も遅くなってきてますね。注意しなければ。


(1/29) いつも目覚ましのラジオは午前6時にセットされているのですが、その時間に必ずしも目が覚めるとは限らず、今日起きたのは8時前でした。水曜日は資源の日で、久しぶりにプラスティック容器包装をゴミステーションに出すことができました。溜まりに溜まっていたものを20リットル袋に小分けして4袋です。はっきり言ってゴミの中ではこのプラスティック容器包装(正確にはゴミじゃないですが)が一番溜まりますね。世の中がいかに石油製品に溢れているかが判ります。すべてが包装に包まれて売られる時代です。プラスティックは欠かせないものになってますね。人間ですら石油製の服に包まれています。石油の元になった太古の植物たちとそれらを埋没させた地球の悠久の営みに感謝。さてあと何年、彼らの恩恵を受けることができるでしょうか。

 本日もずっと書いていましたが、ようやくスイス旅行記が完結しましたー! わーいわーい! バンザーイ! これでやっと解放されます(嫌だったのか)。正直言うと辛かったなあ。写真があると書かずにはおれないので、ついつい長くなってしまうんですよね。もう長過ぎて、最初の方にいろいろ張ったつもりの伏線が、最後の方では忘れ去られていたりします。まあ、単なる旅行記なのでその辺はご容赦を。たぶん、伏線を活かせたとしても最初の方なんて読んでるうちに忘れてるでしょうけど(笑)。


(1/30) 木曜日は不燃ゴミの日ですが、不燃ゴミは驚くほど溜まらないので、なかなか袋がいっぱいにならず、出す機会が昔に比べてめっきり減りました。これも名古屋市のゴミ政策のおかげでしょうか。っていうか、今まで不燃ゴミに入っていたゴミがプラスティック容器包装の区分に移っただけなんですが・・。ま、それでも見かけ上は“ゴミ”が削減されているわけで、名古屋市としては万歳なんでしょう。容器包装のうちどれだけのものが実際にリサイクルされているかは怪しいものですが。とはいえ、買い物のときにあとでゴミを分別するこを想像して商品を選ぶようになったり、買い物自体を控えるようにもなりました(ペットボトルなんて買わんぞー)し、そういう意味ではゴミ削減に全く効果がなかったというわけでもないのでしょうか。物が売れなくなるので景気には悪影響かもしれませんが、少しぐらいの危機感がないと企業は動きませんからね。だいたい、景気がどうのこうのと低レベルな次元で議論している場合じゃないでしょ。政治家も国民ももっと本当の意味でグローバルな視点に立てないものかと、つくづく思いますね。ゴミを減らすには買わないのが一番なんですよ。なんて言ってますが、個人的には買い物は大好きです(笑)。そんなこんなで今週も不燃ゴミは出さず。

 理系カフェテリアでの昼食後、生協に行って新幹線の名古屋−大阪間の回数券を購入しました(大阪までなら学割よりも安いのです)。というのも、2月1日に京都で行なわれる森先生の講演会に行くためですが、今回はついでに実家まで足を伸ばそうと思っています。講演会の翌日が那古野コネクションのオフ会があって1泊2日になるので、主に宿泊場所としての利用なんですけどね。ただ、京都から実家への往復運賃を考えると、カプセルホテルの料金とどっこいどっこいかも。でもまあ、犬に会えるという大きなメリットがあるので実家には帰らざるをえません(にっこり)。


(1/31) 昨日も書きましたが、翌日・翌々日に京都で行なわれる森先生の講演会と那古野コネクションのオフ会に参加するついでに、本日から実家に帰って、遅い正月休みを取ることにしました。だからさっさと大学での用事は済ませて、早めに出発しようと朝の段階では思っていました。しかし実際は、午後になって4年生のK藤君とT井君の卒業研究発表の練習を聴くことになり、終了したのは夕方頃。K藤氏君はまだ直す余地が沢山ありましたが、T井君の方は卒論発表じゃない年代測定センターの方の講演ですでに発表済みのものだったので、しっかりまとまってはいました。あとは卒論用にアレンジし直すだけでしょう。

 さて、それからようやく那古野コネクション用の名刺を急いで作り出したのですが、途中でイラストレータが予期せぬエラーで終了し、途中まで描いていたイラストを初めから作り直すはめになり(あわわ)、結局名刺を作り終わったのは午後9時になってからでした。大慌てで一旦帰宅し、着替えなどの荷物(KHの服があるので量が多い)をリュックにまとめて家を出て、新幹線に乗ったのが10時過ぎ。こだま号で新大阪まで1時間半。11時半頃新大阪から新快速で尼崎に行き、そこから快速電車で三田(さんだ)へ。三田駅に到着したのが12時30分頃だったでしょうか。ギリギリの到着です。駅を出て実家に電話してみると、すでに迎えの車が待っていました。と言ってもリムジンとかではなく(<誰もそんな勘違いはしないぞ)、普通の三菱のステーションワゴンです。もちろん運転手も専属運転手などではなく、普通の母親です。

 実家に帰ると、我が家の愛犬せいかは元気に迎えてくれましたが、妹のY氏は2階に上がったまま姿を見せませんでした(嫌味か)。たぶん寝ていたのでしょう。用意してあった晩ご飯を食べて(用意してあるというのはありがたいですね)、テレビで「トリック2」仲間由紀恵サイコーとか言いながら(言ってませんが)観て、夜もすっかり更けた頃に就寝となりました。一人暮らしを始めてすでに8年が経っているため自分の部屋はもう無いに等しい状態です。だから父親の部屋で寝ることに。こうして実家に帰ってきたのはいいのですが、実は家族は明日スキーに行く予定があるとかで、午前5時起きなんだそうな。その時間に起きるのは無理そうなので、おそらく見送ることはできないでしょう。何かとすれ違いの家族です(笑)。


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