『続・誤解なんです』
3月14日
今日、相沢くんからクッキーを貰った。
実に意味不明である。
日記にここまで記し、あたし――美坂香里は軽く首を捻った。
3月14日。この日に貰えるクッキーにどんな意味があるか分からないほど世間知らずでも子供でもない。
ホワイトデー。バレンタインチョコのお返し。十中八九それに間違いないだろう。
しかし、である。
ここで一つ大きな疑問が生じる。
あたし、相沢くんにバレンタインのチョコなんて渡してないわよ。
なのに目の前にはクッキーがある。
なるほど。昨日の相沢くん、講義が終わった後に「用がある」とか言って一人でどこかに出掛けていたけど、これを買いに行ってたのか。その所為で、一緒に帰れなくて寂し……じゃなくて、スーパーに夕食の材料を買いに行った時も荷物持ちが居なくて苦労させられたものだ。
――閑話休題。
相沢くんはどうしてあたしにクッキーを渡す気になんてなったのかしら。あたしは義理チョコの類が嫌いなのでバレンタインにはチョコなんて一つもばら撒いていないのに。なにか勘違いでもしてるのだろうか。
「……おや?」
不意に脳裏に閃くものがあった。
もしかして、アレだろうか。
だとしたら、本当に勘違いもいいところだ。
アレとは……そう、あれは確か2月の中旬……多分13日頃、だったと思う。
あの日、あたしはちょっとした好奇心に駆られた。子供じみた悪戯心と言ってもいい。
具体的には……チョコレートを溶かしてみたくなったのだ。特に理由は無い。単なる思い付きである。
都合のいいことに、相沢くんはその日、ゼミの友人たちと遊びに出掛けていた。あくまでも偶然である。あたしが裏から手を回して相沢くんを連れ出してもらった、などということはないので誤解しないでいただきたい。
因みに、遊びに行く面子は男ばかりだったがこれも単なる偶然である。女は絶対に誘わないようにとか、相沢くんに女を近付かせたら磨り潰す、などといった厳命や脅しは全くしていないので変な勘違いはしないように。
――話が逸れた。元に戻そう。
ええっと、どこまで話したかしら。ああ、そうそう。チョコを溶かしてみたくなった、までだったわね。
あたしは子供の頃から『気になったことはやってみなければ気が済まない』所があったのだ。
湧き上がった好奇心。相沢くんがいない好機。――となれば、あたしの取るべき行動は一つ。
近所のスーパーでチョコを購入したあたしは、今がチャンスとばかりに手作り……ではなくて、知識欲を満たすことにした。
えっと、まずはチョコレートを細かく割って金属製のボウルに入れていく。意外と力の要る作業で手が痛くなったりもするが、ここで手を抜くと綺麗に溶けなかったりするので念入りに念入りに。
そのボウルを50度ほどのお湯が入った鍋で湯煎にかけ、チョコレートをへらでかき混ぜて、残しがないように完全に溶かす。
うん。良い感じにトロトロである。あっさりとミッション・コンプリート。
さて、こうしてチョコを溶かしたワケだが、溶かしたものは固めたくなるのが人情というものだろう。そうだ。そうに違いない。
湯煎から出して、ゆっくりゆっくりかき混ぜながら冷ましていく。この時に『なぜか』あらかじめ用意しておいた細かく砕いたチョコを加えるのも忘れない。
え? 準備が良すぎる? まるで始めからチョコを手作りするつもりみたいだった?
……気の所為よ。
それはさておき、こうしてへらでかき混ぜつつ30度ほどにまで冷やしたら、次は好きな型に流し込むわけなんだけど……取り敢えず、この『たまたま』手近にあったハート型のでいいわね。
そうして、型に流し込んだら冷蔵庫で冷却。2、30分くらいで大丈夫かしら。
チョコが固まったら、割ったりしないように気を付けて型から取り出す。この瞬間って結構ドキドキするわ。
「……ふぅ」
綺麗に取り出されたチョコを見て思わず安堵の吐息が漏れた。まあ、別に割れてしまっても一向に構わないのだけど、せっかく作ったものが壊れるのもそれはそれで悔しいからね。ただそれだけよ。他に理由なんて無いからね。
こうして上手い具合に固められたチョコだけど、目の前に鎮座しているそのチョコを見ているうちに、あたしの胸にまた悪戯心が湧き上がって来た。
今にして思えばこの時のあたしは完全に童心に帰っていたのだろう。
あたしは『どういうわけか』用意してあったホワイトチョコ入りのチューブを手にすると、おもむろに落書きを始めた。
何と書いたかはよく覚えていない。相沢くんへの悪口雑言だったような気もするが、覚えていないということはどうでもいい内容だったのだろう。間違ってもL○VEとかY○Uとか……そんな言葉は書いていない。書いていないといったら書いていない。
さて、このように相沢くんへの罵詈を書きまくって遊んでいたあたしだったが、ここでとある問題に突き当たった。
このチョコレート、どうしよう?
自分で食べるのが一番手っ取り早いのだが、生憎この時のあたしはチョコを食べたい気分じゃなかった。
だからといって捨てるというのも論外。食べ物は大事にしましょう。
となれば、誰かにあげるのが一番。
……うん。相沢くんに食べさせよう。
この選択に大した意味は無い。単に、渡すのに最も労力を要さない相手、というだけである。あたしは基本的にめんどくさがりなのだ。
ともあれ、そんなこんなの末に相沢くんに渡すとそう決めたわけだが、その時、またまた悪戯心がムクムクと頭をもたげてきた。
このまま渡すのもつまらない。そんな事を思ってしまったのだ。
あたしは、『偶然』手近な所にあった小奇麗な箱を手に取ると、それにチョコを乱暴に放り込んだ。そして、これまた『たまたま』置いてあった包装紙で厳重に厳重に包む。更に、トドメとばかりに『なぜか』手元にあったリボンでグルグル巻きにした。
ギチギチに固めて、簡単に取り出せないようにしてから渡す。嫌がらせ以外の何物でもない。我ながらいい性格をしていると思う。
「ああ、そういえば」
あのチョコ、相沢くんに手渡したのって14日だった様な気がしなくもない。
なるほど。『たまたま』『偶然に』『意図せず』バレンタインにチョコレートを渡してしまったらしい。失態である。
それなら相沢くんが勘違いしてしまったのも致し方の無いところだろう。
やれやれだ。
あたしは自分の迂闊さに呆れつつ、相沢くんから贈られた的外れのお返し品を口に運んだ。
「……ふふっ。おいしっ♪」
念の為に言っておくが、今、あたしは顰め面をしている。当然だ。己のマヌケな行動に頭を痛めている真っ最中なのだから。
あたしはバレンタインデーにもホワイトデーにも、全くちっともこれっぽっちも興味なんてないと断言できる。
なので、喜んでいるとか浮かれているとか、あまつさえ舞い上がっているなどという甚だ不愉快な誤解はしないでいただきたいものである。
くれぐれも、くれぐれも。