『アイドルとーく』



「和樹。ビデオ録画の用意は出来てる?」

「ああ、ばっちりだ」

 瑞希の問い掛けに、デッキにテープが入っている事を確認しつつ和樹が答えた。

「生放送のトーク番組、かぁ。あさひちゃん、大丈夫かな。アドリブ苦手なのに」

 ポテチを口に運びながら、玲子が心配そうに零す。
 それに対し南とすばるが、

「大丈夫ですよ。今日の番組は由綺さんや理奈さんとも一緒ですし」

「きっとお二人がフォローしてくださいますの」

 微笑んで返した。
 その言葉に、テレビの前に陣取っていた千堂家一同に安堵の空気が流れる。
 ――が。

「理奈さんはともかくとして、由綺さんにフォローを期待して本当に大丈夫なんでしょうか」

 ポソッと放たれた郁美の一言に、全員の動きが止められた。
 先ほどとは打って変わって、何とも表現しがたい重い雰囲気に包まれる。
 そんな嫌な沈黙に浸っている千堂家の面々を余所に、テレビではあさひたちが出演する番組が始まっていた。


○   ○   ○


「お三方はプライベートでも非常に仲が良いとの事ですが」

「はい、そうなんです。尤も、みんな忙しいですから、一緒に遊びに行ったりとかは殆ど出来ないんですけどね」

 司会者からの振りに、理奈が笑顔を浮かべてハキハキと答える。
 基本的に受け答えは理奈がメインで担当していた。あさひと由綺は専ら相槌担当。アドリブに弱いあさひ、斜め上の回答をしかねない由綺。それを考慮すれば、この様な分担になるのは至極当然だった。

「その代わり、電話やメール交換は頻繁に行ってますけど」

 理奈の言葉に、あさひと由綺がうんうんと頷く。

「電話ですか。どの様な事をお話しているのですか?」

「いろいろです。お仕事の事ですとか。愚痴だったり激励だったり」

「愚痴、ですか?」

「はい。あたしは特に多いですね。専らあの人絡みで」

 そう言うと、イタズラっぽい笑みを浮かべて、理奈はスタジオの片隅へと視線を送る。
 それを追う様にして向けられるカメラ。すると、その先には、『おやおや、これは参ったなぁ』と言わんばかりの顔をして頭を掻いている英二と、『同感です』といった表情の弥生の姿があった。

「えっと……苦労させられてるのですか?」

 苦笑混じりに司会者が尋ねる。

「ええ、それはもう!」

 対し、間髪いれずに力一杯に言い放つ理奈。その発言を受け『おいおい、それはないよ』と大袈裟なまでに情けない顔を作る英二。なんとも『微笑ましい』兄妹の遣り取りに、スタジオ中に笑いが広がった。

「なるほど。――では、お仕事に関する事以外ではどんな話をなさってるのでしょうか」

 一頻りの笑渦の後、頃合を見て司会者が切り出した。

「そうですね。ファッションの事ですとか、趣味の事ですとか。後は……」

「後は?」

「ここでは言えない、女の子同士の内緒話ですとか」

 茶目っ気たっぷりに微笑んで理奈が言う。

「内緒話ですか? 例えば?」

「それはですね……」

「――って、ダメですよ、理奈さん。誘導尋問に乗っちゃ」

 あさひが理奈にツッコミを入れる。
 アドリブを不得手にしているあさひであるが、その辺は親しいが故の阿吽の呼吸。きっちりと、理奈が望むタイミングで突っ込む事が出来た。以前のあさひに比べたら格段の進歩である。テレビの前で和樹たちが『おおっ』と感嘆してしまうほどに。尤も、相手が由綺や理奈以外では相変わらずではあったが。

「おっと、あぶないあぶない」

 わざとらしく、理奈が口元を押さえた。

「残念、もう少しだったのに」

 パチンと指を鳴らす仕草をして司会者が悔しがる。
 朗らかに笑い合う理奈とあさひ、司会者の三人。
 ちょっとした冗談の応酬。そう、あくまでも『冗談』。
 しかし、世の中には冗談を至極真面目に受け止めてしまう者も。

「もう、理奈ちゃんってば危ないなぁ。わたし、ドキドキしちゃったよ。理奈ちゃんが『冬弥くんと和樹さんの話で盛り上がってます』とかバラしちゃうんじゃないかと思って」

 ほんわかと由綺が爆弾を投下。その刹那、理奈とあさひの顔に浮かんでいた笑みがピシッと音を立てて割れた。理奈の眉間には皺がより、あさひの頬を冷たい汗が流れ落ちる。ついでに、テレビの前では和樹や瑞希たちが盛大にずっこけていた。

「え、えっと……和樹さん、とは?」

 おそるおそるといった風情で司会者が尋ねる。心情的には『わざわざ藪を突付きたくはないけれど、立場上放っておくワケにもいかない』といったところか。因みに冬弥に関しては綺麗にスルー。由綺――及び理奈――と冬弥の仲など、業界でもお茶の間でも既に公然の秘密。暗黙の了解。今更突っ込む気にもならない。

「あ、あー、うー、そ、それは……」

 向けられた問いに、完璧にしどろもどろになるあさひ。多少場慣れしたとはいえ、突発的事項にはまだまだ弱い。
 こういう場合、なんとか出来るのはやはり理奈しかいない。

「和樹さんというのはですね、あたしと由綺とあさひの共通の『友人』である漫画家の『千堂かずき』さんの事です。あたしたち、彼の描く漫画が好きなんですよ。元々あさひが和樹さんの漫画のファンだったんです。あたしと由綺はその影響を受けたって感じですね。何度も薦められて読んでいるうちにすっかりハマっちゃいました。――で、和樹さんは今、某誌で連載をされているのですけど、その内容についてアレコレ盛り上がったりするんですよ。『これからどうなっちゃうんだろうね』と」

 何食わぬ顔で、理奈がスラスラと言葉を紡いでいく。その理奈をあさひが尊敬が混じった目で見つめていた。

「あ、そうそう。その連載作なんですけど、実はですね、この春にアニメになることが決まったんです。そして、そのヒロインの声をあさひが演じる事になったんですよ」

 そこまで言うと、理奈は一端言葉を切り、カメラへと真っ直ぐに視線を向けた。

「そのアニメは、只今皆様がご覧になっているチャンネルで放送されます。楽しみにしていて下さいね♪」

 満面の笑顔で、更には『ね♪』の部分で可愛らしくウインク一つ。
 話を誤魔化すだけには留まらず、そこにすかさず番宣をも組み込む。由綺やあさひには決して真似の出来ない、キャリアの長い理奈ならではの老獪ともいえるテクニックだった。

「ま、そういうワケでして、ご期待を裏切ってしまって申し訳ないんですけど、あまり色気のある話はしてないんですよね。残念ながら」

 冗談を交えつつ、理奈が話を締め括る。
 あさひも『うんうん』と頷いて肯定した。
 これでこの話はお終い。誰もがそう思ったに違いない。
 事実、余計な事を言う人がいなければ、間違いなくそうなっていた。

「そ、そうなんです。漫画のことばっかりなんです。ですから、わたしも理奈ちゃんも、あさひちゃんの惚気話に一晩中付き合わされたりした事なんて全然無いんです」

 おそらく、本人的にはフォローをしたつもり……だと思われる。たぶん。
 由綺は、良くも悪くも嘘がつけない性格だった。

「……ゆ、ゆ〜き〜」

「え?」

「絶対にワザとでしょ! ワザとやってるでしょ!」

「え? え? え?」

 仄暗いオーラをバックに漂わせて詰問してくる理奈に、由綺は不思議そうな顔で反応を返す。

「あんたって娘は、毎回毎回まいかいまいかい……」

「わわわっ。り、理奈さん、おおお、落ち着いて、落ち着いてぇ」

「あ、あうあう。理奈ちゃん、い、痛……揺すらないで、肩、ガクガクと揺すらないでぇ」

 阿鼻叫喚の地獄絵図と化しつつあるアイドル三名。
 それを後目に――ダラダラと汗を流しながら――司会者はテレビに向かって一言。

「ここで一旦CMです」


○   ○   ○


「由綺さん、今日も絶好調だな」

 どことなく疲れた口調で和樹が零す。

「うん。理奈さんも大変ね」

 CM明け、和やかな笑みを浮かべて話す理奈に、瑞希は憐憫の籠った視線を向けた。
 自業自得の面もあるとはいえ、いまやすっかり『由綺の相方』というポジションが確立してしまった彼女が哀れでならない。以前のクールで落ち着いたイメージなど既に因果地平の彼方である。

「しっかし、こういうボケを連発するくせに、由綺さんって勉強とかはそれなりに出来るんだよなぁ」

 不思議だ、と呟く和樹。
 その和樹に由宇が、そんなのは別に珍しい事じゃない、と言わんばかりの顔を向ける。

「うちらも近くにも居るやん、そういうのが約一名」

 それを受け、面々の目がとある人物に集中した。

「にゃ? 皆さん、どうして千紗の顔を見るんですか?」

 さもありなん。

「それはそうと……さっきから由綺さんってば一言も喋らないな」

「……そうね」

 和樹の言葉に瑞希が追随して頷く。
 ブラウン管には、楽しそうに喋っている理奈とあさひ、対照的に黙している由綺の姿が映し出されていた。

「……理奈さんに叱られて反省したのかな?」

「……そうなんじゃないかな。うん、きっとそうよ」

 妙に寒々しい会話を繰り広げる和樹と瑞希。
 その二人の間に、そしてそれを聞いている周囲の面々にも、痛いほど漂っている『おいたわしい』雰囲気。

「はぁ? なに言ってるのよ、あんたたち。あれはどう見ても由綺なんかじゃなくてクマ……ふごふがっ」

 空気の読めていない余計な発言をしそうになった詠美の口を塞ぎつつ、和樹は笑った。

「バカだなぁ。なにをワケの分からない事を言ってるんだよ。アハハハハ」

 実に乾いた声で笑った。
 どういうワケか、『ごく一部』の者には、テレビに映っている由綺が『『ゆき』と書かれた名札を付けたクマのヌイグルミ』に見えるらしいが……それはきっと気の所為である。

「何処をどう見てもヌイグ……ふががっ」

「錯覚だ。それは目の錯覚だ」

 繰り返すが、気の所為である。