『コイバナそーだん』



「鏡花さん。少し相談したいことがあるんですけど」

 放課後。部室でお茶をしつつ一休みしていると、マナちゃんがドアの方へと一回視線を送ってから小声で切り出してきた。
 どうやら亮と壮一に聞かれたくない類の話らしい。
 ということは……恋愛がらみ、それも何気にディープな話題なのかしら。
 頭の中でそう判断しながらアタシはマナちゃんへと顔を向けた。
 ちなみに、男二人は今日も今日とて一対一で模擬戦。壮一に乞われて毎日むりやり付き合わされる亮が哀れ。
 尤も、亮も壮一の成長が嬉しいらしくて満更でも無さそうなんだけど。何気に熱血よね、アイツも。
 閑話休題。

「相談って?」

 口の中に含んでいたお饅頭を飲み込むと、アタシはマナちゃんに尋ねた。

「実は……その……」

 ちょっぴり頬を赤らめてモジモジするマナちゃん。
 その顔を見てアタシは思った。やっぱり、と。

「壮一との事かしら?」

「え? ええまあ、その通りです」

 マナちゃんが『どうして分かったんですか?』というビックリ顔を浮かべる。
 さすがはサトリです、とか感心しちゃってるみたいだけど……そんな力を使わなくても誰でも分かるって。
 アタシは軽く苦笑しながら先を促した。

「アイツがどうかしたの? 上手くいってないことでもあるの?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど」

 アタシの問いに、マナちゃんは即座に首を振る。
 それはそうだろう。アタシだって本気で訊いたわけじゃない。マナちゃんのデレデレな表情を見ればそれは一目瞭然。

「じゃあ、なに?」

「あの……何と言いますか、上手くいってないというわけではないんですよ。モモちゃんは私のことを大事にしてくれますし。口は悪いですけどね、えへへ。私もモモちゃんと一緒にいると楽しいですし、心が安らぎますし」

「良いことじゃない」

「はい。私もそう思います」

「――で? 相談ってなんなの? なんか引っかかることでもあるのかしら?」

 まさか、ただ惚気たかっただけとか言わないでしょうね。もしそうだったら、両方のほっぺを限界まで引っ張って変な顔をさせるわよ。

「寧ろ、上手く行き過ぎてる気がしまして」

「どういうこと?」

「最近、全然ケンカとかしないんです」

 至極真面目な顔をして、さも大事の様に訴えてくるマナちゃん。
 ごめん、マナちゃん。やっぱり惚気たいだけにしか聞こえない。

「な、なんですか、その手は!? デンジャラスなオーラを感じますよ!?」

 おっと。つい無意識に手が伸びてしまったわ。
 マナちゃんのほっぺがグイーッと引っ張って欲しそうに見えたものだから。ごめんあそばせ、ふふふ。

「鏡花さん、目が怖いです」

「気の所為よ。――話を戻すけど、それのどこに問題が? 仲が良くていいじゃない」

「そうかもしれませんけど……でも……」

 マナちゃんが微かに顔を伏せる。

「でも?」

「ラブラブなカップルにはケンカって必需品だと思うんです」

「……は?」

 いきなり何を言い出すのだろうか、この娘は。
 ケンカなんてしなくて済むのならそれに越したことは無いだろうに。
 アタシのそんな内心が表情にも出ていたのだろう。それを見て、マナちゃんが些か不服そうに口を尖らせた。

「『は?』じゃないですよ。鏡花さんと先輩が良い例じゃないですか」

 そこで何故にアタシたちの名前が?
 困惑していると、マナちゃんがギュッと握り拳を作って訴えてくる。

「私、鏡花さんと先輩みたいな関係に憧れてるんです」

「憧れてる? そうなの?」

「はい。超バカップルな所なんて特に」

 ――おい。
 ちょっと待て。それって憧れる様なものなのだろうか。
 つーか、アタシたちのどこがバカップルなのよ。しかも超まで付けられてるし。

「いいですよねぇ。全校公認のナンバーワンバカップル」

 公認!? 全校で!? いつの間に!?

「羨ましいです。私も鏡花さんたちみたいになりたいですよ」

 本当に羨ましがってるの? 何気にものすっごく貶められてる気もするんだけど。

「そこで、私は考えたんです。どうしたらお二人みたいなスーパーでデラックスな恥ずかしいバカップルになれるのかと」

 この娘はもしかしてケンカを売ってるんだろうか。
 ちょっぴり殺意の波動に目覚めてしまいそうだ。
 そんな危険な空気を漂わせ始めたアタシに一切構わず、マナちゃんは熱っぽく言葉を続ける。

「そして、思考を巡らせた末に辿り着いたんです。鏡花さんたちにあって私たちに無い物。答えはズバリ、犬も食わない痴話げんかです。私とモモちゃんには周囲が桃色空間に侵食されそうになる甘酸っぱいケンカが足りてないんです。――ねえ、鏡花さん。私もモモちゃんとお二人みたいなケンカをしたいです。できるようになりたいです。その為にはどうしたらいいんでしょうか? どうしたらケンカできるようになりますか!? その秘訣を教えてください!」

 ……知らないわよ。
 一言で切って捨てたい気分だった。
 別にアタシらはケンカしたくてしてるわけじゃないんだから。正直『秘訣』とか言われても困る。
 というか、その無自覚の毒舌を壮一にぶつければいいんじゃないの? そうすれば十分ケンカできると思うんだけど。

「やっぱり、鏡花さんと先輩がドSとドMの組み合わせだからいいんですかね? 正反対だからナイスな感じにケンカが出来るのかも」

 アタシが胸の内で嘆息していると、マナちゃんがまた突拍子も無い変な事を言い出した。
 相変わらずこの娘の脳内はカオスでフリーダムだ。

「私とモモちゃんはどちらかと言うと二人ともMですから。うーん、そういう意味では相性が良くないのかも」

 なにやら一人で勝手に思案に暮れてる様子。
 ごめん、マナちゃん。一言だけ心の中で突っ込ませて。
 マナちゃんは絶対にSだと思う。ええ、それはもう。
 あと、マナちゃんは一つ大きな勘違いをしているわ。
 アナタは亮がドMだと思ってるみたいだけど、それは根本から間違ってる。
 亮の奴はドSよ。真性のS。
 昨夜だって泣いて許しを請うても全然容赦してくれなかったし。本気で死ぬかと思ったわよ。
 ちなみに、アイツに言わせるとアタシはMらしい。
 納得いかない。納得いかないのだが……否定しきれないのが悔しい。
 昨日もいろいろと弄ばれてしまったし、アイツの言うことに全く逆らえなかったし……。

「鏡花さん? どうしたんですか、顔が真っ赤ですよ?」

「――っ!? な、なんでもないの! なんでもないのよ! お、おほほ」

 気が付くと怪訝な面持ちでマナちゃんがこっちを見ていた。
 目を逸らしつつ、手をパタパタと振って熱を帯びた頬に風を送る。

「……まあ、いいですけど。それはさておき、結局のところ鏡花さんはどう思います?」

 不思議な物を見る目をしながらもマナちゃんが尋ねてきた。

「え? ああ、ケンカ云々のこと? そうね。アタシとしては、『拘るな』としか言えないわ」

「拘るな、ですか?」

 マナちゃんが小首を傾げる。

「ケンカなんて無理にするもんじゃないわ。しないで済むのなら絶対にそっちの方がいいに決まってるもの」

「そういうものですか?」

「ええ。それにさ、当たり前のことだけどこういうのってカップルによって違うと思うのよね。アタシらの場合は、何と言うか、確かにケンカは多いわよ。でも、それが一種のコミュニケーションになっちゃってるのよ。お約束と言い換えてもいいかもね。だけど、それはあくまでもアタシたちの場合。マナちゃんと壮一にも当てはまるとは限らないわ。下手したら仲が拗れてしまう危険性だってあるわけだし」

「……なるほど」

 アタシの言葉を受け、マナちゃんが神妙な顔をして頷いた。

「憧れてくれるのは凄く嬉しいけど、だからといってアタシたちの真似をしても仕方ないわ。マナちゃんたちはマナちゃんたちのやり方で、アタシらとは別の方法で愛を育めばいいのよ」

「そう、ですね。鏡花さんの仰るとおりかもしれません」

 腕を組んだ体勢で、うんうんとマナちゃんが何度も首肯する。

「まあ、冷静になってよくよく考えてみれば、私たちが鏡花さんと先輩みたいになれるはずがないんですよねぇ」

 悩んでいた――らしい――のがウソの様な非常にあっけらかんとした口調でマナちゃんが言う。
 その軽さにアタシの方が戸惑ってしまった。
 自分でアドバイスしておいてなんだけど、あまりにもアッサリしすぎてないかい?
 そんなアタシの困惑を余所にマナちゃんの口は動き続ける。

「お二人みたいな人目を憚らないイチャイチャっぷりを真似できるはずがないんです。モモちゃんも私も普通に人並みの羞恥心を持っていますから。――ありがとうございました、鏡花さん。おかげで支えが取れました♪」

「そ、そう。それは良かったわね」

 満面の笑顔で述べられるマナちゃんの礼。
 それを耳にしながらアタシは思った。
 この毒舌っぷりなら遠からず壮一とケンカが出来るに違いない、と。望んだ以上の大喧嘩を。

「さっすが鏡花さん。頼りになりますね」

 無邪気に微笑むマナちゃんを見て、思わずコメカミを揉み解しつつ深いため息を零してしまうアタシだった。



 ――余談だが。
 どうしても確かめたいことがあって、アタシは後日クラスメイトたちに尋ねてみた。

「あのさ、アタシと亮なんだけど……全校公認のナンバーワンバカップルと言われてるってホント?」

 それに対する回答が如何なる物であったかは想像にお任せする。


 アタシたちの扱いって一体……。