序 章  野鯉釣りの魅力

 私が、野鯉釣りにのめり込むきっかけとなったのは、野鯉釣りを始めて5年目較いの5月の事でした。

 その日、私は前日の五月雨に誘われるように、ホ−ムグラウンドである揖斐川のいつものポイントで竿を出していました。

 そこは、前年の5月から6月にかけて良型の野鯉を何匹か釣り上げたことのある、産卵期の好ポイントだったのです。

 3月の中旬から続いていた雪代の濁りもようやく収まり、前日の雨も上がってさわやかな朝でした。

 折しもちょうど満潮時で、大潮と雨による増水が重なったせいか、いつもより1b程深く、水深を測ると3b程ありました。

 当時常用していた5.4bの軟調磯竿に、6号のナイロン糸を100bほど巻いた小型の両軸受けリ−ルをセットし、大型のヘラウキを使った2本針仕掛けで、岸辺のカケアガリを狙って柳の間から寄せ打ちを繰り返していました。

 このポイントは、流れがカ−ブして、ワンド状にえぐれた場所の最上流部に当たるため、流れがほとんど無く、ウキに出る野鯉のアタリは非常に小さく、ヘラブナと同じくらいしかウキを動かさないことが度々ありました。

 その時も、バラケエサを30分ほど打ち返した後、下針に食わせ餌をつけてしばらくすると、餌落ち前に小さなツンが出て、僅かに5_程食い上げたのです。すかさずアワセをくれますと、ガツンという重い手ごたえが帰って来ましたが、数秒たってもピクリともしません。

 『おかしいな。根掛かりかな。しかし、ここには掛かりは何も無いはずだったのに…。』などと思いながら、立ち上がって竿をあおり始めると、いきなり凄い締め込みがきました。 軟調の竿はミシミシと音を立て、道糸はブンブン唸り声を上げ、とても魚の引きとは思えないほどの手ごたえでした。ググ−とかグイグイとかいうのではなく、ノシノシとでもいおうか、いわゆる牛に引かれるような重々しいどうしようもないほどの引きだったのです。

 とにかく、糸を切られないように、のされた竿からドラッグをゆるめて糸を出すのが精一杯で、そのまま竿を立てて様子を見ていると、25b程走った所でピタリと止まりました。後は、押しても引いてもビクともせず、そのまま5分、10分と時が過ぎました。

 『おかしい。根掛かりではないだろうか。』

時が過ぎるにつれて、だんだん不安になってきました。何しろ、こんな経験は生まれて初めてです。どう対処して良いのか、皆目見当がつきません。

 そのうち、このやり取りに気が付いて、すぐ上流でセイゴ釣りをしていた釣り人や通りすがりの車から、何人か見物にやってきました。

 そこで、こちらも気が強くなって、様子を聞いてみることにしました。ドラッグを緩めにしておいて、スプ−ルを強く親指で押さえながら、ググ−と竿を起こして引っ張ってみました。と、グイグイとでもいおうか、ユラ−とでもいおうか、とにかくゆったりではあるが、確かな魚の引きを感じました。

 『大丈夫です。まだ魚は掛かっていますよ。』

といっていると、30分ほどそこに立ち止まっていた魚が突然沖へ動き始めました。

 それは、一度走り始めるとどうしようもない強さで、ラインを引き出していきます。そして、更に25bほど走った所で、またピタリと止まって動こうとしません。そのまま、また30分ほどが過ぎました。

 『こりゃあ、揖斐川の主だ!』

と誰かが叫びました。

 魚は相変わらずゆったりとした響きを竿に伝えていましたが、そのうちこちらの手の内を見透かしたのか、今度は一気に流心まで走り始めました。

 魚がひとたび動き始めると、こちらには手の施しようがなく、ただ無残に巻き糸が減っていくばかりでした。そして、いよいよリ−ルの軸が見え始めてきました。

 全部の糸を引き出されては一巻の終わりです。何とか奴の動きを止めようと、柳にもたれ掛かって必死にこらえていますと、後ろで見ていた釣り人が、10bほど下流へ泳げば開けた場所に出るからというので、竿を預けて素早く服を脱ぎ捨てパンツ1枚の格好になると、竿を片手に川へ飛び込みました。

 しかし、10b程とはいえ、魚が引く竿を立てながら泳ぐというのは、想像以上の苦しさでした。何とか岸にたどり着いたもののほっとする間もなく、流れに乗った魚に引きずられて300b程下ると、また柳の列が50bも続いています。

 一度濡れるのも二度濡れるのも同じことと、また川の流れに飛び込みましたが、今度は最初のときとは違って何倍も距離が長いため、何度も何度も水を飲み、このまま魚に引きずり込まれてしまうのではないかという思いが頭の中を駆け巡りました。

 悪戦苦闘の末、何とか岸に泳ぎ着くも、奴の引きは強まるばかりでどうしようもなく、更に下流へと引きずられていきます。今度は延々と数百bに及ぶおびただしい柳の列が続いています。

精も根も尽き果てて『もう、これまで!』と思って諦めようとしました。

 すると、一緒にタモを持って就いてきてくれた釣り人が、

 『あと10b歩度泳ぐと、柳の間に漁師の船が繋いであるから、そこまで泳ぎなさい。』と尻をたたく。そこで、最後の力を振り絞ってまたドボン!

  船に乗ればもうこちらのもの。頼もしい助っ人もついているし、いくら奴が走ろうが下ろうが、一緒についていけばそのうち疲れるだろうと、ようやくリ−ルの糸を巻き始めました。

 やっと一息ついて落ち着きを取り戻し、時計を見ると既に11時をまわっていました。実に2時間以上も引き合っていたことになりますが、戦いはまだまだこれからであったのです。

 五月雨の増水と、折りしもの下げ潮と重なり揖斐川の流れは矢のように速く、棹一本で小船を操るのはなかなか難しく、助っ人の奮闘にもかかわらずなかなか魚との距離は縮まりませんでした。

 それでも、前に後ろにと位置を変えながら流れを下るうちに、何とか20〜30bの距離まで寄せることができ、暫くそのままの距離を保って戦うことにしました。

 しかし、何とタフな魚でしょう。2時間を越える引き合いをしているというのに、その重々しい引きは最初と何ら変わる事なく、姿さえ一度も現さないのです。

 それどころか、2 程下って橋の近くまでくると、いきなり反転して上流へ走り始めたのです。

 引き潮で加速のついた船は、なかなか簡単には止めることができません。やむなくドラッグを緩めると、ラインはどんどん引き出され、やっと船の体勢を立て直して追撃に入ろうとした時には既に残り少なく、奴の動きもピクリとも感じなくなってしまいました。

 『しまった!掛かりに入られたか!』

流れに逆らい道糸をたどっていくと、斜め上流の東岸の柳の根元にラインは消えていました。

  『奴はまだついているだろうか。せっかくの今までの粘りも水の泡だったのか。』

諦めにも似た不安と祈りのいりまざった手で、ラインに絡んだ柳の枝を一本一本ふりほどいていくと、いきなり沖へ走りだしました。

 『良かった。まだ糸は切られていなかったぞ。』

 『本当に、もうだめかと思った。』

二人で喜びの言葉を交わしながら、再び魚の後をついて流れていったのです。

 先程の失敗にこりて、その後はぐっと近くまで船を寄せて引き合うことにしましたが、3b程の水深に合わせたヘラウキが水面に顔を出すところまでくると、あとはどんなに竿を絞ってもそれ以上浮いてこようとしません。

 そのまま、下流の橋をくぐり、あっちの岸、こっちの岸と流れ下るうちに、さすがの奴も最初のころほどの勢いはなくなってきたように思われました。

 そこで、東岸の流れのゆるい岸辺に近づいたのを機に、船を止めて引き合うことにしました。

 潮時は干潮のそこりに近く、そのポイントは1.5bと浅いため、何とか奴の姿が見えぬものかと一生懸命浮かそうとしましたが、全くびくともせず姿を現しません。まるで、底に張り付いたように重いのです。

 暫くそこで引き合いを続けていましたが、朝から長時間裸のままで引き合いを続けて身体が冷えたためか尿意をもよおし、竿を助っ人に持ってもらうことにしました。

 滅多にない超大物の感触を助っ人にも味わってもらおうと、そのまま暫く見ていますと、初めのうちはその場で引き合いを続けていましたが、そのうちにじわりじわりと糸を引き出され始めました。30b程引き出されたため、舟を出す用意をしようかと思った途端です。

 『あっ…』

という短い叫び声とともにラインが弛んでしまいました。

 ハリス切れでした。長時間にわたる大物との戦いでハリスのチモトが弱っていたのでしょう。ハリスは2本とも先端で切れていました。

 時計を見ると、午後の2時を少し回った所で、実に5時間あまりの引き合いだったのです。

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 あれから既に20年あまりの歳月が過ぎましたが、今でもあのときの興奮は忘れることができません。それどころか、姿も見せず逃げ去ったあの大物への思いは強まるばかりです。

 野鯉釣りの魅力とはいろいろあるでしょうが、醍醐味は何といっても大物との引き合いに尽きるでしょう。それも、予想を越える超大物の、どうしようもないほどの手ごたえです。

  野鯉釣りをしていると、多かれ少なかれ悔しい思いをした経験があると思います。いつまでも手に焼き付いた手応えがあるはずです。その思いを今一度…という動機が野鯉釣りの魅力なのかも知れません。人間の奥底に眠る原始的な身も心も震えるスリルと興奮、そして感動の体験が野鯉釣りにはあります。

  そして、私は今も、それを求めてますます野鯉釣りにのめり込んでいるのです。

第一章 野鯉の構造  目次