『つんでれん?』



 ひょっとしたら、俺って巻き込まれ属性でも持ってるのかなぁ?

「私、ツンデレになろうと思うのよ」

 俺こと遠野志貴は、わけのわからん事をほざきながらケーキをパクパクと口に運んでいる性悪白猫娘を見やりつつ心の中で嘆息した。

「……すまない。もう一度言ってくれないかな? なんだって?」

「ツンデレよ。ツ・ン・デ・レ」

 思わず盛大にため息を吐いてしまった俺を一体誰が責められようか。
 麗らかな休日の午後。俺は頭の中を空っぽにして自室でのんびりと昼寝を満喫していたのだが、「大事な話がある」という白レンに半ば拉致される形で御用達の喫茶店にまで引っ張られてきた。マッタリとした平穏を破られて正直ムカッときたりもしたが、俺だって鬼じゃない。真剣な顔で『大事な話』などと言われては無碍に断ったりはできないし、またするつもりもない。だから、俺も真面目にシリアスに尋ねたのだ。「なにかあったのか?」と。それに対する回答が先ほどの『アレ』だ。『アレ』だったのだ。ため息の一つくらいは許されて然るべきだろう。

「やっぱ、今の時代はツンデレよね。世の男性の七割はツンデレ萌えなんでしょ」

「七割って。どこで取ってきた統計だ、それは」

「秋葉原」

「偏りに偏りまくった地域の情報を信じるんじゃありません」

 そんなのインド人に「あなたはカレーしか食べませんよね?」と質問するようなもんだ。
 何気に物凄い偏見を抱いてるっぽい気もするが――インド人に対してもアキバ人に対しても――まあ、この際それは置いておこう。シエル先輩、ごめんなさい。

「いくらなんでも七割は多すぎだ」

「そうなの?」

「そうだよ」

 せいぜい五割くらいさ。そうだろ、全世界の同志諸君。

「そうなんだ。でもまあ、流行ってることには変わりないわよね」

「流行ってるかどうかは知らんが、根強い人気があるのは確かだろうな」

「志貴は? ツンデレ嫌い?」

「嫌いではないよ」

 むしろ好物の部類です。

「ふーん。なら問題ないわ。やっぱ目指す」

「目指す?」

「さっきも言ったでしょ。私はツンデレになるのよ」

 拳をググッと握って力説するレン。
 どうでもいいが、うら若い女の子が大きな声でツンデレツンデレと連呼しないで欲しいものだ。周囲から視線がチクチクと突き刺さってくる。というか『ああ、またあいつらか』といった感じの目がいろんな意味で痛い。

「なあ、レン。おまえ、なんでツンデレなんかになりたいのさ? 世の男どもから注目でも浴びたいのか?」

「まさか。注目なんかされたくないわ。そんなの鬱陶しいだけだもの」

「だったらどうしてだよ?」

「そ、それは……」

 レンは俺を上目遣いに見つめたかと思うと、すぐにプイッと顔を背けた。
 薄っすらと頬が染まってる気がするが……何故だろう?

「た、単なる知的好奇心よ」

「なんだそりゃ?」

「なによ。文句ある?」

「いや、別に。文句はない」

 呆れはしたけどな。あとほんの少しだけ拍子抜けも。
 まあ、よくわからんけど、こいつにはこいつなりに思うところがあるのだろう。たぶん、な。

「知的好奇心じゃしょうがない。というわけだから、好きなだけ、存分にツンデレてくれ」

「言われるまでもないわ。私のツンデレっぷり、その目に焼きつかせてあげる」

 投げ遣り発言を放つ俺に向けて、やる気満々でビシッと人差し指を突きつける白レン。
 なんともシュールな光景だが、やってる本人は大真面目だ。それ故に性質が悪い。
 ――ふっ。周囲から飛んでくる奇異の視線が心に染みるぜ。

「わかったわかった。目にでも心にでも焼き付けてやるから、幾らでもツンデレてくれ。さあ、どうぞ」

「ええ。それじゃいくわよ。まずはツンからね」

 そう宣言すると、レンは俺へと指を近付け、

「ツンツンツン、ツンツン、ツンツンツン」

 リズミカルに突付き始めた。

「ツンツンツン、ツンツン、ツンツンツーン♪」

 ……えっと……俺にどうしろと?
 なんなんだ? なにごと? 新手のモールス信号か? 謎の暗号打電?
 これがもしアルクェイドとか黒レンだったらまず間違いなく天然な気がする。
 シエル先輩や琥珀さん、先生だったら分かっててボケている可能性が高い。意外に弓塚さんもそのタイプかな?
 秋葉に翡翠、シオンなら琥珀さん辺りに誤った知識を面白半分に吹き込まれたと考えるのが妥当だろう。
 では白レンは?
 なんというか……微妙だ。
 天然な気もするし、分かった上で敢えてやってても不思議じゃない。

「あ、あの……レン? それはツンとは違うんじゃないか? いや、確かにそれはそれでツンではあるんだけど、お前の求める『ツン』ではないと思うんだが」

 分からないときは本人に尋ねるに限る。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』とも言うしな。格言の使い方が甚だしく間違ってる気もするが、そこはスルーって事でお願いしたい。

「え? そうなの?」

 俺の指摘を受けてレンがキョトンとした顔をする。
 天然の方だったか。
 っていうか、実態も知らないのに『なりたい』とか言うなよ、おい。好奇心が旺盛なのは結構なことだが、ちょっぴり先行きを心配してしまうぞ。

「それなら、どういうのが正しい『ツン』なの? ねえ、志貴。ここでお手本を見せてくれない?」

「な、なに? 俺が?」

 ぬっ。なんだか予想外の展開に。できればそれは勘弁してほしいぞ。
 男が『ツン』なんてやったって不気味でむかつくだけだ。もしそんな事を俺の眼前でやられたら間違いなくボコる。容赦なくボコる。ボコった後で桜の木の下に埋めてやる。
 ――といった具合に、思わず危ない衝動を開放してしまいそうになるほどの気色悪い行為なのだ、男のツンなんてものは。
 だから本気で勘弁してほしい。してほしい、のだが。

「ええ。おねがい」

 手を合わせ、首をちょこんと傾げるレン。その仕草に対し、不覚にも『可愛い』とか思ってしまった時点で俺の負けなのだろう。
 分かってるさ。ああ、分かってるとも。こういう場合、どうせ最後には押し切られる運命なのだ。なら、抵抗するだけ時間の無駄ってやつさ。
 ――己の立場の弱さに思いを馳せ、ちょっぴり泣きたくなったのはここだけの秘密。

「ったく、仕方ないな」

 胸に詰まった諦観をため息と共に強引に吐き出すと、俺は興味津々の表情を浮かべているレンへと顔を向けた。

「一回だけだぞ」

 俺は微かに唇を尖らせ、レンから若干視線を逸らし……羞恥を漂わせた口調で言った。

「ご、誤解しないでよ。あなたのことなんか、別に好きでも何でもないんだからね。ふんっ」

 率直に言おう。
 世の中にはしていい事としてはいけない事がある。
 そして、今回の場合がどちらに当たるのかはわざわざ言うまでもないだろう。
 凍ったね。うん、完璧に空気が凍った。業務用冷凍庫も真っ青の瞬間冷凍っぷりだ。
 笑われた方がマシ。罵倒された方が気が楽。針の筵が柔らかく思える。今がまさにそんな状況だった。

「……志貴」

「何も言うな。何も言わないでくれ。おまえの辞書に『情け』という文字があるのなら」

「……うん。わかった」

 素直にコクンとレンが頷く。
 微妙に距離を取られるように感じるのは……きっと気の所為だろう。

「と、とにかく、ツンデレのツンってのは『本当は好きなのに素直になれない』とか、つまりはそんな感じなんだよ」

「了解。なんとなく理解したわ」

 そうか。理解してくれたか。なら、俺の尊い犠牲にも多少は意味があったな。それが慰めになるかは別として。

「じゃあ、志貴。デレってのは?」

「それはな、そのものズバリさ。好きな相手に素直にデレデレしてる状態の事だな」

「ふーん。デレデレ、ねぇ」

「試してみるか? なんだったら相手役を務めてやるぞ」

「へっ!?」

 俺の言葉を聞いてレンが目を大きく見開いた。

「わ、私が? 志貴に? デレデレ? そ、そんな……え、だって……まだ早……じゃなくて……まだ陽も高い……でもなくて……あ、あうぅ」

 なにを意味不明な事を口走ってるんだ、レンは? なんか動揺してるみたいだけど、俺、変な事を言ったかな?
 単に実験台を買って出ただけなんだが。

「なんだかよく分からんが……何事も練習だぞ。ほら、試しにやってみろって」

「う、ううーっ」

 どういうわけか、レンは顔を朱に染めて唸っている。目には薄っすらと涙も浮かんでいた。
 本当にどうしたんだ? この喫茶店の暖房がレンには強すぎるのかな?

「こ、こんな所で……」

「ん? こんな所で?」

「こんな所で、志貴相手にデレなんて出来るわけないでしょ! バカ!」

「おっ。上手いぞ、レン。でもな、それはツンだ。おまえが今しなきゃいけないのはデレの方だろ」

「い、いや、今のは練習じゃなくて……っていうか、志貴、あなた本気で言ってるの? バカじゃないの!?」

「だから、それはツンだってば。デレをやれよ、デレを」

「う、うううううっ。わ、分かったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」

 首筋や耳まで真っ赤にして叫ぶと、レンは俺の顔をギロッと睨みつけてきた。

「こ、こうなりゃ自棄よ。……し、志貴」

 名前を呼びながら、レンが両の手を俺の頬へと添える。
 そして、俺の目をジッと見つめ、

「う、うっ」

 見つめ、

「ううう、う、ううっ」

 見つめて、

「ううううう、ううう、う、う、うわあああああああああああんっ!」

 挙句、真っ赤な顔をして泣きながら逃げた。

「……はい? え、えっと……はい?」

 レンの行動に呆気に取られ、俺は彼女の後を追うことすら出来ず、ただただ呆然。

「なんなんだ?」

 まったくもってワケが分からず、頭の上に大量のクエスチョンマークを生やしてしまう俺だった。


 レンが店から逃げ出してから少し経った頃。
 相も変わらずにポカーンとした顔を晒していた俺の耳に周りの客の会話が入ってきた。

「鈍感にもほどがあるな、あいつ」

「彼女も可哀想に」

「彼、見かけによらずドSなのかも」

「天性で天然のいじめっこよね。えげつないわ」

 ん? 鈍感でドSでいじめっこ? 誰のことだ?
 よく分からないが、世の中には酷い奴もいるものだな。
 そんな奴に惚れてる娘には心底同情するね。
 でも、ちょっとだけそんな男になってみたい気もするかな。
 ま、女の子たちに振り回されてる巻き込まれ属性の俺には永遠に無理だろうけどさ。
 ……ふぅ、やれやれだ。