ARMORED・CORE CRIME OF DAYSCANNER 



 MISSION 16 〜テトラ連立都市〜


 空港の管理局には着陸した旅客機の乗客が殺到していた。
 人々は慌しくパスポートとビザを手に係員の居るブースへと歩み行く。
 その人々の波に圧される様にして少女が一人歩いていた。
 プラチナ色の長い金髪と、陶器の様に白い肌をしたその少女は俯いて人々と同じくブースを目指す。両手で持ったボストンバッグは真新しく彼女が旅なれていない事を示していた。
 管理局ブースへと延びる順番待ちの列の最後尾へたどり着くと、ようやく少女は頬にかかる髪を気にしながら顔をあげ、そして希望と不安が半分ずつ同居する様な控えめな足取りで進んだ。
 定刻より二時間も送れて着陸した旅客機の乗客は皆急ぎ足だ。ブースの前は、そわそわとしきりに腕時計を睨む者達が目につく。
 係員が手馴れていたのか、些かの遅滞もなくして少女の番がやってきた。
 小さな頭がおずおずと慣れない様子で、ガラス張りの入都市管理ゲートをくぐる。
「アバロン・バレーからお越しの《フィオリエ・ベレック》さんですね。連立都市へは留学目的で宜しいですか?」
 金髪の少女から手渡されたパスポートを見てブースの中の空港係官が声をかける。
「はい。《リガ・セントラル ・ユニバーシティ》へ入学します」
 フィオリエと呼ばれた少女は、やや緊張の面持ちでそう答えた。
 係官はその言葉を聞いて、かなり慣れた手つきでパスポートに判子を押す。
「ようこそテトラ連立都市へ」
 眼鏡をかけた細面の空港の係員は、フィオリエにパスポートを返して微笑んだ。
 フィオリエはパスポートを受け取り、大切に薄手のジャケットの内ポケットに仕舞うとボストンバッグを肩にかけてトランクの受け取り場を目指す。
 空港施設に明るい日差しが差込み、天井が眩しく彼女を照らした。
「この街に、貴方が居るのね・・・」
 日差しに目を細めながら、始めて見る外の景色を見つつフィオリエは呟く。
 彼女がこの数ヶ月、待ちに待った連立都市の到着は予定より更に二時間も遅れた。
 空港を攻撃するとのテロリストからの脅迫で着陸が遅れた為である。地上の滑走路を飛行機が着陸した際に、破壊されたACらしき残骸がブルドーザーで脇に避けられている凄惨な光景も目にした。
 たぶん何人かは死んでいるし、怪我人も多く出たに違いない。
『フィオ…アヴァロン・バレーと連立都市の治安はかなり違う。気をつけなさい』
 彼女の愛称を呼ぶ父の声が耳の奥に蘇る。
『大丈夫ですお父様。きっと彼を見つけます』
 フィオは左手の薬指の純銀の指輪を右手で包み、自分を励ます様に頷く。
 そう言葉にしてはみたものの彼女は内心では不安だった。
 この都市でフィオリエは頼る人は皆無で知り合いすら居ない。
 一からこの連立都市で生活を始めなくてはならないからだ。
『心細い』
 そんな事を感じるのも18才の少女には仕方のない事と言えるだろう。
 フィオは不安を忘れる様に、ふるふると首を左右に振ると、荷物の受け取りターンテーブルから自分のトランクを見つけ、カートに載せて出口を目指す。
 空港の出口にはタクシーが数台並び、大型のバスが行きかっていた。
 人工の空から太陽の日差しが眩いばかりに彼女に降り注いだ。
 フィオは空港を一歩出た矢先に、自分の生まれ育ったアヴァロン・バレーとの格差に驚く。田舎都市とは知っていたが、空港の規模や道路の広さなどは比べるべくもなく狭く、やや閑散とした印象をフィオリエに与えた。
 世界首都ともいえる《アイザック・シティ》などの過密地帯になると都市の上方にも建造物があり、この様な開放感などなく息苦しさすら感じさせる位だ。
『これならすぐ彼が見つかるのかも…』
 淡い期待がフィオの小さな願いを秘めた胸を焦がす。
 連立都市の大学に進学を決めたのは、彼…フィオにとって掛け替えのない想い人の《クリス・ガードナー》を探す為だ。
 彼女の成績から二つも大学のランクを下げ、ここへ来たのだ。
 飛行機事故で数年前に世間的には死んだともされていた彼であったが、フィオは少し前に生存していた彼と再会を果たしていた。
 彼は間違いなく生きており、この連立都市に住んでいる。
 何故かは分からないけれど《レイヴン》と呼ばれる最低の職業傭兵として…
 それが、その時に分かった今の彼の全てだ。
 フィオは彼との短い再会の後に、すぐにでも連立都市へと飛んで行きたかったが両親と受験がそれを許さなかった。
 だが、その全てを克服して彼女はここに立っている。
 フィオは胸いっぱいに連立都市の空気を吸い込む。不安よりも喜び。心配よりも希望が辛うじて身体に満ちてくる気がした。
『すぐ隣に彼が居ても、ここでは不思議じゃない』
 そう考えると、心の中に花が咲いた様に幸せな気持ちになる。
 彼女は駆け足になりそうな気持ちを抑えて、明るい日差しの中、空港の石畳の道を一歩、また一歩としっかりと前を見て歩き出す。
 例え肩の荷物が重くとも、その歩みは遅くても、この一歩は彼へと確実に近づいて行くのだと疑わず、そして何より心から信じて。
 日差しの中を少女が、自分の短い影を踏みつける様にして歩いていく。
 連立都市の青い空は、そんな彼女の到来を祝福するかの様に輝いていた・・・


 暗く広い構内には、ほぼスクラップと化したACが三機並んでいる。全機、手足が脱落しており、五体満足なACは一機としてない。
 無惨なそれらを前にして三人の人影が小さな常夜灯に照らされていた。
 暗い格納庫に紫煙が漂い揺れる。
 煙草の吸殻を一人の男が指で壁に弾き、暗がりに火の粉が散る。
「《ケイ隊長》、それ誰が掃除すると思ってるんですか?」
 一人の若い整備士が吸殻を投げた男へと食ってかかった。
「次からは気をつけるさ」
 濃い茶色の髪を掻き揚げて注意されたケイという男が呟く。
「同じ事を一昨日も聞きましたけれどね」
 若い整備士は不機嫌そうに、白い軍手で吸殻を拾うとラジエターの廃液が満ちた大きなドラム缶の中へと捨てる。
「申し訳ありません。《奴》を連れ戻す任務は失敗でした」
 ケイ隊長の前には、もう一人、金髪の男が神妙に頭を項垂れて立っていた。その表情は疲れきり、隈に縁取られた目を開けているのさえ辛そうに見える。
「ご苦労だったな」
 ケイは再び煙草の箱を懐から取り出すと、口に咥えながら答えた。
 若い整備士はそのチェーンスモークを横目で睨む。
「で、損害の方は?」
 ケイはその視線を意に介した様子もなく、若い整備士へと問う。
「《オー・ド・シェル》と《バレンタイン》はコア以外はもうダメですね。修理する手間を考えたら四肢はパーツごとの交換の方が早いです」
 若い整備士は不遜な口調で答えると、整備帽を脱いで、再び迫り来るだろう嫌な煙に備えた。
「修理と整備は《アーネスト整備主任》のチームに任せよう」
 ケイ隊長は黒い制服の襟元を煩わしそうに開襟すると、煙草に再び火を着けて金髪の男の肩に軽く手を置く。
「《ゼファー小隊長》上への報告は俺に任せろ」
 金髪の男、ゼファー小隊長が項垂れて力なく頷く。
「処刑も覚悟しておりますが…部下には何卒、穏便な処置を願います」
 ゼファーは任務の失敗を厳粛に受け止めていた。先日、デス・レースに出場した組織の脱走者を彼の小隊は取り逃したのだ。
 ここ《連立都市レイヴンズ・ネスト》では重要任務の失敗は処刑措置が日常で行われている。更にネストより貸与された機体を完膚なきまで破壊された事が、彼の高いプライドを著しく傷つけていた。
 ケイ隊長はゼファーを見下ろす様にして、もう一度無言で肩を叩く。腕まくりした腕は太く鍛え抜かれた格闘家を思わせた。
 常夜灯の小さな光源では分かり難いが、咥え煙草の表情が僅かに緩んで見える。
「任せろ。お前は少し真面目過ぎるぞ…ウチの隊の《アクセル》も任務に参加していた手前、俺にも人選面で責任がないとは言い切れない」
 ケイ隊長の温情の言葉に、再びゼファーは更に重い屈辱に頭を垂れる。
「アクセル君の《ライオット》は装甲と武装メンテで済みそうですよ。さすがは重装甲の上に特殊ラテックス・コーティング装甲は堅牢ですね」
 整備主任のアーネストはそう言いながら、帽子を団扇の様にして扇ぎつつ煙草の煙から逃れる。咳払いをしてケイへと無言の警告も同時に発した。
 ケイはそれも意に解する事無く、薄暗い格納庫へ紫煙を吐いた。
「アーネスト主任も時間外に呼び立てて済まなかったな」
 深く目を閉じ、ケイ隊長は労いの言葉を口にする。
「いいえ。隊長こそ、お疲れ様です」
 アーネストは多分に義理を含んだ口調でそう言うと、そそくさと振り向いて半開きの出口があるシャッターへと向かって歩き出した。
「これほどの力があるとは…《ジルコニア》も傑作品を残した物だ」
 ケイは破壊されたAC達を見上げて呟く。
 ゼファーには彼の言葉の意味がよく理解出来なかったが、首を横に振りながら乱れた制服の襟元を正す。
「奴はライフルと小型ミサイルのみの武装で、我々をここまでにしました」
 殆ど漆黒の闇の中で、普通の人間では影しか分からないが、ここに居る二人は特殊な視力を有している為に細部まで機体の状態が分かる。
「更に奴は我々ネストが、駆け出しのレイヴンに貸与する初期タイプのACで小隊の追撃及びバックアップ部隊をも完全に振り切りました」
 報告するゼファーの拳が強く握られて震える。
「そうか…帰ってお前も休め。じきに次の任務が言い渡される筈だ」
 ケイはそれだけ言うと踵を返して、一人格納庫へ残るゼファーに振り向く事もなく出口へと向かう。
 夜中の為に、長い廊下は僅かな光源のみに照らされ、緋色の薄いカーベットを敷いた床を穏やかに照らす。
 無機質な鉄の地肌が剥き出しになった壁に吸殻を擦り付けてケイは煙草を消すと吸殻を投げ捨てて突き当たりのエレベーターを目指した。
 エレベーターはガラス張りになっており、スイッチ類のパネルだけが、まるで宙に浮いたかの様なデザインをしていた。
 ケイが自分のカードをバネルのスリットに通すと、バネルの下部が延びて新たなスイッチが現れる。
 慣れた手付きでケイはパスを打ち込み、最下層へ降りるスイッチを押すとエレベーターは音もなくドアを閉め、急速に下降し始めた。
「つくづく思うな。下らない組織の中間管理職など俺には向いてない」
 ケイが手に持ったブラック・チタンのメッキが剥げたライターを弄びながら呟く。
 エレベーターは加速して通常の最下層を抜けると、更に下へと進んで行った。ガラスの向こうは施設内の庭を見下ろす風景から、岩肌が露出した風景へと変わり、更に一分程下降して停止した。
 ケイは無言でエレベーターのドア開放スイッチを押す。
 音も無くドアが開き、漆黒の闇が彼を歓迎するかの様に出迎えた・・・

 フィオは無人のタクシーに乗り、高速道路をリガ・シテイ市民ブロックにある連立都市大学へと向けて走っていた。
「《クリス・ガードナー》で検索を」
 端末から携帯ナーヴに情報を更新入力させて一番に彼女はこう言った。
 白い携帯が即座に2名のアドレスを表示する。
 だが、フィオはその詳細を見て落胆して肩を落とす。
 検索にかかった2名とも女性であったからだ。
 タクシーは途中のトンネルの手前で渋滞に引っ掛かった。
 渋滞自体が高度に管理された都市であるアヴァロン・バレーでは珍しい為にフィオは何事かと不安になる。更に空港で見たACの残骸を退ける光景を思い出して彼女は首を横に振った。
「大丈夫、きっとクリスはここに居る」
 サイドガラスには遥か下方に準市民が暮らすブロックが見えていた。
 車が停止している為に下の様子がよく見える。何かしらのパレードをしているのか、大通りでは人が沢山集まっていた。
 その後方に人型をした赤い巨大なロボットが見える。
「ここにもアーマード・コアが…」
 人の群れはパレードなどではなく、労働条件を改善する要求のデモであった。聞き取り難い拡声器の声が微かに風にのって聞こえてくる。
 フィオはサイドガラスに手をつく様にして彼方を見つめた。
『もしかしたら、あれにクリスが…』
 個別に機体を見分けられる程にフィオはACには詳しくない。
「もっと色々と勉強しないと。私、本当に何も知らない…」
 そうフィオが桜色の唇を噛んだ時、車が急に動き出した。
 オートで走行するタクシーは、車の波に推される様に、ゆっくりとトンネルに進み行きフィオの視界を暗く遮る。トンネルの小さなオレンジ色の照明が車内を照らしては遠ざかっていく。
 フィオは見難くなった携帯の画面と、薄いグリーンの瞳を閉じた。
「はやく逢いたい…」
 閉じた瞼から涙がこぼれた。
 大きな不安と、同じ位に大きな期待が微妙なバランスで彼女の心を揺さぶる。
 タクシーは渋滞の原因である故障車をパスすると加速を再び始めた。
 嗚咽が狭い一人乗り電動カートの車内へと響く。
 もう泣くまいとフィオは瞳をきつく閉じても、次から次へと嫌な想像が頭を巡り涙がどうしても止まらない。
 暗いトンネルは尚も続き、流れる様に隣の車線の車が追い越していく。
 その風の音を聞きながらフィオは一人、異郷の寂しさに涙した・・・

 暗闇の中、ケイは濡れた靴音を響かせながらひたすら歩く。
 周囲の空気は湿って重い。
 エレベーターを降りると洞窟の様な鍾乳洞が続いていた。
 かなり深い地下にもかかわらず人工的な石畳が敷かれ、頭上は遥かに高く中量クラスのACがブーストで上昇しても上層に辿り着くかどうかが怪しい程に高い。
 ケイが再び煙草に火を着けて歩き続け、それを一本吸い終わる頃に、ようやくドーム状の施設に到着した。
 ドーム状の建造物はさほど大きくもなく、プラネタリウムの暗室くらいだ。
 うんざりとした表情のケイがドームの前で立ち止まると、まるでパズルの様に壁面の継ぎ目が動いて、人一人が入れる位の入り口を作る。
『久しいですね』
『久しぶりだ』
『やっと来たか』
 複数の声が室内から同時に響く。老人とも女性とも聞こえる不思議な声色。
 ケイはそれに嫌悪の表情を浮かべつつドームの中へと脚を踏み入れる。
 狭い室内は薄い光に満ち、床一面にサイズがまちまちのコードが這っており足の踏み場もなかった。
 ケイは気にする事なくコードを踏みつけながら部屋の中央へと向かう。
 部屋の中央には巨大なシリンダー状の筒が七本並んでいた。
 床のコードは吸い込まれる様に全てここへ延びている。
 七本のうちの正面を向いた紫のシリンダーから老人の声がした。
『ケイ隊長よ。二週間も何処で何をしていた?』
 ケイは答えを返さずに、腰から大型の拳銃を抜いて暇そうにサイトの具合などを確認し始める。煙草も咥えたままだ。
 シリンダーが回り、二つ目の赤いシリンダーがケイの正面にロックされる。
『よもや《アレ》を見つけたのではあるまいな?』
 今度は猛々しい男の声が室内に響く。
「答える必要はない。しかし《将軍》も《賢者》もまだ生きていたか」
 ケイは大型拳銃をシリンダーへと向けて片目を閉じる。
 今にも発砲しそうな行動だがシリンダーからは失笑が沸き起こった。
『虚勢をはるな。その態度は高くつくぞえ』
 次は青いシリンダーが正面を向きカン高い老婆の声がケイを制する。
「ふん…お前たちこそ銃一丁にビビるなら俺をここへなど呼ぶな」
 ケイは如何にも面倒そうに言葉を吐き捨てる。
『ケイ隊長、あの子の引き戻しは叶わなかったとか…』
 白いシリンダーからは若い女性の声がした。
「《聖女》か…ゼファー達は予定通り失敗したとの報告を受けた。奴はかなり責任を感じている。処罰は免責してやってくれ」
 ケイは銃を腰に仕舞うと、シリンダーに向けて初めてまともに話した。
『分かりました。寛容かつ穏便に沙汰を致します』
 白いシリンダーはゆっくりと回転してケイとは反対側の位置へと収まる。
『ケイよ。早く《ゴンドラ》を始めとする大破壊前の兵器を揃えるのだ』
 《賢者》が高圧的な口調で告げた。
 ケイは鼻で笑うと手の大型拳銃を弄びはじめる。
「奴は地上へと出たらしい。可愛い子には旅をさせるのが良いと思う」
 完全に他のシリンダーを無視してケイは《聖女》と話を続ける。
『お前の妻が眠る冷凍カプセルは、そうそう容易くは戻らぬぞえ』
 真横に位置する青いシリンダーから老婆の啜り笑いが漏れる。
 その刹那、ケイはシリンダーの一本へと向かって銃を発砲した。
 狭いドーム内部に轟音が満ちる。
 対AC弾を放つケイの大型拳銃《マッド・クライシス》は軽々と緑色のシリンダーを叩き壊して室内に轟音とガラスの砕ける響かせる。
 今はバズーカーなどの性能が上がり、対AC弾を使用する銃は廃れて久しい。上下に巨大な銃口のある下側から凄まじい黒煙が立ち昇っていた。
 シリンダーは木っ端微塵に砕け散り、中から濁った茶色の溶液が流れ出る。
「《レナ》の居場所さえ分かれば、貴様らなど残らず全員こうしてやるさ」
 ケイの言葉が終わると、砕けたシリンダーから半ば白骨化した死体がずるりと崩れる様にして床へと倒れこむ。
 腐臭と硝煙の匂いが狭い室内に満ちると、再び静寂が訪れた室内を包む。
「《聖女》よ。あと残り何人だ?」
 破砕した緑のシリンダーを排出する様に切り離すと再びターレットが回り、ケイの前に再び白いシリンダーが向き合う。
『あと四人です…ここの四人を食らえば私の世界になる』
 それを聞いて他のシリンダーから不敵な忍び笑いが響いた。
『そう簡単には食われんよ』
『新参のお前に何が出来るか』と。
 口々に罵声や呪詛とも思える意味不明な言葉を次々に吐きつつ、室内がシリンダーそれぞれの眩い光で満ちて毒々しく輝く。
「あんたを無理にでも、ここに押し込んで正解だった」
 ケイは銃に弾をこめながら呟いた。
『ふ、ふ、ふ…私の世界で皆を幸せにしてみせる。私が幸せになる。老人を食べて理想の世界を紡ぐの。だから皆、死んで頂戴…私に食われて頂戴』
 狂った様に不規則にシリンダーが回転する。ケイは汚物を見るかの様な表情を浮かべて、それをじっと眺める。
 狂気を孕んだ笑い声を発しながら、狂った様にシリンダーは回転を続けた。
 これこそ連立都市ネストの意思、最高権威であるマザー・コンピュータ。
 未来を驚異的な計算力で試算し、協議してお互いを食らいあう。連立都市の行く末を導く預言者を意味する名前を持つ《プロフィット》であった。
 ケイは一言も発する事なく出口を潜ると、元来た鍾乳洞を進み行く。
 そしてふと、立ち止まると虚空を見上げて呟いた。
「いずれここもアイザックと同じ運命になるだろうな…」
 ケイの呟きに返事はなく、背後からは既に絶叫になった嬌声が響く。
「その前にお前を…必ず見つけだしてやる」
 彼の分厚い唇が愛しい妻の名を呟く。
 暗闇の道を見つめるケイの茶色の瞳が憂いの色に満ちた・・・

 フィオが寮に到着したのは街の空気が少し寂しくなった、暮れかかる頃だった。
 寮母さんに挨拶を済まし、二階に用意された部屋の前にフィオは立つ。
 廊下は小奇麗で、監視カメラとセンサーが設置されている。ドアがオートロックなのは当然として、入寮にもカードが必要なのがフィオを更に安堵させた。
 後で知った事がここは連立都市大学の中でも最高の女子寮なのだそうだ。
「あれ?新入生かな?」
 向かいのドアからショートカットの女性が顔を出した。
 不意に声をかけられてフィオは驚いて身を縮ませる。
「はい、今日から入寮したフィオリエ・ベレックと申します」
 ボストンバッグを両手で持ちながら取り合えずフィオリエは頭を下げた。
 長い金髪が垂れて廊下の床につかんばかりになるが、フィオはちゃんと相手の顔が見れないで居た。
 フィオはかなり人見知りするタイプであり、特に先輩ともなると、緊張でまともに初対面では顔も見れないのだ。
「よろしく。私は《クゥリア・バネット》、言い難いからクゥでいいよ」
「私も・・・フィオで結構です」
 そのやり取りで初めてフィオは顔をあげた。
 目の前にはラフなТシャツにジーパンをまとった活発そうな少女が居る。
 髪はブルーに染めたショートカットで瞳の色は薄いブルーだった。
 有色人種でブルーの瞳の者は天文学的な確立でしか居ないため、恐らくクゥは髪を染めているのだろう。
「これから私、夕食なんだ。よかったら一緒しない?」
 笑顔でクゥはフィオを誘う。彼女は全く人見知りしないタイプの様だ。
「その…あの…」
 フィオはまごまごと口篭る。こういう誘いにも慣れていない。大企業重役の箱入り娘だったフィオには外食すら珍しい事であった。
「まだ来たばっかりなんだよね。荷物の整理とかもあるのかな?」
 クゥは軽く舌を出す。上手く断りやすい様に言葉を選んでいるのが分かる。
 フィオはそんな彼女に好感を持ち、意を決して誘いを受けた。
「行きます。あの…荷物だけ部屋に置いていいですか?」
 クゥはそうフィオが言うや否や、床のトランクを持つ。
「別に急がないし構わないよ。それより早く部屋のドア開けなよ」
 フィオはどぎまぎしながら寮母さんから渡されたキーをドアへと差し込む。
 部屋のドアを開けると、新たに貼りなおされたクロスや床の匂いがした。
「後で整理も手伝おうか?」
 クゥはトランクを早々に玄関に置くと、フィオの手をとる。
「さ、行こう!この筋の角にあるダイナーのオムライスは美味しいんだから。一回食べたらもう病みつきになるわよ」
 フィオは半ばひっぱられる様にして部屋を後にした。
 クゥはすでにフィオと腕を組んで、仲良く寮のエントランスを抜ける。
「私ね。今年で二回生なんだけど、実は留年しちゃってさ。新学期が始まる前にフィオと知り合えて助かったーってカンジなんだ」
 クゥはバツが悪そうにショートカットの髪を掻く。
「彼氏が去年できてね・・・追いかけてタブレット・コミューンに引越して学校も辞めるつもりしてたんだけどさ。色々あって結局、ここへ帰ってきちゃった」
 フィオは背の高い彼女と歩幅を合わせるのに必死な上に早口なので、会話を半分くらいしか聞き取れず、曖昧に笑うだけになる。
「もう親なんかコレもんでサイテーだったのよ」
 クゥは人差し指を立てて角にする。
 フィオはそれを見て、立ち止まると口に手を当てて笑う。
「でも、何もかも捨ててでも彼と居たい気持ち…なんとなく分かります」
 フィオはクゥに、小さいがしっかりとした声で伝える。
 二人の間に西日が長い影を落としながらの僅かな沈黙。
 フィオは内心『しまった』と思った。年下のしかも初対面の自分が生意気な事を言ってしまったのではないかという軽い後悔が心をよぎる。
「あの・・・私・・・」
 謝罪しようとクゥが口を開きかけた時、クゥの言葉がそれを遮る。
「フィオって連立都市の人じゃないよね?」
 僅かな言葉のイントネーションの違いにクゥが気づいての質問だった。
「は、はい。出身はアバロン・バレーです。北ブロックに居ました」
 フィオは謝る姿勢のまま、おずおずと手を膝に置いてクゥへと答える。
「私もおんなじだよ!東ブロックだけどね」
 叱られる様に俯いていたフィオが驚いてクゥを見る。顔をあげて見上げたクゥの顔は屈託のない笑顔をフィオに向けていた。
「親父が旧ムラクモ・ミレニアム系列の工業部門の設計技師でさ。今は会社が潰れちゃったからザム・シティに住んでるけどね」
 フィオはその言葉に目を丸くしてクゥに詰め寄る様に詰問する。
 ここで同郷はかなり珍しい事だが、それ以上に聞きたい事が前に立った。
「あの…東ブロックなら《クリス・ガードナー》って人をご存知ですか!?」
 クゥは人差し指を頬にあてて斜め上を見る仕草で考える。
「そんな女の子は憶えがないなぁ」
 フィオはその答えに首を振り、言葉を続け様とした時にクゥが続けて言った。
「えーっと、あ、男の子だったら知ってる。気の毒な事故だったもんね」
 フィオがその言葉に驚愕し、グリーンの目を大きく見開く。
「確か私のお父さんが昔、クリス君のお父さんと同僚で、彼は中等部の先輩だったけど飛行機の事故で亡くなって…ウチのクラスに彼のファンが居たから彼の事は憶えてるよ。その子、事故の時にすごく泣いてたから」
 フィオは目を見開いたまま放心状態の様に路上に立ち尽くす。
「私、なんか変なこと言った?」
 オレンジの光の中で僅かな沈黙。
「おなかすいたし、そろそろ店に向かおうよ」
 夕焼けの中、フィオの手をとるためにクゥは手を伸ばす。
「私…彼の婚約者なんです。親同志が決めた許婚ですけど」
 差し出したクゥの手が虚空で止まる。
 この時代の過度に管理された社会システムでは幼少の頃より婚約者や職場を決める事は推奨されており、かなりのエリートに属するムラクモ・ミレニアム本社などの巨大企業の社員の子息ともなればこれは珍しい事ではない。
 クゥも一応、親が決めた婚約者は居た。だが、それが結婚へと結びつかない事はままあるし、それもまた珍しい事でもなかった。
「彼…生きてます。必ずこの街に居るんです」
 フィオは必死に言葉を紡ぐ。
 クゥはその態度に短い溜息をひとつ吐くと再びフィオへと手を伸ばす。
「詳しく話してくれるかな・・・貴方、彼を追いかけて来たのね?」
 クゥの優しい声と、髪を撫でる温かく細い手。
 フィオは頷いて涙ぐむ。
「でも泣くのも、話すのも後でね。今は美味しい物を食べようよ」
 クゥはフィオの手をとり、先を進む様に促す。
「オムライスは数量限定メニューだし急がないと」
 クゥの言葉と共に夕映えの路上に二つの影が駆け出す。
 橙色に染まる見知らぬ町並がフィオには少し怖く感じられたが、手を引いて先を行くクゥの手が先程より一層、温かく感じられた。
 クゥの引く手が強すぎて足元を危うくする。
 躓きそうな今、この一歩、一歩と前に出す足ですら彼に近づいている。
 何の根拠もなかったがフィオには確かにそう感じられた。
 嬉しさと、夕日が眩しくて泣きそうな顔になりながらフィオは駆けながら銀の指輪を通した左手を、ぎゅっと握り締めた・・・

 坑道には一機のACが分厚いゲートを前にして仁王立ちになっていた。
「ケイ隊長、二分後にゲートが開きます」
 通信機からの部下の声にケイは愚痴をこぼす。
「最近の俺は、ほとほと暗くて辛気臭い場所に縁があるな」
 青竹色の不知火タイプ《ゼクシェイド》のコクピットのモニターにはカウント・ダウンが始まっていた。
「敵は無人セキュリティ・マシン多数です。レーダーの光点が多すぎて数は読めませんし、その上に機種の特定も無理でした」
 ゼクシェイドが手持ちのマシンガンにマガジンをセットする。
「それがネストの精鋭の報告か?ROUGHの頭部コンピュータ並だな」
 カウント・ダウンの表示がグリーンからレッドへと移行する。
「炸薬を特別タイプにしたWG‐AR1000で弾種は徹甲弾です。戦闘中の補給はアテにせんで下さい。火中の栗を拾うDETAILEDな部下は居ませんので」
 ケイはその買い言葉に短い舌をうつ。
「残り10秒」
 ゼクシェイドは肩に装備された大型の盾状の装甲で身を覆う。
 《ドライブ・ディフェンサー》と名づけられたそれはレイヴンの使用するACはおろかネストの特別製ACすら持つ事がない装備だ。
 前方へ強烈な電磁波を放出して、電磁誘導される類のプラズマ兵器の射撃を無効化するという前大戦で使用された防御兵器である。実体弾の威力もある程度は、その装甲厚で減衰もするが、ACが装備する様な強力なレーザー兵器だけはいかんともし難い。
「この奥に必ず《アレ》がある。そしてお前に一歩近づけるはず…」
 ぶ厚いゲートが地響きを起てて左右へと開いて行く。
 ケイの目が殺気を孕み、針の様に細められた。
 鉄のゲートがまだ開ききりもしないうちに、向こう側から無数の熱塊がゼクシェイドへと放たれる。
 閃光の中、ケイが確認しただけで三十機以上の無人マシン《トライ・ガード》と在来機種改良型の《クルセイダーU》が所狭しと群れている。
「入り口の待ち伏せは…ざっと五十機か。グレネードがあれば早かったものを」
 滑る様にしてゼクシェイドは鉄の床をブースト・ダッシュで駆ける。
 火を吹いたマシンガンは確実に無人機を潰していく。しかし敵機の口径が小さいとはいえ、まとまった数の集中砲火は脅威だった。
 ゼクシェイドはディフェンサーで攻撃を弾きながら、無人機の残骸で射線が通らない様に目まぐるしく位置を変えつつ応戦した。
「格闘機で射撃してても不利になるばかりか」
 ゼクシェイドはあらかた前方のマシンを一掃するやいなや、一気に間合いを詰めてゲートに飛び込むと乱戦へと持ち込む。
 敵のど真ん中に居れば危険率は上がるが、向けられる砲の数が散る。同士討ちを誘えば弾の節約にも繋がるが、普通では返り討ちがオチだ。
 しかしながら所詮は市販の無人機と、ネストが恥も外聞もなく掘り出して造り上げたロスト・テクノロジーの結晶とでは勝負にすらならない。あっと言う間に数十機の無人機は焼けた鉄塊へと化し、床に屍累々だ。
「さて、そろそろ真打の登場か…」
 ゼクシェイドのレーダーに高速で接近する機影がモニターされている。
「三機か、馬鹿に早い。それに、この駆動音と熱量は…」
 瞬く間にゲートの奥から蒼い排気炎を吐きながら妙な形状の機体がやってくる。
 先頭の一機が体をくねらせる様にして、一秒もかけず人型に変形する。
 笑ってる髑髏を思わせる頭部がゼクシェイドを囲んだ。
「《セラフ》…また恐ろしく珍しい機体を用意していたな」
 コクピットで苦々しくケイが呟く。
 セラフはゼクシェイドと同じくロスト・テクノロジーの構成体だ。
 前時代の忌まわしい遺児同志が数十年の時を経て合いまみえた。
 再会を懐かしがるかの様に、すでに人型に変形した三機のセラフは背中の三角錐に近いブースターを吹かしながら両腕を前へと突き出す。
 袖状のアーマーから砲身が伸び、チェーン・ガン乱射の歓待が始まる。
「久々に本気でやらねばな…手を抜いて勝てる相手ではなさそうだ」
 ケイのゼクシェイドの背中から真っ赤な排気炎が噴き出す。
 狭く暗い通路を揺らす轟音が巻き起こった・・・

 昼間のうららかな日差し。
 連立に来てから三日後、クゥに連れられて、フィオは合格して初めて連立都市中央大学の門をくぐった。
 新学期がまだ始まっておらず大学の構内は閑散としている。
 普段ならば連立都市大学の食堂はいつも満席だ。値段が安い上に量も調整出来て、なおかつ味の方はかなりのものだからである。 近郊の企業からも食べにくる者も多く席を取るのに一苦労するのもしばしばだ。
 あと二日もすれば、新学期で学生達でここも埋め尽くされることだろうが、今日はまばらにしか席が埋まってはいない。
 一番奥の席で、壁に背を預ける様にして一人の男が定食に舌鼓を打っていた。
「今日のメシは固いけどイケるな」
 白衣を着た男は、きつい西部訛りでそう言った。
 テーブルには二人前の食事が並んでいるが、彼は一人でそれに箸を進ませている。
「あの人が《サカキ・マティン助教授》よ」
 彼から少し離れたテーブルで、クゥが白衣の男を指差した。
 向かいの席でフィオリエは真剣な面持ちで彼を見る。
「噂だけどレイヴンなんだってさ。この前、校内でも戦闘したんだって噂よ」
 クゥはフィオリエを心配そうに見る。
 レイヴンと呼ばれる非公式の職業。ナーヴで予習した限りでは『金で命を売り買いする輩』『死肉に群がる最低の集団』『管理社会の脱落者』と凡そ彼らを褒める様な内容はひとつたりとて見当たらなかった。
 フィオはクリスの事は信じていても、いったいレイヴンという人種がどんな者達なのかは全く知らない。
 だがフィオは意を決した様に席を立ち上がる。
「やめるなら今のうち。レイヴンなんかと関わらない方がいいかも」
 クゥは終始、心配そうだ。昨夜に手がかりがまったくないフィオに『レイヴンなら大学にも一人居る』とうっかり告げた責任も感じていたのだ。
「私には、これしかクリスを探す方法がないから・・・」
 梃子でも動きそうにないフィオの決意に促されるかの様に、クゥも仕方なくといった感じで付き合う様にして席を立つ。
 サカキは目前の昼食に満足そうに箸を進めており、人気のない食堂に汁をすする音を響かせていた。態度が悪く椅子の上に片膝を立てている。
「あの・・・サカキ助教授ですね」
 フィオは緊張した面持ちで意を決して彼に話しかける。ぎゅっと左右の手をロングスカートの前で結んでいた。
「そやけど?テストの範囲やったら知らんで」
 サカキはそっけなくフィオの顔を見るでもなく、熱い汁を飲み続ける。
 手をひらひらさせて追い払う仕草も見せた。
「人を探しています」
 フィオは、たどたどしい口ぶりでサカキへと語り続ける。
「ほな人探しなら警察へ・・・やな。俺はしがない助教授やさかい」
 サカキは全く取り合わずに食事を続行する。彼は食事を中断する気はさらさらない様子だ。幼い頃から傭兵暮らしが長かった彼は『食える時、寝れる時には思いっきり』を信条としている。
 実際に戦場で食事もロクにとれず襲撃されたり、逆に集中し過ぎて狙撃された経験もある彼は食事と睡眠には並々ならぬ意気込みがあった。
 彼が食堂の端に座るのも、時間を人とずらすのも一つ、一つに意味があるのだが一般人から見れば『変わった人』と認識されるのは致し方ない事だろう。
「サカキ助教授はレイヴンでいらっしゃいますね?」
 担当直入に切り出したフィオの言葉にサカキの箸が止まる。
「さて、どうやろな?仮にそやったら・・・その人殺しに何の用や?」
 サカキの目は鋭く細められ、殺気すら漂わせる。
 先程までの明るい仕草とは全く違う凄みを漂わせてもいた。
 先日の騒ぎの後、興味本位でサカキに話しかける生徒は後を断たなかったが、この態度と視線の前に退散する物が相次いだ。
 クゥとフィオリエは、その視線だけで背中に氷柱が立った様になる。あきらかに一般人にはない危険な香りが彼から発せられていた。
 しかし決死の想いでフィオはサカキへと向き合う。
「私の大切な人を探してます。その彼がレイヴンなんです」
 得体の知れない殺気に気圧されながらもそれだけは、はっきりと口にした。
「《彼》?何か訳アリそうやけど、レイヴンなんて探すだけ無駄やで」
 サカキは再び食事へと集中し出した。おかげでフィオは少し話し易くなる。
「二十歳で、東洋系の黒い髪と瞳をした…クリス・ガードナーって名前なんです」
 サカキは溜息を漏らす。
「・・・本名でレイヴンやってる奴はまぁ稀やし、東洋人の若いレイヴンっちゅーのは何人でもこの街におるで」
 面倒そうにサカキは飯に味噌汁を注いでかきこむ。
 威圧してもこの娘には無駄との判断だ。適当に答える。
 彼に興味本位でレイヴンの事を聞く学生も少なくはない。そして威圧の効かない鈍感な者も多い。サカキは一貫してこの様な適当な受け答えと態度でここ数ヶ月、近づく生徒を追い返す事にしていた。
「探して下さったり、情報を下さるなら・・・充分なお礼も差し上げます」
 フィオは事前に勉強していた『レイヴンは金で動く』を実践してみる。
 その言葉にサカキは飯粒を飛ばしながら大声で笑う。
「レイヴン探すのは、ご法度っちゅーのんを知ってるか?お嬢ちゃんの小遣いでどーにかなる額やないで」
 フィオは涙目になりながらも、ひとしきり笑うサカキから目を逸らさない。
 サカキは、その態度に何か凄く悪い事をしている気分になり、わざとらしく大きな溜息をひとつ吐きつつ首を揉みながら面倒臭そうに聞く。
「まぁギャラありなんか・・・試しに聞くけどなんぼ出すんや?」
 二杯目の椀を持ちながらサカキは少し真剣になった声で問いかける。
 どうせ小娘が出せる賞金など、たかが知れているとも思っていたが…返ってきた答えはサカキを驚かすに価するものだった。
「連立都市レートで25万コームまで、私の全財産です」
 サカキは提示された額を聞いて、飯を吹き出し思いっきり咳き込んだ。
 その額はACが一機が買える額だ。
 日々、命までを売り買いする高給取りのレイヴンをもってしても容易くは稼げるものでは決してない。
 フィオはあたふたと背中にまわってサカキの背中を摩った。
「さ、最近の女子大生はマジ冗談きっっいな。」
「本気です。私は」
 背中からのフィオの即答。
「マジ・・・なんかいな?」
 フィオは品のいい小さなバッグから一枚のカードを取り出す。
「私の今まで貯めたお金と、入学祝い金とか支度金です。銀行に持って行って頂いて、私が許可メールすればすぐ換金が出来ます」
 サカキは手渡された薄いブルーのカードを手にして自分の携帯ナーヴで確認する。
 クゥは、心配そうな面持ちのフィオの手を隣に立って握った。
「マジや・・・俺の半年分のギャラくらいがカードに入っとる」
 半ば呆れた様に苦笑すると、サカキはカードをフィオへと投げて返した。
「かなり笑わしても貰ろたしな・・・まぁ多少は力になろか」
 クゥへとフィオリエは満面の笑みを浮かべて喜ぶ。
『ちゃんと話を聞いて貰える』と二人は目と目で会話して手をとって微笑み合う。
「今夜な、深夜一時にセントラル公園の噴水前のベンチに行きや。そこに俺の知り合いの情報屋を呼んどくさかいに。俺は無理でもそいつなら探せるかも知れん」
 サカキは携帯ナーヴでメールを打ちはじめる。
「ありがとうございます!」
 フィオとクゥは同時に頭を下げ、手を取り合って喜んだ。
「あのな。そんで・・・その・・・言い難い事なんやが俺のギャラは・・・」
 サカキは残る食事に向き合いながらメールを続ける。
「お幾ら・・・でしょうか?」
 フィオは緊張した面持ちでサカキに向き合った。
 レイヴンは金で命を売り買いする輩だ。それにカードを見せて初めて話になった事もフィオの態度を更に堅くさせる。
 対するサカキもここで『10万はくれんとな』という言葉を呑んだ。目の前の娘は真剣だ。恐らくサカキのいい値を払うに違いない。
 サカキは溜息を吐くと、白衣の胸ポケットを探り出す。
「外の自販機で煙草買ってきてくれへんか?これと同じやつで頼む」
 白衣のポケットからサカキは煙草の空き箱を取り出した。
 潰れた箱をフィオリエの小さな手に押し込む様に手渡す。
「食後に吸いたいんやけど、無くなってしもたんで急いで頼むわ」
 フィオとクゥが微笑む。
「箱が似てるのがあるさかい、間違えたらあかんで」
 サカキは一仕事終えたと言わんばかりに茶碗を持って飯をかきこむ。
「まぁ俺のギャラはこんなモンやな。その代わり早よ買ってきてくれや」
 フィオは、その言葉に後押しされるかの様に駆け出した。長いスカートを少し気にしつつ、駆け足で食堂の入り口を抜けて行く。
「ふぅ、何か感じがええ娘や。彼氏おらんかったら狙うんやけどな」
 サカキは食事の手をとめて、残ったクゥに話しかける。
「無駄ですよ。あの子、彼に会う為だけにここに入学したんだから」
 クゥはサカキの向かいに座る。
 彼女はフィオとは違って人見知りはあまりしない。なるだけ黙っていたのはサカキにフィオの真摯さを伝えたいが為だ。元来、話し好きなのもありサカキにも遠慮なく問いかける。
「それで助教授はクリス君の心当たりはないんですか?」
 クゥはサカキの空いたグラスに水滴の汗をかいたポットから水を注ぎながら聞く。
「二十歳ぐらいの東洋人レイヴンなら、すぐ思いつくのは四人やな《ジェノサイド》と《李日虎》それに《ベンケイグレイヴ》と…あとは《ラスティ》かな?」
 クゥは、その名前を一応、胸ポケットから取り出した手帳にメモした。
「他にも俺が知らん奴は大勢いると思うで。何せレイヴン同士で顔を合わせるのはACに乗りながら殺し合う時が多いさかいに、顔を見た事がある奴の方が少ないやろな。詳しく住所とか知ってる奴も殆どおらんし」
 サカキは物騒な事を水を飲みながらさらりと言ってのける。
「俺らは殺し屋と変わらんさかいな。堂々としてる奴は少ないで」
 更に飯を食いつつ、携帯でのメールも同時にやっていた。
『この人は命のやり取りの事を食事しながら普通に話してる』
 レイヴンは人を殺すのも、食事をするのと同じ位にしか考えていない。
 そんな雰囲気をサカキからクゥは感じ取っていた。クゥの顔が憂いに満ちる。
 そこへ息を弾ませながら金髪の少女が駆けてきた。
「買ってきました」
 その手には煙草の箱が二つ握られている。
「これとはちゃうんや・・・似てるのあるって言うたやろ」
 サカキは手渡された箱を見て嘆息した。
 フィオが慌ててサカキから煙草の箱を奪う様にして踵を返す。
「購買で取り替えて貰ってきます!」
 フィオは慌てて、また慌しく表へと駆けて行く。
「箱入りお嬢様で世間知らずなんです。あの子・・・」
 クゥは苦笑いしながらサカキのご機嫌を伺う。
「セントラル公園はあんたも着いて行ってやりや。あの娘一人じゃ心配やし」
 そう言いながらサカキは白衣のポケットから新しい煙草の箱を取り出した。
「待ってたら日が暮れるでホンマ・・・」
 クゥは申し訳なさそうに、スチール製の曲がった食堂の灰皿を差し出す。
 紫煙を吐きながらクゥに向かってサカキはテーブルに肘をついて身を乗り出した。
「で、来週の日曜やけど、映画でも行かへんか?」
 サカキは携帯を懐に仕舞ってクゥを口説き始めた。
「残念!私、煙草吸う人は大嫌いなんです」
 クゥは即答でサカキを跳ね除ける。
「あ・・・さよか」
 落胆しつつサカキが溜息まじりに紫煙を吐いて、その吸い殻を灰皿ににじり消す頃に、ようやくフィオが緑の小さな箱を胸に抱きつつ駆けてきた。
「どうぞ。お待たせして済みませんでした」
 よほど懸命に走ったのか薄く汗をかき、金髪が幾筋が唇に張り付いていた。
 そしてさながらバレンタインの日に、後輩が憧れの先輩にチョコを渡す様な感じで煙草の箱をサカキへと向かって差し出す。
 その様子を見て、サカキは苦笑いで返した。
「頑張って貰って悪いけどな・・・これは俺の欲しい銘柄のライトなんや」
 フィオには紙煙草のヘビーもライトも分からなかったが、箱をよく見ると細部が確かに微妙に違っていた。
「購買のバァさんは、老眼の上に白内障なんや。憶えとくといいで…」
 サカキはしゅんとなったフィオの手の中の箱をひったくる様に受け取る。
「まぁ、たまには健康の為に軽いの吸うわ」
 肩を竦めながらサカキは食器返却棚へと背を向けて進む。
 クゥが駆け出してサカキの横に並ぶ。
「デートはダメだけど、食器返すのくらいならご一緒しますよ」
 クゥは満面の笑顔でサカキの顔を下から覗く様に見た。
「食器、日曜まで返さへん・・・ワケにはいかんよな」
 サカキの言葉にクゥは笑い出す。
 その姿をフィオは祈る様にして両手を組みながら見つめる。
『また一歩、クリスに近づいた』
 彼へと続く道は、これからどんどん上り坂になる。
 それでもフィオは振り返りも、そして迷いもしない。
 僅かに人よりお金を持っている事以外には、何も知らない、何も出来ない。
 そのお金すら自分の力で稼いだものではない。
 そんな自分が出来る事はせめて信じて歩くだけしかないから。
『自分にやれる事の全てを続けたい』
 何ひとつない。
 情けない自分を恥じる前にフィオは両手を強く握り締めた。
 それだけしか彼女には出来ないのだから・・・

 暗闇に閃光の帯が走る。
 セラフのレーザー・ブレードが真横に降り抜かれた。
 間一髪でゼクシェイドは身を屈めてそれをかわす。
 更にセラフが光波を放ち、背後の壁が一瞬に蒸発した。
 懐に飛び込む形になるゼクシェイドが左手のナックルを突き出す。セラフの脆弱なボディがひしゃげて装甲がはじけ飛んだ。
「貰った!」
 ケイは叫ぶとゼクシェイドを更に半歩前へと進ませる。
 半壊したセラフは右手を更に薙ぐ。
 セラフの真っ赤なブレードが、ゼクシェイドの右のディフェンサーを捉え、瞬時に真っ二つに焼き斬る。即時にゼクシェイドはフルブーストで後退したが、その脇を更に真っ赤な光の波が空間を焦がす。
「くっ…貴様は二刀流だったな。永いご無沙汰で忘れていた」
 既に弾の切れたマシンガンは床に投げ捨てられている。
 それを恨めしく睨むかの様にセラフの一機が、床にその老体を只の鉄屑に変えて臥している。鋼の頭蓋が叩き割れて中から液体を撒き散らしていた。
 一機は半壊しているが、もう一機は無傷で飛行形態に変形して先程から一撃離脱を繰り返しており、今は通路の奥の暗がりの中だ。
「ここまで本気で殺り合ったのは、数年前の海底基地でベスト・ランカーの二人組み以来か…流石に古兵だけあって手強い」
 流れる汗を拭う暇もなく、通路の奥から接近する機体の気配をケイは感じで、残った右のディフェンサーで迎撃の態勢に入る。
 半壊のセラフは後続に道を譲る様にして、通路の脇に寄った。ダメージを被った腹の部分を腕で庇っている。
 単に割れた装甲を狙われない様にしているだけなのだが、その仕草が人間臭くケイは嫌悪に吐き気を催す。
「まったくもって鬱陶しい奴らめ…機械人形の分際で」
 ケイの瞳が暗いブラウンが、徐々に真紅へと変わっていく。
 彼もまた前大戦、それより遥かに以前に創られた人間兵器だ。
「お前らみたいなポンコツに俺の行く道を塞げはしない」 
 ゼクシェイドのコクピットのモニターが全て消えて暗闇となった。今、ケイは一切の機体操作を自力で行っている。
 飛行形態のセラフが風をきり、高速でゼクシェイドへと迫る。
「すれ違いざまに一撃だ。これで一機は仕留める」
 既に盾と、左手の《電磁ナックル》しか武装は残っていない。
 高速で飛ぶセラフに攻撃をヒットさせ、更に致命傷にまで持ち込むのは困難を極める・・・を通り越して奇跡に近い。
『…何もかもが小さな奇跡だから…』
 どこかで誰かが言った言葉がケイの耳に響いた。
 半壊したセラフの放つチェーンガンの火線と、飛行してくるセラフのレーザー・キャノンがゼクシェイドを襲う。
「俺は奇跡は信じられない。あるのは運と、それを制する実力だけ…」
 暗闇の中、誰にともなくケイが呟く。
 そこへ、まるで通路の狭さに身じろぎし、うねる獣の様にきりもみ飛行をしながら飛行形態のセラフが迫る。
 ゼクシェイドは右の盾の先端を、剣の切っ先の様に構えた。
「味わって食らえよ…俺の奥の手だからな」
 俊速の二機が一瞬で交差する。
 その刹那、ゼクシェイドの後方で火を吹きながら転がる様にして飛行形態のセラフが地面へと叩きつけられていた。高速で飛行していた為に、それだけでもう二度と立ち上がれないだろう。
 火花を散らし、凄まじい速度で転がりながらセラフは無理やり人型に変形して受身を取ろうとする。良く出来た兵器である《彼》は、必死にダメージを最小限に抑えるプログラムを発動させる。
「そんな事をしても無駄だ…」
 哀れみの目でケイは転がり行くセラフを見る。
 ゼクシェイドのドライブ・ディフェンサーには盾として使用する他に格闘武器としての使用が出来る。元々が強電磁波を形成する兵器だ。それを盾の先端のエッジに集中させる。原理は分子結合を緩めて破砕する《電磁ナックル》に似ているが破砕するのではなく敵機に強電磁波を大量に流しこむ。
 結果、食らった敵機が精密な機械であればある程に、作動不良などの深刻なダメージを被る結果となる。
《ショック・ラム》
 前大戦で多用された格闘兵器。
 飛行形態だったセラフは体躯の殆どが麻痺している筈だ。その状態で変形出来ただけでも驚愕すべき事実と言える。
「残るはお前だけだな…すぐ旧友と同じ姿にしてやる」
 背後で爆炎が起こり、通路が陽炎で翳る。
 また一機、古参の戦闘器機がその役目を終え永い眠りにつく。
 ゼクシェイドの青竹色のボディがオレンジの炎に照らされた・・・

 深夜の公園は静まりかえり、街灯が細く照っている。
 リガ・シティ市民ブロックのセントラル公園にフィオリエとクゥはやってきた。
 約束の時間までは、まだ半時間ほどある為、噴水の前のベンチへ腰掛けて待つことにした。
 ベンチは噴水を向いている物と、反対を向いている物が二つ並んでいた。
 深夜の空気は寒々しく、二人は半ば震える様にして辺りを見回す。
 先程から警備用のテックボットが二往復しただけで人の気配は全くない。
「大変な事になっちゃったな…」
 クゥが嘆息しながら思わずといった感じで呟く。
 フィオと繋いだ指先が僅かに震えていた。
 レイヴンを探す稼業の者もまた、一般人とは言い難い人間だろう。年端もいかない女の子にとって怖くない方がどうかしている。
 フィオリエは済まなさそうな表情で頭を垂れた。
「ごめんなさい。でも、どうしても私は…」
 対するフィオは背筋を伸ばし、凛とした姿勢で待っている。僅かな躊躇いも恐れも彼女からは感じられない。
 ただ真摯なグリーンの瞳が流れる噴水の水を見ていた。
「分かってるよ。少し寒かっただけ」
 クゥが少し無理をした静かな微笑みで答える。
 その瞳に三往復目の警備テックボットが煌々とライトを着けながら彼方よりやってくるのが映る。
 静けさが周囲を支配していた。
「女性をお待たせは出来ませんし、詳しいお話を伺いましょうか」
 暗闇の背後のベンチから突然、若い男の声がした。
 先程まで誰もおらず、まさに忽然と現れた。そんな感じだ。
「後ろは振り向かないで。必要な事にだけ答えて下さい」
 男の声には事務的ながらも、どことなく二人を気遣う優しい感じがする。
 暗い髪の色、暗い色のスーツ姿。 二人の視界に入ったのは、その一瞬だけだった。
「お探しの彼はどんな方ですか?」
 静かだが通る声。優しさと鋭さが同居している響き。
「クリス・ガードナーといいます。歳は二十歳で、アヴァロン・バレー出身です」
 フィオは言われた通り噴水を向いて俯きながら問いに即答した。
「この街のレイヴンだそうですね?」
「はい…そうです」
 フィオが消え入りそうな声で答えると、そこから暫く男は黙った。
 冷えた空気が張り詰めた様に三人に流れる。
「彼の特徴をお聞かせ願えますか?」
 男の声は先程から比べるとやや沈んだ様なトーンに変わっていた。
「黒い髪、黒い瞳で、背も体型も平均だと思います」
 背後の男は小さな溜息を吐いた。探すのが困難であるのだろうか。
 フィオは続けて思う限りの特徴を口にする。
「とても優しく、礼儀も正しくて、勉強も出来ましたし…」
 それからまた黙り込む。
 フィオは俯いて手を膝の上で強く握り、必死に思い続けた彼の事を伝え続ける。
「お父さんはムラクモ・ミレニアムの重役でした。妹さんはふたつ離れてて私と同じ歳で、お母さんは私と同じ金髪で、綺麗な女性でした」
 背後の男は僅かな沈黙。
「最後に逢われたのはいつですか?」
 フィオはその問いに切々と語り出す。
「三ヶ月ほど前のアバロン・バレー駅です。彼はアーマード・コアと一緒に列車に乗り込みました。雇った探偵さんにも列車の事は調べて頂きましたが…」
 フィオは俯く。
「そんな列車は存在しない。調査は不可能である…ですか」
 レイヴンがらみのケースではよくある話だ。
 無い物は調べようもなく、そして探偵も命は惜しかろう。
 加えてアイザックやアバロン・バレーと連立は現在、対立し冷戦状態だ。他の都市である以上、駅員達から聞き出す事も難しい。情報を削除しているとなると、消す方も本気だ。
 綻びを探すのは難しい。
 更に巧妙に列車を乗り継いだ可能性も大きく、ここからの足取りは掴めないだろう。
 男は小さく溜息を吐く。
『ここで断られたら…彼へと続く道がまた遠くなる』
 フィオはきつく目を閉じながら、ありったけの気持ちで口を開く。
「手が…少し冷たくて、でも私の優しく手を握ってくれました」
 この言葉に背後の男は少し笑う。
 フィオが伝える彼の特徴はおおよそ役には立ちそうにもないだろう。
 それはフィオ自身にもよく分かっていた。けれど彼の事を伝えるのを止めれない。
「歩くときに少し肩が落ちるクセがあって…とっても深い、でも優しい瞳をしています。少し気が小さかったけど、絶対言い出した聞かない頑固さもあって…でも私にとって何より大切な人なんです!」
 フィオは途中から涙声、だが最後は静かな深夜の公園が響く程の嘆願。
「なぜそこまで?」
 背後の男は静かにフィオへと問いかけた。
「どうして彼なんですか?そこまでなぜ想われるんです?」
 男は俯いてくぐもった声で問いかける。
「最初は…お父さん同士が仲がいいただの幼なじみで…単に親が決めた許婚でしたし、私も彼も幼かったですから、特にその事を意識せず二人で公園や家で毎日遊んでいました」
 懐かしむ様なフィオの言葉を男は遮らぬ様に沈黙で応える。
「彼が中学に入った頃です。それまで一緒に遊んでいたのに、それが三日おきになり…一週間おきになり…そしたら凄く寂しくなって。それで『私、あの人が好きなのかも』ってなりました」
 フィオは生来、話が上手な方ではない。
 途切れながら、詰まりながらも気持ちを必死で言葉にする。
「逢っている時間は幸せで…楽しくて…それで『私、この人が好き』になっていました。そうなったらもう何もかもが小さな奇跡みたいでした」
「奇跡?」
 背後の男が呟く。
「はい…大好きな男の子が、この世に一人、居る事が」
 フィオは左の薬指の指輪を掲げる様にして前へと出した。
 噴水に灯された街灯が、冷たい銀の指輪に温もりの様な光を宿す。
 彼女の細い薬指には、指輪は少し緩めで掲げた拍子に少し下へとずれる。
「寸法は直さないのですか?」
 男が振り返った様子もないのに問う。
「彼がくれた物ですから絶対に直しません。このままでいいんです」
 これを渡した彼は、恐らく中指にさせようとしたに違いない。『薬指には別の、ふさわしい誰かの物を』と。
「私にはもう彼しか居ませんから。ずっと…例え、どちらかが死んでしまっても」
 フィオの言葉には一抹の躊躇いも、憂いもなかった。
「私、彼は一度だけ、死んだと諦めようとしました。そうして忘れないと幸せになれないって周りの人達も言ってくれました・・・」
 フィオは、先程とうって変わってまるで罪人の懺悔の様に切々と語る。
「でも彼は生きていて・・・ずっと約束も憶えていてくれて。レイヴンって私はよく知らないけれど人に誇れる仕事ではないと聞きました。たぶんそうしなければならない理由があって、それはたぶん凄く叶えるのは難しい事で・・・そんな中で彼は私の為に逢いに来てくれた」
 左手を抱く様にしてフィオは俯く。
 クゥが隣でフィオを心配そうに見つめる。何度も『お願いだから仕事を請けて』と口を挟みかけるがぐっと堪える。
「どんな世界に居ても、信じていれば願いと想いは叶うと信じたいんです。既に小さな奇跡を何度も・・・何度も起こして私はここに居るんですから」
 長い沈黙。フィオの中に宿る後悔。
『こんな子供みたいな事を言っても、誰も納得なんてしない』
 身を堅くするフィオにクゥの優しい手が重ねられた。
「私と出会えたのもフィオの小さな奇跡のひとつなんだよね?」
 初めてクゥはフィオへと口を開いた。
 躊躇いなくクゥを見返してフィオは頷く。
 そしてフィオは背後の暗いスーツを着た男に向かって話しかける。
「お名前は分かりませんが…貴方ともそうです」
 そして暫くの沈黙。
 背後の男は変わらず影絵の様に微動だにしない。
「いいでしょう。この依頼お受けします」
 静寂の中、男の言葉が響いた。
 フィオは隣のクゥと笑顔で顔をあわせる。クゥも笑顔だった。
「報酬は20万コーム、彼の生死に関わらずですよ?」
 フィオは精一杯で頷いてそれに答える。
「こちらは誠意をもって真実をお伝えします。ただ時間を頂きたい」
 そう言うと男は音もなく立ち上がった。
「彼の事は分かり次第に何らかの方法で貴女にお知らせします。これは特別なのですが・・・報酬は、その時にで結構です」
 そして暗がりの方へと男は足を進める。
 フィオは冷たい靴音を耳にしながらも至福の思いでクゥと手を取り合う。
「最後に一つだけ」
 やや離れた木立の陰で男は立ち止まって問いかける。
「これは興味本位の質問ですが、貴方にとって彼はどんな存在ですか?」
 フィオは神妙な面持ちで俯いて、少し黙る。
「失礼しました。これは答えなくとも結構です」
 振り向いた男の靴音が再び響く。
「誰よりも私が信じてる人です」
 男の靴音が止まる。
「誰より、何よりも信じてる人なんです」
 フィオは立ち上がりながら振り向いて大きな声で答える。
 視線の先に、薄暗い水銀灯に照らされるスーツ姿の男が立っていた。
 鋭い視線をこちらに投げかけているが、どこか優しい面持ち。
「信じる人・・・そして小さな奇跡ですか」
 男は憂いを帯びた表情で振り向いて小さく笑う。
「昔、僕に貴女と同じ事を言った女性が一人居ました」
 男の寂しそうで辛そうな乾いた笑顔が一瞬だけフィオに向けられる。
 それも束の間で、男はまるで自分の住処へと還る様にして暗闇へと歩いて行く。
 背後で噴水が一際高くあがる。
 闇に溶けて小さくなる影にフィオは深々と頭を下げて見送った・・・

「お疲れ様でしたな」
 初老の男が、佇むケイへと労いの言葉をかける。
「ネストにバレたくない。ゼクシェイドの修理が済み次第、すぐに出立する」
 荒野の只中にある給水施設でケイは汗を流していた。
 裸体の彼の背中には古傷が刻まれている。
「ご無理を。それとも冗談と笑えばよいですかな?」
 ゼクシェイドはACとは違い、おいそれと修理など出来ない。壊れれば換えはなく、もうそれっきりと言ったパーツもある。
「駆動部は破壊したセラフから流用可能な物はありましょう」
 この老人の申し出をケイは断る。
「外装だけでいい。盾もそれらしいのを適当にその辺りの鉄板からでも作れ」
 その言葉に初老の男は白髪頭を下げた。
「しかし、あと幾つゲートがある?」
 ケイは体を拭いながら問う。
「あと二つでございます。《ジルコニア》のクロサワという男…余程に小心者の様でトラップにガード・メカ、堅牢過ぎてかないません」
 老人はやれやれと言った感じで応じた。
「この前の通りがかったチンク・エンシェントが召還したアンバー・クラウンの地上戦艦。あのレイヴン達の様な事もある。手早く隠密に頼むぞ」
 初老の男は恭しく一礼した後にケイの前から立ち去った。
「俺はこんな時代に一人で何をしているんだろうか」
 ケイはシャワーで濡れた自分の手の平を見て呟く。
「二人で平穏に時を重ねたかった。それだけが望みだった…」
 濃い茶色の髪が力なく項垂れる。
「俺には相変わらず物を壊して、そして人を殺す以外にお前に近づけない」
 悲痛な呟きが冷水が流れるシャワールームに響く。
「だが俺にはこれしか、お前を探す方法がないんだ」
 ケイは力なく膝を折り、床に手をつく。
 情けなかった。
 他には何ひとつ出来ない自分が。
 何度も、何度もケイはここに居ない妻へと謝り続ける。
 シャワーの冷水が、そんな彼を容赦なく頭から濡らし続けた・・・

「ええ仕事やったろ?」
 公園の街路樹の陰からサカキがダークスーツの男に声をかける。
「この街で一番難しいレイヴン探しがかい?」
 男はスーツの襟を正しながら親しげな笑みを浮かべる。
「ホンマに…久しぶりやな《ルース》」
 サカキはルースと呼んだスーツの男へと近づく。
「確かアイザック大学の卒業式以来だよね?」
 ルースは端正な顎を撫ぜながら感慨深く言った。
「今回も君の斡旋でないと断ってたところだよ。何せレイヴンは警戒心が強いしネストからの妨害もあるから・・・それに僕は東洋系の1ブロックのリップル・ボスでしかない。正直、他都市がらみの事は荷が重いんですよ」
 ルースの言葉にサカキは屈託のない笑みを浮かべる。
「せやな。俺みたくおおらかなレイヴンもおるけど」
 二人は公園の暗がりで握手をかわす。
「どや、20万の前祝いと、再会の喜びを祝して、これから一杯?」
 サカキの誘いにルースは首を横に振る。
「あいにく多忙でね。それより彼女達を家に帰るまで見てあげてくれよ」
 ルースは何もかもを見通す様な視線でサカキを見る。
「まぁ、女の子二人に夜道を歩かせるワケにはいかんしな」
 サカキはそう言うと振り返って噴水の方へと足を向ける。
「ほな、お互いに生きてたらアリーナで模擬対戦でもまたやろか。確か37戦23勝やったけど、前やった時は俺の負けで終わっとるしな」
「だいぶ腕は落ちたけど…次も君には負けないよ」
 ルースは笑ってサカキを見送る。
「ええ子やったろ?」
 振り返りながらサカキはルースへと問う。
「こんな時代に、あんな夢みがちな子がまだ居るんですね・・・」
 そう言うルースがどことなく悲痛な表情を暗がりに宿す。
「ちょっとお前の義姉みたいやろ?」
 サカキの無遠慮な言葉にもルースは態度を変えない。
「彼女、義姉と同じ事を言ってました。彼に出会ったのも、これからも『小さな奇跡』だと・・・それから不幸の連続でしたがね」
 呟くルースへとサカキが缶コーヒーを投げる。
「熱いでしょうが!」
 かろうじて落とさずルースが受け取るが、缶の熱さに落としそうになる。
「俺が男に奢りなんか、それだけで超・奇跡なんやで」
 そう言ってサカキは笑う。ルースの抗議にもそ知らん顔で振り向くと、先を行く二人の少女の後を追う。
「さて、いったいどんなレイヴンなのやら」
 残されたルースは携帯ナーヴを懐から取り出すと部下に指示を与えはじめる。
 少しして、缶コーヒーのプルトップを開ける音が夜の街に響いた・・・

 寮に帰ったフィオは、まだ慣れない部屋の真ん中で俯いていた。
 祈る様な姿勢で微笑んでいる。
『ちょっと怖い人だったけど、あの人は信じられる』
 人を見る目などフィオには養われてはいない。
 普通なら訳の分からない男に人探しを頼めただけだ。
 それでもフィオの心には道を照らす火が灯った。
 何もない、真っ暗の手探りだった連立都市に。
『この世界にもし神様が居るとしたら…心から感謝します』
 真っ白な気持ちに満たされてフィオは部屋の窓を開いた。
 遥かに遠い彼方に、高い壁で隔てられた準市民都市の街灯りが見える。
 地下都市の空に星が瞬いている。
 明日からは新学期。彼女の新しい生活が始まる。
「おやすみなさい」
 フィオは窓の外の風にそう言葉をのせる。
 きっと募る想いと言葉は、愛しい彼へと届くと信じて・・・

 夜の街を一人の若者が歩く。
 黒いベロアのハイネックに濃いブルーのジーンズ。
 ほんの少し左肩が下がった癖のある歩き方。
 その目は酷く疲れた様に生気がない。
 右手にはトレーラーと部屋と倉庫のキー束を持っていた。
 左手には女の髪留めの様な赤い紐が結ばれている。
 夜風が彼の闇の様な黒い髪を撫ぜた。
 不意に立ち止まり、彼の黒い瞳が虚空を見上げる。
 風は仄かに甘い香りを彼へと運ぶ。
 再び若者は俯くと、墨絵の様に褪せた色の道を歩き出す。
 地下都市の偽りの空には、満天の星が瞬いていた・・・


『MISSION 16 完』


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