◆技術の目的
さて、これまで野鯉を釣るための技術について述べて来た訳ですが、技術の向上をどのように利用するのかという事について、私如きの駆け出しが口を挟むのは気が引けるのですが、一言述べたいと思います。
それは、単なる技術の向上を図るのではなく、それに伴い精神の向上が無ければ、釣人間の競争と対立が大きくなるだけで、楽しみは逆に小さくなるという事です。
単に、釣果の大きさを自慢する為の技術にしてはならないという事です。より多くの釣人が、より永く、より大きく楽しめる方向に目的を持って進んで戴きたいと思います。
我々の愛する野鯉釣りをいつまでも楽しめるような技術、子々孫々にまで受け継がれることのできる技術で無くてはなりません。根こそぎ釣りまくり、釣り場を荒廃させ、破壊と対立だけを残すような技術の使い方をしてはなりません。
私がこの小稿で、釣人の多く集まる、いわゆるすれたポイントに於ける解説を差し控えたのは、それの誤った運用により、さらに競争を助長する恐れがあるからなのです。
釣果の大きさを誇るものは、同時にそれに見合ったマナーの大きさを身につけなければ、釣人から、社会から、そして自然から、大きな報いを受ける事になるでしょう。
釣場には、考え方も目的も経験も違う釣人が多く集まっています。また、野鯉を狙う釣人以外にも多くの釣人が存在し、さらに釣り人以外の者もそこを利用しています。そこに共通するルールは共存です。
よく釣るということは、それだけ多く周囲に迷惑を掛けているという事を認識しなければなりません。先客優先だからといって、他人より先に行って釣り場を独占するような事や、近くに釣り人が入れないように捨て竿を置く等という事は、以っての外です。
社会における人の価値とは、いかに多く社会に与えることができたかということで評価が決まります。奪うだけの者は、如何に本人が誇示しようと、認めてはくれません。
釣人の悲しい性として、つい釣果に目を奪われ、他の事が目に入らなくなりがちですが、永く楽しい釣りを続けるためには、マナーの向上につながる技術の向上を目指す事が大切なのではないでしょうか。