ARMORED・CORE CRIME OF DAY SCANNER 



 MISSION 10 〜 奇襲部隊迎撃 〜


 切り立った崖が聳える隙間から荒野の彼方へと線路は延びていた。
 線路は罅割れた大地を伝い、一際大きな崖へと吸い込まれる様にして途切れている。
 ここは《アバロン・バレー》と呼ばれる世界第二の都市の入り口へと続く地表最後の場所だ。
 通常ならば引っ切り無しに列車が通過し、列車を停めておくプラット・フォームも満車の状態なのだが、今はその光景を想像するのも困難な程に何も無い広大な空間が広がるばかりである。
 この日、アバロン・バレー の列車搬入口には厳重な警戒態勢が敷かれていた。
 都市に通じるトンネルの様なゲートは堅く閉ざされ蟻の子一匹入れるつもりが無い事を無言で語っている。
 その中にあって唯一、最も都市入り口から離れたコンテナが立ち並ぶ物資置き場だけは物々しい雰囲気を醸し出し、緑色のコンテナと銀色のコンテナだけを載せた貨物車両の最後尾部分と思しき物を囲む様にして二機のM・Tと一機のA・Cが虚空を睨んでいた。
 それら二機のM・Tには機体の各所に《リガ・インペリアル》のアバロン・バレー支部所属を示すマーキングが施されており、アバロン・バレー都市側のガードとは全く無関係であるらしい。
「来たぞ!」
 人型の比較的高級な人型M・Tに属する《スカーリーバー》に搭乗していた若いパイロットが叫んだ。
 地平の彼方からは徐々にティル・ジェットが近づいて、胞子をバラ蒔くかの様にして無数の小型M・Tを降下させて行く。
「レイヴン。出番だ!」
 髭面をした指揮機である四脚型M・T《イーゲル》に乗る中年のパイロットが絶叫に近い叫びを挙げた。
 それを合図とするかの様にバリケードに囲まれた列車の最後尾に連結された緑色のコンテナから、低い機動音を蹴立てながら、ゆっくりとA・Cが立ち上がる。
「了解だ。敵勢力の殲滅を開始する」
 抑揚の無い声がA・Cの外部スピーカーから流れ、A・Cは手にしたマシンガンを構えた。
「敵は確認しただけで小型M・Tが18機、コンポジット・タイプのA・Cが2機だ」
 中年パイロットは更に詳しい敵の検索に勤めるが、何分にも距離が遠すぎて照合は困難であった。
「A・Cの種類は《スパイトフル》だ、M・Tは《ジャヴェリン》らしいな・・・」
 そこへA・Cに乗るレイヴンから、再び呟く様にして声が発せられる。
「レイヴン、どうして分かるんだ?」
 高性能の索敵機能を誇るイーゲルに乗っている中年の指揮者は訝しげに尋ねる。
 並みのA・Cなど、足元にも及ばぬ電子機器を装備し、レドームなども追加してあるイーゲルをして、この距離では敵の機種判別が不可能なのに、この若いレイヴンは敵を種類まで断定したのだ。
「そんな事はどうでもいい、敵は列車の積み荷が狙いだ。俺が撃ち漏らした分の始末を頼む・・・」
 そう、レイヴンが言うや否やA・Cは背部から熱風を吐き出して、線路の向こうから迫り来る敵へと高速で突進して行く。
「テトラ連立から来たレイヴン・・・変わった奴の様だな」
 中年の指揮者は、今ごろになって敵の照合が終わったディスプレイを見ながら、肩を竦めた・・・


 錆色のA・Cは一直線に切り立った崖を縫う様にしてブースト移動で現れた敵へと高速で進む。
「止まれ、そこのA・C!!」
 突然、先頭に立つ敵のスパイトフルから通信が入る。
 その、お定まりのネゴを聞き流しながら、コクピットの中でラスティは焦っていた。
『今回のミッションは手早く片付けなければ・・・ここに来た意味が無くなってしまう』
 彼にしては珍しく、スティックを握る指先が小刻みに動かされて合成ウレタンを叩く特有の乾いた音がコクピットに響いている。
「我々は《ネオ・ストラグル》だ。その列車の積み荷を渡してくれれば、危害を加えるつもりは無い!」
 リーダーらしき先頭の、肩に赤いラインの入ったスパイトフルは一歩前進し、申し出を無視する様子で尚もブースト・ダッシュを続ける錆色のA・Cに向かって言い放つ。
 ネオ・ストラグルは解体したムラクモ・ミレニアムに多大な援助を受けていたテロ組織の残党から端を発した、より高度な組織構成を持つ集団である。
 無意味な無差別テロを避けて、未だ一般人を巻き込んだ事が無い所から義賊との呼び声もある程だ。
 だが何よりも不可解なのは、アバロン・バレーをホーム・グランドとして都市の肝入り組織である筈のネオ・ストラグルが、都市側の運営を遮ってまで、ここで列車に強襲をかけた事である。
 しかし、今のラスティには誰であれ行く手を塞ぐ敵に違いは無い。
 彼らの思惑などはどうでもいい。ラスティにとって重要なのは積み荷を護り切り、報酬として他都市のレイヴンなど通常は絶対に入れないアバロン・バレーの都市ブロックへと入る許可を得る事だけである。
『邪魔だ。消えろ』
 ラスティは敵の集団へと問答無用とばかりにマシンガンを掃射する。
「待ちたまえ、君は《あれ》が何か知らない訳でもあるまい。考え直せ!」
 通信器から『今ならまだ・・・』と流れたのと同時に、リーダーの直ぐ横に位置した灰色のジャヴェリンが火を吹いて崩れ落ちた。
 それを合図とする様に、最早ネゴは無意味と見て、一斉に敵のM・T部隊は発砲する。
 錆色のA・C《レスヴァーク》の足元に砲弾が注がれ激しく土煙が上がった。
 ジャヴェリンは84ミリ無反動砲を乱射し、スパイトフルは肩のチェーン・ガンを狂った様に射出する。
 激しい砲弾を意にも介さずにラスティはレスヴァークを敵に目掛けて突っ込ませ、瞬く間に敵への距離を縮めて行く。
「何だこのA・Cは!」
 二十を越す砲身から放たれた弾丸が目標に掠りもむしない事に驚愕しながら、リーダー機のスパイトフルは背中のチェーン・ガンから手持ちのライフルに武装をチェンジさせて、ブーストで左へと回り込む。
 もう一機のスパイトフルはリーダーとは逆の右へと迂回して、レスヴァークを包囲すべく移動を開始した。
 その間に本隊から別れたジャヴェリンの三機が列車を目指して行く。
「小賢しいマネをする・・・」
 ラスティは砲撃を続ける本隊に背を向けて、回避しながら別動隊のジャヴェリンへとマシンガンを放った。
 狙いは寸分も誤らず、装甲の薄い背後に被弾したジャヴェリンは次々と大地へと突っ伏す様にして炎の塊になりながら横転する。
「あいつ後ろにも目があるのか!?」
 スパイトフルに乗るリーダーは、その光景に目を剥いて驚愕した。
 後ろからの攻撃を回避しながら高速移動する的にマシンガンを命中させるのは尋常な技術やセンスでは適わない。歴戦のランカー・レイヴンでも出来るかどうかの神業である。
「怯むな、我々の誇りに賭けて倒せ!」
 激を飛ばすリーダーの声にも動揺が隠せない。
 それ程までにレスヴァークの動きは鋭い。
 狂犬・・・まさにその言葉が今のラスティの操るレスヴァークには相応しい。
 何かに脅えながらも、獰猛で貪欲な牙を突き立てる姿は、遠くで見ていた味方である警備側のM・Tパイロット達の背筋すらも凍らせた・・・


 激しい火線が飛び交う戦場から少し離れた崖に閉ざされた場所に、黒い大型のメンテナンス・リグが停止している。
 巨大な列車用の燃料タンクに隠れるその姿は、事の成り行きを見ながら虎視耽々と時期を待っているかに見えた。
「駄目ですねぇ・・・ネオ・ストラグルの諸君ではあの連立都市のA・Cを排除出来ない様子ですよ」
 端正な髭をたくわえた男が呟く。その声には見下した様な嘲笑が混じっている。
「貴様、嬉しそうだな」
 背後の床で胡座をかいて座る総髪の男が呟いた。
 彼の肩には、反り身のきつい独特の形状をした剣が朱塗りの鞘に収まって立て掛けられている。
「そう見えますかな《Mr.葉霧》?」
 葉霧と呼ばれた総髪の男は、手にした酒瓶を口元に当てて琥珀色の液体を嚥下した。
「生き死にを見て笑う奴を下衆と呼ぶ・・・」
「心外ですねぇ、人死にを見て喜ぶのはレイヴン特有の性癖で当然の事でしょう?」
 間髪入れずに髭の男は皮肉めいた口調で返答する。
「《シルク・ハット》、貴様とレイヴンが何たるかを熱く語る程落ちたくはないが、一つ聞きたい事がある」
「何でしょうか?」
 首もとのボータイの位置を神経質な仕種で直しながら、髭の男、シルク・ハットは訝しげに言う。
「あの積み荷は何だ?」
 酒気を帯びて緩んでいた葉霧の黒瞳が細くなり、鋭い刃の如くシルク・ハットを捉える。
「大変詰まらない物ですよ・・・我々にはね」
「答えろ。二度は聞かない」
 シルク・ハットの邪悪な光を湛える茶色の瞳が殺気を帯びて、両者の間に張り詰めた空気が流れる。
「あれは《麻薬》ですよ」
 シルク・ハットは殺意を感じた事を恥じる様に首を振りながら即答する。
「麻薬・・・それでか?」
 葉霧は漸く納得した。ネオ・ストラグルがわざわざ目立つ活動基盤であるアバロン・バレーの外側で強襲する意図が分かったからである。
 要は街に流入する前に水際で押収したいのだ。
 他社に引き取られるまでは、積み荷の権利は連立都市企業のリガ・インペリアルにある。
 この段階でガードは取り締まる事は出来ず、逆に街に入れてしまえば後は闇で流す段取りなのだろう。
 企業同士の取り引きは極秘の物が多く、入都市監査も品物自体に危険性が無ければお手上げだ。
「新種の《ハイ・ドリーム》と言う名称だそうです」
「なる程な」
 更に新種であれば、毒性の考慮やデータ収集は容易ならざるモノになる。
 都市側は表立って動けないのを苦に、お抱えのテロ集団に要請するのも肯ける。
「今回は正義の味方と言う訳か・・・」
 その葉霧の言葉にシルク・ハットは笑う。
「そう、だから誇りを持って頂きませんとね」
「《誇り》か・・・それこそレイヴンに不似合いだ」
 葉霧は手にした剣を杖にして床から立ちあがると、振り返りメンテナンス・リグのキャビンを後にしようとした。
「Mr.葉霧、そろそろ出ますよ・・・Ms.麻柚にしばしの別れを告げられるのを忘れずに」
 その言葉が終わるや否や、高い金属音と共に冷気がキャビンを駆け抜ける。
 その後、閃光に似た軌跡は弧を描いてシルク・ハットの首元に止まった。
 正面に居た筈の葉霧の姿はどこにも無い。
 シルク・ハットの頚動脈の上には冷たい輝きの刃が後ろから当てられている。
「気安く貴様が麻柚の名前を呼ぶな・・・」
 声と共に葉霧の気配が背後から掛けられた。
「今後、その様に留意しましょう」
 シルク・ハットは穏やかな口調で言った。
 それを聞いた葉霧は音も無く剣を鞘に収め、無言で退出して行く。
 キャビンに残されたシルク・ハットは口元に下卑た笑みを浮かべて溜め息を吐く。
「病んだ身にしては中々やりますね・・・だが彼に在りし日の動きは無い」
 そう言って高笑いして、スーツの懐から出したシルク・ハットの左手には小型の拳銃が撃鉄を上げた状態で握られていた・・・


 葉霧は手にした《日本刀》と呼ばれる反り身の剣を杖の様にしてメンテナンス・リグ内の通路を行く。
『情けない・・・』
 彼の右手は左の胸に当てられていた。
 苦痛に顔を歪めながら不確かな足取りで、葉霧はリグの中程にある一室へと辿り着く。
 彼はシルク・ハットが言う様に胸を病んでいた。
 それが彼の在りし日の鋭い動きと強靭な体力を根こそぎ奪っているのである。
 総髪の髪を揺らしながら葉霧は首を小さく振り、簡素なドアのノブに手を掛けた。
「誰?」
 間髪入れずにドアの向こうから声がする。
「麻柚、俺だ」
 葉霧がそう言うと、部屋の中を小走りで駆け寄る音がしてドアのロックが速やかに解除される。
 背筋を伸ばし、何事も無かったかの様な涼やかな表情を無理矢理作って葉霧はドアを潜った。
 部屋の中には小さな女の子が一人、彼を出迎える。
 葉霧は少女には一瞥もくれず、部屋に取り付けられた簡素なロッカーへと手を伸ばして刀を放り込むと、変わりにハンガーに掛けられた耐圧服を取り出した。
「葉霧・・・行くの?」
 少女は足元で寂しそうに呟いた。
「ああ・・・仕事だからな」
 葉霧は少女と視線を合わせる事無く、所々剥げてくたびれた耐圧服に袖を通す。
「私にもしもの事があったら、このカードを使え」
 耐圧服のポケットから葉霧は一枚の艶の無い黒色のIDカードを差し出してサイドテーブルに置く。
 ここで初めて葉霧は振り返って少女の顔を見た。
 小さな両手でカードに手を伸ばし、彼女の真っ直ぐに向けられた真摯な視線を葉霧は不意に受ける。
 逃げる様に目を背け、葉霧は首までファスナーを上げるとベッドに腰掛けてブーツを履いた。
 その傍らに、そっと小さな手が葉霧のヘルメットをベッドの隅に置く。
 葉霧の目がその手に釘付けとなった。
 白く細いその指が、かつて冷たい拳銃の引き金に掛り、自分に向けて熱弾を放った事が脳裏を過ぎる。
 その事が彼をランカーから引き摺り下ろした原因である事実を常に忘れる様にしていた葉霧だが、時折ふとした弾みで彼女に対する憎しみとも、悲しみともつかぬ複雑な感情が甦ってしまう。
 それは葉霧がミッションを終え、テロの残掃討に当たるべくA・Cを降りた時の事だ。  
 周囲の哨戒の折りに見つけた薄暗い廃屋の中で、逃げ遅れ、倒れた遺体の向こうで蹲る少女に声を掛けた瞬間の出来事だった。
 葉霧は突然の発砲により自らの血の海に倒れ、駆けつけたガードによって何とか救助されたのだ。
 その事を葉霧は、良くある気紛れに近い情けで差し伸べた救いの手が払われただけの話だ、と常にそう思う様に心掛けていた。
 それに、単純な事実として彼女の両親は死に、自分は九死に一生を得ている。
 ミスは自分にある事も重々に葉霧は理解していた。
 幼い麻柚を連れ、レイヴンと言う過酷な稼業を続けているのも彼なりの自分の罪の償いなのだ。
 しかし彼女を娘の様に愛せるかと言う問題とは別だ。
 葉霧の麻柚に対する気持ちは常に揺れる。
 麻柚が義務感と自分の中で創ったエゴイストな信念を満足させるだけの存在かも知れないと、本気で考えた事も一度や二度では無い。
 だが、事故とは言え麻柚の手によってランカーの地位から失落させられてから分かった事も多かった。
 麻柚が側に居る事で、初めて彼は誰か人の為に生きる意味と言う大事な事を知った。
 故に葉霧は麻柚を愛したいと心から思いながらも、同時に憎む自分を押さえる為、極力彼女と接する時間を短く心掛けているのだ。
 葉霧にとって特別な麻柚の手がハンカチを持って優しくヘルメットのバイザーを磨いている。
 無言でそれを横目にしながら、心中複雑な想いで葉霧はグラブに手を突っ込んだ。
「これ、持っていって」
 不意に彼女が葉霧に何かを差し出す。
 葉霧はそれを無造作に受け取って手の中を見た。
 そこには小さなゴム製の人形がある。
 良く見ると彼の愛機《青龍五式》の形をしていた。
 これは地下都市で一時流行した菓子に付いている玩具で、実際のA・Cと同じくパーツを組み合わせられる様になった物である。
 流石に各部のバランスこそ微妙に整ってはいなかったが、彼のこよなく愛した武装《WG−1−KARASAWA》も、ちゃんと右手に握られている。
「葉霧、喜ぶと思ったの」
 それを見つめる葉霧の目は翳っていた。
「麻柚、これはどこで?」
「シルク・ハットの叔父さんが買ってくれたの」
 彼女はベッドの端を指差した。
 そこには商品名が書かれた白いダンボールが置かれており、ケースで買ったらしく中には菓子の空き箱が入れられている。
「奴からは今後、何も貰うな・・・欲しい物があるなら俺に言え」
 葉霧は冷たく言い放つと、ヘルメットを掴んで不機嫌そうに立ち上がる。
 小さく肯いて俯く彼女の目は悲し気だった。
 室内の空気が冷たく沈む。
「言い過ぎた・・・済まない」
 部屋のドアの前で振り返らず、背中越しに葉霧は下を向きながら呟く。
「ごめんなさい」
「行ってくる・・・」
 後ろから聞こえる小さな声に葉霧は僅かに肯いて狭い部屋を後にした・・・


 飛び交う熱弾は荒野の乾いた空気を張り裂く様にして火花を散らす。
 一機、また一機とネオ・ストラグルのジャヴェリンは地に伏し、黒煙をあげながら行動を停止して行く。
 その横を錆色の巨大な脚が通り過ぎて、新たな標的へと進んで行った。
 既に戦場では大局が早くも積み荷を護衛する守備側へと傾きつつある。
 たった一機のA・Cがここまで戦局を変える事は、恐らく雇ったリガ・インペリアルも想像だにしなかった事であろう。
 もっとも、アバロン・バレー側が積み荷の中身を察知してネオ・ストラグルに要請を掛ける事すらも予想しなかったであろうが・・・ 。
 レスヴァークは小刻みに位置を変え、ネオ・ストラグル側の放った弾丸を逸らして行く。
 そしてジャヴェリンの弱点である背面へと回り込みマシンガンの速射で確実に撃破しつつ位置を変える。
 そうやって瞬く間にジャヴェリンは尽く鉄塊となって地に転り、荒野の戦場に残ったのは二機のスパイトフルだけとなってしまった。
「リーダー、駄目です。増援を要請して下さい!」
 スパイトフルのパイロットが、リーダー機へと嘆願する様に叫んだ。
「駄目だ。偽装したスパイトフルの数が無い。《不知火》や《狭霧》では、画像証拠が残る。ネオ・ストラグル本隊からの増援は無いと思え!」
 既にレスヴァークの攻撃により、左腕を失った隊長機は後退しながらパルス・ライフルを狂った様に乱射して接近を必死で拒んでいる。
「では、早急にレイヴンを雇って下さい!」
「それも無理だ。他の勢力が凄腕のレイヴン・チームを雇ったらしくアバロン・バレーの奴等が敬遠している。第一今からでは間に合わない」
 レスヴァークがスパイトフルの射撃サイトから外れる様にして接近して行く。
「ダニー、そちらに行ったぞ!」
 隊長の通信も部下のスパイトフルには届かなかった。
 敵は瞬く間に部下の機体の頭部をブレードで吹き飛ばし、薙ぎ払う様にして右腕も一太刀で斬り飛ばしていたのだ。
「なんてヤツだ・・・五分足らずで部隊が全滅だと、信じられん。何の特徴も無いA・Cでここまで・・・」
 隊長は腕に覚えのあるベテランであった。ストラグル時代から修羅場も潜って来たし、それなりの技術も経験も積んで来た誇りもあった。
 だが、目の前のA・Cは彼が出会ったどの敵よりも狂暴でケタ違いに映る。
 それでいて、どこか急いでいる様にも見えた。
《彼は何かに焦っている》
 そう思わせる何かがこのA・Cから発せられているのだ。
「得体の知れない奴だが、こちらにも意地がある!」
 膝を屈してゆっくりと倒れ行く部下のスパイトフルの後ろで立つレスヴァークに向け、隊長はブースト・ダッシュで突っ込んで行く。
「ネオ・ストラグルとアバロン・バレーに栄えあれ!」
 決死の特攻だった。部下のA・Cに近い位置で自分の機体を爆発させる。
 誘爆した二機のA・Cによる爆風で、敵を巻き込む事が残された彼の最後の抵抗手段であった。
 幸運にもレスヴァークは位置を変えない。
「ダニー、済まない・・・」
 隊長のスパイトフルはパルス・ライフルを部下の機体へと放つ。
 突然、微動だにしなかった錆色のA・Cはパルス・ライフルが着弾する筈だった部下の機体を突き飛ばし左へと流れる様に身を躱す。
「読まれたか!」
 隊長機は慌ててパルス・ライフルを左に向けたが、時既に遅しであった。
 左腕の無い隊長機は不覚にも敵の接近を許してしまい、為す術も無く錆色のA・Cが繰り出したブレードによる突きをコアに受けてしまう。
「最初からこれを・・・」
 錆色のA・Cは更にブレードを深く突き入れ、一気に引き斬る様に腕を振り上げる。
 スパイトフルの手からパルス・ライフルが零れ落ち、熔け落ちた装甲板を撒き散らしながら隊長のスパイトフルは四散した。
「何とか終わったな」
 消えゆくレーダーの反応を見ながら、肩で息を弾ませラスティは呟いた。
 爆風で赤く染まるディスプレイに照らされた彼の額には薄く汗が滲んでいる。
 忙しなく揺れるラスティの黒い瞳がコクピットのタイマーを捉えると、デジタル・タイマーは地下都市標準時刻で午前十時を淡々と無表情に示していた。
「やっとこれで・・・」
 ラスティが荒涼たる大地で、黒煙を立ち昇らせながら累々と横たわる敵の残骸を尻目にレスヴァークを都市の入り口へ振り向かせた時、左方向から敵機急接近を告げる警告アラームが鳴り響いた。
「ちっ、増援か?」
『新たな敵を確認しました。軽量級A・C1機』
 ラスティは奥歯を噛み締めて虚空を睨む。
 どうやら、これでまた報酬として都市に入り目的を果たす事が遠のいたらしい。
「《フィオ》何としてでも約束は守るぞ。それが人間として俺が交わした最後の誓いだから・・・」
 徐々に近づく敵機の反応を見ながら、ラスティはジーンズのポケットに入れていた銀の指輪を左の小指に通し、力一杯ペダルを床まで踏み込む。
 鋭角な弧を描いてレスヴァークは迫り来る敵A・Cの方向へと正対した。
 敵のA・Cは一直線に何迷う事無くレスヴァークを目指して突き進んで来る。
 その軽量A・Cのコクピットには、達人特有の鋭い光を湛えた瞳でディスプレイを睨む葉霧が乗っていた。
「テトラ連立のレイヴン。恨みは無いが沈んで貰うぞ!」
 渦を巻く砂塵をあげて二機の距離が縮まって行く。
 葉霧の青龍五式は、巨大で鈍い光を湛えた銃を構えた手をあげてレスヴァークへと向ける。
 それに対して、レスヴァークはダッシュしながら手持ちのマシンガンのマガジンを交換して敵へと向かう。
 投げ捨てられた空のマガジンが地面で跳ね、逆巻く荒れた風に吹かれている。
 その向こうで、崖を這い登る二機とは明らかに違う異様なシルエットのA・Cが不気味にレスヴァークへと狙いを定め始めていた・・・


「行って来ます」
 朝の日差しに美しい光沢を反射させながらストレートのブロンドが風に揺れた。
 金髪の少女は、この時代では希少な天然木材の大きなドアを閉めて表へと出る。
 降り注ぐ日光とは裏腹に、彼女の透明感に満ちたグリーンの瞳は翳りの色が濃い。
 奇麗にラッピングされた白い薔薇が、それに劣らぬ程に抜けるような白い腕に抱えられている。
 俯いて少女は重い足取りで前へと歩き出した。
 緑に満ちた歩道の街路樹も、その上で囀る小鳥の声も彼女の心を癒すには脆弱そうな程、少女の表情は憂いに満ちている。
『今日で忘れなきゃ・・・』  
 少女は泣きそうな表情で、そう自分に言い聞かせる様に何度想ったか分からない事を反芻する。
『彼はもう居ない・・・多分、私と同じ世界には』
 頭が理解していても、彼女の心の奥ではどうやっても受け入れられない事実。
 心から慕い、本当に大好きだった彼の死。
 それは彼女にとって、さよならの一言も無い余りに突然過ぎる出来事だった。
 飛行機事故・・・それが彼を彼女から奪った理由。
 原因不明の墜落。終に彼の遺体は発見されなかったが、今では誰もが生存は絶望的という見方だ。
 豪奢な合同葬儀も取り行なわれ、周囲の人々は彼を思い出の中へと埋没させていく中で、彼女だけは彼の生存を信じて疑わなかった。
 いや、彼女が信じなかったのは厳密に言えば《彼の生存》では無く《彼が自分を残して逝ってしまった》事実と言えるだろう。
 彼は確かに約束したのだ。
『簡単には死にはしない』と・・・。
 そして同時に、もう一つの約束もしてくれた。
 十八になった彼女の誕生日に指輪をくれる・・・。
 今日が彼女の待ち望んでいた筈の誕生日だ。
 人一倍、責任感に強く約束を破る彼では無かった。
 今日、約束の場所へ姿を見せなければ・・・。
 それは彼がやはり、この世にはもう居ない事を示す。
 二つの約束の内の一つが破られたのだから・・・。
 彼女の前へと歩む足取りが次第に緩やかになり、不意に止まる。
 心の中の不安が一気に臨界へと達した。
 手にした白い薔薇の花言葉は《永遠の別れ》。彼女の冷たい現実と暖かな希望の狭間で、揺れる心が選んだ最後のピリオドを打つ為の物だ。
『もし彼が来なかったら・・・』
 その時は忘れよう、辛い事実として受け止めよう。
 彼女はずっと今まで、ひたすらに想いながら、彼が来てくれるだろう今日を待った。
 必ず彼は来る・・・そうも信じて今日を待った。
 淡く儚い期待は裏切られるかも知れない。
 むしろ、その可能性の方が遥かに大きいのだ。
 彼女は俯いて泣き出しそうになる。
『でも、行かなきゃ・・・約束だから』
 少女は零れそうになる涙を堪えながら約束の地へと向かう為、か細い脚を前へと踏み出した。
 通り掛かった街の小さな電気屋のショウ・ウィンドウからニュースが流れる。
 テロリストによってアバロン・バレー空港が占拠され、列車の通路も一部閉鎖され街の物流は前代未聞のパニック状態にあるらしかった。
 その内容を淡々と告げる背広姿のアナウンサーの眼鏡の奥の瞳は少女には冷たいものに映る。
「恐い世の中・・・どうしてこんな時代に生まれたのかしら」
 少女は呟いて小さな胸を痛めつつ、全ての現実を振り切る様に駆け出して行く。
 その後ろでは白い花びらが揺れる様に宙に舞い、グレーのアスファルトに静かに舞い落ちた・・・


 照り返しに煌く二つのミサイルが高速でレスヴァークへと襲い掛かる。
 それをコアの迎撃機関砲で難なく落とした次の瞬間には、敵の砲口から激しく瞬く一条の光の束が吐き出される様に放たれた。
 レスヴァークは放置されたコンテナの陰に隠れ、それをやり過ごすと、半身だけを表して敵へとマシンガンを発砲する。
 葉霧の青龍五式は機体を全速でバックさせて後方へと下がり、レスヴァークの放った着弾がその後を追う様に地面へと薄い煙をたてながら突き刺さった。
 この苦しい体勢からも葉霧はKARASAWAのトリガーを引き絞り、僅かに身を乗り出すレスヴァークへと放つ。
 低い姿勢で罅割れた大地を削るようにして放たれたレーザーはレスヴァークに回避され、貨物置き場のコンテナを貫通して虚空に消えた。
「なんと巧みな奴だ・・・私のKARASAWAの射撃を尽く躱すとは」
 コクピットで葉霧は感嘆の声を上げる。
 残弾を示すKARASAWAの通過フィルター耐久値は早くも半分を切っていた。
 正直、葉霧の内心は穏やかな物では無かったが、彼がレイヴンとなりA・C史上最強と名高いKARASAWAを手にした後、出会った事の無い敵の高い操縦技術に思わず呟いてしまう。
「久しく出会わなかったぞ、こんな敵には!」
 葉霧はヘルメットのバイザーの中で不敵な笑みを浮かべ、複合センサーからの総合情報を見る。
 このコンテナが密集する地帯にまで、眼前の錆色をしたA・Cに誘導されたまでは遮蔽物の皆無だった線路脇だった事も手伝い、葉霧が完全に押す形であった。
 今にして葉霧が思えば、その有利に見えた形勢も敵の誘導策の一環に思える。
「思ったよりもやるな、連立のレイヴン・・・」
 もう何度目かの機体を補足した旨を示すロック・オン・アラームが耳元で小さく響く。
 葉霧はすかさずトリガーを引き、愛機《青龍五式》にKARASAWAの発射を命令する。
 放たれた光線は炎の様に燻らせてコンテナの外板を溶かしながら走って行った。
 またもや回避されてしまったのだ。
 立ち並ぶコンテナの蔭を縫うようにしてラスティのレスヴァークは移動する。
「今ので二十七発目・・・」
 ラスティは敵の攻撃を完全に回避して呟いた。
 濁ったルビーの様に赤く変じた瞳には、冷静な言葉とは裏腹な焦燥の翳りが色濃く見える。
「もう一機は、どこだ?」
 ラスティは戦闘しながら周囲に気配を配る。
 先程、線路脇でA・Cが接近して来た時、僅かにレーダーを掠める反応が二つあった。
 通常人では全く気が着かないであろう微細な反応だが、プラスであるラスティには確実にそれがA・Cである事がその時に分かったのだ。
 敵の戦法は目の前の奴が敵を引き付け、恐らくはスナイパーであろうもう一機が仕留める手筈になっているに違いない。
 通常、レイヴンは単独でミッションをこなす。
 またA・Cという兵器はその様に創られ、高い汎用性を示すが故に現用兵器最強の名を冠する。
 加えて目の前のアバロン・バレー所属のレイヴンは紛れも無く凄腕であり、誰かのサポートの必要性など微塵も感じさせない。
 この二つの常識とも言えうる状況で、完全に敵の裏をかいた心理的トラップを誘う連携攻撃は並み居る手練を撃破してきた事だろう。
「我々の攻撃法はバレているらしいな・・・」
 葉霧は鋭い目付きでディスプレイを見ながら、苦し気な荒い呼吸と共に言葉を口にする。
「シルク・ハット、どうやらミスしたな。敵はお前の存在を看破している様子だ」
 通信は返ってはこない。発信源で狙撃点を察知される危険を嫌っての事だろう。
「どこに居るかは知らんが今回ばかりは、お前の卑怯な闇討ちに荷担しなくて済みそうだ」
 そう吐き捨てる様に言葉を投げると、葉霧はブースト移動の過重により痛み出した左胸を庇う様に押さえながらスティックを強く握る。
「長くは戦えない・・・一気に攻めなければ」
 苦しみに顔を歪ませて葉霧は呟いた。
 息も荒くなりつつある。パイロット・スーツが荷重を軽減してくれるとは言え、今の葉霧には言葉の通り長期戦は不利になる一方でしかない。
 葉霧は武器のセレクターを背中の二連ミサイルへと変更して、再び敵へと狙いを定める。
 ロックした瞬間に発射。薄い白煙を引きながら宙を飛ぶミサイルに続きブースターを可動させ、コンテナから青龍五式は飛翔する。
 飛び上がって、真上から撃ち下ろす形での射撃は命中率が極めて高いからである。
 フェイントとしてミサイルを織り交ぜた攻撃は更にこの攻撃を有効なものとする筈だ。
 だが、葉霧の戦法を先に読んだかの様にして敵の反応は素早かった。
 レーダーには敵は真後ろに位置を変えている事を示す無常な光点が映し出されている。
 移動によって追尾するミサイルをコンテナに着弾させながら葉霧の背後へと回り込んだのである。
「地形の利用は私よりも優れているのか!?」
 葉霧は悔しげに言葉を漏らして、敵の着弾を受けぬ様、機体を羽毛の様に不規則に振り動かしながら下降して障害物の陰へと隠れる。
「やはりコレで勝負を着けるか・・・」
 青龍五式は右手の銃を下ろして、変りにブレードを装備した左手を静かに翳し、敵機へと向かって隙の無い足取りで歩き出した・・・


「信じられませんが、私の存在がバレた以上、ここに居ても無意味ですね・・・」
 シルク・ハットは乗機《メトロノーム》を緩やかに旋回させて射撃位置を変更すぺく移動を開始した。
「では、先に積み荷を頂く事にしましょう」
 身を隠していた岩場から出たメトロノームはコンテナ群で死闘を行う葉霧を尻目に列車へと向かう。
 敵は自分の存在に気付いている以上、常に狙撃を警戒するだろう。それは確実に敵に行動の制限を強いる事となる。
 重要なのは、この状態が継続する事だ。
 つまりは常にある狙撃による心理的圧力だけで充分なのである。シルク・ハットが、ここに居て常にチャンスを狙う必要は無い。
 勝手に敵は狙撃と言う脅迫観念に震えてくれる。
「せいぜい《見えない私》に恐怖して貰いましょうか、愚かな連立レイヴン君」
 シルク・ハットは頬に暗い笑みを浮かべて機体を敵のレーダーに掛からぬ様、注意深く迂回して列車が止められた停車場を目指す。
「しかし私は猟犬に恵まれぬ狩人ですな・・・」
 後方へと遠ざかるコンテナ群を横目で見るシルク・ハットは舌打ちして忌々し気に言う。
「まぁ、Mr.葉霧はレイヴンらしく使い捨てになって貰いましょうか」
 口元の髭に触れ、シルク・ハットは冷酷な口調で呟くと、目の前に現れた邪魔な点在する枯れた木々を短い刃渡りのレーザー・ブレードで払いながら目標へと一直線で駆け抜ける。
 スナイプ用に変更した高解像ディスプレイがズームして目標の半ば置き去りにされる様に停車された列車の貨物車両を映し出す。
 これは都市側のテロ襲撃に備えて周辺に被害が及ばぬ様にした結果である。
 その襲撃も経緯を知る者からすれば都市側が依頼した狂言芝居で、本来重要貨物が受ける扱いとは程遠い措置がなされている理由は容易に想像がつく。
「やり易くしてくれてアバロン・バレーには感謝の言葉も無いですねぇ、都市に積み荷を入れられていたら奪取は困難でした」
 メトロノームは荒れた崖に膝を着き、手に持つWG−RF/E、通称《エネルギー・スナイパーライフル》を両手で構えて射撃の体勢に入った。
 シルク・ハットは迷わずサイトに先ず指揮機と思しきイーゲルを収める。
 イーゲルの広い索敵範囲はスナイパーであるメトロノームには邪魔以外の何者でも無いからだ。
 レティクルが緑からターゲットを補足した旨を示す赤に変わると同時にシルク・ハットはトリガーを間髪入れずに引き絞る。
「消えなさい」
 冷たい言葉と共に空間を高熱が伝播する低い音が響き、哀れな標的であるイーゲルへと放たれた。
 火柱を上げて列車脇に位置している中年の指揮者を乗せたイーゲルが爆発して完膚なきまでに破壊される。
「この瞬間が堪りませんな。充実感を覚えますよ」
 くぐもった笑いと共にシルク・ハットは炎を吹き上げて巨大なトーチと化したイーゲルの隣に位置するスカーリーバーへと狙いを定める。
 A・Cに搭載されたコンピューターが炎による大気の流動を計算してディスプレイに予測射線を映し出しシルク・ハットへと伝える頃にはスカーリーバーは貨物車両の蔭に隠れていた。
「演算処理が遅れてしまった様ですね。悔しいですがこれは仕方ありませんな」
 シルク・ハットは渋面を作ると、WG-RF/Eを上げメトロノームを立ち上がらせる。
「雑魚のM・T一機残した処で多勢に影響は無いでしょう。どれ、Mr.葉霧のバック・アップに戻るとしますか」
 そう言いながらコクピットのサイド・コンソール上に如何にも後から取り付けたと思しき銀色の増設スイッチをオンにする。
「これで、鬱陶しい勝負が早く着きますな・・・」
 サブ・ディスプレイには、メンテナンス・リグが移動を開始した旨を表示するシグナルが点灯した。
「Mr.葉霧、どうやら貴方はもう使い物にはならない様です。せめてレイヴンらしく散って下さいな」
 邪悪な笑みを満面に浮かべながらシルク・ハットは整えられた髭を撫でつけ、メトロノームはゆっくりとコンテナ群で交戦する葉霧の駆る青龍五式の元へと移動を開始した・・・  


「粘るな・・・アバロン・バレーのレイヴン」
 ラスティは焦燥の色が濃い瞳で敵のA・Cを睨む。
 右手のKARASAWAがこちらを向いてレスヴァークに絶妙のタイミングで放たれた。
 ラスティは機体の横ダッシュによる傾斜を利用して肩越しへと攻撃を逸らす。
 そして、継続する激戦の末に破壊されて数が減ったコンテナ群を縫うようにして敵のA・Cへと急速接近し、サイドからブレード戦を仕掛ける。
 敵は全く遅滞なくレスヴァークの接近に反応して同じく左手に装備されたブレードを翳す。
 レスヴァークの真横の斬りが紙一重で躱され、敵からの鋭い突きが入れられた。
 それを回避してレスヴァークは敵の突き出された腕を狙って返す刃を狙う。
 敵は更にそれを見透かしたかの様な動きで、逆にレスヴァークが払う左手を狙って来た。
「チッ!」
 ラスティは短い舌打ちの後、レスヴァークを全力でフルバックさせた。
 敵のブレードが美しい弧を描いて空を斬る。
 ブーストで巻き上げられた砂塵が二機の間に舞う。
「退かなければ終わりだった物を・・・」
 青龍五式の狭いコクピットの中で葉霧は苦しそうな喘ぎと一緒に言葉を発した。
 彼の額には汗が絶え間無く流れ続けている。
 幾重にも重ねられたフェイントを絡めた攻撃が続けられ、一瞬たりとて気の抜けぬ緊迫した状態は葉霧の体力を奪い続け、彼は既に肩で息をしていた。
「強いな・・・テトラ連立のレイヴン」
 葉霧が心から言葉を噛み締める様に呟く。
 苦痛の為、同時に葉霧の頬が歪む。
「だが、私は絶対に負けられない。自分の罪の償いと目的の為にな!」
 今の今迄、どちらかと言えば待ち構える姿勢であった葉霧の戦法が変わった。
 細身の青龍五式の背中からブースターの炎が吐き出され、レスヴァークへと向かって突進を開始する。
「いよいよ本気で来るか・・・アバロン・バレーのランカー・レイヴン」
 敵接近のアラームが鳴り響く中、ラスティの瞳が鋭く細められ迫り来る青龍五式を睨む。
 ラスティの指がブレードのトリガーに掛けられた。
 その瞬間、急に青龍五式の姿がディスプレイから消失し視界が開けた。
 ラスティは突然の事に驚愕する事無く、コンテナだけが映った正面の画像を鋭い目で見続けている。
「今だ!」
 小さい呟きと共にラスティはスティックを引き、ペダルを限界まで踏み込んでレスヴァークを斜め後ろへと下がらせた。
 次の瞬間、画面には薄い光の軌跡が縦に流れ、その後に巨大な鉄の塊が空から降ってくる。
 青と白に塗り分けられた人型のシルエットは紛れも無く敵機である青龍五式だ。
 ラスティはレスヴァークにブレードを振らせる。
 上から襲い掛かった青龍五式は着地した事による機体の《沈み》で、急な姿勢制御や方向転換をする事が出来ない筈だ。
 ラスティは敵が消えた瞬間から、上方からの斬撃と読んで、この一瞬を狙っていたのである。
 レスヴァークの左手から薄いブルーに光る熱の奔流が吐き出され青龍五式へと伸びる。
 ここで、ブレードのヒットは必至に思われた。
 しかし・・・。
 葉霧の青龍五式は滑る様に右横へと体を捻りながら、レスヴァークのブレードを回避して、逆にブレードを薙ぎ払って来た。
「回避が間に合わない!」
 ラスティの短い叫びと小さな舌打ち。
「貰ったぞ連立レイヴン!」
 青龍五式のブレードは見事な角度と速さを以ってレスヴァークの頭部へと襲い掛かる。
 最早、ここで雌雄が決せられたかと思われたが、ラスティは素早くスティックを動かし、急激にレスヴァークを操作する。
 即座にレスヴァークの右手が上げられ、葉霧の放った必殺の一撃の前に対した。
「何だと!!」
 葉霧の驚愕する叫びがヘルメットを通過してコクピットに反響する。
 信じられない事にレスヴァークは葉霧の一撃を回避したのである。
 空中に二つに叩き切られた鉄塊が踊る様に舞う。
 それはレスヴァークが右手に掴んでいたマシンガンの変わり果てた姿であった。
「こんな方法で、私の《無反動スライド斬り》を躱すとは!」
 更にレスヴァークは、機体を沈ませるのと一連の動作で地面に膝を折り、背中のレーザー・キャノン発射の体勢になっていた。
「しまった!」
 葉霧はブレードを振り切った体勢で懐に入られた上、構えられたキャノンを視界に捉えると、この場は不利と瞬間に判断してコンテナの陰へと逃れるべく機体を横へと逃がす。
 激しい白熱が青龍五式のコア装甲を焼く。
 流石に至近で放たれたレーザー・キャノンの即射を数発コアへと食らってしまうが、幸いにも甚大な被害とまでは至らず、青龍五式はコンテナの陰へと位置を変える事が出来た。
「危なかった・・・何て奴」
 荒い息を鎮めながら葉霧はヘルメットを取ってコクピット後方のラゲッジへと投げる。
「しかし、あんな動作をA・Cに記憶させる奴が居たとは信じられんな。マニュアル操縦だとしても驚異的な反射神経の持ち主と見える」
 額から滝の様に流れ落ちる汗を葉霧は拭う。
 機体のダメージ自体は装甲板が一部焼け溶け落ちてはいるが内部機器に異常は無い。
 油圧、ジェネレータの電力供給も正常だ。
「まだやれるな・・・だが手強い」
 それはアバロン・バレーにこの人ありとまで言われた男の口から初めて出た言葉だった。
 連立都市などと言うマイナー・リーグの、しかもランク外レイヴンに向けられて発するなどとは、当の葉霧も夢にも思わない出来事である。
「ひょっとして奴は《プラス》なのか?」
 ふと葉霧の脳裏にそんな事が浮かぶ。
 だが、彼は今し方敵のA・Cが膝を着いてレーザー・キャノンを構えるのを見ている。
 葉霧の青龍五式を破壊する絶好のチャンスに発射の遅れる構えするのはプラスならば不自然だ。
 あのブレードによる攻防の際にもプラスの十八番である《光波》を使っていれば容易く勝敗は決していた筈だ。
「不気味な奴。得体が知れない・・・」
 と、なればやはり敵はA・Cに先程の行動を予め記憶させ、それを瞬時に選択したか戦闘モードの行動パターンから無理矢理マニュアル動作を割り込ませたとしか考えられない。
 前者なら恐ろしく用意周到なレイヴンとなり、後者ならば天才的な操縦センスの持ち主と言う事になる。
「いずれにせよ手強い事に変りは無し・・・か」
 葉霧は俯いて覚悟を決める。
 痛む左胸は悲鳴を挙げ、葉霧へと己が限界が近い事を訴えていた。
 もはや耐圧機能があるパイロットスーツを着ていても先程の様な激しい戦闘を行う余力は葉霧には残されてはいまい。
 一撃必殺、これより他には勝機は無かった。
「この身体さえ言う事を利けば・・・な」
 葉霧は悔しそうに唇を噛む。
 きつく目を閉じた後、彼は虚空を見上げて小さく首を横に二度振り、今までとは比較にならない程の気迫で正面ディスプレイを睨む。
「だが、この勝負だけは絶対に負けられん!」
 そう言って葉霧は胸のポケットから小さな玩具を取り出した。
 激しい振動の為に彼の愛機を模した玩具の左手が外れている。
「麻柚・・・お前の未来は私の命で《買う》ぞ。それが私に出来る唯一の償いだから」
「そうなさい、Mr.葉霧」
 突然、今まで無言だった通信機からシルク・ハットの冷酷な響きの声が流れた。
「どう言う意味だ?・・・今度は何を企んだ」
 葉霧の目が通信用のディスプレイに向けられる。
「目標の積み荷は間も無く無線操作のメンテナンス・リグが回収に来ます。列車の警備M・Tは一機残っているので手早くA・Cを始末しないと救援には向かえませんよ」
 シルク・ハットは邪悪な笑みを浮かべながら冷酷に状況を説明する。
「何故、貴様らしからぬ意味の無い無謀な事をする?」
 葉霧は忌々しげに吐き捨てる様に言う。
「簡単な事ですよ。早く事を済ませませんと新手が来てしまいますからねぇ、チンタラ対戦を楽しまれては困るんですよ」
 モニターの中のシルク・ハットは肩を竦ませながら皮肉を含んだ口調で言った。
「それで私にどうしろと言うのだ?」
 答えは分かっていた。当然の返答がシルク・ハットの唇から漏れる。
「奴をコンテナ群から引き離し、止めてある貨物列車の方へ向かわせるんですよ」
「そして、お前が狙撃する。私は貴様の《犬》と言うワケだ・・・」
「言葉が気に召さないならば《協力》と言う美しい単語をお使いしましょうか?」
 シルク・ハットの見下げるような態度で発せられた声に葉霧は現状では渋面を作って小さく《分かった》と呟くしか無かった。
「では、時間がありませんから手早く頼みますよ」
 瞳に獲物を絡めとる策士の光を宿しながら、シルク・ハットの通信が途絶えた後、葉霧は悲痛に目を閉じて言った。
「私はもうレイヴンですら無いのか・・・」
 葉霧は屈辱に身を屈するかの様に重い動作でスティックを右へと倒し、列車が止められたプラットフォームへと機体を向かせた・・・


 ラスティはコクピットで悔やむ様に首を小さく振って、先程のブレイクで敵機を破壊出来なかった事に今まで以上の焦りを感じていた。
「確実にマシンと同調が出来ない・・・やはり戦闘能力に影響が出ている」
 先程の葉霧の一撃を凌いだのもラスティにしてみれば苦肉の策に近い行動であったし、万全ならば、あの時キャノンのリロード・タイムを変化させて敵を完全破壊にまで持って行けた筈である。
 これは体内のナノ・マシンの寿命が確実に尽きつつある揺るぎ無い証拠だ。
「何とかしなければ」
 ラスティの額に一滴の汗が流れる。
 焦燥に満ちた瞳が敵の位置を示すレーダー光点がコンテナ群を抜け、一路貨物列車へと向かっていた。
「ここを出れば狙撃が待っている。だが、このまま待っていたとしても積み荷は奪取される・・・」
 ラスティは目を閉じて敵の気配を探るがレスヴァークから伝わる周囲の状況から狙撃A・Cの位置を割り出す事は叶わない。
「何処なんだ、それさえ分かれば・・・」
 ラスティの握った拳が震える。
 小指には指輪の冷たく硬い感触が伝わって、彼の心が激しく波打つ。
 閉じた瞼に緑の草原と金髪の少女のあどけなく笑う姿が浮かぶ。
『フィオ・・・お前は忘れているかも知れないが、俺はあの約束だけは守る』
 ラスティはゆっくりと目を開く。瞳には漆黒を思わせる黒い色の奥にディスプレイの光が反射している。
「行くしか道は無い様だ」
 ラスティは覚悟を決めてスロットを開放し、ブーストによるダッシュを開始した。
 コンテナ群から垣間見える貨物車両までの距離は今のラスティには限りなく遠い道のりに映る。
 レスヴァークのブースト移動にして僅か数秒、この間に狙撃が重要機器に命中すれば、それで終わり。
 幸運にも掠り傷程度で済んだとしても、貨物車両には手練れのレイヴンとの格闘戦が待っている。
 ここで遮蔽物の無い場所へ身を乗り出すのは負ける確立の高い賭け以外の何物でも無い。
 レスヴァークの背中のブーストが青白い炎の尾を引き、十分な加速と共に高速でコンテナ群を抜けた。
 開けた視界の向こうでは護衛のスカーリーバーが青龍五式の放ったKARASAWAの一撃で引火して吹き飛ぶ姿がやけに克明に見える。
「どこで撃って来る・・・どこを狙う?」
 ラスティの目が周囲を泳ぐ。
 ディスプレイには貨物車両が、その大きさを見る見ると近づけて来る。
 もう、貨物車両のボルトの一本までがはっきりとディスプレイから確認出来る距離になってきた時、初めてラスティの口の端が緩んだ。
「成る程な・・・プロな事が災いしたな」
 ラスティは速度を全く緩める事無くレスヴァークの姿勢を傾斜させ、貨物車両に衝突するギリギリで鋭角なターンをさせた。
 機体の間接はこれ以上無い程に軋み、軸にした脚部の足元からは激しい火花が飛び散る。
 その後ろを一条の光の束が走り、地面に吸い込まれる様にして消えた。
 即座にレスヴァークの頭部が光線が伸びてきた方向を向いて狙撃点を見る。
 そこには、僅かに身を崖から出していた砂漠迷彩のA・Cが再び狙撃位置を変えるべく隠れる最中の姿が映っていた。
「目的地に到着して速度を落とす瞬間を狙ったのが失敗だった様だな」
 ラスティは鋭い視線を僅かに見える狙撃A・Cへと投げる。
 光学兵器を射出する際のA・CのFCSは不規則に高速移動する物体を狙撃する事を苦手とする。
 大気の状態やコンピュータの予測外の動きをされてしまうと命中率は軒並みに下がるのだ。
 敵はそれを熟知したプロフェッショナルであり、僅かにでも標的の速度が落ちた瞬間、つまりは貨物車両へと辿り着いたレスヴァークが減速する瞬間を狙っていたのである。
 これ以外にはA・Cをブーストによりジャンプさせる事によってFCSとコンピュータの軸線計算を軽減させて上からの撃ち下ろしで狙う手があるが狙撃点が完全にバレてしまう為に今の状態で、それを行うのはナンセンス以外の何物でも無い。
「見事だ。連立のレイヴン・・・」
 コクピットの中で葉霧は低く唸る様に呟いた。
 彼は今のレスヴァークへとKARASAWAやミサイルを撃ち込む事が充分に可能であったし、それをしていれば決着は着いていたやも知れない。
 だが、彼はあえてそれはしなかった。
 トリガーへと思わず伸びた指先すら、今の彼からすれば恥ずべき行為に感じられる。
「やはり《犬》には成れない。そう・・・私は痩せても枯れても《レイヴン》だ」
 そう強く言葉を発した彼へとシルク・ハットから通信が入る。
「Mr.葉霧、どう言うつもりですか!、今のタイミングで貴方の位置からならば・・・」
 怒声を浴びせるシルク・ハットに達人特有の鋭い目で葉霧は答える。
「射撃を外したのは貴様のミスだ。私のフォローをアテにする様では貴様に先は無いな」
 この返答にシルク・ハットはプライドを傷つけられたのか肩を震わせながらディスプレイを殴りつける。
「いいでしょう、そちらがその気なら私にも考えがある。今からそちらに行くメンテナンス・リグに目標物を貴方に積み込んで頂く。タイムリミットは十分間だ!」
「何?、どう言う意味だ」
 シルク・ハットは勝ち誇った様に邪悪な暗い笑みを浮かべて葉霧を見下す様に言葉を続ける。
「貴方の大切なMs.麻柚の部屋に爆薬を仕掛けさせて頂いた。十分間で事が済まなかった場合、爆破のスイッチを押させて頂く」
 それには流石の葉霧も表情が凍り付いた。
「馬鹿な、一体何処に・・・」
 葉霧は、ここで麻柚の部屋にあったシルク・ハットが与えたと言っていた菓子を入れてあった白いダンボールを思い出した。
「まさか、あの箱に!」
「その通り、ペーパー式T・N・Tが仕込んであります。あの小さな部屋位なら吹き飛ばす事が可能で、加えてメンテナンス・リグ可動に大きな影響は無い」
 葉霧は、そう冷たく言ったシルク・ハットへと侮蔑の眼差しを向ける。
「貴様・・・只で済むと思うなよ」
 俯いて怒りに震える葉霧から歯を噛み締める低く鈍い音がコクピットに響く 。
「そちらこそ、弾が敵から飛んで来るとは限りませんよ。精々お気をつけて・・・」
 そう言い残し、モニターからシルク・ハットの姿が暗転して消えた。
「いずれ、こんな事になるとは思ったが」
 葉霧が正面のディスプレイを見上げると、黒いメンテナンス・リグがこちらに向けて近づいて来ている。
 敵A・Cのレーダーの反応は貨物車両を挟んだ自分の真向かい。
 先程のブースト・ダッシュによる電力消費を補っているのか動く気配は見られない。
「どの道、これ以上は私の身体が持たない。短期決戦が時間指定に変っただけだ・・・」
 葉霧はゆっくりと青龍五式を前進させた後、貨物車両の角を曲がらせる。
 その正面には錆色のA・Cが同じく、こちらへと正対していた。
 葉霧の青龍五式の背中にはアバロン・バレー都市部へと通じるゲートが見える。
 レスヴァークの背後には近づきつつある黒いメンテナンス・リグが。
 それは敵として互いの後ろにしか未来を感じる事の無いレイヴンを象徴するかの様な光景であった。
 だが、二人が胸に秘めた目的を知る事は無い。
『行くぞ、時間が無い!』
 ラスティと葉霧のどちらとも無く、この言葉が口元から漏れる。
 そして二機はブーストを作動させながら今度こそ一気に勝負を着けるべく機体の間合いを詰めて行く。
「ここで私の負けは許されないのだ・・・麻柚への答えが何かを見出すまでは、罪の償いをするまでは絶対に!」
 葉霧は痛む左胸を省みず、躊躇う事無くスロットルを開いてペダルを床まで踏み込んだ。
 青龍五式の背中からの噴射が激しくなる。
「僅かに機体と同調出来る・・・今の内に倒す!」
 薄い紅色を瞳に宿らせ、ラスティもレスヴァークのスロットルを開いた。
 レスヴァークの背中から一層激しい噴流が巻き起こり、ブレイク・ポイントを目指して二機は駆け寄る。
 ここで葉霧は青龍五式の背中に装備された小型の二連ミサイルを至近で放つ。
 ラスティは手動照準により、コアの機関砲で瞬時に飛来したミサイルを叩き落とすが、爆風で極端に視界が遮られた。
 爆火でレスヴァークのカメラ映像から青龍五式が炎に揺らいで消える。
 ラスティは即座にレスヴァークを屈ませてレーザー・キャノンの発射体勢になった。
 その頭上を陽炎の向こうから放たれたKARASAWAによる激しい閃光が通り過ぎる。
 それとほぼ同時に爆炎の中から青龍五式が腰溜めにブレードを構えながら飛び出して来た。
 ラスティはトリガーを引いてキャノンを発射するが、青龍五式は命中ギリギリの距離で軽いジャンプによりサイトから外れ、ブースターでレスヴァークの右方向へと流れる様な動作で宙を滑る。
 ラスティもまた、レスヴァークを再び立ち上がらせ青龍五式へと正対した。
 足元から薄い砂煙をあげ、地面ギリギリを滑空しながらブレードを構えた青龍五式が迫る。
 これに対しレスヴァークは前傾姿勢になって身構え左腕を翳す。
 鋭角な角度で急激に青龍五式は右へと周り込んだ。
 青龍五式のコクピットで、終に葉霧は襲い掛かる過重に耐え切れず吐血していた。
 血の泡が込み上げ、葉霧の口腔内に鉄臭い血液特有の嫌な感覚が広がる。
「最後の勝負だ、連立のレイヴン!」
 溢れ出る血をフロアに吐き捨て葉霧が吠える。
 青龍五式は腕を突き出し渾身の力で真横にブレードを凪ぐ。
 破壊の光が砂埃を巻き上げてスパークさせながらレスヴァークへと襲い掛かった。
 狙われたコアと紙一重の距離でそれをレスヴァークは回避し、同時に青龍五式が右手に持った巨大な銃のKARASAWAを狙って斬り掛る。
 青龍五式は即座に右手を引き、切り込みを躱すと接地した沈み込みを利用して屈み、連続動作でレスヴァークの脚部を狙う。
 ブーストを作動させ上昇したレスヴァークの爪先を光の軌跡のカーブが抜ける。
「次が来る・・・」
 ラスティは次手をミサイルと読み、コアの機銃へと同調すべく意識を集中する。
 彼の予測通り、浮いたレスヴァークへと青龍五式のミサイルが至近で放たれた。
 足元を狙った瞬間から、FCSサイトを葉霧は上へとレスヴァークの動きを読んで上げていたのだ。
 だが、それを更にラスティは予測していた。
 機関砲のバレルが溶けんばかりの勢いでレスヴァークから放出され、二機のミサイルが爆裂する。
「何と・・・これも駄目か」
 飛び散る破片がセンサーへと飛来するのを防ぐ為、青龍五式にKARASAWAと左腕で機体を庇わせながら葉霧は一言呟いた。
 苦痛で失せそうになる意識を繋ぎ止め、葉霧は敵の当然来るブレード反撃を避ける為、スティックを引く。
 上からレスヴァークの振り下ろすブレードが空を裂いて地面に触れ、岩を赤熱させる。
 降下の沈んだ機体を狙うのはセオリーだが、最早、葉霧には迅速な行動に要する体力は無い。  
「残り八分間か・・・」
 デジタルタイマーを見ながら葉霧は呟いた。
 そこへ激闘を続ける二機の近くへと黒いメンテナンス・リグが近づいて来る。
 それを見て葉霧は虚ろにまどろみかけた目を見開く。
 キャビンのガラスに小さな人影が見えたのだ。
「麻柚!!」
 自室から麻柚は出て、キャビンへと移っていたのだ。
 小さな麻柚の人影は微動だにせず、小さな琥珀色の目で青龍五式をじっと見ていた。
 胸の痛みは絶頂の極みにあったが、葉霧は奥歯を割れんばかりに食いしばり、青龍五式のブーストを作動させ、ダッシュを開始する。
 狙いは麻柚と自分の自室だ。シルク・ハットが馬鹿でも無い限り彼の言った様に麻柚一人の為にリグまで大破する様な爆薬を仕掛けはしないだろう。
 麻柚がキャビン・スペースに居る内に射撃で自室を破壊してしまえばシルク・ハットの脅迫は無効にする事が出来る。
 千載一遇のチャンスとはこの事だ。
「退け、邪魔だ!」
 麻柚との間に立ち塞がったレスヴァークへと威嚇のブレードを振り、青龍五式は黒いメンテナンス・リグの左サイドへと進み行く。
 震える手で葉霧は武器セレクターを変更した。
 刹那に残弾少ないKARASAWAが持ち上がる。
 後方カメラの中でレスヴァークが身を屈めてレーザー・キャノンの発射体勢に入る光景が見える。
「命と引き換えても、これだけは譲れない!」
 咆哮する葉霧の充血した瞳が自室のある位置をFCSサイトに収めた瞬間、青龍五式へと光の凶弾が襲い掛かった。
 焼け溶けた金属が飛沫になって散る。
 レーザー・キャノンとは明らかに違う収束された光の弾丸はリグの装甲まで達し穴を穿つ。
「シルク・ハットめ、ワザと狙いを!」
 明らかにシルク・ハットの射撃は青龍五式の右腕を狙ったらしい。
 更なる葉霧への嘲笑と共に、レスヴァークへの攻撃手段であるブレードを残させ漁夫の利を狙うつもりだ。
「ゲス野郎め、必ず殺してやるぞ・・・」
 葉霧の叫びも虚しく青龍五式はKARASAWAを持つ右腕が吹き飛び、無残にも地に膝を屈した。
 肩の付け根から先を失った青龍五式は大きくバランスを失い更に転倒寸前になる。
 だが、右脚を踏み止まらせ転倒を回避するや否や青龍五式は足元から金属の擦れ合う嫌な音を蹴立てて、ゆっくりと立ち上がった。
「諦めるものか・・・」
 掠れた喘ぎに似た呟きで葉霧は自らを奮い立たせる。
「私の生きる意味は、償いは・・・これしか無いのだ!」
 青龍五式の背中からブースト炎が吐き出され、リグへと距離を詰めていく。
 葉霧はスティックを操作して青龍五式の残った左腕のブレードをリグへと突き立てる。
「貴様の思う通りにはさせんぞ!」
 喉から絞り出す様な葉霧の叫びに呼応するかの様に青龍五式のブレードが光の奔流を吐き出す。
 左手の先から真っ赤に焼けたリグの装甲が飛び散って貫通すると、部屋に仕掛けてあった爆薬が破裂し、爆風が青龍五式へと襲い掛かった。
 これにより、シルク・ハットの葉霧への脅迫を完全に無に帰す事が出来たのだ。
 だが、当然ながら青龍五式は強烈な爆風の反動で地面へと叩き付けられる。
 葉霧は当然にこうなる事を覚悟の上の行動だったが、予想外に機体へとダメージが伝わり、最も酷使し脆弱な間接保持の細い脚部が吹き飛ぶ。
「ここだ。今しか無い!」
 ラスティもまた、この僅かなチャンスを見逃さず、レスヴァークのキャノンが照射を始める。
 だが、レーザー・キャノンの銃口は青龍五式に向けられてはいなかった。
 ラスティの狙いは眼前に伏した青龍五式では無く、反対側の遠く離れた崖であった。
 白く眩い光の奔流が次々と崖へと放たれる。
 容赦の無い連続発射は崖の端を焼き溶かして貫通すると、その後ろに隠れていた砂漠迷彩のA・Cへ爆裂を伴い襲い掛かった。
 迷彩色のA・Cはレーザー・キャノンの照射の中をブーストで逃げようと左へとダッシュを開始する。
「逃がしはしない・・・何より時間が惜しいからな」
 そう言ったラスティの視線は血の様な赤をしている。
 紅の瞳にはデジタルタイマーの緑の光が地下都市標準時刻2時半だけを映している。
「俺の進む足を止めた償いだ・・・死ね」
 冷酷無比な響きでラスティは呟く。
 レスヴァークは立ち上がって渾身の力を振るうかの様にブレードを空に一閃した。
 錆色の左腕から激しい閃光が放たれ、周囲が轟音に包まれる。
 閃光は凄まじい勢いで崖の方向へと飛ぶ。
 レスヴァークの腕から放たれた光波の様な物は狙い誤る事無く迷彩A・Cを捉えて弾ける。
 瞬間、同時にレスヴァークの背後から、激しい光の束の連射が放たれた。
 レスヴァークの後ろで地に伏したまま上体を反らし、青龍五式が残った左手でKARASAWAを握っている。
 本来、射撃用にセッティングされていない左手の上、殆ど盲射に近い形で放たれたKARASAWAは殆どが在らぬ方向へと照射されるが、葉霧の執念故か僥倖にも数発が迷彩の装甲へと黒い穴を穿つ。
「こんな馬鹿な、全て私が有利だった筈!」
 シルク・ハットのノイズに掠れた声が葉霧の通信機から流れた。
「スナイパーとして、たった一つのミスが・・・」
 続いて爆音と共に潰れる様な断末魔。
 それがシルク・ハット最後の言葉となった。
 一斉に強烈な攻撃を食らった遠方の迷彩A・Cは機体から激しい炎を吹き上げ仰け反る。
 轟火に包まれて機体のシルエットは歪んで見えるが、それは紛れも無くシルク・ハットの乗るメトロノームであった。
「地獄へ・・・落ち・・・ろ」
 葉霧は精根尽き果て意識を失う。
 青龍五式も、その主と同じく操る糸が切れたマリオネットの様に完全に地に伏す。
 同時にメトロノームが炎に包まれながら横転して熱気で揺らぐ空へと己のパーツを振りまきながら濃い砂煙と共に爆発した。
 こうなってしまっては堅牢を誇るA・Cのコアに塔乗していると言えど万に一つもシルク・ハットの生存の可能性は無いだろう。
 シルク・ハットはコアの中で、恐らく人間の原形すら留めぬ醜い屍と化しているに違いない。
「俺は、お前の迂闊な発砲を待っていたんだ・・・」
 ラスティは爆裂するメトロノームを見ながら無慈悲な声で小さく呟く。
 敵が仲間割れをする事はコンテナ群を抜けて列車へ向かう時、葉霧の追い討ちが自機に向けられなかった事で彼は分かったのだ。
 後は自分が狙撃されぬ位置をキープしていれば、敵の狙撃A・Cが邪魔になった仲間を撃つ。
 放った攻撃から狙撃A・Cの位置は掴める筈である。
「・・・俺はこれを狙っていた」
 無残な姿で地に伏した青龍五式を黒い瞳に宿し、ラスティは抑揚の無い乾いた口調で静かに言った。
 炎の赤を冷たい機体へと鈍く宿らせたレスヴァークだけが累々と横たわる残骸の中に立っている。
 燃え盛るメトロノームの残骸がラスティの憂いだ瞳を同じ様に赤く照らしていた・・・



 事後処理を現場へと駆けつけたリガ・インペリアル・アバロン・バレー支社のガードに引継ぎ、ラスティは報酬である都市への立ち入り許可申請へと向かう。
 入都市管理局の厳重な身体検査と資格審査を受け、漸く許可が下りたのは都市標準時間で午後三時だった。
 黒い壁掛け時計を横目で見ながら、ラスティは早足で入都市管理局の回転扉を潜り、都市の内側へ出るなり片手を軽く挙げて黒塗りのタクシーを拾う。
「北ブロックのセントラル公園まで行ってくれ、出来るだけ急いで欲しい」
 ラスティはIDカードをドライバーに手渡して先にチップを支払う。『急げ』との催促だ。
「済みませんね旦那」
 上機嫌で白人のドライバーは携帯端末でカードからコームを引き落とし、タクシーは矢の様な速度で都市中心部へと走り出した。
 ドライバーから返されたラスティのカードはレイヴンの持つ艶の無い黒のカードでは無く旅行者用の薄い銀色のIDカードだ。
 他都市のレイヴンのカードなど、この街では胡散臭く思われ手間取るだけの物でしか無いだろう。
 これもリガ・インペリアルの報酬のお陰だ。余程悪徳なドライバーでも無い限り、ラスティの希望通りに急いでくれるだろう。
 恐らく一時間もあれば目的地に到着するに違い無い。
 ラスティにとって更に幸いなのは連立都市などと違い、アバロン・バレーは交通管理が完璧に近く渋滞などが極めて希な事だ。
 実際、タクシーのスピードメーターは時速80キロを指していた。
 薄いグリーンをしたサイド・ガラスから見える、白いガードレールが一本の線の様に流れて行く。
 やがて市街へと車が近づくにつれ、彼にとって見覚えのある懐かしい風景がガラス越しに広がってきた。
 整然と並んだ並木やレンガを模したフェロクリートの歩道。どれもがラスティの住むリガ・シティのスラムとは懸け離れ、端正な造りの町並みを見せる。
 ラスティは黒い瞳に映るガラスに反射する自分の顔と街を照らし合せて小さな溜め息を吐いた。
 この街は帰ってきた懐かしさよりも、今のラスティにとっては何故かしら居心地の悪い場所に思えてならなかったのだ。
『まだ、この街に受け入れられる資格は俺に無いらしいな・・・』
 流れる景色から目を背ける様にラスティは深く目を閉じて黒い合皮のシートへ深々と身を沈める。
 ラジオからは駅周辺のテロリスト騒動が治まった事と、未だ砲火を交える空港のニュースが流れていた。
 その事だけがラスティにとって酷く身近な事に思われてならない。
 己に染み付いたレイヴンとしての感覚を振り払う様にラスティは首を横に振る。
『せめて今は、彼女の前でだけは、俺はレイヴンで居たくない』
 そう思って、手の中にある銀の指輪とカードを黒い瞳にラスティは映す。
 その二つは彼にとって身近にあるのに、自分とは何故か遠い世界から遣って来た物に思え、ラスティは憂いだ表情になる。
 自分が今はレイヴンだと言う事が他の誰に知られたとしても、彼女だけには知られたくは無い。
 街に受け入れられる資格の無い自分でも、今一時だけ、彼女の前だけは昔の自分で居たかった。
 そんなラスティの複雑な想いを置き去りに、車は都心部を駆け抜け、ひたすらに郊外にある約束の土地へと急いでいた・・・ 。


 約束の場所には咲き誇っていた花は一輪も無く、今は只、下草の薄い緑だけが一面に広がっていた。
 肌寒い風が吹き抜け、その中に立つフィオを撫でる。
 彼女は肩のストールを首元に手繰り寄せ、遠くオレンジに霞む暮れて行く空を見上げた。
『寒い・・・』
 細い両腕で凍える様にフィオは俯く。
 数年の間、僅かな希望に縋って生きてきた自分の支えが崩れる瞬間が、刻一刻と迫って来ている実感が冷えてきた風と一緒に伝わって来る感覚が切々と彼女には感じられた。
『彼はもう居ない・・・やっぱり事故で・・・』
 辛い現実としてそれを受け止めるべく、顔を上げた先に公園の入り口が映る。
 もう何度目かになる誰も居ない光景が、潤んだフィオの瞳に映った。
 今は既に陽が傾いており、丁度公園の入り口を逆光で赤とオレンジ色に翳らせている。
 悲しく項垂れた白い首も、艶やかな金髪も周囲と溶け合う色に染められていた。
『最後に、もう一度だけ逢いたかった・・・』
 一粒、零れ落ちた涙が下草に落ち露になる。
 涙を抑える様にフィオが空を見上げると、陽の光は一層強くなり、今日が終わってしまう事を彼女へと無情に伝えていた。
『でも信じたくない。信じられない』
 フィオはそう強く思ったが時間がそれを許さない。
 陽が沈めば郊外とは言え、人気の無い公園は少女には危険過ぎる。
 もしもの事が自分にあれば、彼女にとって残った家族や友達までも悲しませてしまう事をフィオは良く分かっていた。
『これで貴方が居なければ、私は行くわ・・・そして全部忘れる』
 ゆっくりと暮れ行く空を見上げていたフィオの視線が下がり最後に、もう一度だけ公園の入り口を見ようと潤んだ瞳をそちらに向ける。
 相変わらずの強い光が入り口を照らしている。
 だが、一つだけ今までと違うのは、その先に黒い染みの様な人影が揺らいでいたのだ。
「あ・・・!」
 フィオの唇から驚きと喜びの声が漏れる。
 人影は酷く疲れた様な足取りだったが、こちらに向かって確実に歩いて来ていた。
 涙が零れそうな目を細めてフィオが眩しい陽の光を抑えて見た先には青年のシルエットが浮かぶ。
 それは長年彼と一緒に居た彼女だけに分かる、ほんの少し左肩が下がった癖のある歩き方。
 間違いなくフィオが想い続けた彼の物だ。
「《クリス》・・・なの?」
 フィオの唇が小さく彼の名を呼んだ時、黒い輪郭は少し立ち止まって彼女へと顔を上げる。
 それを見て、想い余ったフィオが黒い輪郭に駆け寄って行く。
 シルクの裾が揺れて波打ち、踏み出す一足ごとに彼への想いが募って白い手から薔薇の花束が滑り落ちた。
「クリス!」
 もう一度、フィオが駆けながら彼の名を大きく呼んだ時、彼も再び彼女に向かって足を踏み出す。
 徐々に彼の姿が涙で潤んだフィオの目にも見える様になって行く。
 彼は今も変らぬ黒い髪と同じ色の瞳をしていた。
 白いヒールに足を取られながらフィオは思う。
『信じていて良かった。生きていてくれて良かった』
 二人の距離が数年の時を埋めるかの様に近づいて、夕日に照らされた長い影が一つになった。
 フィオは彼の背を離れぬ様に強く抱く。  
「済まない、今まで何も連絡しないで・・・」
 彼が静かにそう呟いた。《ラスティ》ではなく《クリス》と呼ばれた青年が。
 黒いベロアに包まれた彼の胸の中でフィオはそれを聞き何度も強く首を振る。
「生きてるって信じてた。死んでないって思ってた」
 鳴咽の合間にフィオは絞り出す様に返事をするが、感極まって彼女は堰切って泣き出してしまう。
「俺も、君がそう信じてると思っていた」
 そう言った彼の手は涙を流す彼女の背中に回され、優しく抱擁するかに思われたが、強く拳を握って宙で止まる。
「フィオ、聞いて欲しい・・・」
 彼の腕は泣き続けるフィオの華奢な両肩を掴んで、胸に顔を埋める彼女の身体を放す。
「俺は今日の最終でアバロン・バレーを出る」
 涙で濡れたフィオのグリーンの瞳に初めて彼の顔が間近に映っている。
 見上げた先にあった彼の変らぬ黒い瞳の奥は、酷く悲し気に沈んでいた。
「これが俺に守れる最後の約束・・・だからここに来た」
 彼の手が静かに彼女の右手を取り、そこに銀の指輪を乗せる。
 フィオの白い手の中で、小さなアクアマリンが夕日に照らされて薄い紫色に反射していた。
「ここに止まっている資格は今の俺には無い。同じ様に君と一緒に居る権利も俺には無いんだ」
 彼は悲痛な口調で足元の長く伸びた二人の影の先を見る様に俯いて言葉を繋ぐ。
 フィオは涙で潤んだ視界に彼の項垂れた黒い髪を映しながら声を掛けようとして口篭もる。
 彼女にはただ《資格》や《権利》と言った彼の言葉の響きの重さが小さな胸に強く伝わってきた。
 彼は下を向いたまま悲痛な口調で言葉を繋ぐ。
「この街では俺の戸籍も無いし、恐らく抹消されているだろう・・・」
 その言葉にフィオは彼の言う事が少し分かった様な気がして安堵した。
 ようやく彼女は平静を幾分取り戻すと、左手で涙を拭いながら彼に答える。
「それならきっと大丈夫よ、クリスは現に生きてるし都市に申請すれば・・・」
 その返答に彼は力無く首を横に振って否定する。
「申請は出来ない。すれば命を狙われ続ける」
 彼の戸籍を抹消したムラクモ・ミレニアムは既に、この世から消滅していたが、それを受理したのは間違いなくアバロン・バレー都市管理局だ。
 過去の汚点を認め、素直に彼の戸籍を戻す事は万に一つも有り得ないだろう。余程に上手く世論を味方にしない限り都市側は確実に事を隠す為、彼を抹殺して真実に土を被せる事は必定な上、真相を知る彼の周囲の人間にも何かしらの手を下すに違い無い。
「俺は・・・《クリス・ガードナー》は、この世に居る事すら、今は許されない人間なんだ」
「どうしてそんな事に・・・」
 そのフィオの問いに彼は無言で俯いたままだ。
 これ以上、彼女に説明する事は危険だし、何よりも彼にとって耐え難いのは自分が今はレイヴンであり、まともな人間ですら無い事が知られてしまうからだ。
 これだけは彼女を大切に想うが故に、彼には伝える事は出来ない事だった。
「出来れば俺の事は忘れて欲しい。その方が君は幸せになれる」
 そう呟いて彼はフィオから一歩遠ざかった。
「そんな事、出来るわけない!」
 フィオは彼に向かって確かな足取りで近づく。
「駄目だ。俺には資格が無い」
「資格って何?、どうしてそんな物がいるの?」
 彼は俯き深く目を閉じて、フィオを拒む様に背中を向ける。
 本当の事を全て伝える事の出来ない彼のもどかしさが心の中で暗い渦になっていた。
「分かって欲しい・・・俺は君と一緒に生きていられる人間じゃ無いんだ!」
 彼は初めて強い口調でフィオに向かって言った。
「さよなら・・・ここへは二度と来ない」
 背中越しに小さく一つ言い残し、彼は駆け出した。
「クリス!」
 フィオは、その後を追おうとしたが長いスカートが足に絡んで思うように前へ進めない。
 彼女には崩れる様に、その場に膝を着いて泣く事しか出来なかった。
「どうして・・・やっと逢えたのに」
 フィオにとって、この結末は悲し過ぎた。
 彼が死んでいて、ここに来なければ本当に全てを忘れる事が出来たかも知れない。
 ずっと信じていた様に彼が生きていて、再会を喜び合い共に帰れるならば最高だったろう。
 だが、現実はその両方の辛い面ばかりが事実として重く彼女に圧し掛かっただけに終わったのだ。
 フィオの手の中の指輪が冷えた感覚が、それを彼女へと痛い位に伝えている。
 凍えた風に乗って白い薔薇の花が一片、そっと彼女の手のひらに落ち、偽りの夕日が静かに沈んだ・・・


 アバロン・バレー駅のプラット・フォームは先程までの混雑が嘘の様に静まり返っていた。
 長いトンネル状の都市出口からは幽かに地上が垣間見え、くすんだ色の空に本当の星空が瞬く。
 テロにより空港、駅の両方を封鎖されていた関係上、今まで周辺駅で停車していた貨物列車が一気に集中した為の混雑だったのだが、今は全て積み荷を下ろし、明日の出発に向け整然と列車が並んでいる。
 夜明けには、補給所に足止めされていた列車の集中で先程以上の賑わいに駅は包まれるに違いない。
 プラットホームは明日に向けていつもより整然としており酷く冷たい印象を周囲に放っている。
 その一番端のスポットには線路は伸びておらず、荒れた地面がそのままの状態の場所があった。
 そこには、見るからに適当な応急修理を施された漆黒のメンテナンス・リグが止められている。
「さて・・・行くか」
 男の声と共にコンクリートへ無機質な音が響く。
 左手に持つ朱塗りの鞘を杖にして、葉霧はホームを歩き出した。
 その傍らには愛らしい子供の麻柚が居る。
「葉霧、次はどこへ行くの?」
 急遽リグに貼り付けられたと思しき鈍いジュラルミンの照り返しを見上げながら麻柚が言った。
「テトラ連立都市へ行く。そこに有名な気功師が居るらしい」
「気功師?」
 葉霧は麻柚の小さな頭に、そっと右手を乗せて優しい口調で素直な疑問に答えた。
「医者みたいな者達の事だ。どんな病気でも治せると評判らしい」
 葉霧はそう言っては見たものの、心中では気功などと言う迷信じみた行為を信じてはいない。
 だが、今の葉霧はそれに頼るしか無かった。
「葉霧・・・治るの?」
 麻柚は葉霧の不安と不信心を見通すかの様に心配そうに彼を見つめる。
「分からないが、私には他に手は無いだろうな」
 現代医学では心臓のクローン移植しか葉霧を元に戻す手段は残されてはいない。
 しかしアイザック・シティ周辺都市では医学倫理協定などでそれは許されない行為なのだ。
 金を積んで闇医者にやらせる手はあるのだが、信頼性は格段に落ちしまう為、麻柚を残して詰まらない死に方が出来ない葉霧が選ぶ方法では無い。
 それ故の連立都市へ行く決断だった。
『十六番スポットのメンテナンス・リグは速やかに発車して下さい』
 割れた響きの場内のアナウンスが流れる。
 葉霧は頭上の拡声器を見上げて無言で頷くと、自然と傍らの麻柚の右手を取った。
 それは、彼にとって複雑な気持ちを呼び起こさせる彼女の小さな手だ。
 麻柚が葉霧へと屈託の無い笑みを浮かべる。
 それを見た葉霧は今まで避けていた何かに初めて正面から向き合った気がした。
「行こうか・・・」
 葉霧は優しく麻柚の手を握る。
 据え付けられたスチールのタラップを二人は昇り始めた。
 メンテナンス・リグのキャビンに灯が燈り、ジェネレイターの低い起動音が響く。
 再び流れたアナウンスに急かされる様にして、新たにオーナーの変った漆黒のメンテナンス・リグは地上への出口に向かって動き出す。
 やがてリグは白い蒸気を起てながら、星空が迎える出口へと消えていった。
 その場内の反対側には一台の列車が止められていた。
 最後尾のコンテナは所々に被弾した黒い穴と焼け焦げがある緑色をしており半ばハッチが開いている。
 中には薄明かりに照らされた錆色のA・Cが身を屈め、その前に一人の青年が立っていた。
 それは、このアバロン・バレーで自分の成すべき事を全て終えた《ラスティ》である。
 ラスティは駅構内のオートマシンがA・Cを積み込む作業を見るでは無く、駅の改札出口から僅かに見える街の灯かりを憂いだ表情で眺めている。
「俺は《クリス・ガードナー》として、ここには二度と戻らない・・・」
 それだけ言うと、ラスティはベンチの角に立てたスーツケースへと足を向けた。
 俯いて肩を落としながら取っ手に手を掛ける。
 既に普通の乗客は客室車両に乗り込んだ後で、積み荷同然の扱いであるラスティが最後にホームに残っていたのだ。
 ラスティは一つ溜め息を吐いた。
 嫌が応にも自分がレイヴンである事を再認識してしまったからである。
「やはりレイヴンだけは嫌だ・・・な」
 そう呟いた時、彼に向かって走って来る姿があった。
「クリス!」
 自分の名を不意に呼ばれたラスティは愕然となって声のする方向へと顔を向ける。
「フィオ・・・か?」
 その見開かれた視線の先には、間違いなくこちらへと駆け寄るフィオがいた。
 彼女から目を反らす様にしてラスティはスーツケースの前で凍り付いた様に動きを止める。
 ラスティの心に暗い影が落ちた。最悪の場合、このままでは彼女には絶対に知られたくない自分の姿を見せる事になるからだ。
「どうして来たんだ?」
 白い息を弾ませながら、傍らに立った彼女に向け、悲しく吐き捨てる様にラスティは言う。
「貴方が《今日の最終で帰る》って言ったから。きっとここだと思ったの・・・」
 ラスティは渋面で自分の言った事を悔やんだ。空港はテロによって未だ占拠されている。今日、この街から出るには駅しか無い。
 フィオがそれに気付いて追いかけるであろう事を予測出来なかった彼のミスだ。
「俺の事は忘れろと言った筈だ」
 冷たい目でラスティはフィオを見る。
「そんな・・・私、ずっと信じて貴方を待ってたのよ・・・忘れるなんて出来ない」
 縋る様な彼女の視線がラスティには例えようもなく痛かった。
 ゆっくりと彼の後ろで貨物車両の緑のハッチが閉じていく軋んだ音が構内に反響している。
「俺では駄目なんだ。分かって欲しい」
 ラスティにとって彼女へ向けるこの言葉は血を吐くのと同じ位に苦しい事に感じられた。
「私の事が嫌いになったの?・・・」
 ハッチが閉じた事を示す蒸気の抜ける煙った音が、二人の沈黙を埋める様に起つ。
 俯いて小さくなったフィオにラスティは自分を諦めさせる為に《そうだ》と、ここで言わなければならないのは分かっていた。
 今、ここで優しい言葉をフィオに投げる事が一番残酷な行為だともラスティは思う。
 だが、彼の口からは単純なその一言が出ない。
 レイヴンという世界の嘘の中で今まで生き抜いて来たラスティも、彼女だけには心からの嘘を吐く事が出来なかったのだ。
 ラスティの心に葛藤が渦巻く。
『心までプラスとして機械になれたらば・・・』
 と、ラスティはプラスになって初めて思った。
 冷徹な機械ならば、苦しむ事はないだろう。
「そう言う意味じゃないんだ・・・フィオが嫌いなら・・・俺も辛い想いはしない」
 変りに心から沸いて来て口にしたのは、彼にとっても彼女にとっても残酷なこの言葉だった。
 その言葉に萎れていたフィオの顔が上がってラスティを見つめる。
 構内に発車を告げるベルが鳴り響いた。
 間も無く列車が出てしまう。別れの時は無情にも二人に確実に近づいて来ている。
「じゃあ、クリスの言ってた《資格》が大事なの?」
 ラスティは心に刺さった棘に苦しむ様に、無言で静かに頷いた。
「資格って何?、好きな人と一緒に居る事にそんな物がどうしているの?」
 続けてフィオは涙声で強く言う。
「私は貴方が好きなのよ。貴方の立場や地位なんかどうでもいいの・・・クリスは私の立場が好きなの?」
 悲痛な表情を浮かべ、ラスティは答えに詰まる。
 だが、フィオだけには真実を話せない。
「私、貴方と一緒に行くわ」
「駄目だ、馬鹿を言うな!」
 ラスティは即座に強く言い切る。
「貴方がどんな事をしていてもいい・・・私を好きでいてくれる限り側にいたいの」
 フィオの真摯な視線がラスティの心を締め付けて行く。真実を全て打ち明けてしまいたい衝動が寸前まで込み上げてラスティの足が一歩前へと出るが、彼は大きく首を振り何とか自分を制した。
 再びアナウンスが流れ、発車のベルが鳴る。
 ラスティは焦れた。このままでは知られたく無い事実を一つ彼女に知られてしまう。
「おい《レイヴン》発車するぜ!」
 中程の客室車両の方から太った黒人の車掌がラスティに向かって叫んだ。
 ラスティは、フィオに自分がレイヴンである事を隠したい一心で、それを無視した。
 ベルが鳴り止み、客室車両のドアが閉じる。
「聞いてんのか、さっさとA・Cと一緒に乗れ!」
 フィオの視線はラスティと車掌の方を行ったり来たりして、驚愕の表情を浮かべている。
「どういう事なの・・・?」
 戸惑いながらフィオは彼みつめる。
 もう発車の刻が目の前に近づいていた。
 最早、ラスティはフィオに隠し通す事が出来ない事を悟り、張り詰めていた糸が切れた様に肩を落として落胆した。
「君にだけは知られたくなかった・・・・」
 ラスティはフィオの瞳を見つめながら、憂いを深く湛えた目で小さく呟いた。
 フィオは、そんな彼の瞳に幽かに潤んで映る自分の姿に今、彼の心が慟哭している事に気付く。
 全てを諦めた者特有の、酷く穏やかな表情でラスティはフィオの視線から逃れる為に静かに目を伏せる。
 そしてスーツケースを持ち上げると、フィオに背を向けラスティは客室では無く貨物車両へと歩き出す。
「そんな・・・」
 世間知らずなフィオも流石にレイヴンと言う職業がどんな物かは僅かには知っていた。
『企業使い捨ての傭兵達』とハイスクールでは教えてくれた。
『汚い裏切りを平気でする輩』とテレビの評論家は声を荒げていた。
『金次第で人も殺す危険な人達』と母親は言った。
 フィオも実際に彼らを直に見た事は無かったが、命を金で売り買いする事に嫌悪感を抱かずにはおれない存在だった。
 それを目の前の彼が生業にしている・・・。
 フィオは呆然と貨物車両に荷物を投げ込む彼を見て軽い放心状態になった。
 車掌の薄い闇を裂く様な高い音で笛が吹かれ、列車は緩慢に車輪を回して走り出す。
 それに我を取り戻したかの様に、フィオが貨物車両の元へと駆け寄ってドアの前へと辿り着く。
 そこにはドアに背を向け、彼女を避ける様に後ろ手にドアノブを握るラスティが居た。
「俺を見ないでくれ・・・そして忘れて欲しい」
 その言葉にフィオは何度も首を振った。
 次第に列車の速度が増し、彼女が早足になる。
 フィオは涙の滲んだ目でラスティを見る。
「さよなら」
 暗い車内でラスティは、そう一言だけ告げるとドアを静かに閉じる。
「ずっと待ってるから!」
 貨物車両の厚いドア越しに、息を荒げたフィオが叫ぶのが強化人間のラスティには聞こえた。
 その事実が一層に彼を苦しめる。
「やはり俺は、ここに戻るべきではなかった・・・普通に生きる資格の無い今の俺は、レイヴンでしかなかったんだ・・・分かっていたのに」
 ドアに背を預けていたラスティは、ずり落ちる様にして冷たい床に座り込む。
 力無く下げられたラスティの手に何かが触れた。
 黒い瞳だけを動かしてラスティが見ると、鈍い鉄色のフロアには、何時の間にか小さな赤い髪留めが落ちている。
「フィオ・・・」
 ラスティの見覚えのあるそれはフィオの髪留めだ。
 複雑な想いでラスティは、それを拾うと身を縮める様に膝を抱えて蹲る。
 列車はトンネルを抜け、掠れた色の星が瞬く地上へと汽笛を鳴らして走り行く。
 その姿が灰色の点になっても、ホームの端では金髪の少女が、強い風に吹かれながら跪いて止めど無く涙を流し、遠く去り行く列車を何時までも見送っている。
 彼女の左の薬指に通された銀の指輪の蒼い宝石が哀しそうに凍えていた・・・。  
                       



『MISSION 10 完』


BACK