『続々・誤解なんです』
「こうしてお姉ちゃんとお茶するのも久し振りだよね」
「久し振り? そうだったかしら?」
あたしは愛妹である栞の言葉を受けて微かに首を傾げた。
「うん。二ヶ月ぶりくらいだよ」
「そう、だっけ?」
「お姉ちゃん、実家の方には全然帰ってこないし。まあ、祐一さんとのラブラブ同棲生活がよっぽど楽しいんだろうけどね」
言われてみれば、確かにそれくらいは経ってた様な気がしなくもない。
しかし、栞は盛大に誤解をしている。
あたしが家に帰らないのは日々の生活が忙しいからであり、相沢くんは一切関係ない。
そもそも、同棲などしていない。あれは単なる合理性のみを考慮した同居である。勘違いも甚だしい。
楽しんでなどいないし、当然ラブラブでもない。まったくもって心外である。
――ため息交じりにそう抗議すると、何故か栞はあたしを半眼で見つめてきた。
「お姉ちゃん、いつまでそんな事を言い続けるつもり? そのネタ、いい加減しつこいよ」
「いつまでって……ずっとよ、決まってるじゃない。というか、ネタとは失礼ね」
「……ま、いいけど」
大仰にやれやれと肩を竦める栞。
なんかむかつく。後で、ホッペタびよーんの刑に処すこと決定。
「そういえばさ、お姉ちゃん。今年のエイプリルフールってなんか嘘をついた?」
「は? エイプリルフール?」
唐突な話題展開に少しだけ呆気に取られる。
そんなあたしに構わず栞は口を動かし続けた。実にマイペースな娘だ。長い付き合いだが、栞のペースには未だに戸惑う時がある。
尤も、そういう所も可愛いのだが。
「うん。わたしね、友達にいろいろ嘘とか言ってみたんだけど、一人も騙されてくれなかったの」
ああ、それはそうだろう。あたしは妙に納得した。
栞は良く言えば素直、悪く言えば単純だ。病を克服して以降、その傾向は更に強まっている様にも思える。
ぶっちゃけてしまえば、騙されることはあっても騙すのは無理。栞はそんな愛らしい子だ。何と言うか……萌え?
「それがちょっと悔しかったから、来年のためにも今から勉強しておこうと思ったの」
気の早い話だった。鬼が腹を抱えて大笑いしかねない。と言うか、無駄に生真面目で負けず嫌いな子である。
「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはどんな嘘をついた? 参考にさせて欲しいんだけど」
「参考、と言われてもねぇ」
真っ直ぐな瞳を向けてくる栞に、あたしは苦笑しつつ返した。
「それは無理よ。あたし、嘘なんて言わなかったから」
「え? そうなの?」
「そうよ。エイプリルフールだからって嘘をつかなきゃいけないワケじゃないしね。だから、友達との会話もオール本音だったわ。例えば――」
例えば、相沢くんと仲のいいAさん(女性)には
「これからも宜しくしてあげてね。今度、相沢くんに、あなたをお茶にでも誘うように言っておくわ」
彼の代わりに日頃の感謝を述べ……
相沢くんに気の有る素振りを見せることのあるBさん(当然女性)には
「あなたと相沢くんなら結構お似合いだと思うわよ。モーションとか掛けてみたら?」
そう言って背中を押し……
相沢くんに時折熱っぽい視線を送っているCさん(もちろん女性)には
「頑張ってね。あたし、応援するわ」
ニッコリと微笑んで、心からのエールを送った。
「――こんな感じでね」
「そ、そうなんだ」
あたしが語った四月一日の模様。それを聞いた栞は、どうしてか盛大に顔を引き攣らせた。
「あ、あのさ、お姉ちゃん」
「なに?」
「それって、本当に本音なの?」
「当たり前でしょ。言葉通りよ」
キッパリと言い切る。決め台詞を発せられたことに内心で満足しつつ。
「そうかなぁ? わたしには、エイプリルフールに託けて釘を刺してるようにしか聞こえないんだけど」
「何を言ってるの。そんなこと、あるわけないでしょ」
栞の見当違いの言葉に、あたしは呆れ顔で深いため息を吐き零した。
「どうしてあたしが釘を刺したりしなければいけないのよ」
「どうしてって……祐一さんに悪い虫が付かない様に……」
「またワケの分からないことを。相沢くんに虫が付こうがどうなろうが、あたしには全く関係ないわ。いい加減、変な誤解はやめてくれないかしら」
眉間を揉み解しながら訴える。本当に勘弁して欲しいものだ。
「……あくまでも誤解だと言い張るつもりですか?」
「言い張るも何も事実だし」
「そうですか。なら、『誤解』はやめます。そして、遠慮もやめにします。これからは、祐一さんにバンバンとアタックして甘えまくり……い、いえ、嘘です。冗談です。ごめんなさい」
突然栞が全身をガクガクと震わせ始めた。顔色が青くなり、汗もダラダラ。
「あらあら。どうしたのかしら? 体調でも悪いの? 大丈夫? 気を付けなきゃダメよ」
「は、はいぃ」
コクコクと首肯する栞。素直で大変よろしい。
「……ううっ。お姉ちゃん、本気で睨みましたぁ。血が凍るかと思いましたよぉ。こ、怖いですぅ」
なにやら栞の小声が聞こえたような気もしたが……たぶん気の所為だろう。
「ああ、そうそう。思い出したわ」
「え? なにがですか?」
「エイプリルフールよ。そういえば、あたし、一つだけ嘘をつこうとしたのよね。相沢くんにだけど」
「へぇ、そうなんですか。それで? どんな嘘なんですか?」
栞が興味津々の顔を向けてきた。
「それはね――」
食事にお風呂に勉強、行うべき全てを終わらせて後は寝るだけ、となった時にあたしはふと思った。
そっかくのエイプリルフール。全く嘘を言わないというのもそれはそれで勿体無いかもしれない、と。
なので、『四月一日が終わる前にあたしも一つ嘘をついてみよう』という考えに至ったのは至極自然な流れと言えよう。
相手は……まあ、相沢くんでいいか。
深い意味は無い。単に手近なところで済ませてしまおうと思っただけだ。夜も遅いことであるし。
「相沢くん」
「ん? なんだ?」
「あのね、あなたに言いたい事があるの。構わないかしら?」
「ああ、いいぜ。何でも言ってくれ」
「あたし……あたし、ね」
ちょっぴり瞳を潤ませて相沢くんを見つめる。
「相沢くんのことが……好きよ。誰よりも愛してる」
言いながら、相沢くんの胸に飛び込んだ。
うむ。我ながらナイスな『演技』である。これなら相沢くんもすっかり騙されたであろう。
相沢くんの胸の中でニヤリとほくそ笑むあたし。
だが、次の瞬間、
「……あっ」
思わずそんな言葉が口をついて出た。その原因は、あたしの視線の先にあったデジタル時計。盤面には0時15分の表示。
なんてことだ。もうとっくに、しがつついたちはおわってしまっていたではないか。
あたしとしたことが、だいしっぱいしてしまった。ああ、こまったこまった。どーしよー。
「――といった感じで、嘘をつこうとしたけど上手くいかなかったのよ。一生の不覚だわ」
「……あ、あのさ……お姉ちゃん?」
「なに?」
「それ、絶対に故意でしょ。二日になってるの分かってて言ったでしょ」
「はあ? そんなことあるワケないでしょ。変な勘ぐりはしないで欲しいわ」
「嘘だよぉ! 絶対に、ぜーったいにわざとだよぉ! お姉ちゃん、ベタすぎるよぉ!」
「違うってば。栞の誤解よ」
「この期に及んでまだそんなことを言うの!? いけしゃあしゃあと!? もう! お姉ちゃんってば! もう! もう! もうもうもう!」
ジタバタと暴れる栞。
そんな妹の姿を見てあたしは思った。
実の妹にすら理解してもらえないあたしは何て可哀想なのだろう、と。
「お姉ちゃんのうそつきぃ! ひねくれものぉ! へそ曲がりの腹黒ぉ! あーん、もう!」
まったく。誤解だって言ってるのに。
こめかみを押さえつつ、深々と嘆息してしまうあたしだった。
――ちなみに。
栞があたしに放った暴言の数々。その全てを心の閻魔帳に記しておいたのは言うまでもない。