男浅間神社


渡良瀬橋
男浅間山への登り口は渡良瀬橋の南側のたもとより、南東に100mほど行ったところにある。高層の建築物も周りには無く、複数の旗がはためいているのですぐに見つかった。

渡良瀬橋
山道を少し登ると景色が開ける。そこからは渡良瀬橋全体が眺められた。日本軍の重量車両が通れるように、鉄道橋方式で作られた渡良瀬川最古の橋は、一直線に北へ向かって架かっていた。


渡良瀬橋正面には 七合五勺目
正面から右側面 
   嘉永二巳? 酉年
   四月初申
と刻んである。


渡良瀬橋頂上が近づいてくると空が開けてきた。
もうすぐ、頂上の予感がしたのだが。



渡良瀬橋
頂上が見えた気がしたが、鳥居から覗いてみると社殿はもう少し先だった。

渡良瀬橋
社殿の周りは綺麗な丘陵になっていて、周りの樹木も整備された見晴台になっていた。

渡良瀬橋
270度のパノラマ写真。下のパノラマはスクロール出来ます。



素晴らしい景色を楽しんだのだが、渡良瀬橋だけは樹木に隠れて見ることが出来ない。

渡良瀬橋
空に一番近い神社。空中都市や空中庭園のように空中神社とでもいうべきか。

由緒


当神社は、天喜2年(1054)藤原秀郷侯7世の孫、藤原姓 足利氏の祖、従五位の下足大夫成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられております。
古来 足利富士として信仰され、上の宮、下の宮、の二社から成り、上を男浅間、下を女浅間と称し崇拝されております。
御祭神 木花咲耶賣命 祭礼は毎年6月1日、昔から足利富士浅間山の山開き、この一年の間に生まれた赤児の初めてのお詣り、初山詣で神前にて御朱印を額に押していただき、無病、息災、無事成長を祈願する祭礼初山ペタンこ祭りです。
江戸時代中期より行われてきました。その頃、足利地方では富士山信仰が盛んで多数の信徒、行者、先達がおり富士山講が広く行われていました。
境内の石碑に名前が残されております。
当時疫病、悪病が流行したため、神社の御朱印を子供達の額に押し神の御神威により病魔を退散災難から、幼い子供達の命を守護するためこの祭りが行われたと伝えられています。
初山ペタンコ祭は足利市重要文化財、民族文化財にしていされております。

足利富士浅間神社
足利富士浅間神社の石板より

渡良瀬橋
展望台からは、渡良瀬橋は木陰の陰で見れなかったが、かわりに美しい3つのアーチを持つ中橋を見ることが出来た。