d . e . v . i .

鏡を、見つめて

泣きたくなった。

ユマの存在。鏡の向こうになら有るのだろうか。また別のユマがいるというだけのことなのだろうか。

巨大な鏡から離れて、ユマは広大な部屋に鎮座している玉座に向かう。

金属の王座。

幾万ものコードがうねり巻き上がり、脈打ってユマを待っていた。

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漆黒の空間に、いくつもの光の柱。

柱の中には一体ずつ少女が浮遊していた。

正しくは少女の幻像と言える。満たされた羊水に抱かれて立体映像が漂う。同じ顔の少女達。同じ髪。同じ唇。伏せた瞳。開けば輝く笑顔で言うだろう。

「シィン、あいしてる」と。

胃液がこみあげてシィンはあっけなく吐いた。今の状況のことなど考えられなかった。吐いて吐いて、内臓までも吐きそうになりながら。

「ユマ・・・ユマ。俺を、呼んでくれ!」

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玉座のひじおきに手をかけて、ユマは自嘲めいた笑みを浮かべた。

冷たい。冷たいと感じる。ユマの手は暖かいのに。疑ったことなどかなったのに。

いまごろシィンはどうしているだろう。ユマを呪っているか、憎んでいるか。

また逢える。

ユマには確信があった。血の痛みを伴っているけれど。必ず逢うことになる。そのときはきっと…

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都市の支配者、機械仕掛けの女王を廃せよ!

虐げられた労働者層から運動が起こったのはシィンの父の代からだった。

都市を恒久的に完璧に支配するはずのマザーが暴走を始めたのだ。外界から完全に遮断された都市で、市民たちは徐々に殺されてゆく不安に絶えていかなくてはならなかった。

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ある日一人消える。二人消える。

出される捜索願いはマザーの膨大なデータの海に沈んで浮かぶことはない。そして。時折、廃棄物処理施設から肉体の一部が発見される。本来異質物に反応するはずの処理機体は無感動に処理を続け、そして消え去る。

悪意も必要性もなくひとが消えてゆく。その恐怖に、ひとびとが耐え切れなくなっていた。

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父がマザーの処理にあった後は、シィンは解放組織とは関わりなく生きてきた。母が彼の身を案じたためだ。

シィンは父が抵抗していたことを数週間前に知った。少女と逢わなければ永遠に知らずにいただろう。

逢わなければ。

少女たちを内包した柱によりかかり、シィンは唇を噛んだ。それなりに生き、死の恐怖と刹那的な享楽に沈み、形式的な恋愛を楽しんだのだろう。それだけのこと。

「ユマ……俺を、呼べ」

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「シィン、私の血をとめて」

乾いた唇でつぶやいて、ユマは玉座によりかかる。あの時、どうして人工子宮は割れたのだろう。「女神」が目覚める前に、どうして母体を出たのだろう。生まれたてのユマを、どうしてシィンは助けてしまったのだろう。

唇だけ動かして、呼んでみる。

シィン。

声は出ないけれど涙がこぼれた。

シィン。私は「生きて」いるの?

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私どこからきたのかな。記憶がないの。そう言ったユマは実にあどけなく、シィンは簡単に恋に落ちた。

謎めいた少女。偶然拾った彼になついて。護りたいと思うのは当然のこと。

「そうだろう、ユマ。他に選択肢があったか?」

シィンは柱を眺めた。ユマの幻像。抱きたい。暖かかった。熱をおぼえている。ユマの声。肌。偽物ではありえなかった。

億劫に立ちあがり、シィンは「母体」と呼ばれる施設を出た。

確かめに、ゆく。

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これに座れば終わる。

ユマの奥底に埋め込まれたチップが告げる。

ユマは消滅し、女王が目覚める。正しい部品を得れば、マザーは正常に作動するだろう。チップに損傷があればさらなる暴走が始まるだろうが。どちらにしても、ユマは消える。

「シィン…わからない」

玉座の手摺にほほをあてた。

終わるよ、その先にあるものはどこまでも続く平穏のみ。

チップが、また、ささやいた。

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監視をかいくぐるのはたやすかった。父の名を出せば、解放組織の連中は協力を惜しまなかったし、なによりユマの存在がものを言った。

ユマはマザーのかけらであったから。

彼女がマザーに還える前に破壊し、人の統治による街を取り戻すためにはシィンの存在は貴重だった。彼を使い、ユマをマザーから引き離す。が。

「声が聞こえれば、呼んでくれれば、俺は」

彼女をどうするのだ? 

果てなく続く回廊をさまよいながら、シィンはひたすら自問を続けた。

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どうするというの?

ユマは立ちあがった。逃げ出せばいいの?塔から飛び降りる?それとも玉座に、座る?どれもシィンを苦しめる。結果は同じ。いずれここにたどりつく彼にすべての決定をゆだねるのは最悪の選択だろう。

ユマは切なく鏡を見やる。映りこんだユマの細い姿。違う「ユマ」であれば、問題なくマザーとして組み込まれていたはず。シィンと出会うこともなかった。

想像しても、それは鏡の向こうのユマよりも意味のないことではあったけれど。

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巨大な白い空間のはるか彼方。

天を突くほど高く大きな金属の椅子。

各所のランプが明滅して、機械塔のレプリカのように見えた。

そして、鏡。

玉座を半ば覆っている多面体の鏡には、少女が映りこんでいた。

「シィン…」

呼んだ。かすかに。シィンは歓喜に震えそうになりながら椅子に向かって歩いた。

ユマだ。椅子のわきに立ち、待っていた。

こぼれた涙。塩辛く、おそらく成分的にもヒトと全く同じもの。ユマの銀の髪をすいてやり、涙をぬぐった。

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頬をすべったその指が温かくて、その黒い瞳が優しくて、ユマは溺れそうになった。

死にたくない、消えたくない、ここにいたい、そばにいたい、溶け合ってしまいたい!

…玉座へ。また、チップがささやく。

その誘惑も絶えがたくユマを苛む。用意していた言葉を言おうとした。

これでさよなら。マザーが呼ぶから、わたしは還える。

あなたは人の子と生きて。声は嗚咽にしかならなかった…

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ただ泣き続けるユマを、たまらなくなって抱きしめた。

「ユマ、俺を呼んだだろ。行かせない。組織にも渡さない。ずっとこうしててやるから、泣くな」

やわらかなユマの体。

「ずっと?」

ようやく顔をあげたユマに、シィンは笑った。

ようやく決心したから。何も知らずにいたから怖かっただけだ。もうじきくる、その瞬間が。

背後に気配を感じたが、シィンはさらにきつくユマを抱きしめた。

来た。これを待っていた!

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ふわ、とくちづけを受けて、ユマは陶然と目を閉じた。

何の確証もないけれど、ただ安心感に満たされて。

だから。

『どん』 鈍い衝撃が体中を走っても、どこまでもおだやかな幸福に包まれていた…

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組織の誰彼であろうと、マザーのかけらを起動停止させるのにためらいはないだろう、と確信していた。

命が惜しければ、かけらからは極力離れろと忠告も受けた。マザー本体のあるこの部屋で、ユマと接近していれば確実に死ぬことになるだろうとも。

読みが見事に当たったのを薄れる意識の奥でほっとしながら、シィンは青白い火花を放つユマと白い床に倒れていく…

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プレートは草と土に埋もれて、それでも光を放っていた。

少年が小さな銀の板に気づいたのはまったくの偶然だったが、それは彼の将来を大きく運命づけることとなる。

しかし、幼い少年の目には、それは子供の宝物としか映らなかった。

土を掘り、板をポケットにおさめると、少年は母の待つ家へ走りだした。

刻まれた文字は「d.e.v.i.」古代宗教における女神の名であること、そして、かつてこの丘に世界を統べた玉座があったことを少年が知るのは、高名な歴史学者となったあとのこと…   

fin

第二弾携帯連載小説です。
暗い物語を読んでくださった方々にひたすら感謝です。

10年前に、この前身を書きました。中学生です。
「devi」というのは、当時テレビで見た、インドの女神の名前です。
パールバティーの別名ではないかとかいろいろいわれてますが、おおむね「女神」の総称をさすようです。

某手塚映画と酷似している部分がありますが
へっぽこな十年前のイラストに、すでに玉座に座る少女、描いてましたから。(^^;)
いちおう、言い訳。蛇足。(汗)
あ、名前が似ているのは意図的かも(笑)

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