目覚めは、最悪だった。
汗が張りついて気持ち悪い。だが、起き上がるのもおっくうで、彼はベッドに横たわったまま、しばらくぼんやりしていた。
ここはゴンガガではない。伍番街のエアリスの家だ。隣の部屋には彼女がいる。生きた、エアリス。なにも恐れることはないはず。
苦笑して、彼はようやく上体を起こした。冷たくしめった汗が不快だ。着替えたい。
と、軽快な調子の呼び出し音が、かすかに鳴った。あわててPHSを探し出す。
「あ、クラウド?」
「……なんだ、ティファか」
「なんだとはなによ。久しぶりなのに」
「……なんの用だ?」
嫌な夢を見た彼とはうってかわって、ティファの声は明るい。どこか不条理な気分になった。
「うん、ええとね、そこに、エアリス、いる?」
「いると思うが、何か用か」
「いるの、いないの? 確かめて」
「……」
仕方なくたちあがったが、服がはりついて冷たい。椅子にかけてある着替えをうらめしく睨んでから、彼は隣の部屋のドアを叩いた。
「エアリス、いないのか?」
ノックをくり返したが、返事がない。嫌な予感がして、思いきって扉をあけた。
「……おい、ティファ、エアリスはいないみたいだ」
「え? いない? ねえ、クラウド、エアリスがいつ頃家を出たか知らない?」
「知らない」
知るわけがない。彼はいままで寝ていたのだから。
しかし、よく見ると時計は既に昼近くをさしている。ずいぶん寝過ごしてしまったようだった。
「あのね、クラウドにはないしょにしてねって言われてたんだけど、今日、エアリスと買い物に行く約束してたの」
「買い物?! まだ体の調子がよくないのにか?」
「……ね、クラウド、絶対そう言って止めるでしょ? だから、ないしょで行くつもりだったのよ」
「ないしょって、……そういう次元の問題か?」
「まあ、いいじゃないのよ〜。でねエアリス、待ち合わせの時間すぎてるのに、まだ来ないのよ。ちょっと心配になって」
もう一度エアリスの部屋を確認する。きちんと整えられたシーツ。片付けられた部屋。寝坊して慌てて出ていったとは考えにくい。
強烈な不安に襲われて、彼はPHSに向かって叫んだ。
「ティファ! その待ち合わせ場所ってどこだ?」
「え、えっと、六番街の入り口のとこの、公園だけど」
「しばらくそこで待ってろ。俺もすぐにいく」
「あ、うん。待ってる」
PHSを切り、急いで着替えると、彼はベッドにたてかけてあったラグナロクをつかんで表に出た。
光、光、光。
まばゆく降り注ぐ陽光の中、まずは家の裏側の花畑に足を運んだ。
……いない。ただ、花の世話をした形跡は残っている。やはり、彼女は朝早く起きて用事を済ませてから、余裕を持って家を出たのだ。それなのに、待ち合わせの場所についていない。
……消えた?
今朝の夢をふりきるように、彼は頭をふった。そんなはずはない。大丈夫。必ず見つかる。心配することなどない。
自分に言い聞かせておいて、彼は伍番街の出口から教会に続く道を足早に歩きはじめた。
教会は、いつものように静かにたたずんでいる。彼とエアリスが、『再開の再開』をした場所。木製のしっかりした扉をあけて確認してみたが、ここにもいない。即座に身を翻し、六番街に向かおうとしたとき、PHSが再び鳴った。
「ティファ? エアリスがみつかったのか?」
「……すんません。ボク、ティファさんやありません」
「ケット・シーか。なんの用だ」
イライラした彼の口調に気が引けたのか、リーブはびくびくした様子で言った。
「あ、あのですね、知ってはりますかもしれませんけど、女の子たちが行方不明になるっちゅう事件があいついでますねん。で、クラウドさんにも、事件解決のために協力してもらお、ゆうことになりまして……あ、こんな提案したんは、ボクやありませんよ。バレットさんです。そこんとこ、誤解せんといてくださいね」
さりげなく責任転嫁するリーブに、彼は「嫌だ」と即答しようとした。が、ふと気になることがあって、えんえんと続くリーブの言い逃れを中断させた。
「おい、その女の子たちって、エアリスに似ていたとか?」
「はっ、はいそ〜です〜。ようわかりましたね。でも、似てるのはエアリスさんだけやなくて、ティファさんとか、あと、金髪の背の高い女の子なんかも多いんですわ〜。なんででしょう?」
「……さあ」
「あっ、ひょっとして、協力する気になってはります? いや〜、うれしいですわ。クラウドさんが手伝ってくれはったら、もう、あっちゅうまに解決で……」
さっさとPHSを切っておいて、彼は六番街に向かって歩き出した。誰が事件を起こしたのかだいたい予想がついたが、エアリスを無事に見つけだすまでは、面倒ごとは極力さけたかった。
最近つくりなおされたばかりの公園にたどりつくと、ティファが駆け寄ってきた。
「クラウド! どう、エアリス、いた?」
「いない」
やっぱり、と呟くと、ティファはあのね、と何か言いかけ、また黙り込んだ。
「なんだよ、なにか、知ってるのか?」
「……うん、あの、その、ね、ピンクの服着た女の子見たって、さっき、聞いたの」
「本当か?」
「うん、それでね、なんだか怖そうな男の人と歩いていったって」
「男と?」
ティファは黙っている。俺が嫉妬するとでも思うのか、いまはそんな場合じゃない!
怒鳴りつけたくなったが、そこはなんとかこらえた。
「どっちに行ったかわかるか?」
「さっきのひとによると、あっち」
ティファが指差した先は、かつてのウォールマーケットの方だった。メテオのあおりを喰らって、ガレキの山があるだけのはずだ。マーケットの生き残りの連中は、先に復興された七番街に移って、商売を続けている。そんな人気のない場所に、いったいなんの用があるのか。
「ティファ、行くぞ」
「追いかけるの?」
「エアリス、さらわれたのかもしれない」
「さらわれた? って、誰に?」
できれば二度とあいたくはなかった。うんざりしながら彼は答えた。
「ドン・コルネオ」
「って、……あの? クラウドが女装し」
「行くぞ」
ティファが言いかけたのをはばんで歩き出したが、彼女はつったったまま動こうとしない。早く来いと言うと、ティファは少し首をかしげた。
「あのね、クラウド。いま、作戦考えたんだけど」
「却下」
ティファの考えそうなことは察しがついた。ティファは目に見えてがっかりしたが、あきらめるつもりはないらしく、彼の腕をつかんでひきとめた。
「ちょっとくらい聞いてもいいじゃない」
「嫌だね」
「そんなこと言わないで。エアリスたすけるためじゃない。ね?」
「……なんだよ」
「コルネオのことだから、きっと、警戒厳重にしてると思うの。そこに乗り込んでいっても、まあ、クラウドと私ならなんとかなっちゃうけど、騒いでる間にエアリス連れていかれちゃったら、ちょっと探しようがないよね。それで、ものは相談なんだけど」
「嫌だ」
「そんなに即答しないでよ」
彼としては、ティファの思惑には死んでものせられたくない。なんとしても、阻止しなければ。
「絶対、い、や、だ。それに、あの服屋もなくなってるだろ。ドレスなんか俺はすぐ捨てたからな。つまり、その計画は実現不可能。そういうことだ」
「えへへ、それがねー、洋服屋さん、営業再開してるの。しかも、すぐそこの七番街で。ね、だから行きましょ。エアリスたすけたいんでしょ? はやくしないと、大変なことになっちゃうかもよ」
「……そんなに俺で遊びたいか?」
「まっさか。……ちょっとくらい、いいじゃない。私は失恋した傷心の乙女なんだから」
ここまで言われては彼には断りきれない。エアリスが彼のことを『優しい』と評価する所以である。
きっかり一時間後、彼はティファとともに、コルネオの屋敷の前にたっていた。
いつの間に建て直したのか、悪趣味な飾りまで、御丁寧に復元されている。まわりが殺風景なガレキの山だけに、いっそう悪夢をみている気分になった。
「……それにしても、クラウドってば、綺麗」
ティファは見事なからだの線を強調したぴったりしたワンピース。彼のほうは暗い紫の、たっぷりしたドレス。今回は甘い蜂蜜色の、ふわふわした長い髪のかつらである。このおかげでずいぶん可愛らしい印象の女に見えるが、その手には布にくるまれたラグナロクをもっている。
「うるさい。さっさといくぞ」
「よかったね〜、クラウド。洋服屋のだんなさん、ずいぶんうれしそうで」
「……よかない」
七番街に新店舗をかまえた服屋の主人は、仏頂面の彼をみるなり、実にうれしそうに薄紙にくるまれたドレスをもってきた。しかも、以前のものとは形の違う、凝ったつくりの美しいドレスだった。よほど彼を待ち焦がれていたものらしい。
(くそ……あの親父……いつか痛い目みせてやる)
「やや、おね〜ちゃんたち、このあたりは危ないぞ」
しばしコルネオの館の前でうろうろしていると、いかつい黒服の男が声をかけてきた。
「ええ、ちょっと道に迷ってしまって。伍番街って、どっちに行けばいいか知ってます? 方向もわからなくて」
ティファがしおらしくそう言うと、男はさも親切そうに微笑んだ。
「じゃ、このお屋敷でひといきついていくといい。疲れただろう」
「ええ、まあ」
男はこころえたとばかりに二人に手招きし、怪しい当て字の彫られた重い扉を押し開けた。
「こっちだよ、おね〜ちゃんたち」
「あの、せっかくだし、御主人に御挨拶したいんですけど」
「ああ、もうそりゃ、大歓迎さ。あの方も喜ぶ。こ〜んなキレイなおね〜ちゃんたちだから」
応接室らしい一室に招き入れると、男は少し待つようにと告げて去って行った。
「さ、邪魔なヤツもいなくなったし、行きましょうか」
「……ティファ、作戦っていっても、前とまったく同じじゃないか」
「ん? そうなの? 前回って、私は参加してないからわからないわ」
嘘に決まっていると彼は思った。仲良しのエアリスからなにも聞いていないはずがない。
ため息をひとつ残して、彼はティファとともに部屋を抜け出した。
「じゃあ、私は、地下のほう探すから、クラウドは上の階ね」
「ああ」
二階にあがり、ひとつひとつの部屋をのぞいてみたが、エアリスの姿はない。三階への階段を昇りきったとき、悲鳴を聞いた気がした。
どの部屋かは一目瞭然だった。奥の部屋の扉だけ、悪趣味の度合いがひときわ濃い。邪魔なドレスの裾をめくりあげて、彼は走った。
「やだ〜っ、…………クラウド……!!!!!」
「おとなしくしないと…………ほひほひ」
エアリスの声。それに、二度と聞きたくなかったコルネオの興奮したセリフ。
扉の前で、彼は怒りを押さえつつラグナロクの布をとりさり、漆黒の大剣を、きんぴかの扉にむかって叩きつけた。
「ほ、ほひっ」
「きゃあ!」
折り重なった悲鳴と砕けた扉の木屑のむこうに、ばかでかい寝台が見えた。その上にふたつの人影。
「エアリス!」
呼びながら彼は走った。もたもたと逃げようとする肥った男の首根っこをとらえてひきずりおとし、その顔面をかすめるように大剣を床に突き刺した。
「ひ、ひぃっ」
「……やっぱり、またお前か」
あいかわらず趣味の悪い衣装に身を包んだコルネオは、ひいひい言うばかりでおびえている。なにか聞きだせる状態じゃないなと判断して、彼は寝台の上のエアリスに向き直った。
「……クラウド?」
エアリスはあっけにとられて、さかんにまばたきした。服装には大きな乱れはない。赤い上着が少しずれて、透けるように白い肌がのぞいているくらいだった。
「……ああ、あんたをたすけに来た」
「たすけに来てくれた、……わたし、わたし、ね、怖かった。怖かった……!」
エアリスは決して涙はみせない。それは彼女の強さだが、このときばかりは痛々しくて、上着のずれをなおしてやりながら、彼は抱きしめた。
「大丈夫だ。俺がいるから」
「うん。……でも」
ひとの温もりに安堵したのか、エアリスの声が明るくなった。
「そのカッコじゃ、説得力、ないかも」
「……あのな、俺はこんな嫌な思いをしてまで、来てやったんだぞ」
「あっ、うそうそ。気にしなくていいよ。だってクラウド、すっごく綺麗、だから」
「……」
実にうれしそうに笑うエアリスになにも答える気にならない彼は、このすきに逃げ出そうとしていたコルネオに声をかけた。
「おい、お前、なんのつもりだ? エアリスやティファに似た子をさらわせていただろう」
「ほひ〜、そ、それは」
「答えろ」
「自己満足、だって」
「は? エアリス、なんで知ってるんだ?」
ライフストリームから帰った日から、いまひとつ健康状態の良くないエアリスが簡単に逃げられないと悟ると、コルネオはここぞとばかりに余計なことまで自慢げにしゃべりまくったのだった。
「……でね、前にひどい目にあわせたわたしたちに、仕返し、した気分になってたんだって。そんなときに、わたし、罠にひっかかっちゃって、その、……ほんとに、ええと、あてつけみたいに……襲っちゃうつもりだった、みたい」
「そうなのか?」
訪ねてみたところで、コルネオがはいそうですと答えるはずもなく、脂汗をたらしているばかりだ。PHSを使って、リーブに連絡してやろうかと考えたとき、天井から垂れ下がった赤い紐が目についた。
「これは……ひょっとして……」
「な、なんでもない! ただのヒモだ。なんの意味もないぞ!!!」
彼が紐に触れたのと同時に、コルネオがわめきはじめた。
「それにさわるな! それをひっぱると、そう、天井が落ちてくるぞ! 危ないぞ死ぬぞ痛いぞ苦しいぞ」
「ふうん。おい、コルネオ。そこの気味の悪いがらの絨毯の上に立て」
以前、落とし穴があった場所を指し示すと、コルネオは目に見えて狼狽した。
「ひ、そ、それだけは……な、なんもないって言ってるのに」
「……今度こそ不能にされたいか?」
冷えきった彼の言葉に、コルネオの赤ら顔が蒼白になった。彼があごでうながすと、死地におもむくような悲壮なうめきを漏らしつつ、素直にしたがった。
「二度とエアリスに手を出すな。でなければ……わかるな? 俺は剣を無駄に汚したくはないからな。……」
ひらひらと手を振ったあと、彼は勢い良く紐を引っ張った。
「ほ、ほひぃぃぃぃぃ……」
地の底まで続くような暗い落とし穴に、コルネオの奇怪な叫び声が響き渡って、そして消えた。
「う〜ん、自業自得、ってやつ、かな?」
寝台の上から伸び上がって、エアリスは落とし穴をのぞいている。
「エアリス、もしかして、立てないのか?」
「え、う、うん。腰、ぬけちゃったのかな。だいじょぶ。すぐ、治るとおもうし」
「仕方ないな……」
「ひゃっ、あの、平気。だいじょぶだから、ね?」
「いいから黙ってつかまってろ」
騒ぐエアリスを抱き上げて、彼は悪趣味なコルネオの部屋を出た。
「ね、剣、置きっぱなしだよ」
「かまわない。あとでケット・シーか、バレットに届けてもらう」
「ふふ、そうだね」
一階に降りたところで、ティファが待っていた。地下には数十人の娘達が閉じ込められていたという。彼女たちを解放して、ここに戻ってきたところだった。
「エアリス! 無事? なんにもされてない?」
「うん。クラウド、来てくれたし。ありがと、ティファ。それと、ごめんね。約束、まもれなくて」
「そんなのいいのよ。無事だったらそれでいいの。ね、クラウド」
「そうだな」
ティファはまじまじと彼を見上げると、ふいに腹をかかえて笑いはじめた。
「なんだよ」
「な〜に? どしたの?」
「いや、その、ね」
笑いがとまらないのか、ティファは苦労しながら続けた。
「よく考えたら、なんか、すごい絵よね、って思って。そこらの女の子より綺麗なクラウドが、エアリスっていう娘を抱いてる図って。耽美っていうか、あは、あはははは!」
「ほんと、おもしろい〜。じゃあ、クラウドは、『クララちゃん』?」
「あ、それ、ナイス! さすがエアリスね〜」
「ふふ、クララちゃん〜! 可愛い!」
「……それはよかったな」
しつこく笑うティファに背を向けて、彼はエアリスを抱いたままさっさと歩き始めた。
「クラウド? どこいくの?」
「着替える。ティファ、あとはまかせた」
「ええ? 私ひとり?」
「PHSで、バレットあたりを呼び出せばいいだろ。俺はいくからな」
不満をいいたてるティファを無視して、彼はエアリスと共に七番街まで戻り、もったいないと愚痴る洋服屋の主人にドレスを突っ返して、ようやく伍番街の家まで帰りついた。
「ね、笑ったこと、まだ怒ってる?」
夕食を済ませた後、なんとなく庭に出ていた彼に、エアリスが声をかけた。おぼつかない足取りで、ここまで来たものらしい。
「もう歩けるのか?」
「うん、ちょっと、びっくりしただけ。……ね、怒ってる?」
「別に」
「ごめんね」
「気にしてないから、いい」
花壇の柵にもたれかかった彼をのぞきこむように、エアリスはしゃがんだ。
夜空のわずかな星の光に照らされた彼女の瞳。
星の中心でみた輝きのようだ。
「あのね、わたし、うれしかった。来てくれた……ありがと」
「エアリス」
「な〜に?」
言おうかどうか迷ったあげく、彼はエアリスと目線があうように膝をついた。
「ひとりで、勝手にどこかへ行くな」
「うん、ごめんね、でも」
「俺に言ってからにしろ。絶対だぞ。いいな」
「……どしたの、クラウド?」
怖かったのは俺も同じ。そう口にしかけて、彼はまた迷った。不安をあたえるだけだろうか。
「とにかく、どこにも行くな。俺のそばにいろ。必ず、護るから」
「あ、ボディーガード、続行中?」
エアリスは微笑んだ。変わらない素直な微笑。
「そうだな……報酬は?」
「ええとね、う〜ん、デートはもうしたし、お花は、ちょっと違うし。あ。そうだ、こんなの、どう?」
エアリスの腕がひらりとのびて、まばたきの間に彼にくちづけた。
「……!!!」
「ふふ、前払い。いいでしょ?」
呆然とする彼の前で、エアリスはぱんぱんとスカートの埃をはたき、さっさと家に戻っていってしまった。
「……くそ、やられた……」
苦笑して、彼は土にじかに座り込んだ。
夜空を見上げる。
こぼれ落ちてきそうな星空……
FIN