『挑戦を待つ身』
「ハァ」
教室の壁に掛けられた時計が示している15時45分という時間。
それを見ながら、あたしこと来栖川綾香は深く息を吐き零した。
遅いわねぇ。あいつったら何やってるのかしら。
――ったく、あたしを待たせるなんて十年早いってのよ、十年。
授業が終わってからずっと手にしている携帯に視線を送りながら、鳴らない電話に対し、あたしは心の中で文句を連ねる。
普段ならとっくに呼び出されている時間。なのに、今日は未だにお声がかからず。
その事実が、あたしの気持ちを少々苛立たせていた。
けど、怒るのは筋違いではあるのよねぇ。
頬杖をつきながら再びため息。
別にあいつの電話は義務でも何でもないのだから。
毎日、なんて約束もしていないし。
でも、あたしは待っている。自分でも呆れそうになるくらい待ち望んでいる。
あいつの声が聞きたいと思っている。会いたいと、顔を見たいと、言葉を交わしたいと、そう思っている。
そんなのガラじゃない、のは分かってるんだけどねぇ。
それでも気持ちは止められない。
こんなにもあいつに惹かれていたのかと、求めていたのかと、我ながらビックリする。
まだ、出会ってからあまり経っていないのに、ね。
これはひょっとしたらアレかな? いわゆる運命の相手ってやつ?
だとしたら納得なんだけどね、会って間もないのに強く惹かれるのも。
きっと、あたしとあいつの小指は赤い糸で繋がってるのね。それこそ、出会う前からずっとずっと繋がっていたのよ。うん、そうに違いないわ。
「……なんちゃって」
バカな事を考えた自分に軽く苦笑する。
心の片隅で、本当にそうだったらいいな、とか我ながら赤面しそうな事を思いながら、苦笑する。
それから暫しの時が経ち。
時計はとっくに午後の4時を回っていた。
「ねぇ、綾香。もしかして、今日は暇なの?」
「これからみんなでヤックに行くんだけど、もし時間が有るんだったらさ、来栖川さんも一緒しない?」
等々の友人たちからの誘いを「ごめーん。ちょっと大事な用があるのよ」と断りつつ、あたしは何をするでもなく自分の席でボンヤリとしていた。
そんなあたしに、未だ教室に残ってお喋りに興じている数人のクラスメイトが時折怪訝な視線を向けてくる。
用があると誘いを断っておきながら、何もせずにただただボケーッとしているのだから不思議にも思うだろう。
「ハァ。あたし、なにやってるんだろ」
掛かってくるかどうかも分からない電話を期待して、友人のお誘いを断って。
「あたし、バカみたい」
沈んだ声で零しながら、あたしは何時まで経っても鳴る事のない携帯を人差し指で軽く突っついた。
その瞬間。
「えっ?」
まるで、その行為を待っていたかの様なタイミングで軽快な着信音が鳴り響き始めた。
「あ……と……」
虚を衝かれ、少しの間固まってしまうあたし。
けど、すぐに我に返ると、急いでボタンを押し耳元へと運んだ。
「も、もしもしっ!?」
思わず声が上擦ってしまったのは御愛嬌。
「あ。ひ、浩之」
電話の主は、待ちに待っていた相手。あいつだった。
「今日は随分と電話してくるのが遅いじゃない。なにしてたの? え? 掃除当番? その後色々と雑用を押し付けられた? ふーん、それじゃ仕方ないわね」
会話をしているうちに、あたしの声がどんどん明るくなっていくのが自覚できる。加えて、顔に笑みが広がっていくのも。
つい先程まで沈み気味だったのに、浩之の声を聞いただけでこれである。自分の現金さに我ながらほとほと呆れ返ってしまう。
「うん? 今から? ええ、別にいいわよ。今日は特に予定も入って無いしね。それに、丁度暇してたところなのよ。だから、喜んで相手してあげるわ。……べ、別に礼を言われるほどの事じゃ。……う、うん。それじゃ、いつもの河原で。……ふふ、あまいあまい。今回も返り討ちよ。……うん。じゃ、また後でね」
会話を終えて電話を切ると、あたしは急いで立ち上がった。
「……な、なによ? みんな、ニヤニヤした顔して」
そのあたしに四方八方から飛んでくる嫌過ぎる視線。
「べっつにぃ。たださ、『特に予定も入ってない』だの『丁度暇してた』だの、さんざんあたしらの誘いを断っておいて言うセリフじゃないわよねぇとか思って」
「ま、彼氏の方が優先になるのは致し方ない気もするけどね」
「あーあ。所詮、友情よりは愛情かぁ」
容赦なく浴びせられる冷やかしに、あたしは反論も出来ずにその場に立ち尽くしてしまう。
顔全体が異様に熱い。さぞや濃い色に染まっていることだろう。
「まったく、さっきの綾香の表情ったらないわよねぇ。幸せそうに蕩けちゃってて見ている方が恥ずかしかったわ」
「彼氏の名前、浩之って言うんだ。どんな人なのかな?」
「あの時の彼じゃない? ほら、以前、街中で来栖川さんがKOしちゃった男の子がいたじゃない」
どうやら、あたしはかなり迂闊な行動をしてしまったらしい。
この手の話題が大好きな輩に格好の餌を与えてしまった気がする。
「え、えっと……その……。あ、あたし、そろそろ行くわね! それじゃ、また明日!」
居た堪れなくなり、あたしは逃げるように教室を後にした。
そんなあたしの背後から、「行ってらっしゃーい、愛しの浩之くんによろしくねぇ」「明日、報告よろしくぅ」「じっっっくり、聞かせてもらうわよぉ」等々の涙が出そうになるくらいにありがたいお言葉の数々が。
それらを耳にしながらあたしは思った。
明日、学校来るの怖ひ。
――でも、
満面の笑みを浮かべている事を強く自覚しながら、あたしはこうも思った。
たまにだったら、こういうのも悪くないかもね。
冷やかされるのを恥ずかしく感じながらも、同時にちょっとだけ嬉しさも覚えるあたしであった。
< おわり >
余談1
舞い上がっていた為、セリオに声を掛けるのを――そして、連れて行くのを――忘れた。
後で、思いっきり非難の視線を向けられた。
ちょっぴし怖かった。……反省。
余談2
次の日学校に来たら
「綾香も隅に置けないわねぇ」
「ううっ。来栖川先輩に彼氏がいるなんて……ショックですぅ、しくしく」
何故か全校生徒に浩之の存在が知れ渡っていた。
女子高生のネットワーク、恐るべし。
余談3
「最近さ、街を歩いてると、寺女の娘から妙に視線を浴びせられるんだよ」
「そ、そうなの?」
「ああ。それも、異様なまでに興味津々の、な。あれ、一体なんなんだろうな?」
不思議そうに首を傾げる浩之。
「……さ、さぁ? なんなんだろうね」
あたしに出来たのは、冷や汗かきながらすっとぼける事のみ。
ただただ、心の中で『ごめん』と手を合わせるあたしであった。
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