『ふつう』
「で? どうなのよ、藍」
「え? なにが?」
クラスメートからの質問に、藍が首を傾げて尋ねた。
「だからぁ。あんたのお父さんとお母さんたちのことよ。かなり仲が良いみたいだからさ、家ではもうベッタベタのイチャイチャでラブラブなんじゃない? 見ていて恥ずかしくなるくらいに」
問われた友人がニヤニヤとした笑みを浮かべて藍に答える。周囲にいる者も同様の顔。
皆、瞳を期待でキラキラさせて藍からの答えを待っていた。
「どうだろう? 特にイチャイチャしてるってことはないと思うよ。割と普通じゃないかな?」
少しの間「うーん」と考えてから藍が返す。
途端、周りの面々から湧き上がる「本当にぃ?」の声。
「うん。とは言っても、偶にはラブラブするけどね。ときどき、チュッてキスをしたりする程度だけど」
(おはよう・いってらっしゃい・お帰り・おやすみの基本形+α)×毎日。こういう状態のことを普通は『ときどき』とは言わないと思うが。
しかも『チュッ』なんて可愛らしい物ではなく、彼らのキスは結構深かったりするし。音にするなら『ピチャピチャ』が妥当であろうか。
「ふーん。キス、かぁ。でもまあ、夫婦だったらねぇ」
「するのは当たり前だろうし。確かに普通かな」
肝心な部分が隠蔽されているとも知らずに『うんうん』と納得する友人たち。
もっとも、藍も意図的に隠しているわけではないが。
「あと、一緒にお風呂に入って背中の流しっこをすることもあるけど……これだって別におかしいことじゃないだろうし」
「そうだね。それも結構普通だと思う」
「奥さんが旦那さんの背中を流すってのはよくあるシチュエーションだもんね」
浩之があかりたちとお風呂に入った場合、どう考えても『背中を流し合っている』以上のことをしているのだが。
そういう時は決まって入浴時間がいつもより長かったりするし。更に、何故か、妙に甘い声が浴室から聞こえてきたりもしたり。
「えっと……あとは……ご飯の時に『あーん』をしたり……」
実際は、それに『浩之の膝の上に乗る+時には口移し』という強烈なオプションが加わるのだが。
「うーん。取り合えずはこの程度、かな? ねっ、普通でしょ?」
小首を傾げて少し考え込んだ後で、藍がみんなの顔を見回してそう同意を求めた。多くの肝心な部分を伏せたままで。意図的ではないにしろちょっとズルい。
もっとも、藍には『わざわざ言うまでも無い些細なこと』くらいの認識でしかないのかもしれないが。
「前の二つはともかく、新婚でもないのに『あーん』とかしたりするのが普通かどうかは甚だ疑問だけど……」
苦笑を浮かべて友人が答える。
「でもまあ、確かに、思ってたよりは遥かに普通かな。なーんか拍子抜け」
「同感。腰が抜けるような仰天話が聞けなくて残念無念」
「あーあ。もっとドキドキするような赤面物の暴露話を期待してたのになぁ」
唇を尖らせて、露骨につまらなそうな表情をしてブーブーと零す面々。
藍が語っていない部分を知ったら間違ってもそんなことは言えなくなるであろうが……知らぬが仏かもしれない。
年頃の娘たちには少しばかり刺激が強すぎるであろうから。
「あのねぇ。あなたたち、わたしたち一家を何だと思ってるのよ」
少々不満気な友人たちの様子を見て、藍は僅かに顔を引き攣らせた。
「わたしたちはごくごく普通の家族なんだからね。みんなが驚くようなことなんて何も無いよ」
どキッパリと言い放つ藍。真相を知っている者が聞いたら耳を疑いたくなるようなセリフである。
しかし、藍がそう言うのも無理からぬことであろう。何故なら、藍は産まれてからずっとその環境で生きてきたのだから。両親がイチャイチャする姿は『そこにあるのが当然』の親しみきった風景なのだから。
今の状況こそが、藍にとっての『普通』なのだから。
藍が、友人たちとの根本的な認識のズレに気付くことは……当分は無さそうである。
教訓:自分にとっての『普通』は、必ずしも他者の『普通』とイコールではない
< おわり >
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