『大和での一幕』
なんてタイミングの良い。――否、この場合は『悪い』か。
「……あ、まじしゃん」
ドアを開けた瞬間、私と同様に部屋から出ようとしていた『とっこーちゃん』と見事なまでに目が合った。
「……ど、どうも」
「は、はい。こんばんは、です」
なんとも言えない微妙な気まずさが漂う。お互いのぎこちなくも白々しい挨拶がそれに更に拍車を掛けた。
「え、えっと……その……」
とっこーちゃん、こんな夜更けに何処かへ行くの?
そう口に出しかけて、私はその問いを既のところで飲み込んだ。
聞くまでもない。
ほんのりと赤らんだ頬、微かに潤んだ瞳。彼女の表情を見ただけで行き先は明らか過ぎるほどに明らかだったのだから。
「レオのとこ、行こうとしてたのね」
「……はい。まじしゃん、貴女と同じ様に」
モジモジと恥ずかしそうにしながらも、とっこーちゃんはコクンと素直に頷いた。余計な一言と共に。
「わ、私は違うわよっ。私は……ただ、ちょっとお手洗いに……」
「そうなのですか? てっきりレオ様の所に行くのかと思いました。だって、そんなに頬を赤く染めてるんですもの」
私を反論を聞いて、とっこーちゃんがクスッと小さく笑みを零す。
「うっ」
思わず言葉が詰まる。どうやら、私もとっこーちゃんと似たようなバレバレの表情を浮かべていたらしい。実に不覚。
そんな私の様子を見て、とっこーちゃんが面白そうにクスクスと上品に微笑む。と同時に身体を部屋へと戻そうとした。
「どうぞ。レオ様をお訪ね下さい」
「えっ!? ちょ、ちょっと、あなたはどうするのよ?」
「私は……次の機会で結構です」
おやすみなさい、そう言って部屋の中に消えようとするとっこーちゃん。
「ま、待って!」
その彼女の腕を、私は気が付いたら掴んでいた。
「……まじしゃん?」
キョトンとした顔でとっこーちゃんが私を見つめてくる。
「なんでそんなアッサリと引き下がるのよ。あなた、本当はもう我慢の限界なんじゃないの?」
「そ、それは……」
とっこーちゃんがあからさまに視線を逸らした。私の推測の正しさを示すかの様に。
「――ったく」
ついついため息を吐き零してしまう。
レオの従魔である私たち女の子モンスター。主であるレオに対してのアプローチの仕方は個人によって差はあるが、大きく別けると二つ。猪突猛進か控えめか。そして、とっこーちゃんは明らかに後者の代表格だった。常に周りの者に気を遣い、決してワガママを言わない大和撫子。『おしとやか』『清楚』といった言葉を絵に描いたような存在。そんな彼女が夜更けにレオの許へ行こうとしている。とっこーちゃん曰く『はしたない行為』をしようとしている。つまり、それだけ『いっぱいいっぱい』なのだ。レオへの想いが膨らみまくって、今にも溢れ出しそうになっているのだ。胸が破裂しそうになっているのだ。
――にも拘らず、とっこーちゃんは身を引こうとしている。私に譲ろうとしている。お人好し以外の何物でもない。
「あのねぇ。そんな遠慮の仕方をされて、はいそうですか、なんて言えるわけないでしょうが。このままじゃ、レオに抱かれても、あなたの事が気になってしょうがないわよ。あなたが辛くて寂しい思いをしているのを知っていながらレオに甘えられるほど、私は図々しくないのよね」
もしも、もしもだが、これがとっこーちゃんではなかったら――例えば、へびさんだったり言霊だったりしたならば――私はここまで気にしなかったかもしれない。でも、とっこーちゃんが相手ではダメだ。気にしない、というのはまず不可能だった。
私にとって、彼女はレオの従魔になる前からの仲間であり同志である。霧の森での会議に於いても、私の事を理解してくれた数少ない一人だった。気恥ずかしさもあって口にはしないが、性格的に合ったということもあり、種族は違えど私は彼女を友達だと認識している。親愛の情を抱いている。自惚れかもしれないが、とっこーちゃんの方も私に似たような感情を持ってくれていると思う。
だから、放っておけない。放っておく事など出来るはずがない。
「で、ですけど……なら、どうすれば? あなただって引く気は無いのでしょ?」
困惑気な表情でとっこーちゃんが尋ねてくる。
「まじしゃんだって、もうギリギリなんじゃないですか?」
「まあ、ね」
とっこーちゃんの指摘通り、実は私も彼女同様に我慢の限界だった。
自分で言うのも何だが私は素直じゃない。普段の私は、きゃんきゃんや山のサチみたいに気持ちをストレートに表現することなど出来ない。絶対に出来ない。
そんな私が自らレオの部屋へ――抱かれに――行こうとしている。つまりそれだけ、取り繕う余裕も持てなくなっている程に『ギリギリ』になっていたりするのだ。とっこーちゃんの言葉は実に正鵠を得ていた。
「だったら……」
「私はあなたに我慢を強いたくないの。そして、私も我慢したくないし、そもそももう我慢なんかできない」
とっこーちゃんの言葉を遮って、人差し指を立てて言う。
「なら、残る方法は一つだけよね」
死ぬほど恥ずかしいし、自分でも微妙に納得しきれていない点もあったりするけど……でもこれしかない、んじゃないかなぁと思う。
「……あ、あの……まさかとは思いますが、その方法とは?」
私の言わんとした事が想像できたのか、とっこーちゃんが微かに頬を引き攣らせた。
「決まってるじゃない」
私は、とっこーちゃんの耳に口を寄せると、薄く微笑みながらそっと囁いた。
「や、やっぱりですか? ほ、本気で言ってます?」
顔を真っ赤に染めて、両の人差し指をツンツンと突付き合わせながら、とっこーちゃんが上目遣いで尋ねてくる。
「私は本気よ。まあ、この提案は相手があなただからこそ、だけどね。もちろん無理強いする気は無いわ。とっこーちゃん、どうするかはあなたが決めて」
クールに――羞恥で耳まで紅く色付いていることを自覚しつつも――言い放つ私。
その眼前で、とっこーちゃんは頭から湯気を出しそうになりながら、
「ううー」
涙目で延々と葛藤し続けるのだった。
――その後、とっこーちゃんがどのような結論に達したかは敢えて語るまい。
ただ、
「お父様、お肩を叩きますね」
「父上、あとで稽古を付けてください」
大和に子供が『二人』も増えていたという事実と、
「レオって……ケダモノだよね」
「やれやれ。レオ殿も若いのぅ」
バニラやクスシらが呆れ果てていたという状況から察していただきたい。