『風邪とお仕置きと』



「ぶえーっくしょい! てやんでぃばーろぃちくしょう。……ううっ、頭がクラクラするぜ」

 熱を出し、朝から浩之は寝込んでいた。
 クシャミや鼻水も止まらず、何処から見ても完璧に風邪だった。

「大丈夫、浩之ちゃん? おかゆ作ってきたけど、食べられる?」

「ううっ。いつもすまないねぇ」

「それは言わない約束でしょ、おっかさん」

「――って、おっかさんかよ!」

 体調が悪くてもボケにはツッコミを入れるのは半ば本能か、はたまた意地か。

「風邪ひいてる割には何気に元気よね」

 その様子を見ていた綾香が呆れた口調で呟く。それにコクコクと頷いて芹香も同意した。

「いや、あんま元気は無いんだけどな。食欲も無いし」

 苦笑いを浮かべて浩之が返す。事実、体は辛かった。

「むむっ。なのに、あかり特製のおかゆを見てると無性に腹が減ってきた気がするぞ。病人にすら食欲を掻き立てさせるあかりの料理。流石だな。褒めてつかわすでおじゃるよ」

 何故か麻呂言葉になる浩之。いい感じに脳がウィルスにやられてるっぽい。

「えっと……なんだかよく分からないけど……とにかく食べるんだよね。それじゃ……はい、浩之ちゃん。あーんして」

 あかりはベッドの脇に腰掛けると、おかゆを蓮華で一掬いし、ふぅふぅと息を吹きかけてから浩之の口元へと運んだ。
 浩之は上体を起こし、促されるままに素直に口を開く。

「あーん。……むぐ。うむ、美味い。こってりとしていてコクがあり、喉元に絡みつくようなくどい濃厚さが何とも言えず味わい深い」

「あの、先輩。豚骨スープじゃないんですから」

「どんなお粥やねん、それは」

 浩之のどう考えても妥当とは思えない批評に対し、葵と智子が突っ込んだ。
 ちなみに『あーん』に対する周囲の反応は特に無かった。彼らにとってはこの程度は極々自然な行為なのであるが故に。それはそれでどうかとは思うが。朱に染まってすっかり真っ赤になってしまった藤田家一同である。
 閑話休題。

「……ふぅ。食った食った。食欲無かったとか言ってた癖に、結局全部食っちまったな」

 外野がいろいろと囀っている間に食事を済ませた浩之。当人の言うとおり、綺麗におかゆを平らげていた。

「病人をすら虜にしてしまうとは、あかりのおかゆ恐るべしだな。これはもはや魔性だ。魔性の粥だ。というわけだから、このお粥をましょかゆと命名しよう」

「そのまんまだね」

「ヒロユキ、捻りがないヨ」

 理緒とレミィが苦笑する。彼女たちの横では琴音とセリオが、体調が悪くてもボケることを忘れない浩之を、呆れと感心の混ざった目で眺めていた。比率的には呆れ八割だが。

「これだけ食欲があれば取り敢えずは一安心かな。あとでお薬と、玉子酒を作って持ってくるね」

 浩之を横にさせ、布団を掛けてやりながらあかりが言う。世の奥様方真っ青の甲斐甲斐しさである。

「それにしても、先輩が風邪だなんて珍しいですよね」

 浩之の食事も済み、どことなく落ち着いたマッタリとした雰囲気が漂い始めた中、葵がそう切り出した。

「っていうか、昨晩までは元気だったのに。どうして急に風邪なんてひいちゃったんでしょう?」

「あー、それはなんつーか……やっぱ、あれが原因かなぁ」

「あれ?」

 葵の疑問の声に、浩之がバツの悪そうな顔を浮かべる。決まり悪げに頬を掻いた。

「いやぁ、昨夜、その、マルチとさ。ちょっと、な」

「マルチちゃんと?」

 あかりがちょこんと首を傾げながらマルチを見る。それに釣られるように、他の皆もマルチへと目を向けた。揃って「ああ、そういえば昨夜はマルチちゃんだったなぁ」などと思いながら。視線の集中砲火を受け、マルチは身を竦めて「はわはわ」している。

「ちょっと趣向を変えようと、寝室じゃなくて、風呂場でシャワーを浴びながら致しました。延々と三回戦くらい。加えて、体を拭く間も惜しんで脱衣所でも更に二回戦ほど。……て、てへっ」

 室内に嫌な沈黙が広がった。皆、呆れ果てて声も出ない。一同の思いは一つだった。「そりゃ、風邪もひくよ」と。

「浩之、あんたバカでしょ」

「バカは風邪ひかないってのは、やっぱ迷信なんやな」

 綾香と智子がこめかみを指で押さえてため息を零した。

「はぅ。ごめんなさい。わたしが悪いんです。わたしが浩之さんをお止めしてればこんなことには」

「いいえ。マルチさんは悪くないですよ。全て、煩悩を自制できない浩之さんがいけないんですから」

 セリオがマルチの肩をポンと叩いて慰める。
 そもそも、スイッチの入った浩之を止めることなど誰にもできない。マルチを責めることなど出来ようはずがない。

「浩之さんが出来ないのは自制だけじゃありませんよ。自省も出来ません」

 ハァと嘆息して芹香が呟いた。さすがの芹香でも今回の事はフォロー不可能だった。

「確かに。浩之くん、アッチ方面に関しては懲りるって言葉を知らないから」

 どことなく遠い目をして理緒が零す。彼女にも思い当たる節が多々あった。

「やっぱり、少しは反省を促さないとダメですね。……というか、ぶっちゃけお仕置き?」

 至極真面目な顔で琴音が不穏な発言をする。
 その提案を受け、皆が顔を見合わせた。そして、目と目で会話する。「そうだね、そうしようか、少しはお灸をすえないとダメだよね、じゃあそういうことで、はい決定」。

「あ、あの、皆さん? なんか黒っぽいオーラが漂ってる気がするのですが」

 おそるおそる尋ねた浩之に対し、女性陣はニッコリと微笑んだ。優しい笑顔だった。なのにむっちゃ怖かった。

「えっと……俺、一応病人なんですけど」

「分かってるよ、浩之ちゃん。大丈夫、心配しないで」

 天使の微笑を向けてくるあかり。にも拘らず、なぜか浩之の目にはハッキリと映っていた。彼女のお尻から矢じりの様な形をした黒い尻尾が生えているのを。

「浩之さんが仰るまでもなく、確かに病人です。あまり無理はさせられません。なので、ここはお仕置きと治療を兼ねた行為を選択すべきだと思うのです。例えば……」

 人差し指を立てて意見を述べるセリオ。その彼女に、一同は口を揃えて「例えば?」と先を促した。

「氷を浮かべたお風呂に全身を浸ける、とか」

「そんなことされたら死んじまうわ!」

 セリオのご無体な言葉に浩之が堪らず突っ込む。

「なんだそりゃ。俺を殺す気か?」

「いえ、これは立派な治療です。西洋では実際に効果的だと言われている行為なのですよ」

「本当かよ」

 本当である。

「はい。尤も、全身を冷やすのは体力の低下にも繋がってしまうのですけどね」

「ダメじゃん。つーかさ、俺は生粋の日本人なんだから日本的な方法で頼む、マジで」

「なら、こういうのはどうヨ? セリカに薬を作ってもらうの」

 ニコニコと笑いながらとんでもないことを言い出すレミィだった。

「本気で勘弁してくれ。俺、まだ天に召されたくないし」

 浩之がブンブンを首を振る。それはもう必死に。その様子に「……浩之さん、その言い方はひどいです」とちょっぴり切ない目をする芹香だったが、悲しいかなどこからもフォローは入らなかった。さもありなん。

「……風邪って、お尻に葱を挿すと治るって言いますよね」

 場の空気が微妙に重くなりかかった時、薄っすらと頬を染めて琴音がボソッと呟いた。
 シーンと何とも形容しがたい沈黙が落ちる。
 ――が、次第にあちらこちらから声が上がり始めた。
 そして、それらの声を纏めるようにレミィが指を鳴らして言った。「それはナイスな提案ネ。決まり♪」と。

「ちょ、ちょっと待て! さ、さすがにそれは……冗談、だよな? な? そうだよな?」

 あぶら汗をダラダラ流して浩之が問う。そんな彼に向けられる、期待感やら高揚感やら恍惚感やらが入り混じった少女たちの瞳。

「これは古より伝わる歴とした治療です。怖がらなくても大丈夫ですよ」

 何時の間に持ってきたのか、長ネギを手にしてセリオが優しく微笑んだ。

「だ、だからってなぁ」

「まあまあ、浩之ちゃん。たまには……」

「される側の気持ちも味わってみなさいよ」

 あかりと綾香がそれはそれは素晴らしい笑顔を浮かべる。
 他の皆もその言葉に『うんうん』と深く頷いていた。
 助けの手が伸びる可能性は皆無であり、逃げ場も存在しない。
 詰み、である。

「で、でもさ……あっ、こら、ちょっと……ま、待て、マジで待っ……あーれーーーっ。いやぁ、おやめになってーーーっ!」

 浩之の悲痛な叫びが虚しく響き渡った。
 人はこの様な状況を憐憫の情をこめてこう言う。
 自業自得、と。



 実際にネギが使われたかどうかは定かではないが、皆の献身的な看病により浩之の風邪は次の日には全快した。
 但し、

「浩之ちゃん。今朝のお味噌汁の具は油揚げと長ネギだよ」

「ぶふーっ!」

 それ以降、暫くの間、浩之は長ネギを口に出来ない体になってしまっていたが。

 敢えてもう一度述べる。
 実際に長ネギが使われたかどうかは定かではない。
 ないったらない。