<モーツアルトの最晩年>

<このテーマからこのホームページが始まりましたが、最近写真を一新し、改変しました>

 映画「アマデウス」などでも取りざたされたモーツアルトの死因ですが、それはそれとして彼の円熟した晩年の芸術にふれることが出来る史跡を見てゆきたいとおもいます。

 ウィーンの目抜き通り、ケルントナー通りをオペラ座から北に向かって歩いてゆく とウィーンの「おへそ」にあたるシュテファン寺院に至る手前の右側に、シュテッフル(Steffl)という大きなデパートがあるのがいやがおうでも目にはいると思います。デパートの営業時間内で有ればデパートの中に入って、化粧品売場には眼もくれず、どんどん進んで裏口から出てみて下さい。

 すると写真のようにショーウィンドーの横に小さな銘板が掛かっているのが目に止まるはずです。銘板の内容は「ここにモーツアルトが1791年(晩年)住んでいてここでここで亡くなった家が有った云々」というものです(住所:Rauchensteingasse8)。ここには1991年、モーツアルトの死後200年にはハリボテでモーツアルトのアパートが再現されていました。その二階建ての質素な住まいは晩年の彼の困窮を思わせるものです。

 最近デパートが改装され、裏道に面したこの場所はモーツアルトショップというモーツアルトグッズを扱うお店になりました(写真下)。天晴れ商業主義!

 その銘板に向かって道を左側突き当たりまで進んでゆくとカフェ・フラウエンフーバー(Cafe Frauenfuber・写真下参照)に突き当たります(Himmelpfortgasse 6)。

 ここは元々宮廷料理人の店でこの二階が音楽ホールとして使われていました。モーツアルトの晩年には彼のピアニストの最後の舞台として、ここでピアノ協奏曲第27番K.595を弾きました(1997年3月4日)。表の銘板にはモーツアルトがヘンデルのパストラールを演奏した事が記されています。

 この通りを奥まで進んでゆくと右手に現在の大蔵省、元のオイゲン公(ベルヴェデーレ宮殿の持ち主)の宮殿があり、左手にはリストやベルリオーズで有名なハンガリーのラコッツィー将軍の宮殿があります。

 この界隈は目抜き通りから一歩入っただけとは思えないほどひっそりしており近くにある路地など昔のウィーンを忍ぶことが出来ます。

 また、モラル上写真には撮るのは控えましたが、シュテファン寺院の正面に向かって左手奥の外壁に礼拝堂があり、そこでモーツアルトの葬儀が行われたとの銘板が有ります。

 今、ミサの時間以外は訪問客でごった返すシュテファン寺院ですが、いろいろな人の人生をみつめ、ペストの大流行や第二次世界大戦の不幸なども見つめてきました。フィクションと現実の狭間を行き交うモーツアルトの晩年、知りたいと思うのが我々後世に生まれた人の常だけれど、その幻想がこのひとの魅力なのかも。



"im mortis examine"(死の試練の時に)

Ave Verum corpus K.618/1791年6月17日バーデンにて作曲

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