『プール、悲喜こもごも』
「先輩……俺らの周りの女って、揃いも揃って押しが強いよな」
「……だな」
百瀬壮一の漏らした愚痴に、羽村亮は些か疲れの見える顔で同意した。
彼らは今、市営プールの更衣室の近くで人待ちをしていた。
『今日は暑いから、訓練はお休みにしてプールに行きましょう』
『賛成です、鏡花さん♪』
これから訓練だ、そう思った矢先に放たれた鶴の二声。
「はぁ?」と呆気に取られる男性陣を余所に、鏡花と真言美によってあれよあれよと話は進められ、異論を挟む間もなく水着を用意させられて、気が付けばこんな所にまで連行されてしまった。
「ったく。少しはいずみさんの謙虚さを見習ってんだ」
「モモ、気持ちは分かるが、天地が引っ繰り返ってもありえない事を望むものじゃないぞ。空しくなるだけだしな。――つーか、いずみさんもいずみさんで別の意味で相当にマイペースでアレだったりすると思うけど……」
彼女らの思い付きに有無を言わさず付き合わされる身としては、文句の一つも零したくなるのは致し方ないところであろう。その行為が建設的かどうかはともかくとして。
「ところでさ、先輩」
「あん?」
「思ったんだけどよ。姉ちゃん、またこの前の時の様な際どい水着を着てくるつもりかな?」
チラリと更衣室の方へと視線を送りつつ、壮一が亮に尋ねる。
壮一が口にした『この前の時』。それはつまり、今日の四人にキララを加えた面子でホテルのプールへと行った時の事である。
あの時の鏡花は、大胆なカットが施された、目のやり場に困る水着を用意してきた。当初の目的地はホテルなどではなく、単なる市営プールであったにも関わらず、だ。
ならば、今日もまた同様の水着を持ってきていても何の不思議も無い。否、持ってこないと考える方が不自然なくらいであろう。
「可能性は……高い気がする」
「だ、だよな、やっぱり」
鏡花の露出度の高い水着姿。若人二名、それを想像して思わずゴクッと生唾を飲み込んでしまう。
すると、まさにその瞬間、タイミングを見計らっていたかの如くに、
「お待たせぇ♪」
「ごめんなさい、遅くなっちゃいました」
更衣室より待ち人来たる。
掛けられた声に反応し、亮と壮一は反射的に鏡花へと――期待のこもった――目を向ける。
――が。
「あ、あり?」
「ね、姉ちゃん?」
彼らが脳裏に浮かべていたものは其処には無かった。
鏡花が身に纏っていたのは、亮たちが思っていた様な派手な水着ではなく、露出度の少ない実に実に地味な水着であった。
色は寒色、これといった装飾も付いておらず、カットは緩やか、背中が大きく開いているという事もない、極々普通の、否普通以下の、華やかさの欠片も無いワンピース。鏡花が選ぶとはおよそ思えない一品だった。
「なによ? 変な顔しちゃって」
「い、いや。ちょっと驚いただけだ。てっきり、もっと派手なのを着てくると思ってたからな。それにしても、いったいどんな心境の変化だ? 鏡花にしちゃ随分と地味な水着を選んだじゃないか」
「別に。ただ、あんたら相手に色気を振り撒く気が無いだけよ。サービスしても、どうせ褒め言葉の一つもくれないしね」
言って、鏡花は亮を一瞥。ホテルのプールでの一件を引き合いに出しての軽い嫌味付き。当然、思い当たる節の有りまくる亮はぐうの音も出せない。
「大胆な格好をして欲しかったら、其れ相応の態度は見せなきゃね。ギブアンドテイク。大事な事よ、覚えておきなさい」
亮の鼻をツンと突付いて鏡花が諭す。
それに「肝に銘じておく」と深く頷いて応える亮。そんな素直な態度に、鏡花は「よろしい」と相好を崩した。
「さて、それじゃ、そろそろ泳ぎに行きましょうか。いつまでもボーっと突っ立ってても時間が勿体ないしね」
促すや否や、鏡花は亮の腕に自らの腕を絡めてプールへと引っ張っていく。
「今日はプールもいい感じに空いてるし、思いっきり、バテバテになるまで泳ぐわよぉ」
「そっか。頑張れよ」
「何を他人事みたいに。もちろんあんたもよ」
関心なさげな顔でぞんざいに応援してくる亮に、『当たり前でしょ』とばかりに鏡花が返す。
「は? ちょっと待て。何故に俺まで? 俺はマッタリと泳ぎたいのですが?」
「却下。徹底的に付き合ってもらうからね♪」
「ふざけるな。横暴だぞ。『ね♪』とか可愛らしく言えば何でも許されると思うなよ、こんちくしょーめ」
「うっさい。文句を言わずにさっさと来る」
「……問答無用ですかい。つーか、俺の意思やら人権やらは何処に?」
「無いわよ、そんなの」
「無いのかよ!? しかも、即答!?」
やいのやいのと言い合う鏡花と亮。相も変わらず時と場所を選ばすにケンカをする二人だった。
尤も、言葉とは裏腹に、どちらの顔も楽しげに微笑んでいたが。
一方、その頃の壮一と真言美。
こちらも亮たちと同様にケンカの真っ最中であった。
「モモちゃん、鏡花さんの方にばかり気を取られてたね」
「うぐっ」
否、少々訂正。
一方的に恨み言をぶつけられていた。壮一が真言美から。
「頑張ってビキニ着たのに……モモちゃんってば全然見てくれないし」
「そ、そんなことないぞ。ちゃんと三輪坂の事も」
「も? ふっ。所詮わたしは『も』なんだね。オマケ扱いなんだね。どうせわたしは鏡花さんみたいにスタイル良くないし、期待なんかこれっぽっちもされてなかったよね。うんうん、分かってる。よーく分かってるよ」
「い、いや、だから、それは……その……」
真言美の水着よりも鏡花の水着へと意識が行ってしまっていたのは事実。
故に、壮一は上手い言い訳が思い付かずにしどろもどろになってしまう。
「でもでもぉ、分かっていてもむかつくものはむかつくよねぇ。ふふふっ。これは、やっぱりお仕置きが必要かな。ねっ、モモちゃんもそう思うでしょ。可愛い恋人を放っておいて、他の女性の水着姿に気を取られるような浮気者さんには、きつーーーいお灸を据えないとね」
「う、うううっ」
眩しい陽射しが降り注ぐ初夏の暑さの中、真言美の氷点下の視線に晒されて、身も心も凍り付くような厳しい寒さを感じてしまう壮一であった。
○ ○ ○
「なあ、鏡花?」
「ん?」
プールサイドに腰掛けて一時休憩の亮と鏡花。
延々と泳ぎまくった所為で荒くなっていた息、それが治まった頃に亮が鏡花へと問い掛けた。
「水着の事なんだけどさ、鏡花がそういう地味なのを着てきたのって、本当にさっき更衣室の前で言った理由でなのか?」
「はあ? なーに? あんた、まだそんな事を気にしてたの?」
鏡花が呆れた顔で尋ね返す。
「気にするっつーか、どうも腑に落ちなくてさ。お前、そういう水着って絶対に好みじゃないだろ? なのに、あの程度の事で――って言ったら凄く失礼だけど――わざわざそんなのを着てくるかなぁと思って」
「なるほどね」
納得した様子で鏡花が一つ小さく首肯した。
「確かにあんたの言うとおりよ。こんなのあたしの趣味じゃないし、泳ぐ前に言ったのも……まあ、あれも本当に理由の一つではあるにはあるんだけど……どちらかといえば建前であって、決して主だったものではないわね」
「やっぱり。なら、いったいどうしてなんだ?」
合点が行ったという表情をしながらも、亮は更に疑問を口にする。
「そ、それは……」
亮の問いを受け、鏡花が頬を赤く染めた。
その様子に、亮は怪訝な顔で「?」と小首を傾げる。
「それは?」
「……よ」
もともと亮に対して隠す気は無かったのか、亮の促しに対して鏡花はアッサリと口を開いた。
だが、その声は小さく、とても亮の耳に届くモノではなかった。
従って、当然の様に亮は「はい? なんだって?」と再度の回答を求め、鏡花へと耳を差し出す。
「だ、だから!」
照れと若干の拗ねと観念の入り混じった顔で亮の耳へと口を近づけると、鏡花はもう一度先ほどの言葉を繰り返した。
「露出度の少ない水着を選んだのは、あなた以外の男にあまり肌を晒したくなかったからよ」
そう、早口で一気に。
「……え?」
あまりにも『らしくない』しおらしいセリフに、思わず亮は呆けた顔をしてしまう。
全く予想していなかった答だった。想定外もいいところ。
完璧に――不意打ちだった。
「そ、それに……亮だって、あたしの肌が他の男に見られたりしたら……いい気はしないでしょ?」
微かに唇を尖らせ、恥ずかしそうに首筋まで朱に染め、亮から視線を逸らせて鏡花がポソポソと零す。
そんな様に、亮は強い愛おしさを覚えた。覚えずにはいられなかった。
普段は唯我独尊な彼女が見せた些か不器用な――それでいて溢れんばかりの――想い。
大胆で派手な水着など比べ物にならない程に、グッと来た。亮の胸に大きく響いた。
故に、
「きゃっ! りょ、亮!?」
気付いた時には、鏡花の肩を抱き、強く引き寄せていた。
「ありがとな、鏡花。今、俺、マジに感動してる。すっげぇ嬉しい。ホント、ありがとな」
突然の事に驚いた顔をして、反射的に亮から体を離そうともがいていた鏡花だったが、その言葉を耳にすると全身からスーッと力を抜いた。抗う事をやめ、素直に亮に身を委ねる。
「……うん」
亮の肩に頭を乗せると、鏡花は小さくコクンと頷いた。
幸せそうに穏やかに微笑んで。
夢でも見ている様な、蕩けそうな表情で。
――鏡花は小さくコクンと頷いた。
この日、これ以降、亮と鏡花がプールで泳ぐ事はなかった。
ただ、プールサイドで静かに寄り添い続けていた。
いつまでもいつまでも。
因みに、プールからの帰り道で、
「公衆の面前でなに赤面物の事してるのよ! ばか! せっかく地味な水着着てても、あれじゃ目立ちまくっちゃって意味ないじゃない! あー、もう、恥ずかしい。おかげで、しばらくあのプールには行けなくなっちゃったじゃない」
「なんだよ、それ。俺だけの所為にするなって。お前だって同罪だろ。自分からピッタリとくっついて甘えてきたのは何処の誰だよ」
「う、うっさいわね。あたしはいいのよ」
「いいワケあるか!」
などと今日何度目かのケンカをしていたりするのだが――まあ、それも一つのお約束ということで。
○ ○ ○
――亮と鏡花が夏の暑さに負けないほどの『熱さ』を周囲に振り撒いていた頃の事。
「げほっ、げほっ。み、三輪坂。50メートルプール、全力十往復……お、終わったぞ」
ゼエゼエと荒い息を吐きつつ、壮一は真言美へと報告する。
――と、それに応ずるは真言美の『優しい』声。
「お疲れ様。それじゃ、続けてもう十往復行ってみよう♪」
まなみん、容赦の欠片も無し。
「ま、待て。お前、俺を殺す気か?」
「……泳がないの? 別にそれでもいいけど。なら、代わりに真言美ビーム……」
「お、泳がせていただきます!」
不穏な事を口走る真言美から逃げ出す様に、壮一は再度泳ぎ始めた。半ばヤケクソ気味に。
そして、泳ぎながら壮一は思った。
帰ったら必死に三輪坂のご機嫌取りをしよう、と
――ついでに、こうも思った。否、祈った。
それ以前に生きてプールから出られますように、と。
恋人が居る身でありながら、他の女性の水着に気を取られた罪。
その重さを、嫌というほどに、過剰なまでに、泣きそうなほどに実感させられた壮一であった。
< おわり >