『傍迷惑な午後』



 青空が広がる、よく晴れた日曜日の午後。
 美坂香里は、クラスメイトである相沢祐一と並んで商店街を歩いていた。
 その彼女に、不意に掛けられた「あの、少々宜しいですか?」という若い女性の声。
 微かに怪訝な顔をしつつも、反射的にそちらへと振り向く香里。
 ――が、次の瞬間、香里は表情を呆然とした物に変え、そのまま固まってしまう。
 彼女の目に飛び込んできたのは、テレビカメラとスタッフと思わしき数人の男性、及びマイクを持ってにこやかに微笑んでいる女性。
 その中で、マイクを手にしている女性の顔には香里も見覚えがあった。地元のテレビ局に勤めているアナウンサーである。美貌と、愛嬌のある言動で人気を博しており、香里の通う高校にも彼女のファンは多い。局アナでありながら、半ばアイドル扱いされている女性だった。香里視点で見たところの所謂『芸能人』である女子アナ。自分とは関係の無い、遠い世界の住人。そんな女性に声を掛けられ、香里の頭に疑問符が浮かぶ。

「少しだけ、お話を伺わせていただきたいのですけど」

 そして、その疑問は、女子アナからそんな言葉を投げ掛けられた時点で更に強まった。
 香里の脳裏で渦巻いている思いはただ一つ。「よりによって、なんであたし?」だった。
 晴天の休日の午後の商店街。周りを軽く見渡せば、自分以外にも人は幾らでもいる。一人で歩いている者も居れば、カップルも家族連れも友達同士のグループも。正に選り取り見取り。
 ――なのに、どうして?
 必要以上に目立つことを好まない香里としては、今のこの状況は辛い。
 テレビカメラ、人気のあるアナウンサー。人目を引くには充分すぎる要素であり、現に歩行客の多くが足を止めて見物していた。
 ――どうしてあたしなのよ?
 そう思わずにはいられない香里だった。
 もちろん、テレビクルーが香里を選んだのには其れ相応の理由がある。
 一つは香里の容姿。アイドル顔負けのルックスを持つ香里は――本人的には甚だ不本意であろうが――スタッフ達の目を引き付けた。
 彼らにとって映像は商品である。少しでも美しい者を起用したいと思うのは当然の事だった。無論、美少女に出てもらった方が視聴者受けが良いという打算も働いているが。
 加えて、二つ目の理由として、香里の隣を歩いていた少年の存在があった。彼の容姿も――アイドル顔負けとまではいかないが――それなりに整っており、香里と並んでいて見劣りしない、どころか実にバランスが取れていた。
 街に繰り出し、インタビューの相手を探そうとした矢先、タイミングよくそんな美味しいカップルが現れてくれたのだ。テレビスタッフ一同にとっては格好の『獲物』といえる。鴨が葱を背負ってやってきてくれたも同然。標的にされて然るべき。

「お二人は、今日はデートですか?」

 香里の内心の苦悩を敏感に察知した上であっさりと綺麗にスルーして、アナウンサーが実に爽やかな笑顔で尋ねてきた。愛らしい外見とは裏腹に何気にいい性格をしている。

「え? 別にそんなのじゃないです。彼とは……」

 マイクとカメラを向けられては流石の香里も無碍には出来ず、微かに肩を落としつつも仕方ないとばかりに答えを返す。
 ――否、返そうとした。素直に正直に。「ただ、近くで偶然会っただけで、デートでもなんでもない」と。
 しかし、そんな彼女の言葉は遮られてしまった。

「そうなんです。何日も前から約束して楽しみにしていたラブラブデートなんですよ」

 連れの少年によって。

「ちょ、ちょっと、相沢くん! なに言ってる……」

 抗議しようと祐一へと視線を向ける香里。だが、彼女の口は途中で止められてしまう。と同時に、思わずガックリと膝を付きたくなる程の脱力感と諦観を覚えた。
 香里の視線の先に居た祐一は、なんとも表現しがたい『良い笑顔』を浮かべていた。
 まるで従妹の少女をからかう時の様な、羽リュックの少女をからかう時の様な、アイス好きの少女をからかう時の様な。
 香里はこういう時の祐一を内心でこう呼んでいた。『イタズラっ子モード』と。
 経験上、こうなった祐一に何を言っても無駄だということを理解していた。イヤというほどに。
 標的を見つけた時の祐一は機を見るに敏。相手をからかう為に全精力を注ぎ込む傍迷惑な存在となる。
 今まさに、自分自身がそのターゲットになってしまった事を思い知らされた香里は、諦めと悟りの入り混じった嘆息を零した。

「なんだよ、香里。相沢くんだなんて他人行儀な言い方して。いつものように『祐一』ってハートマーク付きで呼んでくれよ。テレビカメラの前だからって変に気取るなよな」

 香里の内心を知ってか知らずか――十中八九理解した上で――そんなことを言い出す祐一。

「なっ!?」

 あまりといえばあまりな発言に、香里が思わず動揺を見せてしまう。不覚にも、頬も薄っすらと染めてしまった。
 そのような姿を見せれば、祐一は間違いなく付け込んで来ると分かっているにも関わらず。
 しかも、悪い事に――

「あら、赤くなっちゃいましたね。祐一くん、でしたっけ? もしかして、あなたの彼女って恥ずかしがりや?」

 今日の彼にはタッグパートナーが居た。『面白いものを見つけた』という顔で嬉々として祐一に話を振っていく。
 香里は理解した。させられてしまった。この女子アナが祐一の同類であると。
 孤立無援の状況を認識し、心の中で滂沱の涙を零す。
 そんな香里を余所に、祐一とアナウンサーの話は弾んでいた。

「そうなんですよ。まあ、そこが可愛らしいところなんですけどね」

「うわぁ、惚気られちゃいました。えっと、お二人とも学生さんですよね? ひょっとして、学校でもラブラブだったりするのですか?」

「それはもう。校内一のバカップルと呼ばれるくらいですから」

 あらあら、そうなんですか。そうなんですよ、ハッハッハ。
 実に和やかに会話を進める二人。その隣で、香里は拳をギュッと握り締め、尚且つプルプルと震わせ、この拷問のような時間を黙って耐えていた。なにかを言えば、それが却って祐一に『口撃』の格好の材料を与えてしまう事になってしまいそうだったから。
 後で祐一にどの様な報復をしようかを考えながら、香里は一刻も早くこの迷惑なインタビューが終了する事を願い続けた。

「仲が良いのですね。お付き合いはもう長いのですか?」

「物心付いてからずっとです。既に親も公認の将来を誓い合った仲でして……」

 好き勝手に変な設定を付け加えていく祐一。
 それを聞いて、香里は『勘弁してよ』という気持ちになった。
 ――もしも、万が一、この放送を栞たちが観たらどうするつもりなのだろうか?
 祐一が一人で自爆する分には一向に構わない。けれど、それに巻き込まれるのはご遠慮願いたい。
 おとなしそうな外見とは異なり、香里の妹である栞嬢は実にパワフルな女の子だった。その彼女に根も葉もない事で延々と責められるのは文字通り苦行。火の無い所に強引に煙を立たされて、その上でネチネチと詰問されては堪らない。
 ――あたしと相沢くんは、まだそんな関係じゃないんだし、ね。
 話に熱中している祐一と女子アナを恨めしげに見やりつつ、香里はそっとため息を吐き零した。
 ――ん? ちょっと。『まだ』ってなによ、『まだ』って? あ、あたしは相沢くんの事なんて……別に……そ、その……。
 異様に意気投合して盛り上がっている二人の横で、己の『失言』にハッと気付き、頬を赤らめてちょっぴり『やんやん』してしまう香里だった。


○   ○   ○



「お疲れ様。おかげで楽しいインタビューができたわ、ありがとう」

 局の名前が書かれたボールペンと手帳を粗品として祐一と香里に渡しながら、女子アナが嬉しそうに礼を述べる。
 それを受け取りつつ、香里がどことなく切羽詰った表情で切り出した。

「あ、あの……先程のインタビューですけど、本当に流しちゃうんですか? その、今更こんな事を言うのは申し訳ないんですけど、できれば……」

 放送するのは止めてくれないか。
 その意図を読み取り、女子アナが渋い顔をする。

「うーん、香里ちゃんは恥ずかしがりだもんね。お茶の間にラブラブな映像が流されちゃう事に抵抗があるという気持ちはよく分かるわ」

 アナウンサーが祐一と話しをしていた時、香里はその隣でずっと頬を染めておとなしくしていた。無論、それは実際は諦めと怒り――あと、若干『やんやん』――故であったのだが、その様子を見ていたこの女子アナは香里の事を――祐一の茶々のおかげもあり――『重度の照れ屋で恥ずかしがり』だと頭から信じきっていた。

「でも……ごめんなさいね、それは無理なのよ」

「ど、どうしてですか?」

 沈痛な表情を浮かべて尋ねてくる香里に、女子アナは申し訳なさそうに答える。

「だって、もう放送しちゃった後だもの」

「……え?」

 ポカンとした顔になる香里。
 その彼女に、美人アナウンサーは苦い笑みを見せながらトドメを刺した。

「さっきの、生放送なの」


○   ○   ○



『相沢くん! どうしてくれるのよ!』

 その日の晩、水瀬家に掛かってきた香里からの電話。
 秋子からそれを受け取った祐一の耳へと届けられた第一声は盛大な罵りだった。

「少しは落ち着け、香里。しわが増えるぞ」

『うっさい! これが落ち着いてなんていられるもんですか! 本当にどうしてくれるのよ、相沢くん。例の番組、栞に観られちゃったじゃない。そればかりかお父さんとお母さんにも。おかげで栞には延々と恨み言を言われるし、両親には追求されるは散々からかわれるわ』

「そっか。大変だったんだな」

『他人事みたいに言わないでよ! 全部相沢くんの所為でしょ!』

 暢気な祐一の回答に、香里が更にヒートアップする。声が二割ほど甲高くなっていた。
 そんな香里に多少気圧されつつ、祐一は楽しげな声で話しかける。

「え、えっとな。実は、香里にナイスなビッグニュースがあるんだ」

『……なによ?』

 嫌な予感を覚えたのか、香里の声が微かに低くなった。

「あの番組だけどな……笑っちゃう事に、名雪とあゆ、真琴も観てたりするんだな、これが」

『っ!?』

 受話器の向こうで香里が息を飲むのが分かった。
 ――が、祐一は構わずに言葉を続ける。

「それと、もちろん秋子さんも。いやぁ、お約束ってのはあるもんだな、香里。この分だと、きっと佐祐理さんに舞、天野なんかも観てるかもな。あっはっは、これは困った困った」

 言葉とは裏腹に全く困った様子を感じさせない祐一。
 それを聞いて、香里は切れた。プチッと。

『あ、あ、あ、相沢くんの……ぶぅわぁかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』


○   ○   ○



「えっと、香里、さん?」

「ん? なーに、『祐一』?」

「どーしてピッタリとくっ付いていらっしゃるのでせうか?」

「決まってるじゃない。あたしと『祐一』が『校内一のバカップル』で『親公認の将来を誓い合った仲』だからよ」

 冷や汗やらあぶら汗やらを流しながら尋ねる祐一に、香里は妙に迫力を感じさせる笑みを浮かべてサラッと返した。
 何処かで聞いたようなフレーズを並べられ、祐一の顔が如実に引き攣る。
 騒動から一夜明け、名雪と共に登校してきた祐一に対し、香里は有無を言わせずに勢いよく抱き付いた。そして、甘い声で「おはよ、祐一」と囁くコンボを発動。
 騒然となる周囲の面々。昨日の番組を観たのはかなりの人数に上るらしく、其処彼処で「あれは本当の事だったんだ」などと話し合う輪が作られていった。また、良くも悪くも只でさえ目立つ存在である祐一と、学年主席の才女として名高い香里の二人が人目も憚らずにベタベタしていては、例え番組を観ていなかったとしても噂となるには充分すぎる程の話題性を持っていた。放課後までには間違いなく全校中に広まり、生徒達の格好の肴となることだろう。

「こ、こういう反撃の仕方をするか、普通? 恥ずかしくないのかよ?」

「なんとでも言いなさい。開き直った女は無敵なのよ。たーっぷり仕返しさせてもらうからね。覚悟しなさいよ、『祐一』」

「……うぐぅ」

 問いを一刀両断され、あまつさえ『宣戦布告』までされて、思わずあゆあゆ化する祐一。
 香里からのプレッシャー、周りからの奇異や羨望の目、加えて……
 従妹からの、物腰上品な少女からの、笑顔のお嬢様からの、無口な先輩からの、件の少女の妹からの、それはもう突き刺さらんばかりの冷たい視線を一身に浴び、祐一は堪らず頭を抱えてしまう。
 そんな祐一に、香里は満面の笑顔を向けて、なんとも楽しそうに宣った。

「あたし、やられたらとことんまでやり返す主義なのよ。覚えておいてね、『祐一』」