『ブーイング』



「さて。今日も勝ってくるかな」

「頑張ってね、浩之」

「先輩、ファイトです!」

「冷静に戦えば負ける相手ではありません。浩之さん、クレバーに行きましょう」

「おう」

 俺は、綾香・葵ちゃん・セリオからかけられる激励に手を挙げて応えつつ、ゆっくりとリングインした。

 エクストリーム。それが、俺が参戦している格闘技の名称である。
 公式戦デビューを果たしてから、俺は既に何試合かこなしていた。そこそこの戦績も残せている。
 当初は戸惑いや過剰な緊張などを感じたりしたものだが、今では大分慣れてきた。
 緊張感も良い意味で楽しめるようになってきた。

 だが、未だにどうしても慣れないものがある。

 それは、

「来やがったな、藤田浩之!」

「女の敵! 男の敵!」

「俺達の来栖川さんを返せ!」

『ブー! ブー!』

 このブーイングの嵐だった。
 他人にどう思われようと気にしない俺だが、さすがに数百人から一度に向けられる雑言には良い気がしない。正直、ウンザリする。

「……ハァ。ったく、勘弁してくれよな」

 俺は、深いため息をもらし、ガックリと肩を落とした。

「うわぁ。相変わらず凄いわねぇ」

 顔に縦線を貼り付ける俺とは対照的に、どことなく楽しげな綾香。
 笑いながら他人事のように宣っているが、この状況を作り出したのは殆どこいつだったりする。
 テレビでの婚約者発言、サイン会でのキス騒動等々、俺は綾香の所為で知名度を悪い意味で高められた。
 結果、綾香ファン・綾香信者からはWANTED状態。ブラックリストの筆頭。
 エクストリーム界最大のアイドルを独占している俺は、完璧にヒールとして認知されていた。
 只今、悪役街道驀進中である。

「先輩、ブーイングなんか気にしないで下さい。ブーイングは強者の宿命ですよ」

 ちょっぴり鬱が入っている俺を慰めてくれる葵ちゃん。
 だが、葵ちゃんも状況悪化の一翼を担っている存在だったりするのだ、これがまた。
 俺と同時期にエクストリーム公式戦デビューを果たした葵ちゃん。
 小柄で愛らしいルックスと高い格闘技術を兼ね備えた葵ちゃんの人気はうなぎ登り。
 早くも、非公認ながらファンクラブなんかが設立されていたりするほどだ。
 ――で、『葵ちゃん可愛い→でも、近くには常に藤田浩之が→葵ちゃんは藤田が好きらしい→藤田、許すまじ→ブーイング増加』という図式が成り立っていたりする。

「いっそのこと、本当にヒールに徹してしまうというのはどうでしょう? 格好いい悪役というのも燃えるシチュエーションですし」

 フォローになっているんだかなっていないんだか、よく分からないことを言ってくるセリオ。
 実は、セリオも状況悪化の以下略。
 セリオは試合には出られないが、セコンドとして常に俺たちと一緒に参加している。
 綾香と比べても全く見劣りしない美しさを持つセリオ。彼女も、かなりマニアックな人気を誇っていたりした。
 しかし、セリオにも葵ちゃんと同様の図式が適用されるわけで……。
 従って、俺はセリオのファンからもジェラシーを受けることに。

 なんつーか、これだけでも充分にお腹いっぱいなのだが、

「浩之ちゃーん、頑張ってー!」

「浩之さ〜ん、ファイトですぅ〜」

 応援に来てくれるあかりたちが、更に火に油を注いでくれる。
 俺が言うのもなんだが、揃いも揃って美少女ばかりの応援陣。
 その所為で、俺に注がれる嫉妬の炎が倍加。刺さるくらいの視線が俺に一点集中。マジで痛い。

「あかーコーナー! ふじたーひろーゆきーっ!」

 リングアナのコールに、俺は右腕を高々と挙げて応える。
 途端、会場中に轟くブーイング。
 
「極悪藤田ー! 俺に一人分けろー!」

「女を何人もはべらしやがって! ろくな死に方しねーぞ!」

「色魔! スケコマシ! 人非人!」

 なんか、すげー言われようだし。
 仕方ないと言えなくもないが、やっぱり面白くはない。
 だからといって、言い訳したところで何にもならない。綾香や葵ちゃんたちを独り占めしているのは事実なわけだし。
 よって、こういう場合に俺が出来ることはただ一つ。凄い試合を見せ付けて、罵声を歓声に変えてやることだ。

「勝手に言ってやがれ。すぐに度肝を抜いてやるぜ」

 俺はパンと両頬を張って気合いを入れる。
 と同時に、カーンという甲高いゴングの音が響き渡った。

「一撃で決めてやる」

 そう呟きながら、スッと無駄のない動作でリング中央に出ていく俺。そして同じ様に出てくる対戦者。
 相手は腰を落とした低い体勢でこちらの動きを窺い……数瞬の後、唐突にタックルを仕掛けてきた。それを、俺は避ける素振りも見せずに待ち受ける。俺の懐にまで飛び込んでくることに成功した対戦者が、勝利を確信したようにニヤッと笑ったのが妙にハッキリと見えた。
 相手はそのまま勢いを緩めずに、俺へと激突してきた。会場中に『ボフッ』という何とも表現しがたい鈍い音が響く。次いで、『ダンッ』と派手なダウン音。
 一瞬、場内がしんと静まり返った。

「レフェリー? あれ、ダウンじゃないんすか?」

 ふぅと一つ大きく息を吐くと、俺は、衝撃の残る右拳を軽く振りながら、観客と同じ様に呆けていたレフェリーにカウントを促す。
 その指摘にハッと我に返ったレフェリーが、カウントを取ろうとダウンした相手に近付き……そこで両手を挙げた。クロスさせて。

「1R12秒。カウンターのワンインチによるKOで藤田浩之選手の勝利です」

 打ち鳴らされるゴングと共に、リングアナによる結果アナウンスが場内に届けられる。
 それを聞いて、俺はグンと右腕を高く突き上げた。
 刹那、割れんばかりの大歓声が。

「おおーっ、すげーぞ、藤田!」

「一発KOだ!」

「秒殺かよ! やってくれるぜ!」

 会場全体から沸き起こる拍手。俺の戦いぶりを賞賛する声。
 全員が、数刻前のブーイングがウソのように俺を誉め称えていた。
 凄い試合を見せ付けて、罵声を歓声に変えてやる。試合前に誓ったこと。それを達成することに成功し、俺は誇らしげに両手を高く掲げた。

 ――と、ここで終われば綺麗なのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

「やったね、浩之」

「浩之さん!」

「先輩。やりましたね!」

 嬉しそうに言いながら、綾香とセリオ、葵ちゃんが俺に向かって飛び込んできた。
 そして、俺に抱き付くと、みんなは頬と言わず口と言わず、あらゆる所にキスの雨を降らせてくれた。
 リング上で唐突に始まったラブラブシーン。途端に会場内がシーンと水を打ったように静まった。
 なんか、観客たちの俺を見る目に殺気が籠もり始めたような……。
 場内に漂い始める異様な緊張感。
 それに追い打ちを掛けるように、応援席から飛んでくる声。

「浩之ちゃーん! とっても格好良かったよ〜♪」

「ヒロユキ! ナイスファイトだったネ!」

 その言葉が試合会場中に響き渡った瞬間、至る所で『プチッ』と何かが切れる音がした。

「藤田ーっ! やっぱりお前は許せねーっ!」

「わざわざ見せ付けるな、このやろーっ!」

「うわーん、どうせ俺には彼女がいねーよ、どちくしょーっ!」

 阿鼻叫喚。
 リング上へと浴びせられる怨嗟の声。間違いなく試合前よりもヒートアップしているブーイング。
 俺はそれらを耳にしながら、完全に頭を抱えていた。

「あああ、どうしてこうなるんだ!?」

「ま、しょうがないわね。幸せ者には、それ相応の苦労も付いて回るのよ。うんうん」

「お前が言うな! 元凶その一!」

 シレッと宣う綾香に、頭をガシガシと掻きむしりながら俺は叫んだ。

「これじゃ、完全に“振り出しに戻る”じゃねーかよーーーっ!」

 それどころか、二歩進んで三歩戻ってしまった感じだ。

「え、えっと……その……ファイトです、先輩」

 なんとか力付けようとする葵ちゃんの声が、俺の胸に虚しく響く。

「ううっ。こうなったらマジでヒールに徹してやろうか」

 半ば諦めたようにボソッと呟いた。

「浩之さん。それでしたら、次回からはハ○イダーのコスプレをして入場しましょう。雰囲気バッチリで格好良くて非常にグッドですよ♪」

 それはちょっと勘弁して下さい。ホント、マジで。

 でも、取り敢えず、今のところはヒールで確定っぽい感じだ。なにをどう足掻いても。
 俺がヒーローになれる日は限りなく遠い気がする。
 と言うか、来ないっぽい。
 あっははは。参ったね、こりゃどうも。

 ……あ、少しだけ泣けてきた。





< おわり >


戻る