『いいえ。あたしは本気のつもりだけど』

『邪魔が入っちゃったから……試すのはまた後で、ね』

 今朝、香里のヤツがこんな意味深発言を投下してきた。
 しかし、それ以降は特にいつもと変わったところもなく、思いっ切り普段通りだった。
 だから、あれは香里流のギャグだったのだなと、俺は自分に言い聞かせて、また、深く納得した。

 だが、その考えは、すぐに誤りであったと思い知らされることになる。

 さらなる騒動と共に。







『名雪ちゃんは甘えん坊』
第5話「ライバルだらけなんだよー」



 ――昼休み。
 俺は、屋上でいつものメンバーと共に名雪お手製の弁当を喰っていた。
 いつものメンバーとは、俺から時計回りに、名雪・真琴・天野・あゆ・舞・佐祐理さん・北川・栞・香里の9人である。若干、この学校の生徒じゃない人間も混じっているが、その点は目を瞑ってほしい。
 ともかく、そのメンツと一緒に、俺は楽しいひとときを、

「はい、祐一。アーンして☆」

「お、おい。やめろって。みんなが見てるだろうが」

 訂正。恥ずかしいひとときを過ごしていた。

「わたしは気にしないよ」

「俺が気にするんだ! いいからそれを引っ込めろ」

 目の前に差し出された卵焼きを示して言う。

「ひ、ひどいよ祐一、そんな邪険にするなんて。もう、わたしへの愛が冷めちゃったの?」

「別にそんなことはないが、イヤなものはイヤだ」

「ううっ。家ではいーーーっつも食べてくれるのに。口移しなんかもしてくれるのにー」

「ばっ、ばかやろう! なんて事を口走りやがるんだ、お前は!」

 慌てて名雪の口を塞いだが時既に遅し。

「あははー。祐一さんと名雪さんってほんっとうにラブラブですねー」

「うぐぅ。聞いてるだけで恥ずかしいよ」

「水瀬さんと口移し。相沢……なんて羨ましいヤツだ」

 ああっ。みんなからの視線が痛いぜ。

「ねぇ、ゆういちぃ〜。ここでは口移しなんて望まないから、せめてこれくらいはいいでしょ〜」

 周りからの好奇の目を浴びて頭を抱えている俺に、名雪が妙に甘ったるい声を出して、再度卵焼きを差し出してきた。
 マイペースだな、名雪。っていうか、頼むから場の空気を読んでくれ。まあ、名雪にそれを求めるのは無理だということは百も承知なんだが。

「もしかして、ひどいこと考えてる?」

「いや、別に」

 変なとこで鋭いヤツ。

「そう? ならいいんだけど。それはともかく……はい、アーン」

 再び差し出される卵焼き。

「あの、名雪さん。これ、どうしても喰わないとダメっすか?」

「うん、ダメ」

 ……ったく。にこやかに、あっさりキッパリと即答しやがって。
 はぁ。喰わないとごねるんだろうなぁ。まーた、愛がどうのと言われるんだろうなぁ。
 しょうがない。口移しを要求されるよりはマシだ。

「分かったよ。……ほら」

 観念して、名雪に向かって口を開けた。

「えへへ〜。はい♪」

 そこに、心底嬉しそうな顔で名雪が卵焼きを差し入れてくる。

「どう? 美味しい?」

「ああ、美味い」

「良かったぁ〜」

 パーッと花が咲いたような笑顔で名雪が喜ぶ。
 何度も繰り返されたやり取り。名雪の問いに対する俺の答えもいつも同じ物だ。だけど、名雪はその都度その都度、本当に幸せそうな表情を浮かべてくれる。俺は、そんな素直でストレートな反応を見せてくれる名雪のことを心から可愛らしいと思うし、愛おしく思う。照れくさくて、滅多に口には出さないけど。
 そんな俺たちのことを、周りのヤツらは穏やかな顔で微笑ましそうに眺めていた。一帯に甘くてほのぼのとした空気が流れる。

 ――が、その雰囲気をある人物が一発で壊してくれた。
 香里だ。

「ねぇ、相沢くん」

「ん? なんだ?」

 香里は、俺の肩をツンツンと指でつついて、俺を自分の方に向かせると、

「はい。アーンして」

 スッと、目の前に一口サイズのコロッケを差し出してきた。

「はい!?」

「アーンして」

 俺の疑問の叫びを綺麗に無視して、香里は再度同じセリフを口にした。
 その言葉に固まる俺……と、一同。

「どうしたの? 早く口を開けてよ」

「あ……いや……その……。そ、そうは言われましても」

「もう! 早く。アーン」

「え、えっと……か、香里さん?」

「アーン」

 躊躇する俺をシカトして、香里はコロッケを差し出し続ける。

「か、勘弁してくれよ〜」

「アーン」

「あの」

「アーン」

「……で、ですから……」

「ふぅ」

 いつまで経っても口を開けようとしない俺に業を煮やしたのか、香里がゆっくりと手を下げていく。

「そう。そうよね。あたしなんかに、こんなことされても迷惑なだけよね」

 小声でポツリとつぶやく香里。その瞳にはみるみると涙がたまっていった。

「お、おい」

「いいのよ。分かっていたことだもの。だから……だから……相沢くんは気に……しな……いで……」

 顔を伏せて、香里が弱々しくこぼす。

「だーっ! 泣くなよ。悪かった。俺が悪かったよ。正直、何で俺が悪いんだかいまいち釈然とせんが……それでも俺が悪かった! だから泣きやんでくれよ!」

「……だったら……食べてくれる?」

「食べる! 何でも食べてやるから!」

「それじゃ……はい、アーンして♪」

 うわっ。変わり身はやっ! もう機嫌が直ってるよ。っていうか、あからさますぎるだろ、いくらなんでも。

 俺は、香里の策略にはまったことを理解した。
 だが、策略だろうと何だろうと、一度食べると言った以上、約束は守らなければいけないだろう。

「仕方ねーな」

 一言こぼすと、香里に向かって口を開く。
 そこに、香里がコロッケをそっと入れてきた。

「ど、どう?」

 少し不安そうに香里が訊いてくる。

「美味い。冗談抜きで凄く美味いよ」

「ほんと? あは、嬉しい」

 俺が答えると、香里は己の言葉を証明するかのように満面の笑みを浮かべた。
 それを見て……俺は不覚にも……少しだけドキッと胸を高鳴らせてしまった。

「ねぇ、相沢くん」

「あん?」

「そういえば、さ」

「どした?」

 俺が尋ねると、香里は頬を染め、自分の箸を眺めながら静かにつぶやいた。

「あたしたち……間接キスしちゃったね」

 ぶふぅーーーーーーーーーーーーっ!

 な、な、な、なんてことを言いやがりますか、あなたは! しかも、すっごくにこやかに!

 香里の投下した爆弾に、俺は完璧にパニック状態に陥っていた。
 何か言わなければいけないとは思うのだが、どんなことを言えばいいのかさっぱり分からない。その上、気恥ずかしくてまともに香里の顔を見ることも出来ない。

 俺と香里の間に、甘いような……気まずいような……何とも表現しがたい妙な空気が漂い始める。

 Piriririri♪ Piriririri♪

 その時、そんな雰囲気を振り払うかの様に、携帯の着信音が辺り一面に鳴り響いた。

 Piriririri♪ Piriririri♪

「あっ。あたしのだわ。ごめんね、ちょっと席を外させてもらうわ」

「あ、ああ」

 一声かけると、香里は俺たちから離れていった。

「はぁ〜〜〜っ」

 香里の姿が見えなくなると同時に、俺はガックリと頭を垂れて深いため息をついた。
 周囲を包んでいた異様な緊張感が一気に解けたような気がする。

「まったく、何を考えてるんだか、あいつは。俺、遊ばれてるのかなぁ?」

 愚痴をこぼしつつ、頭を左右に振りながら、ゆっくりと体勢を、

「……って、なんだよお前ら、その目は?」

 戻した瞬間、俺はイヤな光景を目の当たりにしてしまった。
 何時の間に硬直が解けたのか、みんなが俺のことをジトーッとした目で睨んでいたのだ。

「祐一、浮気者だよー」

「はえ〜。祐一さん、二股ですか〜」

「……祐一、鬼畜」

「うぐぅ。祐一くんのこと見損なったよ〜」

「祐一のすけべ、ばか、女たらしー!」

「えぅ〜、そんなことする人嫌いです!」

「相沢さん……最低ですね」

「み、美坂にまで毒牙を……。相沢、許せん!」

 ちょっと待て、お前ら。俺か? 悪いのは全面的に俺なのか? さっきも言ったがいまいち釈然とせんぞ。
 なんか酷い言われようだが……冷静になって考えてみると、俺も被害者と言えなくないか? 違うか?

 ――と、心で思っていても、香里にちょっぴりときめいてしまった負い目があるので実際に口には出せなかったりして。ああっ、俺って意外なところで小心者。

「浮気だなんて、こんな酷なことはないでしょう。祐一さんにそんな甲斐性……もとい、そんな人だとは思いませんでした。しかしまあ、どうせ浮気をしてしまったのでしたら、あと一人ぐらい増えても罪は同じですね。というわけですから、わたしとも浮気しましょう。ええ、全然問題ありません。ありませんとも」

 あるだろ! ってか、天野! なんだその理屈は!?

「あははー。それもそうですねー。ではでは、わたしと舞とも浮気しましょう♪」

「はちみつクマさん」

 待てやーっ! 納得するな、納得を!

「あうー。祐一は真琴のなの! 真琴のおもちゃなんだから変なこと勝手に決めないでよー」

 その言葉、そっくりそのまま返してやる。お前こそ勝手に決めるな。そもそも、誰が誰のおもちゃだって?

「わ、わたしも仲間に入れて下さい! 仲間外れにする人なんて大っ嫌いですぅー」

「うぐぅ。ボクもボクもー」

 いや、あのな。仲間外れとかそういう問題じゃなくてだな……。

「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ」

「ん? どした、名雪?」

「祐一の極悪人ーーーーーーっ! 浮気者ーーーーーーっ! 人非人ーーーーーーっ!」

「うがーーーっ! 人聞きの悪いこと言うんじゃねーーーっ!」

 俺が悪いのか? この状況を招いたのは俺の所為なのか? なぜ? なぜなぜ? WHY?

「……相沢」

「なんだ、北川」

「最低だな、お前」

「しみじみと言うなーーーーーーーーーーーーっ!!」

 ど、どうしてこうなるんだ? 頼む、夢なら覚めてくれ。

「相沢さん、こちらを向いて下さい。アーンです」

「あははー。どうぞ、祐一さん」

「……アーン」

「祐一! これ食べなさいよ!」

「祐一さん。このアイス美味しいですよ。ですから、アーンして下さいね」

「こ、このたい焼きだって美味しいよ!」

「祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者祐一の浮気者。あとで絶対に絶対に絶対におしおきだおー」

「一人でモテやがって……はぁ、ちくしょー、いいなぁ」

 だ、誰か、誰か助けてくれーーーーーーーーーーーーっ!!





 ちなみに、その頃香里は、

『香里さん。どうですか、『恋のテコ入れ。祐一さんにモーションをかけて名雪に危機感を持たせちゃおう作戦』の首尾の方は?』

「上々です」

『そうですか。ごめんなさいね、変なことお願いしちゃって』

「いえ。とんでもありません。でも、本当によかったのですか、こんなことして?」

『ええ、もちろんです。今の名雪は安心しきっちゃって自分を磨くことを忘れがちですからね。少しくらいは危機感を持った方がいいんですよ』

「まあ、そのことについては同感です」

『それに』

「それに?」

『障害が多いほど、恋は燃えるものでしょう♪』

「……は、はぁ」

『ところで香里さん』

「はい? なんですか?」

『祐一さんへのアプローチは楽しかったですか? 少しは本気になっちゃいましたか?』

「え?」

『なーんて、無粋な質問でしたね。香里さんの祐一さんへの気持ちを考えれば、言うまでもないことですから』

「え? え? ええっ!?」

『ねぇ、香里さん』

「は、はい!?」

『名雪にはもちろん幸せになってほしいですが……でも、だからと言って香里さんの心を……恋心を……否定する気はありませんから。わたしは、どちらも公平に応援しますよ』

「な、なにを言ってるんですか!? あ、あたしは別に相沢くんのことなんか……。相沢くんの、こと、なんか。あ、あたしは……」

『うふふ。皆まで言わなくとも分かってますよ。ふぁいとっ、です』

「で、ですから! あの、あ、あたしは!」

 ――などと、電話で、謎の人物と謎の会話を繰り広げていた。





 とにもかくにも、祐一の苦難(と香里のアプローチ)はまだまだ続きそうである。







< つづく >





 ☆ あとがき ☆

 はわっ、何故にこのような展開に!?Σ( ̄□ ̄;

 と、取り敢えずひとこと。

 この話は『たさい』系にするつもりはないです。今のところ。

 あくまでも、ヒロインは名雪ということで(^ ^;


 それにしても……お話を書くのって難しいなぁ(;^_^A



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