コンコン

 ドアがノックされる。

「はい、どうぞ」

 ガチャ

「失礼します、長瀬主任」
「なんだ、岸川くんか。どうしたんだい?」
「いえ、ただ明日の準備が整いましたので、ご報告をと思いまして」
「あ、なるほど。ご苦労さん」

 そうか、明日はあの日だったねぇ。

「・・・ふふっ」
「んっ? なにかな?」
「あっ、申し訳有りません。ただ主任があまりにも嬉しそうなお顔をなさっていたものですから、つい」
「そんな顔してたかい?」
「はい」

 おやおや、言い切られてしまった。

「ま、君の言うとおりだよ。なんといっても明日は愛娘たちの里帰りの日だからねぇ」
「里帰りですか?」
「定期メンテナンスなんて言い方はどうも味気無くてね。あまり好きになれないんだよ」
「・・・そうですね」

 そうなんだよ。

「あ、そうそう。話は変わるけどさ、例の物はどうなった?」
「あれですか? 全て問題無しです。準備万端ですよ」
「そうか」

 うんうん。
 明日は良い日になりそうだねぇ。





NECESSITY?
〜セリオの場合〜






−−−次の日−−−


 ピピッ
 カタカタカタッ
 ピピピッ
 カタカタカタッ
 ピーーーーーーッ

「はい、ご苦労さん。終わったよ」

 長瀬主任のその声を聞き、わたしは体を起こした。

「どこにも異常は見つからなかったよ。健康そのものだね」
「健康・・・ですか? お言葉ですが、わたしはロボットですからその表現は不適当かと思いますが?」
「まあまあ、堅い事を言わない。異常じゃなければ健康なんだよ。それで良いじゃないの」
「・・・はい」

 わたしはとりあえず納得した。
 釈然としないものは感じたが・・・。

「ところで、セリオ。気分はどうだい?」
「気分と言われましても・・・。いつもと変わりませんが」
「う〜〜〜ん、急には分からないかな?」

 主任は頭を掻きながら、なにやらブツブツと仰っていた。

「あの、なにか?」

 失礼かと思ったが、わたしは尋ねてみた。

「いや、大した事じゃないんだけどね。セリオにちょっとしたプログラムを組み込んでみたんだよ」
「プログラムですか?」
「そ。どんなのか気になる?」
「気になります」

 わたしは即答していた。
 自分の体に組み込まれたプログラムだ。気にならない訳がない。

「素直で大変結構。人間素直が一番だよ」
「ですから、わたしはロボット・・・」
「まあ、それはこっちに置いといて」

 聞いてないし・・・。

「セリオに組み込んだプログラムは2つあるんだ。1つ目は味覚」
「味覚!?」
「そうだよ。セリオだってご飯を食べて『美味しい』って感じたいだろ?」
「それは・・・そうですけど。そのような事が可能なのですか?」
「う〜〜〜ん。出来ちゃったんだからしょうがないなぁ」

 ・・・・・・いい加減。

「舌にあるセンサーが味を感知するだけだから、さすがに栄養を摂取する事は出来ないけどね。少なくとも、食事を『楽しむ』事は可能だよ」

 いったい、どういった仕組みになっているのだろう?

「あっ、『どういった仕組みになっているのだろう?』 なんて考えちゃダメだよ。我々だってよく分かってないんだから」

 ・・・・・・えっ?

「偶然の産物ってやつなんだな、これが。ハハハ・・・」

 本当にいい加減。

「そして、もう一つのプログラムだけどね。なんだと思う?」
「分かりません」
「分からないかなぁ? もう感じてるはずなんだけど」
「感じてる?」

 わたしが? 何を?

「『感情』を、だよ」
「はぁ」

 思わず、間抜けな声を発してしまった。
 えっ? かんじょう? ・・・感情?

「か、感情!?」
「そう、感情」

 事も無げに答える主任。

 感情・・・か。

 でも、それで納得した。
 普段はマルチさんにつきっきりな主任が、なぜ今日に限ってわたしの所にいたのか。
 それは『感情プログラム』を組み込む為だったのだろう。
 『感情プログラム』を完璧に扱う事が出来るのは、世界広しと言えども第一人者である長瀬主任ただ1人だけなのだから。

 だけど・・・。
 感情って・・・なに?

「よく、分かりません」
「そんなに難しく考える必要は無いよ。そもそも頭で考えてどうにかなるようなものでもないから。心で感じた事を大事にしなさい」
「心? わたしにも心が? マルチさんのように?」
「そうだよ」
「・・・分かりません」

 心ってなに?
 本当にわたしにも?

「こらこら。ついさっき『頭で考えてどうにかなるようなものでもない』って言ったばっかりでしょうが」
「・・・・・・・・・・・・」
「最初は戸惑うかもしれないけどね。ま、すぐに慣れるでしょ」

 主任はそう言って一方的に話を終わらせてしまった。
 まったく、わたしの気も知らないで。



○   ○   ○



−−−帰り道にて−−−

     
「へ〜〜〜。そうなんですかぁ。良かったですねぇ」

 全ての説明を聞いたマルチさんの第一声がそれだった。

 良かった・・・のだろうか?
 正直言ってまだ分からなかった。
 さっきから、不安でいっぱいだったから。

 少なからずわたしは変わってしまった。
 そんなわたしを、あかりさんや芹香お嬢様たちは受け入れてくれるだろうか?
 そして、何よりも・・・。

 浩之さん。
 浩之さんはどうだろう?
 今までと同じ様に抱きしめてくれるだろうか?

 それとも・・・。

「いや!!」

 わたしは思わず叫んでいた。

「セ、セリオさん!? どうしたんですか!?」

 マルチさんがなにかを言っている。
 でも、それはわたしの耳にはまるで届いていなかった。
 わたしは自分の考えに完全に打ちのめされていた。
 それほどの衝撃だった。

 拭いようのない不安。浩之さんからの愛を失う事への恐怖。
 こんなものが感情だと言うの!?
 こんなものを感じるのが心だと言うの!?
 そうだとしたら、わたしは・・・わたしは・・・

 感情なんか、心なんかいらない!!

 わたしは涙を流しながら、その場にうずくまってしまった。


 その時

「お〜〜〜い! マルチ〜! セリオ〜〜〜!」

 遠くからあの人の声が聞こえてきた。
 誰よりも会いたい、でも今は誰よりも会いたくないあの人の声が・・・。

「ひ、ひ、ひろゆぎざ〜〜〜ん」

 マルチさんもその場にへたりこんでしまった。
 浩之さんの姿が見えた事で緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 浩之さんは、そんなわたしたちの姿を見た瞬間、血相を変えて走ってきた。

「どうした2人とも!? なにかあったのか!?」
「うっ、うっ。セ、セリオさんが・・・」
「落ち着けって。大丈夫だ、俺がついてるから」
「ぐすっ。は、はい〜」

 とりあえずマルチさんを落ち着かせると、わたしの方へ話しかけてきた。

「どうかしたのか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「セリオ?」

 暫しの沈黙
 浩之さんはその間無理に話を聞き出そうとはしなかった。
 ただ、ずっとわたしの頭を撫でていてくれた。

「浩之さん・・・」

 わたしは意を決して話し始めた。

「わたし・・・変わってしまったんです。もう、あなたの知っているセリオではないんです」
「感情の事か?」
「!!」

 な、なぜ!?
 なぜ知っているの!?

 聞きたくても言葉が出てこなかった。
 わたしに出来るのは大きく目を見開いて、浩之さんを見つめる事だけだった。

「さっきさ、長瀬さんから電話があったんだ。セリオに『感情プログラム』を組み込んだって」
「そう・・・ですか」

 辛うじてそれだけが言えた。

「あぁ」
「・・・・・・・・・・・・」
「やっぱり、長瀬さんの言った通りだ。お前、かなり情緒不安定になってるな」

 主任がそんな事を・・・

「マルチのように生まれた時から感情があるのなら特に問題にならないんだけど、セリオのように途中からいきなり感情を持ってしまうと不安定な状態になりやすいんだとさ。まあ、無理も無いよな。今まで感じなかったものが感じられるようになっちまう訳だし」
「わたしが苦しむ事になるのを知っていたの!? それなら、なぜ主任は・・・!?」
「別に、あの人はお前を苦しめようとした訳じゃねぇよ」
「どうしてそんな事が分かるのですか!?」
「だったら、なんで長瀬さんは俺に電話を掛けてきたんだ?」
「そ、それは・・・」
「長瀬さんはさ、お前とマルチの事を心から愛しているぜ。実の娘のように思ってる」
「・・・・・・・・・・・・」
「ただ、こう思ったんじゃないかな? セリオにもマルチのように笑ってもらいたいって」
「マルチさんのように?」

 わたしはマルチさんの方へ視線を向けた。
 そこには、心配そうにしているマルチさんの姿があった。

「長瀬さんさ、こんな事も言ってたぜ。『藤田くんならセリオを真っ正面から受け止めてくれる。だから、私は全く心配していない』ってな」
「浩之さん」
「もちろん、他のみんなだってそうだぜ。あかりや琴音ちゃんなんか『お祝いしなきゃ』なんて言ってたし、綾香とレミィなんか酒を買いに行っちまったぜ。まったく、しょうがねぇ奴らだよな。」
「・・・・・・・・・・・・」
「そうそう、みんなも、もうお前らが食ったり飲んだりできるって知ってるからな。きっと凄い事になるぜ。今から覚悟しておけよ」
「浩之さん。・・・わたし・・・わたし」
「セリオ。1つだけはっきり言っておくぞ。感情が有ろうが無かろうがセリオはセリオだ。俺の大切なセリオだ」
「ひ・・・浩之さん。本当? 本当ですか?」
「当たり前だろうが。愛してるぜ、セリオ」

 言ってから、浩之さんはそっぽを向いてしまった。
 首筋まで真っ赤になっている。
 わたしは浩之さんの言葉とその姿に大きな安らぎと愛おしさという『感情』を覚えていた。
 先程までの不安や恐怖は嘘みたいに消え去っていた。

「浩之さん! 大好きです!!」

 思いっきり強く抱きついて頬にキスをした。

  「あ〜〜〜!! セリオさん、ずるいですぅ〜〜〜!!」

 マルチさん、走り寄ってきたかと思うと・・・

「わたしも浩之さんの事、大好きですぅ」

 いきなり抱きついてきた。

「お、お前らなぁ〜〜〜」

 さすがに抗議の声が上がる。
 でも、顔は全然嫌がっていない。
 それどころか、にやけている。
 なんて正直な人なんだろう。
 そんな所が好きなんだけど・・・。

「いい加減に離れろって。続きは帰ってからたっぷりしてやるから」
「「本当ですね!?」」

 わたしたちの声が綺麗に重なった。

「あ、あぁ」
「「それなら、『今は』我慢します」」

 再び綺麗に重なった。
 あっ、浩之さんの顔が少し引きつってる。
 今晩は皆さんお酒が入りそうですから、歯止めが利かないかも。
 という事は、もしかしたら、夜は10人同時!?
 ・・・・・・頑張って下さい。

「よっしゃ! そろそろ帰ろう。みんなが待ってるぜ」

「「はい!!」」

 わたしたちは3人揃って歩き出した。

「あの、浩之さん。腕を組んでも良いですか?」
「別に構わないぜ」
「わたしも、わたしも〜〜〜」
「わかったわかった。ほれ」
「えへへ〜〜〜」
「まったく、しょうがねぇなぁ」

 わたしは、浩之さんの口癖を聞きながら、そして体温を感じながら幸せな気分に浸っていた。

 感情があるというのも、結構良いものかな?

 わたしのこれからの生活はきっと今まで以上に素晴らしいものになるだろう。

 
 そう、確信していた。

 
 そうですよね、浩之さん。

 
 わたしの一番大切な・・・







Hiro



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