『今年さいしょの』



「一年の計は元旦にあり、か」

 自室――藤田邸ではなく来栖川邸の方――のベッドに寝そべり、小さくため息を零しながらそんな事を呟いてしまう。

「あーあ、つまんない。最悪のスタートだわ」

 一月一日。元旦。
 この日は毎年、来栖川の屋敷に於いて財界のお偉方を招いてのパーティーが執り行われていた。
 各参加者諸氏にとっては顔を売る事の出来る絶好の場であり、諸々の情報を交換・収集できる有意義な場でもある。プライベート的にもビジネス的にも。
 しかし、あたしにとっては――そして、きっと姉さんにとっても――単なる苦行でしかない。
 一応は来栖川の令嬢である身。だから、この手のイベントに参加させられる事は諦めてもいるし、ある程度の納得もしている。
 けど、理性と感情は別物。仕方ないとは分かっていても、憂鬱なモノは憂鬱。新年早々無茶苦茶ブルー。

「あかりや智子、葵たちは今頃何をしてるんだろ? 家で浩之とノンビリしてるのかな? いいなぁ、あたしも浩之とマッタリしたい。……ハァ、めんどくさいなぁ。姉さんと一緒に抜け出しちゃおうかなぁ」

 口から出てくるのは愚痴ばかり。

「どんなに綺麗なドレスを着てたって、見て欲しい相手がいないんじゃ意味ないし」

 大きく胸元の開いた、清潔感溢れる白で統一されたドレス。
 何気にあたしも結構気に入っている一着ではあるのだが、今の気分ではこの服すらも疎ましかった。動きが制限されるお上品なドレスなんて、今のあたしにとっては拘束着に等しい。

「あー、もう! ムシャクシャする!」

 鬱屈した気持ちを発散する様に枕相手にマウントパンチ。
 ――が、すぐに空しくなってため息。

「……なにやってるんだか、あたしってば。物に八つ当たりしたってしょうがないじゃない」

 ごめんね、と枕に手を添える。
 そして、一頻り撫でると、あたしは無駄に勢いをつけて徐に立ち上がった。

「……もう行こ。ここで一人で悶々としてるよりは会場にいた方が少しはマシかもしれないし」

 壁に掛けられている時計へと視線を送る。パーティー開始まであと僅かという時間。
 そろそろセバス辺りが迎えに来る頃だった。――が、それを大人しく待っている気にもなれず。

「こんな気持ちのまま一人でジッとしてたら『ため息魔人』にでもなっちゃうわよ。取り敢えず、姉さんとでも……」

 あたしは憂鬱な気分のままドアノブに手を掛け、廊下へと一歩を踏み出し、

「ふぇ?」

 間の抜けた声を上げてそこで止まった。ポカンとした顔で。

「あ、出てきましたね」

「よっ」

「え? え?」

 あたしの視線の先には姉さんと……腕を組んで壁に寄りかかっている、いつもとは違いフォーマルな格好をしている浩之。

「では、行きましょうか」

「ああ、そうだな」

 姉さんが浩之の左腕を取り、浩之が右腕をあたしの肩に回してくる。

「そ、そうね。行きましょうか。……じゃなくて!」

 そこで我に返った。

「な、なんで浩之が此処に!?」

 声を大にして尋ねるあたしに、浩之と姉さんは何食わぬ――それでいて、どことなくイタズラっぽい――顔で答える。

「俺だけじゃないぞ」

「あかりさんたちも来ていますよ」

「はい?」

 キョトンとするあたしの顔を見て、浩之と姉さんがしてやったりの表情を浮かべる。

「わたしと浩之さんがお爺様にお願いしたのです。家族全員をパーティーに出席させてくれませんか、と」

「お願い? あれは脅迫では? だって、『さもなくば、わたしと綾香ちゃんは絶対に出ませんから』とか言ってたし。それ以外にも、いろいろと……」

「違います。お願いです」

 すまし顔で姉さんが言い切った。

「まあ、芹香がそう言うのならそうなんだろうけど。まあ、とにもかくにも、そういった経緯があって俺たちもこの場に来る事になったワケだ。尤も、俺たちが言うまでもなく、爺さんたちは最初からそのつもりだったみたいだけどな」

 姉さんの態度に若干の苦笑を浮かべつつ、浩之があたしに説明してくる。
 なるほど、納得。昔のお爺様ならともかく、今のお爺様なら確かにそうするだろう。
 しかし、一つ腑に落ちない。

「つまり、浩之たちが来る事は前もって決まっていたのね。……あたし、一っ言も聞いてないわよ、そんなの」

 言葉に棘を乗せて浩之と姉さんに送る。
 だけど、二人は涼しい顔。

「あれ? そうでしたっけ?」

「そうだったかな? ま、気にするな」

 ……白々しいにもホドがある。
 二人とも、明らかにワザとね。大方『あたしを驚かせようとして黙っていた』ってとこなんでしょうけど。つーか、みんなグル? ひょっとしてお爺様も? あかりたちに両親にセバスまで?

「あ、あんたらねぇ」

 一人で鬱入ってたあたしは何なのよ。バカみたいじゃない。
 まったく、ロクな事しないんだから。
 怒るよりもまず呆れてしまう。脱力感すら覚える。

「ホントにもう。みんな、あとでお仕置きだからね。覚悟してなさいよ」

「……ごめんなさい。ちなみに主犯は浩之さんです」

「ちょっと待て! なんかさり気なく責任を押し付けられてる気がしますが!?」

「さあ、急ぎましょう。皆さん、待ってますよ」

「しかもシカトしますか、流しますか!?」

「同罪よ」

 漫才を繰り広げる二人に向かってキッパリと言い放った。

「さーて、罰として何をしてもらおうかなぁ。あ、先に言っておくけど容赦する気は毛頭無いのでよろしくね♪」

「……あう」

「うぐっ。お、お手柔らかにな」

 顔を顰める浩之と姉さんを見て、あたしは意地悪く微笑んだ。

「うふふ。さて、それじゃそろそろ行きましょうか。あまり遅くなると、あかりたち、男連中に誘われまくり状態になっちゃうでしょうからね。危ないわ」

「危ない、ですか?」

「大丈夫だろ。智子に琴音ちゃん、セリオとかが居るんだし」

「だから危ないんじゃない、男の方が」

 あたしがそう言うと、浩之と姉さんが「あっ」と声を揃えた。

「怪我人が出ないうちに行きましょ」

「そ、そうだな」

「…………」コクコク。

 浩之と姉さんを引き連れてパーティー会場へと向かうあたし。
 気が付けば、退屈さもめんどくささも憂鬱さも、既に心の中に欠片も残っていなかった。

「ほーら、はやくはやく♪」



○   ○   ○


「はい、あーんして」

「あ、あのな、綾香。みんな見てるし。注目の的になってるし。シャレになってないし」

「あーん」

「だ、だからな。さすがに勘弁していただきたいのですが」

「罰」

「……うぐっ」

「はい、あーん♪」

「……あ、あーん」

 ちなみに、浩之たちへの罰はこんな感じで行われた。
 あかりたちが羨ましそうに見てるけど……今日だけは独占させてもらうからね。

「じゃ、次ね。あーん」

 少し恥ずかしくもあるけど、実にいい気分だわ。

 一年の計は元旦にあり、か。

 うんうん、今年はいい年になりそうね。