『やっぱり親子』
「それにしても、あかりったらどうしたの? 振袖なんか着ちゃって」
年始の挨拶をする為に神岸家へとやって来たわたしと浩之ちゃん。
そのわたしたちの前にお茶とお菓子を置きながら、お母さんが不思議そうな顔で疑問の言葉を投げ掛けてきた。
「お正月だからね。わたしだって、偶にはこういうの着たいと思うし」
鮮やかな赤を基調とした艶やかな振袖。来栖川財閥の会長さんであるおじいちゃん――本人からそう呼んでくれと言われている――が、クリスマスの時にわたしたちにプレゼントしてくれた物だったりする。
ちょっと派手かなとは思うけど、浩之ちゃんが「似合う」と褒めてくれたからとってもお気に入り。
でも、お母さんの目には何かおかしく見えたのかもしれない。
「変、かな? 似合ってない?」
不安を感じつつ尋ねてみる。
「ううん、そんなことないわよ。よく似合ってる。可愛いわ」
手をパタパタと左右に振って、お母さんがわたしの言葉を否定する。
「ただ、着ているのが留袖じゃなかったからちょっと驚いただけよ」
お母さん、なんでもない顔でサラッととんでもない爆弾を投下。
「な、なに言ってるの、お母さん!? わ、わたし、まだ結婚してないんだよ!」
「そ、そうですよ、おばさん!」
驚かされたのはこっちの方である。急に何て事を言い出すかな、この人は。
当然、わたしと浩之ちゃんは抗議の声を上げる。
けれど、お母さんはそんな声に一切構わず、浩之ちゃんに目を向けてポツリと一言。
「ひ・ろ・ゆ・き・くん?」
「ハイ、ゴメンナサイ、マチガエマシタ、オカアサン」
お母さんは別に怖い顔をしているわけじゃない。いつもと変わらぬ笑顔である。『目が笑っていない』ということもない。
だけど、それでも有無を言わさぬ迫力を漂わせている。本能が『逆らっちゃいけない』と訴えていた。
浩之ちゃん、蛇に睨まれた蛙状態。冷や汗――あぶら汗かな?――が凄いことになっている。
「間違えちゃダメダメよ。気を付けてね♪」
ニッコリと、年齢を感じさせない可愛らしいと表現出来る笑みを浮かべるお母さん。
でも、迫力は未だ退いていない。相変わらずお母さんから放たれたままになっている。浩之ちゃんも石化したまま。
取り敢えず、わたしは今のお母さんの表情を『ゴーゴンの微笑み』と命名した。胸の内だけで。
「ところで、あかり?」
「な、なに?」
いきなりお母さんに話を振られ、わたしは上擦った声で応えてしまった。
考えていた事がバレたのかと恐々としてしまう。胸がドキドキと激しく高鳴る。
「あなた、さっき『まだ結婚してない』って言ってたけど、それってかなり今更なセリフだと思うわよ。あなたたちって、もう実質結婚してるようなものじゃない」
「う゛。そ、そうかもしれない、けど……」
お母さんの指摘に、わたしは上手い反論が思い浮かばずに言葉を詰まらせてしまう。
――内心、「よかった。バレたわけじゃないんだ」と安堵しながら。
「もう留袖にしちゃってもいいんじゃないの?」
「や、やだよぉ。わたしの年齢で留袖だったら、目立っちゃって恥ずかしいよぉ」
事も無げに言うお母さんの提案に、わたしは必死で抵抗した。
高校生が留袖などを着ていたら注目を浴びることは間違いない。それはちょっと勘弁してほしいところである。
琴音ちゃんとかだったら、その手の視線も嬉々として受け入れそうな気がするけど、少なくともわたしは無理。そんなことになったら、一歩も外を歩けなくなってしまう。
「そう? それじゃ仕方ないわね」
案外アッサリと引き下がるお母さん。
「ま、確かに急いで留袖にする必要もないかもね。まだ若いんだし。それに、どうせ振袖を着られるのもあと僅かなんだろうしね」
言って、お母さんはウンウンと何度も頷いた。
一人で勝手に納得されても困るのだが、下手に口出しするとやぶ蛇になるのが分かり切っているのでここは黙っておく。
「あっ、そういえば」
不意に、何事かを思い出したように、お母さんがパンと手を打った。
「わたし、二人にちょっと聞きたいことがあったのよ」
「聞きたいこと?」
真面目な顔をしてわたしたちの目を覗き込んでくるお母さんに釣られ、わたしもググッと身を乗り出した。
「なんですか?」
何時の間にか石化が解けていた浩之ちゃんも、わたしと同様に体を傾ける。
「あのね」
重々しい声を投げ掛けてくるお母さんに、わたしと浩之ちゃんは「うん」「はい」と異音同意に答えつつ、更に体を前に出した。
「あなたたち、赤ちゃんはまだ作る気無いの?」
わたしの隣で『ガンッ!』という派手な音が鳴った。見ると、浩之ちゃんが顔からテーブルにダイブしていた。すっごく痛そう。ピクピク痙攣してるし。
かく言うわたしも他人事ではなかったのだが。まるでマンガやアニメの様に、ドテッと椅子から豪快に転げ落ちていたりしたのだから。
「ふぅ。その様子じゃまだまだみたいね」
私たちのリアクションを見て、お母さんが残念そうに吐息を漏らす。
「あ、あのねぇ」
身を起こしながら、わたしは深いため息を一つ。
「お母さん。いい加減、そういうこと言うのはやめてよぉ。高校生の娘に子供を要求する親がどこにいるって言うの?」
「あかりの目の前に♪」
わたしの勢いを軽く受け流して、当たり前のようにお母さんが宣ってくれた。全く悪びれずに。
「はぁ」
ガックリと肩を落として、もう一度ため息。
「なによ。そんなに呆れたような態度を取らなくてもいいじゃない」
「『ような』じゃなくて、そのものズバリ呆れてるの」
拗ねた口調で訴えてくるお母さんに、わたしは疲労感を漂わせた顔を向ける。
「まったくもう。わたしの顔を見るたびに赤ちゃん赤ちゃん。ホント、勘弁してよ。そもそも、お母さん、以前わたしに『高校生の娘に母親になってほしいなんて思わないわよ』って言わなかったっけ?」
「言ったわよ」
わたしの問いに、お母さんが即答してくる。
「だったら! なんでわたしたちに赤ちゃんを求めるの!? まだ高校生なんだよ!?」
「ちっちっち。甘いわね、あかりん」
人差し指を左右に振って、ニヤリ笑いを浮かべながらお母さん。
「今からすぐに仕込んでも産まれるのは卒業後。既に高校生じゃなくなってるわ。だから全然オッケー、ノープロブレムよ♪」
親指をグッと立ててお母さんが力説。
「そ、そういう問題なの?」
「今からだったらギリギリ間に合うわね。わたし、三十代で孫を抱くのが夢だから」
呆れ果てて半ば絶句しているわたしを綺麗に眼中外にして、お母さんが恍惚とも言える表情を浮かべて勝手なことを口にしている。
普通の人は、若くして『おばあちゃん』になるのを嫌がりそうなものだけど、お母さんは『おばあちゃん』になることに抵抗が無いのかな?
お母さんの様を見て、わたしはそんな疑問を感じてしまう。
――が、すぐにその考えを振り払った。
お母さんだもんね。普通じゃないし。
我ながら、あまりと言えばあまりな結論に達し、わたしは幾度目とも知れないため息をそっと零した。
「あ、そうそう。赤ちゃんで思い出したんだけど……」
唐突に、お母さんが再びパンと手を打った。
それを見聞きして、わたしと浩之ちゃんは思わず身構えてしまう。
「ちょっと。そんなに警戒しなくてもいいじゃない」
プクッと頬を膨らませてお母さんが訴えてくる。
しかし、それは無理という物だ。わたしたちは、今まで何度もお母さんの言動に振り回されているのだから。警戒してしまうのは既に条件反射。
「別に変な事じゃないわよ。ただ、あかりに渡したい物があったのを思い出しただけ。ま、お年玉とでも思ってちょうだい」
そう言うと、お母さんはわたしたちを残して部屋から出て行った。
不安と困惑の入り混じった顔を見合わせるわたしと浩之ちゃん。
「お待たせぇ♪ はい、どうぞ」
それほど時を経てずにお母さんが戻ってきた。そして、手にしていた封筒をわたしに渡してくる。
「あ、ありがと。……って、え? なにこれ?」
受け取った封筒を手に、わたしは怪訝な表情を浮かべた。
触った感触は――小箱?
「中、見てもいい?」
「ええ。もちろん」
わたしの言葉に、お母さんは満面の笑みを返してきた。本当に楽しげな笑みを。
「うん、それじゃ早速……ぅ?」
封筒の中を覗いてわたしの顔は更に怪訝なものに。
入っていたのは、
「これって……」
「避妊具?」
一緒に覗き込んだ浩之ちゃんが、わたしの後を受けて口にした通りの物。
日本で一番ポピュラーなゴム製避妊具だった。しかも箱ごと。
「よかったら使ってちょうだいね」
罪の無いニコニコ顔でお母さんが宣う。
そのセリフを聞いて、わたしと浩之ちゃんの頭上に幾つもの『?』が飛び交った。
散々赤ちゃんが欲しいとか言っておいて、渡すのが避妊具?
明らかに矛盾している行動に、わたしと浩之ちゃんは首を傾げてしまう。
「ちなみに、それ、穴開いてるから♪」
ガンッと物凄い音をさせて浩之ちゃんが再度顔面ダイブ。
「いざという時に使ってね」
「なにそれ!? いざという時ってどんな時!?」
楽しげに言うお母さんに、わたしはついつい声を荒げてしまう。
「例えば、あかりの方はオッケーなのに、浩之ちゃんがなかなか思い切ってくれない時とか。ねっ?」
可愛らしく『ねっ?』と言われても困ってしまう。
わたしに出来るのは、『あ、あはは』と引き攣った笑いを漏らすことだけだった。
「か、勘弁して下さいよ、おばさ……」
「浩之くん?」
「ゴメンナサイ、クチガスベリマシタ、オカアサン」
――何と言うか……取り敢えず、お母さんは今年も絶好調みたいです。まる。
○ ○ ○
神岸邸からの帰り道。
わたしと浩之ちゃんは疲れきった顔をして並んで歩いていた。
「お母さん、相変わらずだったね」
「ああ」
思いっ切り疲労感を漂わせて浩之ちゃんが応える。精も根も尽きたといった風情だ。
「なあ、あかり。おば……お義母さんに貰った例のアレ、後で捨てておけよ。間違って使っちまったらシャレにならないからな」
「そうだね。うん、分かった」
浩之ちゃんの言葉に素直に頷くわたし。しかし、頭の中で全く逆の事を考えていた。
『あの避妊具、一応大事にしまっておこう。保険として。いざという時、お世話になるかもしれないから。いざという時に、もしかしたら、ね」
ひょっとして、わたし、考え方がお母さんに似てきた?
なんのかんの言っても、やっぱり血は争えないのかもしれない。
――物凄く複雑な気分ではあるけれど、それでも、ちょっぴり感心してしまうわたしなのであった。
それにしても、避妊具で親娘の血の繋がりを実感してしまうわたしっていったい……。
< おわり >
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