雑感 2002/03/06(水)
帰国して最初の〆切を迎えました。
皆様の暖かい応援に支えられ、いよいよFatalも残り5話となりました。(泣)
――長かった……本業しながらアルバイトでするようなモンじゃないですね。
週刊連載って。
ま、その分達成感みたいなモンはありますが。
4月からは学生に戻りますが、
収入のないプーにもなります。新しい仕事みつけねばねばねば……

電話器が壊れました。(泣) 2002/03/25(月)
二週間ほど前のことですが、帰宅すると我が家の留守電FAXが何の表示もしなくなっていました。
どうやら電気系統の故障らしく、コンセントを差し替えても復旧しません。致命的なのは受話器をとっても通話音が聞こえないということ。
普通停電になっても電話わ通じるじゃないですか。そんな最低限の機能すら使えなくなってます。
引越しまで残り一ヶ月弱。――今更買い換える気にもなれず、というより既にこの留守電FAXの買取り先を抑えていただけに無念さが募ります。

――あと一ヶ月故障するのが遅ければ……

でもなぜかネットには繋がるんですよね。ケーブル経由しているのに(今も)。
いまや延長ケーブルの巨大な接続プラグと化した我が家の電話器。だれか買いません?ジャンクで…(爆)

ちょっと感動 2002/03/25(月)
風邪でぶっ倒れてまして何も出来ずに布団に潜ってテレビを見ていると、長野フィギュアスケートのエキジビションが放送されていました。
普段ならわざわざ時間を取ってまで見ないのですが、なにげにビックリです。

ミシェル・クワンの演技に見とれてしまいました

ほかの選手には悪いのですが、表現力の格が違います。
本当に芸術的ですね。
得点のかかる規定・フリー演技と違い結果の出た後のエキジビジョン。規制もなく(多分)選手たちがもっとも伸び伸びと自分の持ち味を出せる場なのでしょうが、さすがパーフェクトの称号をもつミシェルクワンといったところでしょうか。大会自体は銀メダルだということですが、素晴らしかったです。
――いや、結局何が言いたかったかというと、普段関心を持たない私でも、本当に美しいものを目の当たりにすると魅了されてしまうものなんだなと。ちょっと感動したもんで――

その後男子の演技に入る前にチャンネルを変えたことに意図はありません……

今更と言うか…… 2002/03/26(火)
徹夜で原稿描いていたのだが、フジテレビの『めざ天』ニュースで
宇宙戦艦ヤマトの原作者は西崎さんという朝刊記事を紹介していた。

著作権は我にありと『新宇宙戦艦ヤマト』構想を立ち上げお得意の松本パラレルワールドにヤマトを取り込もうとしていた松本零士大先生であったが、ここにきて大ブレーキがかかるのでしょうか?

物心ついた頃に宇宙戦艦ヤマトに出会い、家族と孤独なチャンネル争いをしていた私は第一作目からかなりの情報誌に目を通しておりまして、当時のヤマト誕生秘話を読んだ限り、企画・原案は西崎氏。キャラクターデザインが松本先生といったところが妥当な線だと思ってました。
その後のシリーズの原案資料を見ても松本先生の書いたシナリオ原案はことごとく没になってたみたいですし(ex.ヤマトよ永遠に)たしかにしょぼかった記憶はあります。『銀河鉄道999』『キャプテンハーロック』『クイーンエメラルダス』など松本作品は好きですが、無理やりヤマトをこれらの作品と絡めるために時代設定を2199年(一作目)から3199年(新ヤマト)に1000年も飛ばす必要ないじゃないですか?
『1000年女王』とかけてるんでしょうか?(なるほど)

『宇宙戦艦ヤマト』は別格というか、ある意味松本零士色から一線を隔す存在であって欲しいと願うファンは多いはず。
古代進の子孫と森雪の子孫が登場って二人結婚したのに別々の子孫がいるんかいなんて突っ込みを入れてる昨今、そういう意味ではこれは松本先生の暴走に釘を刺す意味で朗報かもしれません。

――ま、西崎プロデューサーが原作者と認定されて、放映権も帰属↓場合、莫大な脱税容疑で逮捕されている現状からすると二度とヤマトの新作は出来ないんじゃないかという不安もありますが……


ちなみに『米倉涼子主演ドラマの会見でラムちゃんスタイルで豹柄ファッションという見出しが出てましたが、ラムちゃんファッションは虎柄です
どうでもいいんですけどネ

泣けたこと 2002/04/01(月)
昨晩の雷電右衛門スペシャル。
観る予定ではなかったのだが、Asian Hの最終回ということもあって観てしまいました。
日本人のカズ・韓国人のジョンアー・在日3世のチャンガン。三者三様の背景の違う三人による旅はこれまでの売れないバンド救済企画と違い、国を超えたより深い意義のある企画であり、4月に韓国留学を控えた私にとってはうってつけの番組でした。
開始直後は歴史認識に無関心なカズの不用意な発言や態度に正直苛立たしさを禁じ得ませんでしたが、各国の日本人に対する認識、それに連れて自分の先祖がしてきた事を知るに連れて背負う日本人としての負債と苦悩の姿に涙なくしては観られませんでした。
私にも在日三世の友がいますが、彼もチャンガンと同様に日本人・韓国人という区別での話題には触れたがりません。日本に連れて来させられ、終戦後も韓国からも見離され、自分で這い上がるしかなかった祖父母の姿は会話が成立したところで癒えるようなものではないからなのでしょう……。
韓国政府は日本の政権が交代するたびに謝罪を求めてきます。政治的な駆け引きもあるのでしょうが、謝罪を求められる側は基本的に腰が引けるもので、あまり何度も追求されたくはないものです。韓国側もそこまで根に持って恨んでいるのかと言えば、『過去の歴史を認識して欲しい』それだけなのかもしれません。
やはり日本の歴史教育、特に戦時中のことを教えなさ過ぎることが問題なのは確かです。教科書問題など、当時の歴史認識の食い違い以前に教えないことが。そして知らないことが。程度の差こそあれしっかり授業で教育していれば、諸外国の言い分も少しは違ってくるのではないだろうか。

その後深夜NHKBSチャンネルで再放送されていた『もっと日本を知りたい』では、日韓の学生がそれぞれ日韓を主題としたプロジェクトを提言する討論会に向けた準備の過程で様々なものを学んでいく姿が映されていた。
互いに相手の国に関する予備知識の乏しい学生同士が、日韓共同で出来るプロジェクトを模索する。
日本側が選んだテーマは環境問題。
韓国側が提示したものは文化交流の場。

――やはり韓国人は率直である。日本人はどうしても観念的で本質から逃げたがる。そんな印象の残るものだった。

韓国の学生が祖母に日帝時代の話を聞きに行った時、多くを語らず「昔のことだから恨んでも仕方ない」「孫を招待してくれてありがとうと言いたい」曽祖父(祖母の父)が強制連行で病死したにも関わらず、そう孫に語るだけの姿に胸が締め付けられました。

――これが『恨』の世界なのだ……

なにはともあれAsian Hのラストソングはいい歌だ。
サムエルのトークはちょっとマイナスポイントだったね。

いざ韓国へ! 2002/04/15(月)
いよいよ渡韓の日。
残務処理が終わりきらぬまま(おいおい)、PCのパーツをケースからはずして持ち出します。
ケースごと運ぶとかさばるし重いので、中身だけ持って行き、韓国でケースを買って組み立てるのが常套手段なのです。
当然入国審査で引っかかりますが、「ハクセンテムネ」(学生ですから)の一言でO.K.です。

さらば日本。
さらば花粉症!
この時期の日本脱出は私にとってマスクと縁が切れる喜ぶべき旅立ち――のはずでした。

はずだったのに――!

この時期の日本の天気予報に花粉予報があるように、韓国の天気予報には

黄砂予報(泣)

――どこに行ってもこの時期マスクは手放せません……

クラス分けの落とし穴。 2002/04/21(月)
クラス発表があり、これから共に学ぶクラスメイトと対面してきました。

17日にクラス編成試験があり、その人の現在の韓国語学力に合わせて効率よく授業をするためのクラス分け試験で、筆記と面接による会話力で審査されます。
私はこれまにこれといって勉強したというより、韓国へくる機会が多かったため、言葉がわかるというより、その場の空気で何を言わんとしているのか見当がつくようになっていたのだ。

覚えた単語をつなぎ合わせて答えてみると、思いのほか面接官とのコミュニケーションがうまく取れてしまったのだが、これがいけなかった……

わたしの所属するクラスは
9クラス中5番目。(らしい)

生徒8人中半数が前学期からの繰り上がり、他の生徒も半年以上の学習経験を持っていて基礎単語力は明白。
みんな
流暢な韓国語で会話してます。
授業もテキストはほとんど使わず、出題された構文を用いて生徒同士会話するというもの。

構文がわかっていても単語力なければ話せません。








ついていけるのか?俺(半泣)


大学を卒業し、学業から永らく遠のいていた私にとって、仕事と両立しながらの語学院生活。
この日記は今後、身悶えしながら涙の反省文となりそうです……

教訓:試験でのハッタリは身を滅ぼすので注意。

韓国は大盛り上がりです 2002/06/05(水)
昨夜8:30から韓国国民は全員テレビにくぎ付けでした。
我が外語大のグラウンドにも特設スクリーンが設けられ、応援の声が街中にこだましていました。

ワールドカップ初勝利。
おめでとうございます。
大騒ぎです。今日年上の韓国人と会えば
まずおごってもらえるでしょう

それにつけても日本対ベルギー戦。

どう見たって日本の勝ちでしょう!

ペナルティエリア内での二度のファウル見逃しに幻のゴール。
コスタリカの審判!
生きて日本を出られると思うなよ!

ちなみに昨日の試合結果は

中国0−2コスタリカ
日本2―2ベルギー
韓国2―0ポーランド


うちのクラスは
中国人4人
日本人3人
生まれも育ちもドイツの韓国人1人








――今日1日サッカーの話題は禁止となりました。(爆)

祝!16強(韓国篇) 2002/06/14(金)

韓国もポルトガルを破ってグループ1位通過で16強入りしましたね。
私は外大キャンパスの特設会場で試合を見ました。
日本が16強入りを決めたばかりなだけに、万一韓国が負けたときのことを配慮して

赤いTシャツを着て、なるべく日本人だとばれないようにして
観戦してました。


韓国って自分の国の試合となるとほんとうに国を挙げて応援するもんだから、どえらい騒ぎです。
だから二戦目のアメリカ戦の時は昼の試合だったから学校が午後の授業を自粛。
会社も仕事休むか職場にテレビを置いて観戦ですもん。
もう完全にウリナラ(我が国)状態です。
韓国での他国の試合会場なんてチケット余りまくって当日半値以下で投売り状態だってーのに。

――で、この第3戦、驚いたのが反米感情ですね。いきなり大歓声と共に総立ちになるから韓国が得点したかと思ったら、同時に試合していたアメリカがポーランドに得点を許した情報が流れたからなのです。
(このところ学内でも反米のビラが撒かれ、第2戦のアメリカとの直接対決の時は金大中大統領がスタジアムでの観戦を自粛、アンジョンファがゴールを決めてオリンピックのショートトラックをパフォーマンスした時なんて街中から歓声が響いてきたもんです。)
朝鮮戦争で韓国を支援してくれた感謝を込めてアメリカをミグク(美国)と呼ぶこの韓国でなんてことでしょう。

さて、話は戻ってこの第3戦、優勝候補の一角と目される強豪ポルトガルに対して1対0 (選手は11対9だったが)で勝利!もう周囲は総立ち大騒ぎ。
抱き合って泣く者叫ぶ者。
気が付けば床に敷いていた新聞紙に火をつけてキャンプファイヤーが始まる始末。


気持ちは分かります。
私だって日本で日本戦の勝利の瞬間を目の当たりにしていたらこんなもんじゃありません
××して△△や○○なんか**してたことでしょう。


ハジマン(だけれども)ここは韓国。
――こんな時おおっぴらにウリナラ日本の勝利を喜び合うコミュニティーのないことが、母国を離れて暮らす現実を私に自覚させます。

皆さん。

日本にいるのなら大いに喜びを分かち合って下さい!

外国で母国を批判されることがどれほど辛い事か理解してください。

特に政治家
。(あと、在中日本大使館も)

祝!16強(日本篇) 2002/06/14(金)

皆さん!見ましたか?日本VSチュニジア戦。

 ――まぁ、歴代開催国で予選リーグ敗退なんて今までなかったので最低ラインクリアと言ったらそれまでなんですけど、5年前でしたっけ?
ワールドカップ誘致に日本が乗り出した時は本当に無責任極まりないと思いましたよね。
だってワールドカップに出場実績のない国がどうして開催国になれます?
前回のフランス大会で初出場できなかったら本当に世界の笑いものだっただろうし、今回だって16強に入れる保証もなかった時期だったんだから。
そういった国際感覚ゼロのお偉いさんの欺瞞には本当にあきれたというか、こうなった以上開催国にふさわしい実績を選手たちに願わざるを得ないじゃないですか。
選手にしてみれば実績もない時期にそんなことされちゃって、完全に追い詰められた立場で毎試合毎試合臨まざるをえなかったわけで、不憫に思えてなりませんでしたね。(選手にとってはそんな世間体みたいなのは眼中になかったとは思いますけどね)

 それにしても日本は本当に強くなったんですね。
前半戦は無得点に抑えて、後半で怒涛の攻めを見せる(?)試合展開。
常にカメラを意識したポーズを切るトルシエ監督はまさに三谷幸喜
常にいいポジションに走りこめるセンスを持ちながらゴールを攻めきれない柳沢……と交代して入った森嶋最高ですね!

中田も初ゴールを決めてくれたし、試合後のインタビューの
「あれは決めないと。」(あのパス決めなきゃプロじゃない的)

皮肉たっぷりで最高です!



それにしても今回
前回のフランス大会でチャンスにゴールを決めれずブーイングまみれになった
城の役回りは柳沢に決定でしょうか?


明と暗 2002/06/17(火)

トルコに負けてしまいました。
語学院の日本人誘って皆で応援してたんですが、なんなんでしょう。あのテンションの低さ。
だらーっと始まってだらーっと終わってしまいましたね。応援団にもがっかりです。
我々の代表として試合会場に応援しに行ってる自覚をもてくぉら!
試合終了のホイッスルを聞いた後、テレビ越しの我々の脱力感たるや……
正直私はその夜泣きました。
まさか自分にこれほど愛国心があったのかと驚いたくらいです。
たとえどんなに節操がなく、非難されても仕方ないような外交政策しかしていないヒンシュク国家だったとしても、やはり自分が生まれ育った国は『母国』に違いないんですね。無条件に情が行きます。それを今回痛感しました。


だからお願い。
日本敗戦が決まった直後に
青から赤いTシャツに着替えて韓国の応援に行く切り替えの早い我が友よ。
少しは敗戦のショックを引きずろうよ。


ひとつの区切り 2002/06/28(金)

今日、語学院の今学期が終わりました。
最終日は期末考査。その後6組の卒業式を兼ねた食事会が行われました。
立食形式だったため、組織力に勝る我々はおのずと役割分担を決め、各自が目的の物のみをチョイスしてくるというナイス効率性をみせ、自分のほしいものを採るために行列を作る他者を尻目に早々とひとテーブル完成させてしまいました。(こういうとき日本の組織力ってステキって思っちゃいましたね。)

今期で故郷に帰国する者。
来期も継続して修学する者。
私のように来期は仕事で行くことができず、来来期の再会を約束する者さまざまでした。

うちのクラスは本当に雰囲気がよかっただけに、来期受講できないことが残念でなりません。
みんな、受講はできないけど
遊びには誘ってね(^^)


一時帰国 2002/07/05(金)

語学院も夏休みに入りまして、只今私はビザ申請のため福岡に来ております。

福岡といえば『博多ラーメン』『めんたいこ』などなど。

三ヶ月ぶりの日本食はもう決まりと思っていたのですが、ちょっと体調崩してしまい、帰国前日に病院で見てもらったところ、
疲労による『アレルギー性ぜんそく』と診断され、漢方薬による薬膳治療を勧められてしまいました。

服用に当たっての注意事項には

「麦製品、香辛料を極力摂取しない事。
特に『ラーメン』『辛いもの』‥‥」

−−神よ!!!

なぜこの時期に私を遣わし賜うたのか!?

三ヶ月ぶりの日本。しかも博多‥‥ほとんど拷問です(涙)。

仕方ありません。
ラーメン・明太子・モスバーガーは一度だけで諦めます

代わりに『めしやどん』でどんぶり三昧です。

ねぎとろ丼にカツ丼・うな丼……

日本食万歳だ!

くじけません。
与えられた環境下で最大限楽しんで見せます!
逆境に負けてたまるかってんだ。
へっへーん。


そして無事ビザも下りて帰国予定の今日








台風通過で欠航(泣)。


一時帰国(その2) 2002/07/06(土)

さて、台風で足止め食らったついでに
只今、先行レイトショーの
『スターウォーズ・エピソード2』観てきました。



最っ高っス!マジで。

『エピソード1』とは比べ物にならないくらい見ごたえたっぷりでした。
ストーリー展開も第一作(エピソード4)に繋がる伏線が至る所にちりばめられ、バトルシーンのスケールと見せ方も、ヨーダの戦い振りにも観てて小躍りしたくなってしまいました。


いやぁこの一年近く忙しすぎて映画観れてなかったんだけど、久し振りの映画を
『エピソード2』にして正解でしたね。
韓国じゃいち早く公開されていたんだけど、字幕がハングルじゃ読めねーし(泣)。
このチャンス逃してたら久し振りの映画を字幕読めなくても楽しめる
『少林サッカー』にするとこだっただけに。
いやぁ、まだ興奮してます。
明日どうしよう。



−−あ、字幕はやっぱり戸田奈津子さんでしたね。


一時帰国(その3) 2002/07/08(月)

どーも。無事韓国へ戻ってまいりました。
台風によって予定の仕事への参加が1週間遅れまして、八月中旬復帰が危ぶまれていますが、その分エピソード2の先行レイトショーを楽しめたので『善し』としている私です(爆)。

韓国へ戻る際に下宿仲間全員に土産を用意したのですが、20人近いため予算の都合上
(収入のない学生なので)一人100円(+消費税)と見積もり、この夏に最も需要が高く、かつ日本的な土産を選んで参りました。


そう、夏は暑い。
暑いと汗が出る。
汗が出ると毛穴が詰まる。

『毛穴の汚れ取りパックシート』(100円ショップ:ダイソー)


もうひとつ。


やはり夏は暑い。
暑いと汗が出る。
鼻のテカリが気になる。

『高級油取り紙100枚入り』(100円ショップ:ダイソー)




この二種類の日本らしさを前面に押し出したお土産『私らしい』という一言で
快く受け取っていただけました。

あと『洗濯ネット』や『各種動物占い本』なんかも好評でしたが、
私個人としては


『ベビースターラーメン』(ピーナッツ入り100円:ampm)
『永谷園生味噌汁8食入り:あさげ』(スーパーで安いと100円)


なんかが嬉しいですね。はい。


――以上。お土産リクエストでした。


心機一転 2002/10/03(木)
この期間様々なことがありまして、UPするネタに事欠かない充実振り(死)を見せていたこの期間でしたが、そのため逆に

UPする暇がありません(泣)

――とりあえず本日、また1つ歳をとった区切りの日と言うこともありまして
これまでのことはひとまず置いといて心機一転再開しようと思います。

今日も朝から大忙しの一日でしたが、夜やっとの思いで一息ついていると、おもむろに同居人たちから呼び出されまして、電気の消えたリビングに*本のロウソクが灯るケーキとバースデーソング(もちろん韓国語ヴァージョン)と共に暖かく迎えていただきました。

韓国は普通の食事と同様、ケーキを切り分けしないで、そのままみんなでスプーンでつまんで食べるのですが、そのため食べ残すとそれはもう見るも無残な残骸と化します。
(そんな残りを翌朝最後まできれいに食べ尽くせる女の子って不思議です。)

語学院のタメ歳のコからは『オッパ(兄)』呼ばわりのお祝いメッセージも頂きまして、( ̄□ ̄;)!!
――いやぁ、いくつになっても祝ってもらえると嬉しいモンですね(*⌒ヮ⌒*)ゞ



――え?いくつになったかって?
野暮なことは訊くモンじゃないですよ……

あっという間に1ヶ月(爆) 2002/11/03(日)
心機一転更新再開宣言をしてはや一ヶ月……

ごめんなさい

――何度か更新しようとPCの電源は入れるんですが、気が付くとサイト作成ソフトでなく、
StarCraftを起動させてしまう私を許して!
せめてこの日記のコーナーだけでも更新しようとはしたのですが、

書いてても面白く書けないんですよ(爆)。

そこそこネタになりそうなことは毎度起こるんですけど(そこはさすが韓国)文章にすると面白さが半減してしまって。


最近日本語使ってないせいかなぁ……

――あ、でも「これは!」っていう出来事はそのうち『韓国留学レポート』のほうでUPする予定なんで安心してください(何に?)

あと『ウォーターボーイズ』と『少林サッカー』をハングル字幕で見ました!
これは『よもやま映画評』のコーナーでそのうち感想を述べたいと思います。







そのうちというのがいつになるかちょっと不安ですが、
ビザが切れるまでにはUPしますんで。……はい

K-リーグ最終試合 2002/11/17(日)
とあるスジから招待を受け、K-リーグの最終試合をタダで見に行くことに。
チャーターバスでの往復とあって安心して行ってみると、

なんと試合会場は

「大邸」




ソウルから
片道5時間の大遠征です(泣)

到着してみるとホームグラウンドである
「浦項スティーラーズ」が今期優勝チームの「城南一和」と対戦。

圧倒的な「浦項スティーラーズ」の応援団。さすがホームグラウンドです。

それに対して

圧倒的な「城南一和」の攻勢。さすが優勝チームです。

不思議なことにこの
「城南一和」ここ数年連続優勝していながら、韓国代表選手が一人も居ないんです。
今日の対戦チーム「浦項スティーラーズ」には、あの
「ホ・ミョンボ」選手がいるのに。

――で結果は4対1の「城南一和」の圧倒的勝利。

リーグ最終戦なので優勝チームの表彰式があるはずなのだが、取材人の優勝チームインタビューが続く横でいきなり
「ホ・ミョンボ」選手の年間最優秀選手授賞式が始まり、表彰式はその後に回されていました。

アゥェイに対してはあくまでも冷たい韓国。ここまで露骨にするとは……


競技場はは意外と狭く、フィールドと客席との距離が狭い分、生で見てても充分楽しめました。
特にゴール斜め後ろからのアングルはあの『少林サッカー』を髣髴させ、
いつか竜巻シュートがゴールキーパーのユニフォームを引っぺがして全て吹き飛ばしてくれるんじゃないかと期待させてくれました。(絶対ありえないことは解っていながらも)




ちなみに帰りは日曜のソウル行きとあって

9時間

帰宅したのは朝の3:30でした(死)

インフルエンザ 2002/11/29(金)
インフルエンザにかかってしまい、この一週間下宿での療養を強いられています。(現在も継続)

日本で風邪を引いた時、一人暮らしの人は判ると思うんですが、
病院へ行かなきゃならないくらい重い症状の時は

病院へなんか行けません。(起き上がれないって)

――で、少し症状が軽くなって、ようやく病院まで出歩けるくらい回復した頃には

病院へ行く必要が無くなってます(泣)

念のために注射でもしてもらおうと病院へ行ったとしても

「よくここまで自力で治したね。
注射の必要ないから薬だけ出しとくね。」(医師談)

というありがたいお言葉と、無駄に大量な薬を持ち帰るのが関の山です。


――でもね、
韓国の風邪をなめちゃいけませんぜ。実際。
一番ひどい症状の時から3日粘った上で注射を打ってもらったんすけど、未だに回復のめどが立ってません。

今日なんて久しぶりでっセ。カキコすんの。


てことで、良い子は外から帰ったらウガイをしようというお話でした。――あれ?

最近の食生活 2002/12/22(日)
韓国に来てからたびたび風邪を引いている私は心機一転、韓薬療法を始めることにした。

韓薬とは、生年月日時間からその人の生まれながらに持つ気の質と、現在の健康状況から薬を調合し、毎日服用することで体質改善を図る韓国独特の民間療法である。(韓国生活レポート16:最大の試練参照)

これを始めると、
大規模な食事制限を迫られるという、代償が伴う。

豚肉
鶏肉
小麦粉を使った料理
刺激物etc...


皆さん、これがどれほど大きな代償かお分かりでしょうか?

韓国では日本と違い、牛肉より
豚肉がおいしく、普及率も圧倒的に豚肉が多いのです
代表的料理:サンギョプサル・トェジカルビ・ポッサムetc...

韓国で牛肉と言えば、プルコギ・ソロンタン...くらいでしょうか?

鶏肉と言えば、サムゲタン・タットリタン・なによりもクリスマスシーズンに欠かせないフライドチキン(泣)

さらに
小麦粉と言えば、パン・ラーメン・マンドゥ(餃子のこと)・プッチンゲ(チジミ:韓国風お好み焼き)

トドメが
刺激物

韓国で辛くない料理ってなんだ!?

いろいろあることはあるが、上記の食材を使わず家庭で気軽に作って食べられるものなど数えるほどしかない。

しかもこの時期冬休み期間に入り、住民の大半は帰ってしまい、
食料は自力で確保する以外道は無い
友人と外食しようにも、上記のごとく行ける店が無い。




非常事態である。
有事法を適用しても良いのではないだろうか。(いや、韓国だし)

幸いなことに日本へ一時帰国していた友人たちが持ち帰ってきた日本食材が大量に残されてはいる。

九州博多ラーメン
本場しょうゆとんこつラーメン
うまかっちゃんシリーズ





だからラーメンは食えないってば(泣)

しかし一点の希望もあった。

納豆一箱


……………………。


先週の私の食事メニューを紹介すると

12月17日
朝:
納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯
12月18日
朝:納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯
12月19日
朝:納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯
12月20日
朝:納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯
12月21日
朝:納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯
12月22日
朝:納豆とご飯 昼:納豆とご飯 夜:納豆とご飯









体中糸引きそうです(死)

日本だったら牛丼とか、焼き魚定食とか寿司とか道はあるだろうが、韓国ではチンチャ死活問題です。

こんな私に愛の手を。








生味噌汁8個パック「あさげ」キボンヌ(;´д`)ノ

ホワイトクリスマスを迎えた夜 2002/12/25(水)
韓国ではこの日見事にホワイトクリスマスとなり、路面凍結事故続出の予感。

実は韓国、日本と違ってクリスマスは休日なんです。
さすがキリスト教人口が多い国は違う。
テレビもクリスマス特番として放送されていた洋画はぱっと見ただけでも

スクルージ
サンタクロース
ベン・ハー


なぜベン・ハーがクリスマスと関係あるのかと言うと、この映画、主人公の数奇な運命と、スターウォーズEP1でもルーカスが意識した戦車(馬車)競争の場面の印象が強いのだが、冒頭がイエス生誕のシーンから始まり、十字架の奇跡で終わるれっきとしたキリスト教(がベースの)映画なんですな。

――ま、それはいいとして、
イブの過ごし方はというと、これが家族でケーキをついばむか、友達と夜通し飲み明かすといった大した盛り上がりを見せないのな。

ま、私は24日はもちろん楽しいひと時を過ごし、今日も日本へ帰国間近の友たちと一緒にクリスマスパーティを開きました。
いやー。
わざわざ韓国語を習いに来るだけあって(自分もそうだが)、本当にこゆい連中ばかりだっただけにコアな話題のオンパレード。
もうお別れかと思うと残念でならないっス。(T-T)


みんなー。日本に帰ってもたまには遊びに来いよー。
里門洞(イムンドン)は俺たちの第二の故郷だかんなー。







――イムンドンが故郷か……










なんか八王子ってカンジ(爆)

P.S. 明石家サンタ見れなかったのがとても残念。