その朝は、めったにない霧が聖都を覆い、白亜の神殿をぼんやりと浮きあがらせていた。
かぼそく聴こえる小鳥達の唄がどこか物悲しいのは、ラウェドの思い込みのせいなのか。
「ゆかれるのですか」
「神殿の捜索だけでは見つからない……。あと、二年しかないのに」
「つれていってほしい、と言っても承知なさらないでしょうね」
あれから三年が経過していた。
おさなかったラウェドも、いまはこうして聖戦士への道を歩みつつある。
そして、金の髪の少年は、この都の中では並ぶものもないほど強くなった。
ラウェドはしっている。彼が強さを求める理由を。
旅に入り用な荷物を鹿毛の若駒の背にくくりつけると、カイルは足下のキャルスの頭をなでた。
キャルスはもはや猫とは言えない。犬ほどに成長したが、不格好なほど大きな足をしているから、これからもさらに巨大になるだろう。そのキャルスは、濡れた海色の瞳でラウェドを名残惜しそうにみつめていた。
「大陸に、不吉な兆候が見える。しっているか」
ラウェドはたじろいだ。
それが三年前に姿を消した綺麗な少女をさがしにゆくことと何の関係があるのだろう。
だが、噂は知っていたのでうなずいた。
「たぶん。スフェナが、調和をもたらすことになる」
さらりと言いのけられた言葉を理解するのに、多少時間がかかった。
「でも、あの子はただの神女見習いじゃ」
「おもてむきはな。俺が二歳のとき、神女頭がサーヴァ神の神託を受けた。北の森に眠る皇をめざめさせよ、と。封印を解呪できるのは、カディス王家の直系の者だけだから、俺がつれていかれて、スフェナを解き放った」
カイルはいったん切った。話してしまうかろうか迷っているようだった。
「……俺の本当の姓は、カディス。今のカディス王の七つ下の弟だ。スフェナは……スフェナ・リスタ・サーフィ。かつては大陸に君臨した、緑皇家の生き残り。あの翠の髪と若葉のしるしは、そのあかしだ」
カイルは笑った。このうえなく優しい。最近ではめったにみられなかった木漏れ日の笑顔。
「けれど、そんなことはどうだっていいんだ。俺は、スフェナがそばにいて、笑っているなら、それでいい。この三年はきつかった。狂うかと思った。……だから、もう二度と失わないために、聖騎士になった」
彼は先日、聖騎士就任の儀式をうけた。その儀式で、彼はサールナートの至宝、神剣ラグジェンにおのが肉体を鞘として認められたのだ。それは激痛をともない、一日寝台から出られないほどだったのだ。透明な輝きをもつ長剣は彼を認め、刃は彼の体におさまって、ことあらばあるじを護る。
「必ず、無事につれもどす。だから、それまで」
見事な身のこなしで、カイルは馬上の人となった。
「それまで、神殿を護っていてほしい。ラウェド、おまえ、すじがいいから、すぐに聖戦士になれるぞ。……そうだな。俺が死んだら、おまえが次の聖騎士になるといい」
「そんな! なんてことを」
慌てたラウェドに、カイルは声をたてて笑ったが、ふいに口調をあらためた。
「あとは、たのむ」
「……はい!」
強くあぶみをくれると、馬は勢いよく駆け出した。それをキャルスが力強い足取りで追ってゆく。
……霧はいつかすっかり晴れて、青い空から太陽の光が燦々とふりそそいでいた。
澄み渡る空に、あの鳥はもういない。
「シルフィ、今日は降臨祭の日だ。いって、みようか」
見上げた雲が、いつもより歪んで見えた。
(なくもんか。もう、なかない)
ぐいと目もとを袖でぬぐって、ラウェドは歩きだす。
夢におわりはないのだから
fin