『不条理だ』



「不条理だ」

 俺――遠野志貴――は、目の前でケーキをぱくついている小さな女の子へとそう声を掛けた。

「どうして俺がお前を喫茶店なんぞに連れてこなけりゃならないんだ」

 それを受け、件の人物――白レン――はしれっとした顔をして返した。

「街中で親しい女の子と出会ったらお茶に誘うのは常識でしょ」

「俺とお前って親しいって言えるのか?」

「なに言ってるのよ。二人で激しい一夜を過ごした仲じゃない。あの時の志貴は凄かったわ。死んじゃうかと思ったもの」

「誤解を招く言い方するな!」

 俺たちの会話が耳に入ったのか、周りの人たちがちょびっと退いてる。
 そこの人、犯罪者を見る目はやめて、お願い。

「条例に引っかかるような事をしたみたいな発言はするなっての。単に戦っただけだろうが」

 俺は小声で抗議した。
 命懸けの戦いを『単に』などと表現できてしまう、素敵に荒んだ生活を送っている自分に少しだけ泣きそうになったり。

「拳と拳で語り合ったのだから、わたしと志貴の間には既に情が芽生えているのよ。そして、協力して新たな敵に立ち向かっていくの。けど、気が付けば、わたしはいつの間にかかませ犬に。戦闘力のインフレなんか嫌いだ」

「なんだその少年漫画雑誌みたいな展開は」

「つまり、わたしと志貴はもう十二分に親しいってことよ。で、親しい女の子に出会ったらお茶を奢るのは義務。法律でも決まってるわ」

 んな愉快な法律があるか。

「なにがどう『つまり』なんだかさっぱり分からんのだが。……つーか、勘弁してくれ。親しい子と会う度にお茶やらケーキやらを奢ってたら、あっという間に破産してしまうわ」

 ただでさえ財布の中は厳しいのに。

「そうかも。志貴、女たらしだものね。『親しい』女の子、いーっぱい居そうだし」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、親しいを必要以上に強調してレンが言う。

「待てい。誰が女たらしだ、誰が。人聞きの悪いことを言うな」

「……自覚無いの?」

 呆れ口調でレンが問うてきた。
 どうでもいいが、その可哀想な人を見る様な目はやめなさい。

「なんなら指折り数えてあげましょうか? 真祖の姫君でしょ? 代行者でしょ? 妹、双子の使用人、錬金術師、夢魔、それから……」

「もういい、分かった、やめれ」

「ご理解いただけて嬉しいわ」

 勝ち誇った顔でレンがニッコリと微笑む。
 おのれ、この性悪白猫娘め。

「なにか言いたそうな顔ね。女たらしって揶揄されたくないのなら、さっさと一人に決めちゃえばいいじゃない」

「そ、それは……そうなんだけど。でも、みんな同じくらい大切な存在だし……好き、だし……」

 微かに照れながらゴニョゴニョと零す俺。それを見て、レンが「はんっ」と鼻で笑った。

「単に優柔不断なだけじゃない。ダメ男」

「ぐふっ」

 一刀両断に斬り捨てられ、俺のナイーブな心がダメージを負う。とっても痛ひ。

「無様ね」

「え、えっと……ああっ、レン、もうケーキを食べ終わってるじゃないか。すいませーん。ショートケーキとチーズケーキを追加でお願いしまーす。レン、遠慮しないで幾らでも食べていいからな。お前、ケーキ好きだろ?」

「別に。特に好きってわけじゃないわ」

 レンの目があからさまに『話題転換に必死ね』と嘲笑していたが、それは見ないふり知らないふり。

「残さず食っといてよく言うよ」

「奢ってもらっておいて、それを残すようなことをしたら失礼の極みでしょ。だからよ。ただそれだけ」

「本当かぁ?」

 疑惑の目でレンを見る。

「き、決まってるでしょ。ケーキなんて女子供の食べ物よ。そんなの、わたしは好きでも何でも……」

 お前、女で子供だろうが。
 そう突っ込もうとした時、ウェイトレスさんが追加の品を持ってきてくれた。

「あ、どうも。……そっかそっか。レンはケーキが好きじゃないのか。なら、これは俺が……」

「ま、まま、待ちなさいっ。食べるわよ。それは、わたしの為に注文してくれたんでしょ? なら、わたしが食べるのが筋ってもんじゃない」

「別に無理しなくてもいいんだぞ」

 吹き出しそうになるのを堪えて言う。

「む、無理なんか……うううっ」

 ケーキへと視線を向けたままちょっぴり涙目になるレン。無意識にか、左手の人差し指を口に咥えていた。

「ま、そうだよな。これはお前の為に注文したんだから、確かにレンが食べるのが筋だ」

「で、でしょ?」

「ああ。だから、ちゃんと責任もって全部食べるんだぞ」

 レンの前にケーキを並べ、彼女の頭を軽くポンポンと叩いて『処理』を任せる。

「うん」

 満面の笑顔でケーキを口に運んでいくレン。
 意地っ張りなところが何とも微笑ましくて可愛らしかった。

「ところでさ、レン」

「ん? なに?」

「ちょっと気になってたんだけど、お前、なんで此処にいるんだ? 消えたんじゃなかったのか?」

「なによ。いちゃ悪いっての?」

 俺の問いを聞いて、レンが頬をプクッと膨らませる。
 じろっと睨みつけてくるが、口元にクリームが付いている所為で迫力は皆無だった。

「そうは言ってないだろ。ただ、タタリが消滅したんだから、当然お前も……いや、やっぱいいや」

 レンが此処に存在している。その事実だけが重要なのであって、『なぜ?』とか『どうして?』なんてものは考えるだけ時間の無駄、無粋の極みというものだ。世の中というのは意外とご都合主義で出来ていたりするのだろう。
 って言うか、この手の常識だの理屈だのを綺麗に無視した摩訶不思議奇天烈現象にはいい加減慣れた。

「それはそうと、お前、これからどうするんだ?」

 一人で勝手に納得してしまった俺を怪訝そうに眺めていたレンが、その質問に目をパチクリさせた。

「これから? どうするって?」

「だから、『何処か行く当てはあるのか?』とか、そういうこと。野良夢魔にでもなるつもりか?」

「まさか。野良になんかなる気ないわよ。行く当てもあるもの」

 肩を軽く竦めてレンが答える。

「そっか」

「ええ。これから宜しくね、志貴」

「ああ」

 ニコッと微笑むレンに、俺も笑顔で返し――
 いや、ちょっと待て。

「コレカラヨロシク?」

「ん? わたし、なにか変なこと言った?」

 ちょこんと小首を傾げる仕草がらぶりー。
 ……いやいや、そうじゃなくて。

「お前、ひょっとして……俺の所に来る気か?」

「そうよ。当然じゃない。だって、志貴はわたしの『ご主人様』だもの。あなたにはわたしを飼う義務があるわ」

 レンが声を大にして――ご主人様を必要以上に強調して――そう言った瞬間、四方八方から『ぶっ』と飲み物を吹き出す音やら『ごほごほ』と咳き込む音などが聞こえてきた。

「待てやぁ!」

「なによ、事実でしょ。志貴はレンの、黒いレンのマスターじゃない。ということは、わたしにとっても『ご主人様』」

「なんだその理屈は!? あと、わざわざ強調するのはやめんか!」

 周囲から注がれてくる奇異の視線がチクチクと痛い。
 そこの人、110番に通報しようとするのはやめてください、お願いですから。

「ま、そういうことだから……よろしくね、女たらしのハーレムロリコンご主人様♪」

「俺を社会的に抹殺したいのか、性悪白猫娘」

「反論できるのならどうぞ」

「……ちくしょう」

 勝ち誇ったレンの笑顔が悔しい。反論できない自分が悲しい。

「お前、俺のこと嫌いだろ?」

「まさか。大好きよ」

 キッパリと言い切るレン。
 その言葉に、浮かべられた笑みに、ちょっとだけドキッとしてしまった。

「あ。今、ときめいたでしょ? この、ロ・リ・コ・ン」

「違うっ! 違うんだっ! 俺は、俺はぁ!」

 そして激しく自己嫌悪。


○   ○   ○



 結局、白レンを連れて家に帰ってきた俺。
 その俺に対する反応は、概ね『呆れ』だった。

「兄さん、またですか」

 秋葉よ。またって何だ、またって。

「あらあらあら。志貴さんってば、またなんですね」

 だから、またってなんなんですか琥珀さん。

「志貴様……いえ、なんでもありません」

 言いたいことはハッキリと言った方がいいぞ、翡翠。

「志貴の毒牙に掛かった哀れな少女がまた一人」

 シオン、君はきっと何かを激しく誤解している。

「……」

 ため息交じりの無言の訴えというのは地味に痛いよ、黒レン。

「え、えっと……とにかくだ、こいつも家に置いてやってくれないかな。放り出すのも可哀想だしさ。なっ?」

 手を合わせて家長である秋葉に頼む。すると、秋葉は「仕方ないですね」と苦笑しつつも即座に頷いてくれた。

「ええ、構いませんよ」

「え? いいのか?」

 あまりにもアッサリと許しが出たことに驚いてしまう。

「はい。今更、兄さんにその子を見捨てることなど出来ないでしょ。兄さんの女の子への甘さは筋金入りですからね。なら、ダメと言うのは兄さんを困らせる結果にしかなりませんし、私としてはそれは避けたいところです。それに……」

「それに?」

「この地の怪異を把握・統括し抑えるべき者として、白いレンには目の届く範囲にいてもらった方が都合がいいという事もありますから」

「そっか。ま、なんにせよ、ありがとな。ほら、レン。お前からも礼を言っとけ。それからちゃんと皆に挨拶も」

 俺はレンの肩に手を添えると、彼女を一歩前へと押し出した。
 これにて一件落着、万事解決。予想に反して和やかに終わってホッと一息。
 そんな気持ちが俺にはあった。
 人はこの手の状態をこう表現する。油断、と。

「よろしく、レンです。仲良くしましょ、志貴の愛人のみなさん」

 その瞬間、確かに空気がピシッと割れた。

「あ、愛人? それはどういう意味かしら?」

 こめかみ辺りをヒクヒクさせて秋葉が尋ねる。

「分からない? じゃあ、二号さんでもいいわよ」

「それはつまり……自分こそが兄さんの一番だと、そう仰りたいのかしら?」

「ええ、もちろん」

 秋葉から放たれる殺気を、レンは涼しい顔で受け流した。

「レン様、その発言は少々図々しいかと思われます」

 翡翠がいつもの無表情でレンを嗜める。エプロンを握った手がワナワナと小刻みに震えてるっぽいのが若干気になるが。

「そうですよ。志貴さんの一番はわた……翡翠ちゃんなんですからね」

 麗しい姉妹愛を見せる琥珀さん。どうでもいいですが、あなた何を言いかけましたか?
 ちなみに、琥珀さんは満面の笑顔だった。よくある『目だけが笑ってない』などと言う笑みではなく、完璧な混じり気無しの純度100パーセントの笑顔。輝かんばかりの素晴らしすぎる笑顔。
 故に、却って怖かった。腹に一物や二物、三物くらいはありそうで。

「私は別に志貴の一番になど興味はありませんので、ここは秋葉の援護をさせていただきます。……ほ、本当ですよ。本当に興味なんてありません。無いに決まってます。無い、と思います。たぶん。……と、とにかく無いんです! 無いってことにしておいてください!」

 自分で勝手に余計な言い訳をして、勝手に墓穴を掘って、勝手にヒートアップしていくシオン。顔が真っ赤になっているのは興奮の為か、はたまた。

「……。……。…………」

 ジトーッとした目を白レンに向けながら黒レンが俺の服の裾を掴む。あなたにはあげない、その態度が口の代わりに雄弁に訴えていた。

「……ああっ、やっぱりこういう展開になるのか」

 思わずため息が零れる。
 けど。

「ま、これも通過儀礼、かな」

 大喧嘩をした後、何のかの言いつつも、お互いを認め合うようになるのだろう。
 そう、今回もまた。毎度の如く。
 だから、今はただ温かく見守ることにしよう。

「って、志貴! あなた、なに傍観してるのよ。思いっきり当事者でしょうが!」

「そうです、兄さん。元はといえば兄さんが優柔不断なのがいけないんです!」

 白レンと秋葉が俺に文句を言ってくる。

「ほら、さっさとこっち来なさい! 秋葉、そっちの腕を捕まえて」

「分かったわ。……さあ、兄さん、観念なさい。被告人は前に!」

 ……何気に息が合ってるな、お前ら。

「いや、ちょっと待て! 誰が被告人だ!? てか、なんで矛先が俺に!? え? どうして急に協力体制? ちょっと!? ええっ!?」

「志貴。徹底的に糾弾してあげるわ」

「覚悟してください、兄さん」

「仕方ありませんね。志貴様、自業自得です」

「あらあら、面白そうな展開です。これはボイスレコーダーを用意すべきかもしれませんね」

「エーテライト、接続完了しました」

「……」わくわく

 みなさん、すっかり仲良くなってますね。
 うん。よかったよかった。実によかった。
 ハッピーエンドでめでたしめでたし。

「ふ、不条理だーーーっ!」