唄いきると詩人は深く深呼吸した。
見回すと、あれほど騒がしかった酒場は静まり返り、ときおり鼻をすすったり、嗚咽がもれている。あの剛胆そうな女将ですら、そっと目もとをぬぐっていた。
いままでにない出来だった。
詩人は酒場の雰囲気を変えてしまったことを申し訳なく思いながらも、満足していた。二度と、同じようにはうたえないだろう。
そして彼は、この歌をうたわせるきっかけとなった恋人たちに、再び注意をむけた。
ふたりはちょうど席をたったところだった。両手で顔を隠した娘を護るように、青年は店を出ようとした。暖炉のわきの詩人の視線に気がつくと、彼はちょっと会釈した。
やはり似ていると、竪琴を片づけながら、詩人は苦笑した。
いつのまにか、雪はやんでいた。ぶあつい雲の切れ間から、いくつかの星が出ている。
白い息を吐きながら、ふたりは無言で歩いていた。娘はいまだ泣きやまず、青年はすこし困っているようだった。
「……ルセ」
青年が呼ぶと、娘はやっと彼を見上げた。綺麗な青い瞳が、痛々しいほどあかい。
「大丈夫、です。ただ、とても、かなしくて……」
「うん……」
彼は、昔よくみていた夢と、さっきの歌の相似にとまどっていた。娘と出逢ってからは、思い出すことも少なくなったあの夢。
「わすれな草か。結局、お姫様はどうなったんだろうね。やっぱり死んでしまったのかな」
「……さあ。でも、『わたしを忘れないで』って言った気持ち、わかるような気がします」
娘の言葉に、青年は奇妙な既視感を感じた。とたんにこの現実そのものがひどく危うげなものに思えて、怖くなった。
娘の肩を抱いていた腕に、力がこもってしまったらしい。
「エマさま?」
「なんでもない。……もうすこし、このままで」
娘のやわらかな金髪に頬をあてて、彼はささやいた。春の花の、甘い香りがする。
怖がることなどなにもない。この手のなかに彼女はいる。物語の、あの少年のようなことには、決してならない。
あんなことには……
若干の不安を抱えながら、ふたりは白銀にまばゆむ町を歩く。
白金に輝く月は、いまは完璧な姿を天空にゆだねていた。
1999/8/5