『乙女たちのおしゃべり』



 一日の授業を全て終え、ホームルームも終えて、後は荷物をまとめてチャッチャと帰るだけ。
 校内中にそんな空気が漂っているマッタリとした時間、あたしこと長岡志保ちゃんは、あかりや岡田さんといった仲の良いメンバーと帰宅前のおしゃべりと洒落こんでいた。
 女の子が集まれば、会話の内容は当然色恋沙汰となるもの。この時も例外ではなかった。

「垣本くんとは最近どうなのよ? うりうり、素直に白状しなさい」

「白状も何も、わたしと垣本くんは別に何でもないわ」

 あたしの問いに、吉井さんがクールに返した。――と、本人は思っていることだろう。実際は、頬は真っ赤に染まっていて目は露骨に泳いでいるという、クールとは程遠い状況になっているのだが。
 ま、言わぬが華だろう。変にツッコミを入れても可哀想だし、何より無粋であるから。

「あ〜。吉井ってばまっかっか〜。かわい〜、照れてる〜」

 でも、あたしのそんな心遣いは見事なまでに無駄となった。あたしが知る中でもトップクラスの能天気娘である松本さんの間延びした声によって。

「いまさら〜隠すことなんてないのに〜。吉井と垣本くんがラブラブなのは〜、み〜んなが知ってるんだから〜」

「ち、ちょっと松本!」

 松本さんの追撃を受けて、吉井さんの顔が更に朱に染まっていく。湯気が出そうという表現がピッタリ当てはまるくらいに。

「ね〜ね〜。吉井は垣本くんのどこが好きなの〜?」

「ど、どこって」

 松本さんは、無邪気とも表現出来る笑顔で吉井さんに質問をぶつけていった。その度に吉井さんの顔はどんどんと表面温度を上昇させていく。見ていて面白いくらいに。

「わ、わたしは……だから……その……別に……」

 言葉を詰まらせてごにょごにょと呟く吉井さん。
 しかし、次の瞬間、

「ま、松本こそどうなのよ? 好きな男の子とかいないの?」

 いきなり話題を松本さんに振り返した。あからさま過ぎる逃げ。それらの行動の全てが吉井さんの気持ちを如実に物語っていたが、悲しいかな本人はその事実に全く気付いていなかった。そんな心の余裕も無いだろうが。
 それにしても、話を誤魔化すにしてももう少し上手くやればいいのに。あたしはそう思わずにはいられなかった。いくらなんでもこんな単純手に引っかかる者などいるはずがない。更に追求されるのがオチだ。
 吉井さんたちのやり取りを耳にしていたあかりと岡田さんもあたしと同意見なのだろう。二人とも苦笑を貼り付けた何とも表現し難い顔をしていた。

「え〜? わたし〜? 残念ながらいないよ〜」

 前言撤回。ここにいた。至極アッサリと誤魔化される奴が。

「気になる人だったら〜いるけどね〜」

「え? 誰?」

「矢島くん」

 吉井さんの問いに松本さんが素直に答える。

「だって〜、面白いんだもん」

「あ、そ、そう」

 吉井さんの顔がほんのちょっぴりだけ引き攣った。無理も無い気がする。
 確かに矢島は面白い――というか無駄に濃い――けど、恋人として付き合うとなると少々躊躇ってしまう相手に思えるから。
 しかし、だからと言って松本さんの気持ちを否定するような野暮も無粋もする気は無いが。
 ま、人の好みはそれぞれだしね。松本さんと矢島って何気にいいカップルになりそうだし。
 同じ結論に達したのであろう。あたしと吉井さんと岡田さんは、お互いに顔を見合わせると『さもありなん』といった風情でコクコクと頷きあった。

「岡田はどうなの〜? 好きな男の子とかいるの〜?」

「あたし? そうねぇ。今は、男なんかよりも保科さんの方がよっぽど気になるかな」

 サラッと放たれた岡田さんの言葉。それを聞いて、あたしはちょっとだけ引いてしまう。

「な、なに? もしかして、岡田さんってそっちの気があるの?」

「ハァ? 長岡さんってバカ? そんなことあるわけないでしょ」

 おそるおそる尋ねたあたしに、岡田さんが冷たい目を向けてきた。

「あたしはね、ただ保科さんにライバル意識を持ってるだけよ」

 呆れたように言う岡田さん。

「ライバル意識?」

「そうよ」

 岡田さんが、あたしからの問いに簡潔に返す。

「どの分野で? 勉強? スポーツ? まさか殴り合いだなんて言わないでしょうね」

 あたしは更に質問を重ねた。岡田さんがどのような答えを口にするのかは大体予想がついてはいたが。

「あらゆる事柄でよ。勉強もスポーツも。さすがに殴り合いはしないけど」

 心の中であたしは呟いた。やっぱり、と。
 あのね、岡田さん。ライバル意識を持つのは自由だけど、どう考えても勝ち目は無いわよ。だって、こう言っちゃなんだけど、保科さんはパーフェクトだから。勉強はバッチリ、スポーツもそれなりにこなす。おまけに美貌もスタイルも類稀。そんな人をライバルにするのはいくらなんでも無謀だと思うわ。ぶっちゃけた話、身の程を知れ?
 とは言え、わざわざ厳しい現実を突きつける必要もない事だから、口には出さないでおくけどね。ああ、あたしってばなんて優しいのかしら。

「そんなわけだから、今のあたしには男になんて構ってる暇はないの。打倒保科さんで頭がいっぱいなんでね」

「ふーん。なるほどね」

「長岡さんは? あなたはどうなのよ?」

「あたしも同じようなもんかな。今は特に気になる男もいないし」

 そう言った刹那、何故かお節介バカの顔が脳裏をかすめた。だけど、あたしは軽く頭を振ってそれを追い払う。
 そして、何事も無かったように言葉を続けた。

「ま、恋愛に関しては吉井さんと……そこで傍観者に徹している誰かさんにお任せしとくわ」

「え? え? え? 傍観者って、もしかしてわたし?」

 あたしにいきなり話を振られた所為で驚いて目をパチクリさせているのは、あたしの親友である神岸あかり。このメンツの中では一番恋に生きている女である。

「わ、わたしも!? 長岡さんってば、まだそんなこと言うの!? 垣本くんとの事は誤解だってばーっ!?」

 ちなみに、往生際の悪い某吉井嬢もあたしのセリフに反応して何やら喚いているがそちらは無視しておく。今更すぎて構う気が起きないし、あたしが放っておいても松本さん辺りがツッコミを入れてくれるだろうから。

「あかり以外に誰がいるって言うの? 一人だけで外野を決め込もうなんて百年早いわ」

 今にして思えば、この時のあたしはどうかしていたと思う。あかりにこの手のネタを振ってしまうなんて。一瞬でもエロヒロの事を思い浮かべてしまった所為で動揺していたのだろうか。だとしたら、ヒロという男はとことん迷惑な奴である。……逆恨みだというのは重々承知しているが。

「そうそう、神岸さんだけ対岸になんて居させないからね」

 あたしに追随して、吉井さんが「え? え?」とか言いながら周りをキョロキョロ見ているあかりにツッコミを入れた。死なばもろともって感じだろうか。
 間の抜けた声で「あはは〜、対岸も火事〜」などという謎な言葉も聞こえてきたが、そっちは取り敢えず無視しておく。

「そういえばさ、あたし、神岸さんに前から訊いてみたい事があったのよ」

 あたしと同様にヌケ声を綺麗に無視した岡田さんがあかりの方へと顔を向けた。

「え? 訊いてみたいこと? なに?」

 僅かに小首を傾げつつあかりが先を促す。

「神岸さんって藤田くんにベタ惚れしてるけどさ、いったいどこにそんなに惹かれたわけ? 顔? 性格? それとも何らかの能力?」

「全部」

 所要時間にして一秒。いや、それ以下かもしれない。
 あかりのことだから、全部と答えるのは充分に予測範囲内だった。だけど、ここまで見事なまでに即答するとは思わなかった。
 質問した岡田さんも、隣で聞いていた吉井さんも呆気に取られている。もちろんあたしだって同じである。平気な顔をして「うわ〜。神岸さん、らぶらぶ〜」とかほざいている例外もいるが。

「え、えっと、全部?」

 確認するように吉井さんが尋ねる。よせばいいのに。

「うん、全部♪」

 満面のニコニコ顔で返すあかり。体中から『わたしは浩之ちゃんが大好きですぅ』というオーラを放ってすらいた。見るからに幸せ全開である。

「そ、そうなんだ。じゃあさ、藤田くんへの不満って無いの? これだけは我慢できない、みたいな感じのやつ」

 微かに顔を引き攣らせながらも、岡田さんが再度あかりに質問をぶつけた。
 これ以上あかりにヒロの事を語らせるのは危険と思い、そろそろ話題を切り上げようとしていたあたしであったが、この質問には興味を惹かれてしまった。吐き出そうとした話題転換の言葉を飲み込んであかりの顔を見やる。

「浩之ちゃんへの不満? うーん、そうだねぇ」

 頬に人差し指をチョンと当ててあかりが考え込む。うーんうーんと考え込む。そんなに熟考しないと思い浮かばないのかと茶々を入れたくなるくらいに真剣な顔をして考え込む。
 ま、どうせ「えへへ、不満なんて思い浮かばないよ」なんて結論に達するのだろうけど。
 あたしはそう思っていた。確信していた。

「一つだけあるよ」

 しかし、長考の末にあかりの口から出てきたのは、あたしの予想を大きく裏切る言葉だった。
 質問した当人である岡田さんも吉井さんも、松本さんですらも意外そうな顔をしてあかりに視線を向ける。

「浩之ちゃんって、一度こうと決めたら際限なく突き進んじゃう所があるの。止まるという選択肢を完全に無くしちゃうの。それが、ちょっと、ね」

 言って少し苦笑するあかり。

「浩之ちゃんがそういう状態になるのって、大体が『誰かを助ける為』なの。それ自体はもちろん良いことなんだけど、浩之ちゃん、けっこう無茶するから。誰かを助ける事が出来ても、その所為で自分が傷ついたら意味が無いのに」

 翳りを含んだ声でのあかりの独白が続く。それを耳にしながら、あたしは妙に納得した思いを抱いていた。
 確かにヒロにはそういう点があると思う。詳しく聞いたわけじゃないからよくは知らないけど、ヒロは何度か危機一髪と表現出来る程のやばい目に遭ってるらしい。姫川さん絡みで危うく命を落としそうになったこともあったとか。
 なるほど、あかりの気持ちは痛いほどよく分かる。そんな事をしているのでは、さすがのあかりでも苦言の一つも呈したくなるだろう。

「誰かを助ける為にだったら、自分の事を二の次にしてしまう。平気で無茶をしてしまう。それが、浩之ちゃんへの唯一の不満かな」

 そこまで言うと、あかりは一つ小さく「ふぅ」と息を吐いた。

「だけど、それも浩之ちゃんの優しさなんだよね。文句も言ったけど、わたし、浩之ちゃんのそんな所もやっぱり大好き」

 表情を柔らかな物に変えて「えへへ」と照れたように笑いながらあかりが宣う。
 何と言いますか、結局は『全部大好き。不満無し』ですか? 深刻そうに喋ってたのに最後はそれですか?
 心底呆れたあたしは、はぁーーーっと深い深いため息を零してしまう。
 岡田さんと吉井さんも似たような心境に陥っているのだろう。やれやれと言いたげに頭を振っていたり、こめかみを指で揉み解していたりした。
 松本さんは……よく分からない。相変わらず何を考えているのか読み取れないホヤヤンとした顔をしている。

「あ、そういえばね、浩之ちゃんったらこの前ね」

 そんなあたしたちの様子をサラッと眼中外にしてあかりが言葉を続ける。胸の前で手を組んだ格好で、瞳を少々潤ませて、恍惚とも言える表情をして。
 一目で理解した。あかりが『惚気モード』に入っていると。
 しまったと思った時には後の祭り。手遅れ。このモードに入った時のあかりは天上天下唯我独尊。人の話なんか聞きゃしない。

「あかり。あ、あのね」

「あの時の浩之ちゃん、本当に素敵だったんだよ。そうそう、つい最近も……」

 無駄とは分かっていながらも突撃してみたあたしだったが、笑ってしまいそうになるくらいにアッサリと撃退された。
 こうなったあかりに逆らうのは無理。嵐が過ぎ去るのをおとなしく待つしかない。
 目で「なんとかならないの?」と訴えてくる岡田さんと吉井さんに、あたしは「諦めて」と同じく目で返す。
 今日の暴走が一秒でも早く終わってくれる事を心の底から願いながら。



○   ○   ○



 教室が赤く染まっている。
 外から聞こえてくる運動部員たちの声もだいぶ少なくなっていた。
 にも関わらず、あかりの口はまだまだ絶好調。終わる気配を見せない。
 どうしよう、あたしは半ば本気で途方に暮れそうになった。岡田さんと吉井さんは泣きが入りつつある。
 そんな時だった。

「あれ? あかりに志保、岡田たち?」

 天は我を見捨ててはいなかった。あかりの暴走を止められるただ一人の人物が教室に入ってきたのである。

「え? 浩之ちゃん?」

 ヒロの声を聞いてあかりが我に返る。
 その瞬間、あたしと岡田さん、吉井さんの口から安堵の吐息が漏れたのは言うまでもない。

「お前ら、まだ残ってたのかよ」

 好きで残っていたわけじゃないけどね、と声には出さないが一応返しておく。

「うん。浩之ちゃんはクラブ?」

「ああ。ついさっき終わったところ。で、帰ろうと思った矢先に忘れ物を思い出してな。慌てて教室まで取りに来たってわけだ」

 あかりに答えながら、ヒロが自分の席に座る。と同時に机の中を弄り始めた。

「あかりたちはこんな時間までなにしてたんだ?」

「えへへ。ちょっとね、話し込んじゃったの」

 ちょっとか!? あれがちょっとか!?
 ヒロに対するあかりの返答を耳にして、あたしは――おそらく岡田さんと吉井さんも――心の中で思いっきり突っ込んだ。

「そっか。でも、そろそろお開きにしろよ。帰ろうぜ」

 机の中から数冊の参考書を取り出し、それをカバンに移しつつヒロがあかりに促す。

「うん、そうする。いいよね?」

 ヒロに答えた後で、あかりはあたしたちの方に目を向け確認してきた。

「もちろん」

 即行で賛同する。あたしの横で岡田さんと吉井さんも『うんうん』と首を何度も縦に振っていた。

「うっし。そんじゃ帰るか」

 本を入れ終えたカバンをパチンと音を立てて閉じると、ヒロがあかりに向けて手を差し出した。

「うん♪」

 嬉しげにその手を取ると、あかりはあたしたちの方に振り向いて、

「志保、岡田さん、吉井さん、松本さん、また明日ね」

 幸せオーラ全開の笑顔で挨拶。

「じゃーな。志保たちもあまり暗くならないうちに帰った方がいいぞ」

 次いで、ヒロからの挨拶と忠告が飛んできた。
 応え、あたしたちが「うん、バイバイ」等と返すと、ヒロとあかりはピッタリと寄り添って教室から出て行った。二人の足音と楽しげな話し声が遠ざかっていく。
 そして、それらが完全にあたしたちの耳に届かなくなった途端、

「はぁ〜〜〜っ」

 あたしと岡田さん、吉井さんの三人は、重いため息を吐きながら机の上に体をグッタリと寝そべらせた。

「相変わらずあかりのあのモードは強烈だわ」

「い、意外だったわ。神岸さんがあそこまで饒舌になるなんて」

「まさに機関銃って感じだったわね。わたし、圧倒されちゃった」

 体力を根こそぎ奪われ、帰る気力も無く、ただただ力なく机に身を預けるあたしたち。

「やっぱ、あかりにこの手の話題を振るのは禁物ね」

 あからさまに疲れたあたしの声に、岡田さんと吉井さんも似たような声で「そうね」と返してくる。
 あかりの『惚気モード』の威力を再確認し、もう一度胸の内で『あかりに下手にヒロの話をさせるのは本当に危険だわ』と呟くあたしであった。

 余談だが、あたしたちが動けるようになったのは、それから更に一時間が由に経過した後だった。『惚気モード』恐るべし。

 ちなみに、あたしたちと一緒にいたもう一人はと言うと、

「神岸さんの話、面白かったね〜。わたし〜、も〜っと聞きたかったな〜」

 平然とした顔で恐ろしい事を宣っていたりした。
 この娘だけは本気で謎である。別の意味で恐るべし。

「明日も〜、みんなで聞かせてもらおうね〜」

 それは勘弁して、マジで。









< おわり >


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