『偶然の一致?』



「あっ。香里のシルバーアクセサリー、すっごく可愛いね。それ、どこのメーカーのやつ?」

 香里が体育の授業に備えて更衣室で着替えていると、横でモソモソと体操着をカバンから取り出していた名雪が、香里が身に着けているシルバー製のペンダントトップを指差して尋ねてきた。

「SISTEAM製よ」

 名雪の問いに香里が簡潔に答える。

「え? そうなの? それじゃ、わたしが持ってるのと同じ所のだったんだね」

 言いながら、名雪は首に提げているペンダントを手に取り香里に見せた。

「ほら。猫さんアクセサリーだよ。かわいいでしょ」

 ちなみに香里のトップは犬の形をしていた。

「へぇ。名雪がシルバーアクセサリーを持ってるなんてちょっと意外ね。こういうのには興味ないかと思ってたけど」

 少々の驚きと多分のからかいを込めて香里が言う。

「わたしだって女の子だもん。可愛いアクセサリーには興味あるよ。香里だって同じでしょ?」

「別に。あたしは特に興味なんて無いわ。これだって人からの貰い物だし」

 素っ気無く答えを返す香里。

「せっかくくれたんだから、身に着けないと勿体無いと思っただけよ」

 アクセサリーを手の平の上に載せて弄びながら香里が淡々とした口調で説明する。
 しかし、銀製の犬の頭を撫でる指には壊れ物を扱うような柔らかさが感じられた。無意識にか、口元には微笑すら浮かんでいる。
 それらが、香里がこのペンダントトップをどれだけ大切にしているかを如実に語っていた。

「そうなんだ。えへへ、偶然だね。実は、わたしのも貰い物なの」

「やっぱり。おかしいと思ったのよね。名雪が自分で装飾品を買うなんて考えられないもの。そんなお金があったらイチゴ関連に消えるはずだから」

 名雪の言葉に、香里は心底納得したといった顔で『うんうん』と頷く。
 同時に『名雪にペンダントを贈った人って、彼と似たようなセンスをしているのね』なんて事を考えていたりもした。

「ひどいー。香里ってばひどいよー。それじゃ、わたしがイチゴの事しか考えてないみたいじゃない」

 プクッと頬を膨らませて名雪が抗議。

「その通りでしょ?」

「ひどいよー」

 サラッと受け流す香里に、名雪が恨めしそうな視線を向けて尚も抗議を続ける。しかし、上手い文句が浮かばないのか、ただただ『ひどいよー』を連呼するのみであったが。

「名雪。どうでもいいけどさっさと着替えた方がいいんじゃない? もうすぐ授業が始まるわよ」

 子供じみた口撃に軽い頭痛を覚えつつ、香里が時計を示しながら指摘。
 すると、やばいと思ったのか、名雪は「あっ」と声を上げると慌てて制服を脱ぎ始めた。

「そういえば、最近名雪ってば着てないわよね。猫さんプリントのお子様木綿パンツ」

 下着姿になった名雪を見ながら、香里が思い出したように口にする。

「うん。ある人に言われたの。『いつまでもそんな子供みたいな下着じゃなくて、もう少し大人っぽいのを着たらいいんじゃないか』って」

 香里に答えつつ、名雪は香里が着ているアンダーに目を向けた。

「そう言う香里も最近はおしゃれなブラを着けてるよね。前は実用性最重視のスポーツブラとかしてたのに」

 今現在香里が身に纏っているのはPrimaと呼ばれるメーカーのアンダーだった。香里の美しい形のバストを優しく包み込む3/4カップブラ。色は清潔感溢れた白。アクセントとして細部にレースが使われた、明らかに人の目を意識した下着である。

「あたしも名雪みたいに言われたのよ。とある人に。『もっと大人っぽいのを着たらどうだ?』とね」

「ふーん、香里もなんだ。偶然だね。ちょっとビックリだよ」

 感心したように名雪が零す。同時に心の中では『香里にそんなことを言うのは栞ちゃんかな。意外とおませさんみたいだし』といった事を考えていた。

「まったくだわ。こういう偶然ってあるものなのね」

 香里が頷いた。名雪と同じく『きっと秋子さんの入れ知恵ね。あの人ならそういうことを言いそうだし』などと思いながら。

 ――ここで終わっていれば、全ては『偶然』の一言で終わっていただろう。何の問題も無く。しかし、幸か不幸かそうはならなかった。

「うにゅ?」

 不意に名雪が素頓狂な声を上げた。

「どうしたの? なんか呆けた顔してるけど」

 首を傾げて尋ねる香里。

「ねぇ、香里。それ、なに? 胸元にあるの。虫刺され?」

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら香里が名雪の視線を追う。するとその辺りにはポツンとポツンと赤い跡が点在していた。途端にボンッと真っ赤に染まる香里の顔。

「まさか……キスマーク?」

「ち、ち、ち、違うわ! こ、こ、ここれは……そのそのその……」

 見事なまでの狼狽っぷり。あからさまに名雪の言を肯定してしまっていた。

「香里のエッチ」

 笑いを含んだ声で名雪がからかう。

「そ、そうじゃないのよ。だ、だから……えっと……」

 なんとか上手い言い逃れがないかと、香里は必死に未だパニックから抜け出せないままの頭を捻る。

「……って、あれ?」

 反撃の機会を与えようとする神の助けか、もしくは場を更に混乱させようとする悪魔の仕業か。どちらにせよ、窮していた香里の視界に唐突にある物が飛び込んできた。

「名雪。あなたのお腹とかにあるの、なに? ひょっとしてキスマーク?」

「え゛!?」

 名雪が慌てて自分の体を眺める。香里同様の跡が浮かんでいる体を。

「こ、これは……その……」

「なによ。名雪だって人のこと言えないじゃない。エッチ」

「あ、あはは……てへ♪」

 最早笑って誤魔化すしかない名雪。

「ま、いいけどね。別に」

 本当は香里としてはさらに追撃をかけたいところであるが、下手に突っ込むとヤブヘビになりかねない。
 加えて、周りで耳をダンボにしているであろう級友たちに、これ以上ネタを提供することもないだろうという気持ちもある。すっかり存在を忘れていたが。
 従って、非常に不本意ではあるがやむなく場を収めることにした。

「まったくもう。だからダメだって言ったのに。相沢くんったら」

 鬱屈した物が発散されきらない中途半端さ故か、思わず愚痴が口をついて出てきた。

「祐一のバカ。跡になるから強くしないでってお願いしたのに」

 香里と似たような心境だったのだろう。名雪の口からもため息と共に愚痴が零れ落ちる。

 ――その刹那、

「え? 祐一?」

「あ、相沢くん?」

 更衣室の空気がピシッと音を立てて割れた。

「な、名雪……今、祐一って言った?」

「か、香里こそ」

 表情というものを綺麗に失った香里と名雪がお互いに確かめ合う。

「まさか、名雪のキスマークを付けたのって」

「香里のキスマークを付けたのは」

「相沢くんなの!?」

「祐一なの!?」

 異音同義の叫びがハーモニーを奏でた。痛々しい、もしくは禍々しいと表現できる声で。

「いつ? 名雪が相沢くんと……したの……いつ?」

「昨日の夜だよ。寝る前に。香里は?」

「昨日の放課後。相沢くんと二人で百花屋に行って、その後」

 香里と名雪は既に周囲など見えていなかった。大勢の級友がいる中で躊躇なく祐一との情事をばらしていった。それだけテンパッているとも言える。

「そうなんだ。あたしと名雪、同じ日に同じ人に抱かれたのね」

「偶然だね」

「ええ、偶然ね」

 笑みすら浮かべて淡々と会話を行う二人。

「さすがは親友ってところかしら。こんなに偶然が多いなんて」

「やっぱり親友だからだと思うよ。こんなに偶然が多いのは」

 この様子を見ていたクラスメートの一人は後に語る。
『見た目はにこやかなんですけど、実際は完璧に切れていたと思います。名雪と香里からゴゴゴゴゴと目視できるくらいのオーラが出てましたから。あの時は更衣室全体が揺れてましたよ。怖かったです』
 ――と。誇張された部分もあるだろうが、壮絶さがヒシヒシと伝わってくる証言である。

「うふふ、うふふふふふふふ」

「えへへ、えへへへへへへへ」

 人は怒りが限界を超えると笑ってしまうようになるらしい。今の二人がまさにそれだった。
 そんな名雪と香里を見て、多くの級友が思った。
『相沢くん、ご愁傷様』
 近い未来に迎えるであろう友人の無残な最期に胸を痛めつつ、沈痛な表情で黙祷を捧げてしまう女生徒一同なのであった。

 ちなみに、名雪たちの気に当てられて腰を抜かす生徒が続出し、予定されていた体育のカリキュラムが中止になったのは余談である。



○   ○   ○



 ――次の日。

「祐一ぃ。今日も百花屋に行くよ。イチゴサンデーだよー」

「相変わらずね、名雪は。あたしは今日はチーズケーキにしとくわ」

 放課後になるや否や祐一――顔に貼ってある何枚もの絆創膏が非常に痛々しい――の席に直行する名雪と香里。早くも心は百花屋へ飛んでいるらしい。

「ちょっと待て! 問答無用かよ!? 少しは俺の意思も……」

 好き勝手なことを言う二人に反論しようと祐一が声を荒げる。

「意思? 祐一の?」

「そんなの、考慮してもらえると思う?」

 しかし、名雪たちから注がれる冷たい視線と声によって祐一の勢いは瞬時に木っ端微塵に砕かれてしまった。

「……いえ、思いませんです」

 嫌な汗をダラダラと流しつつ、力なく祐一が答える。

「分かればいいんだよ」

 言いながら、表情を柔らかな物に変えて名雪が祐一の右腕に自分の腕を絡めた。

「分かればいいのよ」

 同じように、香里が祐一の左腕を取る。
 左右から挟まれた祐一。例えるならば、畑の農作物への悪さが過ぎて捕獲された日本猿のようだ。

「それじゃ……行くよ、祐一」

「行きましょ、相沢くん」

「……ああ」

 ガックリと項垂れながら祐一が応じる。連行される自分の姿に、思わずドナドナが頭を過ぎった。
 けれども、そんな態度とは裏腹に、両の腕に押し付けられる柔らかな膨らみについつい顔を綻ばせてしまう祐一であった。

「わ。祐一ってばエッチな顔してるよー」

「ホント。相沢くんってばスケベねぇ」

「ち、違うぞ。それは誤解だ。俺は聖人君子だからな。ただ、ちょっぴり博愛主義なだけだ。俺は断じてスケベなんかじゃないぞ」

「えー? なに言ってるんだよー。祐一ってばウソばっかりだよー」

「まったくよね。どの口が言うのかしら。昨夜だってあたしと名雪を全然寝かせてくれなかったクセに」

「わーっ! 教室でそんなこと言うなーっ!」



○   ○   ○



 少し離れた所から、北川は三人の様子を呆れた顔をして眺めていた。
 その彼に近づく二つの影。

「なんですか、あの騒ぎは?」

「なにやら大声で喚いてますね」

 下級生コンビ、栞と美汐である。

「優柔不断の二股男の成れの果て、かな。何気に羨ましくはあるけどね」

 北川は軽く手を挙げて二人に挨拶すると、件の騒動を至極簡潔に説明した。

「ふ、二股ですか!? まさか、祐一さんってば」

「美坂先輩と水瀬先輩のお二人に手を出していたのですか!?」

 驚愕の表情で叫ぶ栞と美汐。
 それに、北川は首肯することで答えた。

「ひ、酷いです! 祐一さんってば酷すぎます!」

「そんな酷な事はないでしょう」

 祐一たちの方に、栞と美汐が憮然とした顔を向ける。
 そんな二人の様子を見て北川は思った。『やれやれ。こりゃ、相沢のヤツは完璧に嫌われちまったかな。ま、自業自得か』と。

「どうしてお姉ちゃんには手を出すのにわたしには何もしないんですか!?」

「納得できません! わたしは無視ですか!? 相沢さん、本当に酷いです!」

「……って、そういう意味の酷いかよ!」

 予想に反する二人の言葉に、北川が思いっきり突っ込んだ。
 だが、当の栞と美汐の耳には届いておらず。

「祐一さん! どういうことですか!?」

「説明を求めます!」

 なぜなら、二人は祐一の元へと既に駆け出していたから。

「な、なんだかなぁ」

 呆気に取られた顔で眺める北川。
 その彼の耳に「どうしてお姉ちゃんと名雪さんだけなんですか!?」「わたしたちに手を出さないのは何故ですか? 胸の所為ですか? そんな酷な事はないでしょう」「うわっ! し、栞に天野!?」「ちょっと栞! これはあたしのよ! 手を出さないで!」「香里ぃ。『あたしたちの』って言ってよー。独占は禁止だよー」「どっちにしろ物扱いかよー!」等々の声が聞こえてきた。

「まあ、なんつーか、これもある意味自業自得だよな」

 北川は悟りきったような顔になるとそう呟いた。
 その瞬間、

「あはは〜。祐一さんはいらっしゃいますか〜?」

「……遊びに来た」

「ゆーいちー。さっさと帰るわよー」

「祐一くーん。迎えに来たよー」

 彼の背後に再び人影が。
 北川は新たにやって来た四人にチラッと視線を向けた後、未だ渦中の真っ只中にいる親友に向かって静かに手を合わせた。

「骨は拾ってやるぞ。……南無」









< おわり >


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