ARMORED・CORE CRIME OF DAY SCANNER



MISSION 4 <OUTER MISSION 1> 〜 追憶 〜

 光ファイバーを埋め込んだ地下都市の空が徐々に光量を絞り、街の輪郭が葡萄色に染まっていく。
 眼下に映る限りあるスペースを極限まで有効に活用すべく設計されたビル街は息が詰まりそうな位に密接しており、巨大な無数の墓石の様に見える。
 街の目抜き通りに一人の若い男が歩いていた。
 うつ向いて下を見ながら歩くその姿は、この地区にある企業に所属する社員が家路へと急ぐ集団から完全に浮いて存在している。
 男は不意に車道へと歩み寄り、軽く片手を挙げた。
 黒塗りのタクシーが黄色いウインカーを点滅させて男の居る位置から少し行き過ぎて停車し、自動ドアが不遠慮な音を起てて開く。
 ゆっくりと男はタクシーに向かって歩き出し、身を屈める様にして車内へと乗り込む。
「お客さん、どこまで?」
 初老の運転手は振り返りもせずに行き先を訪ねた。
「リガ・シティのサウス・ブロックまで」
 若い男は精気の欠けた声で呟く。
「あんた、レイヴンだね?」
 初めて振り返った運転手は喜々として訪ねるが、男はそれには一言も答えずに静かに目を閉じていた。
「へへへ・・・今日はアガリが少ないんでさぁ、奮発して下さいよ旦那」
 男は黙って目を閉じたままだ。
 タクシーは強引な位の割り込みをしながら発車した。
「旦那、儲かりましたか?、最近の弱小企業はナーヴでの振込を嫌がるって話ですねぇ・・・この街に報酬を受取に来たんでしょ?」
 運転手はミラー越しに後席を見ながら卑屈な口調で言ったが、男は何も答ずに流れていく外の景色を眺めているだけだ。
「ちっ」
 運転手は軽く舌打ちしてラジオのスイッチをオンにしてボリュームを上げる。
 男は先程と全く変わらぬ姿勢で腰掛けており、前を行く車のテールライトが彼の整った細身の輪郭を赤く際だたせていた。
 タクシーは夜の街を大幅な速度違反で駆け抜ける。
 イラついた気分の運転手はシティ間をつなぐ高速の入り口まで五分と云う彼の自己新規録を三十秒マークして到着した時、ラジオから七時を示す間抜けな位に軽いアラームが鳴り響いた。
「旦那、アリーナの実況中継とニュース、どっちがいいですか?」
 運転手が懲りずに再び男へと話しかけた。
 彼なりに気を利かしたつもりなのか、どちらもレイヴンが好みそうな番組の内容である。
 だが、男は運転手の言葉には答えない。
「けっ」
 運転手はラジオの周波数を、ふて腐れてどちらでも無い歌番組へと変える。
 およそ若者が聴きそうも無い、大破壊以前の古い歌を流す番組を選んだ事が初老の運転手に出来るせめてもの無視し続ける男に対する復讐であった。
 枯れそうな細いピアノの調べに乗せて女性のシンガーが歌い始める。
 男は疲れていたのか、黒い瞳に更に深い影が差し、それに耐えかねるかの様に瞼が下がると静かに目を閉じ眠りの世界へと落ちて行った・・・



「メーデー、メーデー!、こちらアバロン・エアプレーン316、本機は所属不明のA・Cに攻撃を受けている!、メーデー、メーデー!」
 機長は何度もエマージェンシー・コールを繰り返していたが返事をする者は居なかった。
「駄目です、通信妨害されています!」
 隣に座る副長が叫んだ。
「くそっ・・・何て事だ!」
 機長は忌々しそうに通信機を殴りつける。
 旅客機は尾翼から火を吹きながら徐々に高度を下げていた。
 眼下には密林が広がっている。
「機長、自動消化装置が作動しません!」
 副長が悲痛な声を発した。
「まずいな・・・このままでは墜落する」
 旅客機は折りからのハリケーンの接近により、通常の航路よりかなり南に進路を取っていた。
 ここは大破壊から生き延びた貴重な原生林があり航空機は勿論の事ながら不可侵領域に指定されている。
 この季節、アバロン・ヒルから他の都市へリゾートへ向かう利用客が多く、航空便は超満席の状態でありハリケーンごときで欠航便を出す訳にはいかない状態であり航空会社はこのルートを飛ぶ様に機長に通達を出していたのだ。
「機長、胴体着陸を決行しましょう!」
「馬鹿言うな、着陸時の衝撃で乗客の半分は死んでしまうぞ!」
 機長は副長の方を見て怒鳴った。
「全滅するよりはマシです!」
 再び機内に激しい衝撃が走った。
「機長、後部キャビンの気圧が下がっています!」
「命中したのか!」
 副長の言葉を聞いた機長の顔は血の気が退いて真っ青になっている。
 着弾により、後部座席の乗客には恐らく何人かの被害者が出ているに違いない。
「機長!」
「分かった・・・胴着を開始しよう」
 幸い旅客機の目の前には低い潅木の並んだ場所があり、ギリギリの距離で着地出来そうであった。
「良し、降下を開始する」
 機長は長年培ってきた技術の全てをぶつけ、機体を不時着させるべく全力を尽くす。
 不安定ながら旅客機は確実に理想のコースを取って高度を下げだした。
『いける!』
 機長は心の中で自信が確信に変わるのを実感した。
 その時、背後から強力なビームが着弾して真っ赤な炎が白い旅客機を包み込む様にして無情にも機体から右の翼をもぎ取ってしまう。
「もう少しだ、もってくれ!」
 機長の願いも虚しく旅客機は操縦不可能な程に失速状態となり、暗闇の密林に突き刺さる様にして墜落して行った・・・


「自分達で撃墜させて何だが、コイツは酷いぜ」
 燃え盛る炎の中を二機のA・Cは進んで行く。
「これじゃ、生存者はゼロだな」
 前を行く四脚のA・Cは後ろの密林から出てくる中量級二脚タイプを振り返った。
「憶測で判断しては駄目よ」
 続いてやってきた二脚タイプのA・Cパイロットは女性らしい。
 現場は未だに辺り一面、火の海であり、あちこちに旅客機の残骸が散乱していた。
「なぁ、《マリア》早めに切り上げて帰ら無ぇか?」
 四脚型のパイロットはバイオセンサーも使用せずに大ざっぱな目視探索を続けている。
「《ゴディバ》、貴方、バイオセンサーを起動させていないわね」
「へっ、こんな状況で生きてる奴なんて・・・」
 そう彼が言った瞬間、人型のA・Cは右手に装備された巨大なビーム・ライフルの銃口を四脚に向ける。
 冷たい光を放つ異様に重量感のあるライフルは世界にも数える程しか無いであろうレア・ウェポン、WGー1ーKARASAWAであった。
「《バレンタイン》のセンサーのスイッチを入れなさい・・・さも無いと撃つわよ」
 その言葉のイントネーションには刺があり、彼女の本気さの程を物語っている。
「分かったよ、銃を降ろしてくれ」
 狼狽するゴディバはセンサーのスイッチに手を延ばして、ディスプレイを凝視した。
 ゴディバの顔が画面の照り返しを受け、淡い緑色に染まる。
 バラバラになった旅客機の残骸が散乱する全域をカバーする広範囲のセンサーには一つの光点が現れた。
「・・・一人いるぞ!」
 反応を見たゴディバは信じられないと言った様な驚きの叫びを挙げた。
「どこなの?」
「その残骸の裏だ」
 バレンタインが特殊腕である四連機関砲で指し示した場所には白い塗装を僅かに残す、旅客機の前方のキャビンらしき物が転がっている。
 マリアのA・Cはそこへと近づくと、左手のレーザー・ブレードを使用して外板を吹き飛ばす。
 内側の状態は目を覆わんばかりの状態であり、座席は出たら目に散らばってドス黒い血がこびり着いており、隙間から人間の手足が突き出していた。
「ひぇ〜、惨い状態だな」
 ゴディバは完全に他人事の様にコクピットで肩を狭めながら言った。
 マリアは、その鮮血の様に真っ赤な左の瞳で乱雑な状態の機内を凝視した。右目はプラチナに近いストレートのブロンドに隠れて見えない。
「あそこね・・・」
 A・Cの指でマリアは座席を一つ、引っかける様にして機外へと取り除く。
 転がりながら落ちたシートのあった場所には、少年らしき人影が、うなだれる様にして下を向いていた。
「この子が生存者の様ね」
 何の感慨も無いかの様にマリアは言った。
「こちらゴディバ、本部へ・・・生存者一名を確認した。処理するか?」
 ややあって、本部からノイジーな状態で聞き取り難い通信が返される。
「どんな・・・だ・・・いい女か?」
「いや、生存者は少年だ」
 暫くの間、通信が途切れる。恐らく少年の扱いについて通信士は指示を仰いでいるのだろう。
「・・・回収せよ」
 突然の返信はその一言だけであった。
「だとよ、《デッド・アイ》さん」
 通信を聞いたゴディバは顎を上げ、いかにも面倒臭そうにして、仇名でマリアを呼ぶ。
 マリアのA・Cは左手でぐったりとしている少年を掴んで機外へ取り出す。
 モニターには額から血を流している黒髪の少年の顔が映し出されている。
「運の悪い子・・・」
 マリアはそう呟くとA・Cのブースターに火を入れて密林へとダッシュし始めた。


 ガラス張りのテラスには三人の男達が立って遥かに見える黒い煙を眺めていた。
「まったく・・・危ない所でしたな」
 白衣を着た男が二人に向かって言った。
「君の連れてきたガードからの報告ではアバロン・エアの機だそうだが、大丈夫かね?」
 グレーのスーツを着た男は右の男を見て呟いた。
「ご心配無く、こちらで手は打ちますよ」
 三人の中で一番若い男は、口の端を歪めながら振り返って室内へと歩き始めた。
 二人もそれに続いてテラスに続く応接室に戻る。
 部屋のテーブルには飲みかけのワイン・グラスがあり、三人は元いた場所に腰を掛け話を続ける。
「《Dr・ストラット》、《ゴンドラ》の調子はどうだね?」
 白衣の男にグレーのスーツ姿の男が話しかけた。
「現在、《レベル4》の者で実験中ですが・・・思わしくありません」
 白衣のDrと呼ばれた男は首を横に振った。
「やはり《レベル6》が必要ですかな?」
 若い男がグラスを傾けてDrを見る。
「《ゴンドラ》の製作には《レベル6》の《カロン》が絶対に必要です。どちらか側が《レベル6》を提供して下さらない事には完成は遅れる一方です・・・」
 Drは額の汗を拭いながら二人に弁明する。
「やはりですか・・・そちらの《カロン》の方は、どの様な具合です?」
 若い男は頬づえをつきながら瞳だけををスーツ姿の男に向ける。
「我が《クローム・マスターアームズ》の技術を結集させてやっている・・・だが、本社に秘密で行う《レベル6》の製作は未だに困難な状況だ」
 それを聞いて若い男は乾いた笑いを浮かべた。
「では、やはり《カロン》の件は、我々《ムラクモ・ミレニアム》側が戴く事になりそうですな」
 それを聞いたスーツ姿の男はテーブルに手を着いて勢い良く立ち上がった。
 テーブルのグラスが揺れ、中の赤い液体を揺らす。「何だと、完成したのか!」
「ふふふ・・・慌てないで下さい。ご存知の通り、この分野では、我がムラクモ・ミレニアムの技術が一歩先を行っております。現在《レベル5》の製作に成功し《レベル6》に至っても完成のメドが立ったと技術部の一部の同志より報告がありました」
 若い男はスーツの男を見上げて笑っているが、その視線は鋭く、冷たい光を宿していた。
「くっ・・・Dr、それは、一から製作していない者のアドバンテージに過ぎん、素材さえあれば完成する中途半端な《カロン》では《ゴンドラ》の性能を発揮する事は出来ないぞ!」
 スーツ姿の男はDrに向かい怒鳴る様にして叫んだ。
「我々の上層部は《ゴンドラ》の完成を急いでおり、少なくともあと、二年の内に量産体制に持っていく様に指示がありまして・・・こちらとしても時間が無いのです。どちらかが《レベル6》に到達したら計画は即座に実行するつもりでおります」
 Drはうつ向いて、静かに目を閉じた。
「と、言う訳です、では私は本社へ戻らせて戴きましょう・・・余り席を外していると本社の監査部に目を着けられますのでね、ご機嫌良う《ハロルド部長》」 そう言うと、若い男は席を立ち、豪紗な天然木製の扉へと向かって歩き出す。
「《クロサワ主幹》!」
 ハロルドと呼ばれた男が若い男を呼び止めた。
「《レベル5》が完成した位でいい気になるなよ、我々の計画が完成すれば一気に《レベル6》はおろか、それ以上を作り出す事が可能なのだからな!」
 クロサワは振り返る事なく無言でドアをくぐり、真っ赤な絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩き出す。
「くっくっく・・・《ゴンドラ》は私が戴く・・・」
 乾いた笑いが小さく反響し、そして薄暗い廊下へと消えて行った。


 ティル・ジェットは低い唸りを上げて雲の中を突き進んで行く。
 一般のレイヴンなどが使用するティル・ジェットとは格段に違う、『空飛ぶ応接室』と云った感じの室内の総皮張りのシートに深々とクロサワが腰掛けていた。
 身につけている物は時計、上着、靴に至るまで全て一流ブランドであり、茶色の髪を後ろに流している。
「生存者の少年・・・どうする気?」
 隣に座っていた女は不意に男に話しかけた。
「ほう・・・お前から私に話しかけるのは珍しいな」
 女は男の視線から逃れる様に反対の方を向く。
「せいぜい有効に使わせて貰うさ、検体は常に不足している。しかし・・・少年とは好運だな」
 クロサワはいつもの乾いた笑いを浮かべる。
「やはり《レベル・アップ》に使うのね・・・」
女は相変わらずクロサワの顔を見ずに言った。
「人間は若い程、体力も適応力もある。楽しみな事だ・・・使えなければ優秀なパーツだけ戴けば済む」
「変わったのね、貴方は」
 女は吐き捨てる様に呟いた。
 クロサワは無理矢理に女の顎を掴んで自分の方へと顔を向けると、鋭い視線で彼女を見る。
「マリア、私をここまでにしたのは誰だ?、忘れた訳では無いだろうな!」
 そしてポケットから鈍い光を放つライターを取り出して彼女の鼻先へと近づける。
「お前は分かっているとは思うが、私がこれを着火した瞬間、お前の体内に仕込まれた高性能爆薬が作動する事を忘れるな・・・」
 マリアの真っ赤な左の瞳にライターが映っている。
「少年の《レベル・アップ》が終わったら、お前に教育を任せる。《レベル5》の持てる技術を叩き込み、一日も早く《レベル6》に到達させるのだ」
 クロサワは右手でライターを持て遊びながら、そう言った。マリアの視線がそれを追う。
「まぁ少年が、《レベル・アップ》して生きているかどうかは分からんがね・・・」
 クロサワは再び乾いた笑いを浮かべ、先程のライターで葉巻に火を着ける。
 見ていたマリアが仰天して目を見開く。
「くっくっ・・・ダミーだよ、私は用意周到なのだ、お前に盗られてはかなわんからな」
 マリアが悔しそうに横を向いた時、クロサワの高笑いが室内に響きわたった・・・


 少年は暗闇から這い上がり、まどろむ意識の中で激しい光を見た。
 光は一つでは無く、その中心を囲む様にして幾つも 同じ大きさの従者を伴っている。
 少年は手術室のベッドの上にいた。
 まばゆい光は天井のライトであるらしい。
「意識が戻った様です・・・」
「こんな時に・・・麻酔を増量だ」
 少年は左腕に鋭い痛みを感じた瞬間、再び深い闇へと足を掴まれる様にして落ちて行った。

 それから少年は長い間、暗闇をさまよった。
 幾度も押し寄せる落下していく様な感覚、そして何度も光に向かって行く上昇感が繰り返され、狂いそうになりながら必死でもがく。
 感覚は麻痺しており、手足が言う事を完全に無視する。かと思えば内臓は意のままに動き、柔らかい不気味な感覚を少年に提供し続けた。
「どうしたんだ僕は・・・」
 少年は言葉を発しようとしたが口も動かない。
 そして少年の思考へとドス黒い意識が流れ込んで来た。破壊欲、圧倒的な力への欲求、嫉妬、それら全ての薄汚れた誘惑が少年の心に染み通って行く。
「違う・・・」
 少年は必死で抵抗した。
 何度も発狂しそうになりながら否定を続ける。
「違う、違う・・・」
 やがて暗い闇が徐々に遠ざかり、強烈な光が弾け、そして奇妙な世界が消えて行った・・・


「クロサワ主幹、成功です!」
 少年は耳もとで誰かが言った言葉を聞いた。
「後は教育とリンクシステムの追加だけに・・・
はい・・・すぐに引き渡しを・・・では」
 少年はゆっくりと目を開く。
 見た事も無いような機械が部屋を占領しており、奥には何人かの技術者らしい男が立っている。
「やあ、おはよう、816君」
 枕元から声がした。
「・・・8・・・16?」
 少年は思う様に動かない唇で呟いた。
「そう、君の名前だ」
 冷たい口調で男は言い放つ。
「違う・・・僕は」
 少年の言葉には耳を貸さず、枕元の男は呼び止められてどこかへ行ってしまう。
「良し、運べ」
 部屋の中で誰かが言った。
 それから少年はベッドごと乗せられた車に揺られ、少年の知らない遠い場所へと運ばれて行った。


 暗い渓谷をワゴン車は走る。
 人里離れたここには街灯など有りはせず、ただひたすらにヘッド・ライトが瞬いていた。
 車は闇に飲まれる様にして明らかに天然の物では無い洞窟の中へと入って行く。
 暫く車は舗装されたかの様に滑らかな地面を走ると明るい場所へとたどり着いた。
「待ちかねたぞ!」
 車が停止すると同時に白い礼服に身を包んだ男が出迎える。
「お待たせしました、クロサワ主幹!」
 運転手はドアから飛び降りる様にして外へでた。
「これが《彼》の予想スペックと資料です」
 運転手はクロサワにスーツケースを男に手渡す。
「ご苦労、本社にはバレなかったろうな・・・」
「はい、事後の処理もお任せ下さい」 
 その返事にクロサワは乾いた笑いを浮かべ、さも満足気に何度もうなずいた。
 少年を乗せたベッドはワゴンの後部ハッチから車外へと出されている。
「どれ、待望の《レベル6》を拝ませてもらうか」
 クロサワは少年のベッドの傍らに立ち、彼の寝顔を見降ろして目を細めた。
「途中で暴れ出しましたので麻酔を掛けてあります」
 少年の顔は苦痛に歪んだ表情をしている。
「816、君の為に礼服まで着て待っていたんだが、見て貰えなくて残念だよ」
 クロサワは少年の耳もとに唇を寄せ、恋人にささやく様に呟いた。
「マリア、後は・・・分かっているな」
 後ろを振り返り、クロサワは投げ捨てる様にマリアに命令を下す。
 マリアはうつ向いて斜め下を見ながら無言で首を縦に振った。
「良し、私はさっそく《ジルコニア》に報告に行く、ティル・ジェットを用意しろ!」
 クロサワは足早に施設内部へと消えて行った。
 少年のベッドへマリアが、そっと近づいて冷たい口調で言った。
「本当に運の悪い子ね」と・・・


 少年は見た事も無い、小さな一室で目覚めた。
 ベッドの脇には一人の女が座っている。
「貴方は・・・?」
 女がこちらを振り返った。
 彼女はプラチナに限りなく近いブロンドで右目を隠しているが、左目は鮮血の様に赤い。
「気づいた様ね」
 少女の様な顔立ちからは想像も出来ない位に冷めた口調が少年に向けられる。
「貴方はだれです?」
 少年は再び同じ質問を繰り返した。
「私は《マリア》・・・貴方を助けたレイヴン」
 彼女はまるで感情を込めて話をしない。
「レイヴン・・・。マリア・・・さん?」
 少年は急に何かに気づいたらしく、勢い良くベッドから起きあがった。
「僕の両親は、妹はどうなったんです!」
 少年はマリアの胸倉を掴んで叫んだ。
「生存者は貴方だけよ、悲惨な《事故》だったわ」
「そんな・・・」
「それに貴方はもう、アバロン・バレーには帰れないわ、死亡通知が出されて市民権が抹消されてるから」
 マリアは淡々と事実を述べる。
「バカな、僕はこうして生きている!」
 少年は自分の生を確認するかの様に自分の胸を強く叩いた。
「あの旅客機は不可侵領域を飛行して、そして《事故》に遭った・・・航空会社は事実を隠す為に搭乗者の全員を記録から抹消したのよ、存在ごとね」
 変わらぬ口調でマリアは少年に向かって語った。
「それに《事故》から既に3カ月が経ってるのよ」
「僕はその間ずっと・・・」
 少年の肩が小刻みに震えている。
「それに、そんな汚い無茶な事が許されるなんて、僕には信じられない!」
「子供には信じろと言う方が無理ね・・・でも、ここを一歩でも離れれば、航空会社とシティ側は貴方を消しに掛かるでしょう。レイヴンを雇ってね」
 マリアは余程、右目を見られるのが嫌なのか髪を気にした様な仕草をした。それは少年の初めて見る彼女の人間らしい行動であった。
「ここは一体、どこなんです」
「ムラクモ・ミレニアムの研究所よ、私は専属契約を結んだ、テスト・パイロットみたいな存在ね」
 少年はムラクモ・ミレニアムの名を聞いて少し安心した様子になった。同社は彼の住んでいたアバロン・バレーに本社を置く巨大企業だったからだ。
「でも何故、僕が研究所なんかに?」
「それは、貴方に私と同じ事をして貰う為」
「僕に?」
 少年は彼女の言葉に驚愕した。
「そう、貴方は事故で生き残った時に大怪我をして危険な状態だった・・・だから手術をしたの」
「それがどうしたんです?」
 少年がマリアを疑う様に睨む。
「話は最後まで聞いた方がいいわ・・・その手術は人間の限界を越えた耐久力と知覚能力、そして電脳に対する順応力を貴方に与えたのよ」
「僕にそんな力が・・・」
 少年は自分の両手を震えながら黒い瞳に映す。
「そう、貴方がこれから先、市民権を剥奪されても生きて行ける様にね」
「ムラクモのテスト・パイロット・・・いや、レイヴンとしてですか?」
「そう、シティが見捨ててもムラクモ・ミレニアムは貴方を見捨て無かったのよ」
 少年は余りにも突然に激変した環境の中で未だ戸惑いを隠しきれず、凍えた旅人の様に両腕で自分の肩を抱いて震えている。
「それしか無いのか?、僕にはそれしか・・・」
 少年はマリアにすがる様な視線を投げかける。
 マリアは目を閉じて静かにうなずいた。
 『私は自分だけじゃ無く、こんな少年にまで嘘を言っている・・・汚い人間ね』
 心の中でマリアは、そう呟いていた。


 緑の原生林に包まれた応接室で、クロサワは勝ち誇った様に宣言する。
「我々ムラクモ・ミレニアム側の同志はついに《レベル6》に到達しました!」
 巨大なスクリーンを前にしたクロサワに居並ぶ白衣を着た男達から歓声のどよめきが起こる。
「ご覧下さい、骨格はアドバンスド・セラミックスでコーティング、臓器も80パーセントが常人の3倍を誇る強度と機能を有した物に変換してあります」
 スクリーンには次々と人工臓器とそのスペックが映し出されている。
「加えて視覚、聴覚、触覚は常人の3倍から5分の1の感度を有し、それを自由に調節する事が可能であります・・・そして・・・」
 一番後ろの席でそれを聞いていたクローム・マスターアームズのハロルド部長は歯噛みしてクロサワを見つめている。
「部長、先を越されましたね」
 隣で部下とおぼしき男がハロルドに耳打ちした。
「あの若僧め・・・いい気になりおって」
「ご安心下さい、間もなく我々の《カロン》も誕生するでしょう」
 それを聞いたハロルドが納得した様にうなずいた。
「そうだな、我々の《カロン》は通常一年は掛かる加えられた身体機能の訓練を行う必要は無い・・・今までの《プラス》の概念とは根本から異にする物だ」
「はい、一年もあれば充分に時間的にもムラクモ側に追いつく可能性を大に残しており、かつ高性能で量産も容易です」
 ハロルドは小さく笑った。
「ふん、今はせいぜい、そのガラクタを宣伝するがいい・・・必ず泣きを見せてやる!」
 已然として壇上のクロサワはハロルドに見下した態度で自信に満ちた視線を送っていた・・・


 人里離れた深い渓谷に夕陽が落ちる。
 少年が車で施設へ運ばれたあの夜から既に半年が経っていた。
 施設の中で彼を名前で呼ぶ者は無く、いつしか彼もそれを自然に受け入れてしまう様になる。
 毎日は身体機能を使いこなす訓練に始まり、この世に存在する全ての兵器に対する講習と防衛大学院クラスの高度な戦術を教育された後、A・Cへ実際に乗り込む戦闘で費やされて行った。
 特に身体機能訓練は苛烈を極め、精神崩壊寸前になった事もあったが、彼には天性の才能があった。と言うよりも、それしか生きる道の無いと云う、強烈な執念が彼に活力を与えたのだ。
 五ヶ月目に入る頃に彼は身体に無理矢理追加された機能を何とか使いこなせるまでに到る。
 そして、狭い檻の中で少年は強化人間として確実な成長を遂げていた。
 連日に渡る訓練は続く。
「始めるわよ」
 通信機からマリアの冷たい声が聞こえて来る。
 その声は施設で初めて会った時と変わらぬ冷たい口調であり、少年に時間の経過を一瞬だけ、忘却の彼方へと連れていく様な錯覚を感じさせた。
 円形に仕切られたチョバムプレート製のドームには殆ど光が入らず、A・Cのブースターが放つ排気炎が光の帯となって線を引く。
『バーナー炎はフェイントだ』
 少年はA・Cの右手に持ったバズーカーを上に向けて射出する。
 爆炎が巻き起こり、マリアの搭乗する訓練用の逆間接タイプA・Cの頭部が落下した。
「甘いわ」
 マリアは劣勢にも関わらず冷静そのものだ。
 不意に少年のA・Cに鋭い振動が走った。
 コクピットにはミサイルが着弾した事を告げるアラームが、うるさい位に鳴り響く。
「ミサイルだって!」
 機体は即時、相当するダメージを換算して少年のA・Cのコアから右腕が脱落した。
「一つの目標しか見れて無いわ、それに反応も遅い。A・C自体がフェイント・・・大型ミサイルは弾速が遅いと教えた筈よ」
 上に居たマリアのA・Cはロケット弾を発射した。
「ちっ」
 少年は舌打ちして機体をジャンプさせて回避する。
 そこへ待ち構えていたかの様にマリアのA・Cは空中で旋回しながら右へと周り込む。
「くっ、しまった、右には腕が無い!」
 マリアの首無しA・Cはブレードでの一撃を少年のA・Cの背後に見舞う。
 その瞬間、少年のA・Cは機能を停止して地面へと落下して行った。
「駄目ね、貴方は弱いわ」
 少年は唇を噛みしめ、マリアの言葉を受け止めた。


「816」
 うなだれて廊下を歩く彼を呼び止める声がする。
 彼が振り返ると、そこにはクロサワが居た。
「クロサワさん」
「やあ、訓練はどうだ?」
 クロサワはにこやかに少年に微笑み掛けた。
「ええ・・・今日もマリアさんに負けました」
 少年はうつ向いて肩を落とす。
「ははは、そうか・・・マリアは強いからな」
「済みません」
 クロサワは頭を下げる少年の肩を軽く叩いた。
「焦る事は無い、君は急成長を遂げている。担当の技師が言っていたぞ、君は『天才』だと!」
「僕はそんなんじゃ・・・」
 首を振って否定する少年にクロサワは微笑み掛けて両肩を掴んだ。
「自分の力を信じるんだ、そしてがんばれ」
 クロサワの言葉に少年は心の奥からほとばしる熱い物を感じた。
「はい、僕はクロサワさんの恩に報いる為にも、強くなります」
 少年の顔には希望が満ち溢れている。
「それでいい・・・」
 クロサワはそう言うと少年に背を向け、足早に反対の方向へと帰っていく。
 少年は、その背中をずっと見つめていた。
 
 クロサワが廊下を曲がると不意に女の声がする。
「ずるい人ね・・・」
 声のする方向にクロサワが振り向くと、そこには壁に背を預けながら横を向くマリアが居た。
「ふん、立ち聞きとは行儀の悪い奴だな」
「そうやって、あの子を騙し続ける気なの?」
 マリアは左手の動きを試す様に握った。
 黒いラバーで被われた左手は義手であり、低いモーター音が微かに響く。
「騙すとは人聞きが悪いな、私は彼に期待しているのは事実なのだがな」
「彼の家族を殺したのは間違いなく私・・・そして命令したのは貴方・・・」
 クロサワは両肩を震わせながら、内側からこみ上げてくる暗い笑いを堪える。
「くっくっ・・・そうだ、このナイフの上を綱渡りする様な感覚は幾ら金を出しても味わえんな」
「貴方は・・・狂ってる」
 マリアの声は微かに愁いでいる。
「そうなったのは、お前の父親のせいだ。奴が全てを狂わせたんだ!」
 クロサワの目は殺気を帯びていた。
「貴方みたいな悪魔に、たとえ一時でも気を許した私が馬鹿だったわ・・・」
 マリア目を閉じて呟いた。
「これは私の復讐だ。薄汚いレイヴンだった、お前の父親と、私を認めなかったお前に対する・・・」
 クロサワは壁際のうつ向くマリアに一蔑もくれず、再び足を前へと踏み出して暗い廊下へと歩き出す。
 鉄を打つ様な冷たい靴音は徐々に遠ざかり、辺りを静寂が支配して行く。
 マリアは両手で顔を覆う様にして下を見ている。
「父さん・・・私はどうすれば・・・」
 微かに彼女の両肩は震えていた。
 崩れ落ちる様にして床に膝を着いたマリアの左頬にだけ一筋の涙がこぼれ落ちた・・・


 暗闇に緑の光が浮かび上がる。
 その中心に《彼》が居た。
 光は次第に明るくなって、床を照らし出す。
 フロアにはパイプが蛇の様にうごめいており、光の中心に向けて何かを送り出す様な動きを続ける。
 この部屋に唯一の光を発している巨大な円筒状のケースの中には一人の男が全裸で立っている。
 それを取り囲む様にして幾人もの人影が《彼》をじっと見つめていた。
「ハロルド部長、いよいよです!」
 その中の一人が感無量といった声を挙げた。
「おお・・・永かった・・・いよいよ我々クローム側の《カロン》の誕生か」
 ハロルドは満面の笑みを浮かべている。
 中心にある緑のゼリーの様な物体で満たされたケースは、光量を脈動させていた。
 中にいる《彼》の姿は四肢が異常に細く、あばら骨が数えられる程に浮き出ており、胸板も常人と比べて異様に薄く人間とは思えぬ程の姿をしている。
 何よりも《彼》はまるで本当に透けて臓器が確認出来そうな位に青白い肌をしており、光輝く髪はまるで引き延ばしたアルミニウムの糸の様だ。
「しかし・・・人間とは思えんな」
 ハロルドは惚けた様に呟いた。
「量産を考慮して可能な限り、内臓を省略しつつ強化した結果です」
 隣にいた技師が自信に満ちた答を返す。
「あれで、生きていけるのかね?」
「はい、一般生活で支障をきたさないギリギリのラインで設計しました」
 逆の方向からハロルドに答が返ってくる。
「《彼》は純粋な意味での強化人間ではありません、コンピュータと人間の短所を補いつつ、長所を足して出来た《間の子》なのです」
「戦闘能力は強化人間のレベルで言えば・・・《レベル10》に相当する筈です」
 次々と周りの技師達がハロルドに向かって言葉が発する。
「《レベル10》だと!」
 ハロルドは驚いて叫んでいた。
「ですが、現在の強化人間基準では《レベル6》までしかありませんので、不本意ながらレベルは6としています」
「ふふふ・・・レベルの数などは、もはや問題では無い。《ゴンドラ》が我らの物になればな」
 そう言ってハロルドは《彼》の眠るケースへと掌を着けて笑った。
 緑のガラスに彼の会心の笑みが映っている。
「《カロン》が覚醒します!」
 大型装置の前の技師が声高らかに、この場に居合わせた全員に告げた。
「さあ、目を覚ませ・・・我らと・・・本社の安穏とした連中を含む、腐りきった全世界に破滅と光をもたらす為に」
 ハロルドが呟いた瞬間、《彼》の瞼がゆっくりと上がって行く。
 見開らかれた瞳は赤く神秘的な輝きを放ち、鮮血の様でも、又、見る者によっては燃え盛る炎の様でもあった。
 そして《彼》は初めて目にした世界を見つめ、そして全てを見下す様な表情で不気味に笑う。
「笑っている・・・」
 ハロルドは全身が総毛立っている。
 《彼》が再び目を閉じた時、徐々に緑の半液体は水かさを減らし、《彼》と世界を隔てていたカプセル状のケースが開いて行く。
 それを見たハロルドは震感した。
「《彼》ならば、変えられる。この世界を・・・未来を・・・全てを!」と・・・


MISSION・4 <OUTER MISSION 1> 〜 追憶 〜   《完》


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