FLOWER
崖を吹き渡る風が、岩礁にあたって砕ける波の音と、軽やかな水仙の香りを運んでくる。
一月の中旬。淡路の黒岩水仙郷には可憐な白い水仙が咲き乱れる。
この時期にはたくさんの観光客が訪れ、この崖を登っていくのだが、今は人影がまったくない。
奇妙に静寂をおびた空気の中で、彼女は水仙に囲まれて、猛々しい波濤をじっと見つめていた。
彼女の姿は、奇異なものだった。
腰までもある長い艶やかな黒髪、無垢な白さの単衣(ひとえ)。
甘い風に身をさらして、彼女はじっと、海を見つめている……
ILLUSION
彼女の愛した男は、英雄と呼ばれていた。
ゆえに、彼はうとまれていた。同胞から。肉親から。
出逢ったころはまっすぐに輝いていた瞳が、しだいに憂いをおびていく。
食事もままならず、ただ、ひたすら、彼は耐えていた。
強い彼、こころ優しい彼を、彼女は愛していた。
愛妾という立場はどうでもよかった。
そばにいられるなら。痛みをやわらげてあげられるなら。
彼と彼女は、血よりも深い部分で結ばれていたから。
「お前は、水仙に似ているな」
彼を追い詰め続けていた憎しみが限界に達する少し前の夜、彼は、となりでまどろむ彼女に、ふとささやいた。
「水仙? お好きなの?」
「ああ、好きだ。……芳しい香を放ち、繊細で無垢な白さで、……茎が、芯が強いところが、お前によく似ているのでな」
彼は微笑した。
わずかな陰り。彼女は胸が痛むのを感じた。
すくってあげられたら。
もう一度、時を戻すことができたら。
明るい少年のまなざしを取り戻してあげられたら!
「水仙が、群れ咲いている場所があるそうだ……。さぞ、美しいであろうな」
ぽつりと残した彼の言葉。
時が巡り、彼は実の兄に追われ、はるか北の地で殺された。
彼女の腹には赤子がいたが、生まれてすぐに海に投げ落とされた。
FLOWER again…
彼女はずっと、彼を待っている。
くちびるをきつく結び、強い意志をひめたまなざしを海に向けて。
水仙が、海風に揺れ、芳香をまきちらす。
彼女はもう、その香りを感じることができない。風の優しさにも触れられない。
それでも、彼女は待ち続ける。
咲き乱れる、水仙と、ともに……