〜1〜

「……い、おい、起きろよ! ユゥ!!」
「ん……? キョウ? 着いたのか?」

こいつはいつまでたっても呑気な奴だと、キョウはひそかにこぶしを握りしめた。

「じじいがそろそろ下船の用意をしろとさ」

漆黒の髪が潮風になぶられるのを片手で押さえながら、キョウは船室に戻ろうとした。ユゥはといえ
ば、まだ眠たげにぼうっと座り込んでいる。

「ユゥ、オレの言ったことがわかったか?」
「ん〜。うん」

これはだめだ。キョウは肩をすくめるとユゥを無理矢理立たせ、彼をひきずるようにして船室に向かっ
た。

「ユゥは起きたかの?」

部屋に入ると、ルカーン老人とふたりの少女たちは荷物をまとめ終ったところだった。キョウのぶんは
すでに彼自身がかたづけてあるのだが、ずっと昼寝していたはずのユゥのぶんまでもが綺麗にまとめて
あった。おおかたルカーンに指示されてヒサギが荷造りしたのだろう。
そんなふうに甘やかせてばかりいるから、こいつはいつまでたっても子供なんだとキョウは腹立たしく
となりのユゥを睨んだ。

「目が醒めたかの?」
「うん。すっかり。ありがとう」

ユゥの言葉の半分はヒサギに向けられたものだろう。長い髪を腰までたらしたヒサギはくすくす笑っ
た。

「よくあの寒い甲板で眠れたわね」
「うかつに部屋で寝てたら、まちがいなくキョウに文句言われるものね。正しい判断だわ」

まるで少年のように短く切った髪をしたリンが口をはさんだ。そのリンを見下して、キョウは鼻をなら
した。

「どこぞの見習い魔導師よりマシだね。俺はあしもとにもおよばないよ。その口うるささは」
「なによ!」

リンがムっとして立ち上がりかけたのを見て、ユゥは可笑しそうに笑った。

「ほんとだ。口うるさ」
「ユゥ! あんたまでそんなこと言うの!?」

あやうく口喧嘩になりかけたとき、着岸の合図の銅鑼が鳴った。

「ほれ、ユゥ、キョウ、ヒサギ、リン。ついたようじゃ」

老人は、孫にそうするかのように、四人をうながした。

近年、とみに魔物が多くなってきた。陸はいうまでもなく、海上の交通までも遮断されるようになって
しまった。
このコーネリア・クレセントレイク間もそうである。今コーネリアの港に着いた船、この便で事実上す
べての主な航路が閉ざされることになる。

これで最後だと辛そうに言った船長に別れを告げて、彼らは都の埃っぽい石畳の路を歩き出した。
我が家に帰るのは、実に二年ぶりのことだ。

賢者のおつきの者という名目で、ルカーンは十五歳だった少年達を賢者の都クレセントレイクで学ばせ
た。
地理、歴史、黒と白の魔法、剣。そして長い旅に必要な、たくさんの知恵。どれも『まどろみの都コー
ネリア』では満足に学べないことばかりだった。
一年が過ぎ、二年が終ろうとしたとき、彼らはクレセントレイクに集う賢者達に絶賛されるほどの実力
を身につけていた。

ヒサギは癒しの白魔法。リンは知恵の集成、黒の魔法を。そしてユゥとキョウは剣技を。

なぜ彼らがみずからを鍛えなくてはならないのか、ルカーンはいっこうに話そうとしなかった。
彼らも聞きはしなかった。

存在の意味に不安をもつとき、少年達は胸のペンダントを握りしめる。

彼らが森で捨てられていたとき、赤子だった彼らの手に、ひとつずつ、丸い水晶が握られていたのだと
いう。それぞれ色が違う。この世で色彩を持つ水晶は、世界をささえる、風火水土、四つのクリスタル
だけだというのに。

「コーネリアか。久しぶりだな」
「そうね。でも……」
「でも? どうかしたの? ヒサギ?」

聞き返したユゥに、ヒサギはこころもちうつむいた。

「なんていったらいいのか……そう、哀しそうなの」
「都が?」
「うん」

と、そのとき、疾走してきた騎馬の一影が一行の前で急停止した。ずいぶん慌てた様子だが、その鎧や
腰に帯びた剣からして城の近衛兵のひとりだとわかる。
兵士は馬からおりると、息をきらせたまま、彼らにひざまずいた。

「け、賢者ルカーンであられますかっ?」
「いかにも、儂はルカーンじゃが、何用じゃ?」

兵士はすがるような瞳で老人を見上げ、なんども唾を飲み込んで、やっと用件を告げた。

「姫が! セリルウィーン姫が、何ものかにさらわれました!」

その場にいたものすべてが息をのんだ。

姫がさらわれた。美しく、優しかったあの希望の姫が。

ヒサギが気づかわしそうにキョウに視線を投げたが、彼は下唇をきつく噛んだまま、じっとなにかに耐
えているようだった。

「それで、犯人の見当はついておるのか?」
「そ、それが……」

兵士は神経質そうにあたりを見回した。

「そのことについては、陛下がじきじきにお話くださるそうです。まずは、賢者さまには、すぐに城へ
おこし願いたいのです」
「承知した」

ルカーンが短く答えると、兵士はまた馬蹄を轟かせて去っていった。近くの家々の住人たちが心配そう
に彼らを見ている。騒がないところを見ると、今知ったことではないのだろう。ただひたすら、賢者に
して予言者でもあるルカーンにたすけを求めていた。

ルカーンは民衆に心配するなというように手を振り、連れをかえりみた。

「ゆくぞ」
「……え? おれたちも?」
「あたりまえじゃ。……思ったよりも少々早くなったが……仕方あるまい」

忌々し気にルカーンがぼやいたのに反応したのか、胸のペンダントが熱くなったように、少年達は感じ
た。

コーネリアの城は、その小塔群の美しさで知られている。昼はかよわい太陽の光に窓や飾りの彫刻がき
らめき、夜ともなれば、星の古い輝きのもとに浮かび上がってみえる。だが、全体的に重厚さとは無縁
の印象があって、それがコーネリアがまどろみの都と呼ばれるゆえんのひとつともなっていた。

その城のとある塔で、ルカーンたちは王に迎え入れられた。二年前より、王はすこし痩せてみえた。

「おお、る、ルカーン師よ。よう、ようきてくだされた」
「姫がさらわれたというのは、まことのことかの」
「師よ、どうして貴方に嘘がつけようか。……もうどうしていいのか。とりあえず、民には希望を持つ
よう、光の戦士の降臨を祈るよう伝えたが」
「よろしい」

ルカーンは、王にするには礼儀のなさすぎる口調で答えた。だが、この場でそれをとがめる者はいな
い。ひなびた老人は、都でもっとも尊敬される人物であったから。

「それで、誰が姫をさらったのじゃ」

ぶるっ、と王の肥満したからだが震えた。魔物かとユゥたちは思ったが、王が口にしたのは人の名だっ
た。

「……ガーランド」

沈黙。
聞き間違えたのかとリンは思い、問いただそうとして、やめた。みな驚いた表情でうつむいた王をみつ
めている。
と、いうことは、リンがきいたのは事実なのだ。

「なぜじゃ……」
「余にもわかりかねる。あやつが姫をさらっていったと報告を受けたときには、どうしても信じられぬ
思いで……何度も確認したのじゃが、無駄なことだった。すべての証人は、犯人がガーランドだと口を
そろえて言いおった。屋敷を探させたがもぬけのからで……。もはや、罪を免れることはできまいが、
しかし、余はなんとかあやつをたすけたいのじゃ。死んだ弟の忘れ形見ゆえ。……師よ。知恵を、余に
くだされ」
「そんな、なにかの間違いだ」

ユゥが低く呟いた。ヒサギとリンが声もなくうなずく。

「余とて、信じとうはない」
「ともかく、王よ、しばし時間をくれぬか。この子らとともに少し考えたい」
「かまいませぬが、なぜそんな子供らと……? ま、まさか」
「そのまさかじゃ」

そっけなく言い残すと、ルカーンはユゥたちをせきたてるようにして王の前から退出した。

少年たちは森で拾われた。
セリルウィーン姫が産まれた年と同じ十七年前のことである。

コーネリアの西の森で大声で泣く赤子らを見つけたとき、ルカーンは正直めんくらった。
赤子たちは全員素裸で、あたりを見回しても親の手がかりはなにもなかった。
四つ子にしては似ているわけでもなく、老人はとにかく暖かい家に連れて帰ろうと、まずひとりを抱き
上げた。

その拍子に、ふっくらした赤子の手から、なにかがきらめいて落ちたのである。

ひと粒の、蒼く澄んだ水晶だった。調べてみれば、どの子も色は違えど同じような水晶を大切そうに握
りこんでいる。

水晶は、ここではなにより貴重な貴石であった。氷のような透明さは低級の魔であればよせつけること
はなく、それゆえ王族や貴族、金持ちの商人が好んで身につけたものだ。一般の人々はというと、触れ
たこともないのではないだろうか。それほど希少で高価な石であった。

ルカーンほど知に恵まれている者でも、色彩をもつ水晶は見たことがなかった。
色をもつのは、風火水土の四大元素を司るクリスタルのみだという。各地に祭られたクリスタルも、今
は輝きを失い、世界の均衡は崩れかけている。
だが、希望がまったくないわけではない。もうじきコーネリアの王妃が産み落とすいのちと、光の戦士
……

こどもたちは健やかに成長した。みな血縁ではないのであろうが、ルカーンは全員を孫のように可愛が
った。
やがてルカーンとともにクレセントレイクへ旅だつ直前まで、ユゥたちはセリルウィーン姫付きの近侍
として王宮に暮らしていた。同い年の姫とは仲がよかったし、彼女の婚約者のガーランドとも面識はあ
った。
ガーランドは文武両道に秀で、真面目な性格でもあったので、みなから尊敬されていた。
セーラ姫との婚約は民におおいに喜ばれ、彼はなんの不満もなかったであろう。ユゥ、キョウ、ヒサ
ギ、リンの存在をのぞけば。

ガーランドは少年達を避けていた。
ユゥたちは純粋に彼に敬意をもっていたのに、彼は完全に無視していた。傍目からみると、四人の存在
が彼には感じられないようだったという。セーラ姫がなんどかガーランドに注意したようだが、効果は
あがらなかった。
少年達はそれでもよかったのだ。彼が立派なナイトで、そのひとと結婚してセリルウィーンがしあわせ
になるのなら。

とうの姫はといえば……彼女はガーランドを求めてはいなかったのだ。従兄弟が嫌いだったわけではな
い。
ひそかに抱いた想いはキョウに向けられていた。
キョウはそれを諌めたが、ほんとうはさらっていきたいほど姫にひかれていた。ただ、それは、できな
かった。
彼女のことを想うのなら。
十五歳の初夏に、少年達はルカーンに伴われて遠いクレセントレイクに旅立つことになる……


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