『ロッサム工房の平凡な一幕』



「あの……井深さん。例の物ですけど……試してみました」

「そうですか。それはお疲れ様です。では、後でレポートをお願いしますね」

 夕食時、おずおずといった感じに切り出したイリアに、雅也は謝意を述べつつ軽く頭を下げた。

「例の物?」

 雅也の隣で食事を摂っていたティエラが『なんですか、それ?』という表情を作って彼へと視線を送る。
 他のメンバーも同様の目をして雅也へと顔を向けてきた。
 ちなみに、現在のロッサム工房は非常に大所帯である。
 旗揚げメンバーの雅也にティエラ、樹里と燈子、一臣。雅也の娘ともいえる存在のファム。
 それから、あの事件の後に加わった賢二とアマテラス。カールから保護を頼まれたイリア。
 計9名。
 ロッサム社長である樹里の方針により食事は常に全員で。
 従って、用意すべき食事の量も多い。社長なのにも拘らず調理担当の樹里は毎回大忙しだった。
 尤も、生来の料理好き世話好きに加え、ティエラやファム、イリアやアマテラスといったAI陣が率先して手伝いをしてくれるので、大して負担になってはいなかったが。

「…………!!(ビカービカー!!)」

 もちろんママさんも貴重な戦力である。
 閑話休題。
 とにもかくにも、そんな大人数が一堂に会した夕飯時。
 意味深な発言をされたら注目を集めるのは至極当然であった。

「ああ、ちょっとイリアに試作品のモニターをお願いしたんですよ」

 にこやかに答える雅也。
 その回答を聞いて、女性陣の顔色が変わった。

「ま、まま、雅也さん!? ついにイリアにまで毒牙を!?」

「うっわぁ。雅兄、相変わらず鬼畜だねぇ」

「見境なしですか、井深さん。まあ、そういう人だというのは重々承知していますけど」

「おとーさん、イリアにもエッチなことしたの?」

 上から順にティエラ、樹里、燈子、ファム。
 その言葉を聞き、雅也は盛大に顔を引き攣らせた。

「いや、ちょっと待ってください。なんかすっごい誤解してますよ。つーか、あんたら、人を何だと」

「だって、雅也さんですから」

「そっち方面に関しては、雅兄は信用ゼロだからねぇ」

 微妙に雅也から距離を取ってティエラと樹里が突っ込む。

「えっと……兄さん。井深さんってそういう人なのかい?」

「んー、そうだねぇ☆ 一言で言うと、ケダモノかなー☆」

「……そうですか。アマテラス、あなたも気を付けた方がいいですよ」

「はい。井深さんに対する警戒レベルを上げておきます」

「そこも! 誤解だと言ってるでしょうが!」

 なにやら聞き捨てならない会話をしている一臣・賢二の近藤兄弟及びアマテラスに、雅也は椅子から立ち上がって叫んだ。

「まったく。人を性欲魔人みたいに言わないでください。いくらなんでもイリアみたいな子供に手を出すはずないでしょ!?」

 声を大にして訴える雅也。
 それに対する女性陣の返答は

「……雅也さん、説得力無いんですけど」

「どの口が言うかな、雅兄」

「井深さんって、心に物凄く広大な棚をお持ちみたいですね」

「でも、おとーさん、ファムには手を出したよね」

 とってもとっても冷たかった。

「アマテラス。アレには絶対に近づいちゃいけませんよ、アレには」

「わかりました。警戒レベルを最大にしておきます」

 ついでに賢二とアマテラスからは危険物扱いされた。

「あはー、熱い視線を独り占めだね☆ 雅也さん、羨ましいなー☆ よーし、僕も負けないぞー☆」

 トドメに一臣からはライバル視された。

「う、うう、うううっ」

 思わずガックリと膝をついてしまう雅也だった。

「と、とにかく! 今回は淫具じゃないんですよ。普通の! ごくごく普通の! マッサージチェアーなんです! ねっ!? そうですよね、イリア!? そうだと言ってくださいお願いします」

「え、えっと……そ、そうなの、かな」

 雅也に必死の形相で訴えられ、イリアが目を白黒させる。

「雅兄が関わったマッサージチェアー? なにそのあからさまに如何わしい物体は?」

 樹里がジトーッと疑惑の目を向けた。

「如何わしくありません! 本当に普通のマッサージチェアーですってば。もちろん、性能は現在市販されているどの製品よりも格段に上ですけどね」

「普通の、ねぇ。で? そのマッサージチェアーとやらは何処で作ったのよ? ロッサムの工場じゃないわよね。私、そんなの全然聞いてないわよ」

「SHEで、ですよ。向こうの会社で新製品を作ることになりまして、マッコイ社長に頼まれましてちょっとだけ協力を。淫具製作で培ったノウハウなんかを遣いましてアドバイスなんかを少々」

「……淫具製作で培ったノウハウというのが……何と言いますか……実に危険っぽいですよね」

「ホントだよねぇ。どうしてお義父さんも、よりによって雅兄にそんなデンジャーな事を頼むかなぁ」

 ティエラと樹里が顔を見合わせてため息を吐く。

「それで、井深さん? どうしてモニターにイリアさんを選んだのですか?」

「別に深い理由なんてありませんよ。たまたまです。たまたまイリアの手が空いていたから頼んだだけですよ。まあ、オーバーロードにマッサージというのも変かもしれませんけど、彼女にもちゃんと感覚がありますしね」

 燈子の問いに雅也は軽く苦笑して答えた。

「なるほど。そういうことですか」

 従来のアンドロイドの性能を凌駕した存在である『オーバーロード』。
 彼女たちには五感があり、人間同様に『熱い』『冷たい』『痛い』等を感じることが可能だった。
 無論『心地好い』『気持ちいい』といった快感も。
 従って、雅也がイリアにマッサージ器のモニターを頼むのも、さほど不可思議な行為ではなかった。
 当然、燈子もすんなりと納得する。
 ロッサムの面々は良くも悪くも順応性が高いのだ。そうでなければやってられない、という面もあるが。

「ねえねえ、イリア。マッサージチェアーってどんなのだったの? 本当に普通のだった? 大丈夫だった?」

 ファムがニコニコと楽しげに笑ってイリアに問い掛けた。微妙に雅也を信じてないっぽい発言が含まれているが、それは致し方ないところであろう。

「一応危険は無かったよ。普通かどうかは分からないけど。……触手とか生えてきたし」

 イリアがコクンと頷いて答える。
 それを耳にして、ファムの笑顔が固まった。
 場の空気もピキッと凍りつく。嫌な沈黙が広がった。

「うーん、今日もごはんがナイステイスティ……ぶげらっ」

「ま、雅兄? 触手ってなんなのかな、触手って?」

 空気を読んでいない発言をした一臣をバールの様な物で強引に黙らせた樹里が、ギギギと音を立てて雅也へと顔を向けた。

「戦術兵装への移行を開始。『モーセの衣』――テスタメント――展開」

 ティエラは目を妖しく輝かせて戦闘モードへ。

「い、イリア? えと……触手ってホント?」

 引き攣った笑顔を浮かべてファムが尋ねる。

「うん。あと、なにかヌルヌルした液体も出てきた。たぶん、あれは……媚薬」

 首肯して返し、イリアは薄っすらと頬を染めた。

「井深さん、あなたって人は」

 燈子がこめかみを指で押さえて深いため息を零す。

「あれ? お、おかしいですね。そんなはずは……ああっ!」

 デンジャラスな空気に顔を青褪めつつ首を傾げていた雅也だったが、不意に何かを思い出したのか、叫び声を上げてポンと手を打った。

「し、しまった。おそらく、渡すのを間違えてしまったのです。イリアに試させてしまったのは市販を前提にしたテスト品ではなく、ティエラに使おうと思って密かに頼んでいたアダルトバージョン……ぬおわっ!?」

 雅也の言葉が途中で遮られた。飛んできた強烈過ぎる殺気によって。

「ふふっ、ふふふっ、ふふふふふっ。そうですか。雅也さんはまだそんな物を作ってたんですか。しかも、しかも、私に使おうと……。ふふっ。雅也さんってば、相変わらずそっち方面ではダメ人間ですよねぇ。ふふふっ。これは徹底的にお仕置きする必要がありそうです。ふふふふふっ」

「……あ、あの……ティエラ、さん?」

 殺気に気圧され、思わずさん付けしてしまう雅也。
 そんな雅也を余所にティエラの口は言葉を紡ぎ続ける。

「九音、力を貸して下さい。
 ――安全装置『零式』『壱式』『弐式』『参式』開放。
 『創世記』……創生!
 制御律:『至天の王』……調律!」

 ティエラの黒髪が金色に変化し、背中から漆黒の十二枚の羽が広がった。

「なっ!? なんですか、その姿は!?」

 初めて見るその姿に雅也が激しく動揺する。

「あ、あれは……!?」

「知っているんですか、アマテラス?」

 賢二からの問いにアマテラスがコクリと小さく頷いた。
 ちなみに、雅也とティエラを除いた面々は既に部屋の隅へと避難済みである。
 誰だってあんな殺戮空間になど巻き込まれたくない。

「はい。私と戦った時、『オフェルの丘』の力を得て彼女はあの姿になりました。名は、メルキゼデク」

「ちょ、ちょっと待ってください! 『オフェルの丘』はもう存在していないんですよ! なのに、どうして!?」

 顔に驚きを浮かべて絶叫する雅也に、ティエラ――メルキゼデク――は優しく微笑んで言った。

「くすっ。怒りの力で超パワーに覚醒するのはお約束じゃないですか」

「あなたはどこぞの戦闘民族ですかぁ!?」

「雅也さんを淫具という呪縛から解き放ってさしあげます。ほんのちょっぴりだけ痛いですけど、我慢してくださいね」

 雅也のツッコミをサラッと無視してティエラが通告する。

「壱式拘束機構、開放。『ペリシテびとの痛み』展開準備……
 弐式拘束機構、開放。『ダビデの石』展開準備……」

「お、落ち着いてください、ティエラ。なんかシャレになってない気がしますよ!?」

「ええ、シャレじゃありませんから。
 参式拘束機構、開放。『賢王の鍵』展開準備……」

「あ、あんまり大技を放つと此処が壊れちゃうなぁ、とか危惧したりするんですけど?」

 あぶら汗やら冷や汗やらをダラダラ流して雅也が訴える。汗以外に、涙と鼻水も出てきた。もう少ししたら失禁も加わるかもしれない。
 そんな雅也に、優しく優しくティエラは聖母の様に微笑んだ。

「ご安心ください。雅也さん以外には一切ダメージを与えません」

「そ、そうですか。それなら大丈夫……って、ちょっとぉ!?」



「……ね、ねえ、ファム。あれ、放っておいていいのかな? だ、大丈夫なのかな、井深さん」

 盛大に顔を引き攣らせてイリアが言う。

「んー、大丈夫じゃないかな。最近、おとーさんもすぐに復活するようになったし。なんていうか、カズオミ並み」

 ファムの視線の先では、既にダメージから回復していた一臣が「うーん、ティエラさん張り切ってるなー。素敵だねー☆ よーし、僕も負けないように頑張っちゃうぞー☆」などとクルクル踊りながらほざき、樹里と燈子から「鬱陶しい!」と蹴りを入れられていた。

「そうなんだ。そういえば、ホムラもすぐに回復するしね」

 カールの部下だった警備主任の顔を思い起こしてイリアが納得した。

「……人間って、凄いんですね」

 胸の前で手を組み合わせ、アマテラスが瞳をウルウルと潤ませて感心感動している。

「いや、あの……たぶん、それ、例外中の例外ですから。つーか、彼らは人間じゃありませんから」

 その隣で、賢二が必死に訴えていた。全人類の尊厳の為に。


「参天起動!
 制御律:『喪・天』……調律ーーッ!」

「ぬぶあぁッ!」


 今日もロッサム工房は平和だった。