『ちょくげき!』




「うわぁ。これじゃ今日は帰れないかも」

「なに言ってるんだか。今日も、の間違いなんじゃないのか、あかり。お前、ここ数日、全く家に帰ってないじゃねぇか。まぁ、なんのかんのと引き留めちまってる俺にも原因があるんだけどな」

「え、えへへ」

 台風の直撃により、今日は朝から激しい雨が降っていた。
 浩之ちゃんの家から大して離れていないわたしの家に帰ることすら困難に思えるくらいの豪雨が。
 風も雨も、好き勝手に我が物顔で町を闊歩していた。

「しっかし、それにしても凄い雨だなぁ。ここまでくると雨っつーよりは滝だな、滝」

「ホントだねぇ。……はぁ」

 窓にバチバチと勢いよく当たる雨の音を耳にして、わたしは小さな小さな吐息を漏らす。
 台風は嫌い、と言うか苦手だった。
 尤も、台風が好きだなどと言う人は殆どいないだろうけど。

「見てみろよ、あかり。マジでバケツを引っ繰り返したみたいな雨だぞ。あそこの木なんか風に振り回されて倒れそうになってるし。こういうのを見るとさ、なんかワクワクしてくるよな」

 ……ぜ、前言撤回。
 台風を楽しめてしまう豪胆な人も結構いるみたい。
 そういえば、浩之ちゃんって昔から台風とか雷とか平気だったよね。
 だけど、わたしには無理。
 家の全方位から叩き付けられる雨。唸りを上げてぶつかってくる風。それらによってもたらされる微かな振動。ギシギシという嫌な軋み。それらを感じるたびに、わたしの胸に不安が過ぎる。なんとも言えない恐怖感に襲われる。心理的に圧迫されていく。
 この様な状況で暢気に笑っていられるほどわたしは強くない。ついつい深いため息を零してしまう。

「こら、あかり。なーにシケた面してんだよ」

「ふぇ? ひ、ひろゆひひゃん!?」

 不意に、浩之ちゃんがわたしの両のほっぺたを摘まんでムニッと引っ張ってきた。

「い、いひゃいよ。ひろゆひひゃーん」

「やかましい。俺の存在をサラッと無視して一人で憂鬱モードなんかに入っていたあかりが悪い。台風が苦手なのは分かるけどさ、せっかく俺がすぐそばにいるんだから、自分だけで不安を抱え込むような真似をするんじゃねぇよ」

 ムニムニと弄んでいた頬から指を離すと、浩之ちゃんはわたしの身体をそっと抱き締め、背中をポンポンと優しく叩いた。そうする事でわたしの中にある負の感情を追い払おうとするかのように何度も何度も。

「……浩之、ちゃん」

「俺には台風をどうこうするのは無理だけどさ、お前の不安を小さくしてやることくらいは出来ると思うんだ。だから、一人で、一人だけで怖さを抱いてるんじゃねぇよ。構わねぇから全部俺にぶつけちまえ」

「いいの? そんなこと言われたら、わたし、甘えちゃうよ。いいの?」

「ばーか。いいに決まってるじゃねぇか」

 言いながら、わたしの言葉を叱る様に、浩之ちゃんが後頭部にペシッと一発。

「どんどん甘えてくりゃいいんだよ。つまらない遠慮なんかするなって」

「……うん。ありがとう、浩之ちゃん」

 わたしは浩之ちゃんの背に腕を回し、ギュッと強く抱き締めた。と同時に、浩之ちゃんの胸板に顔を摺り寄せる。

「それじゃ……さっそくだけど甘えてもいい? 今日は、ずっと浩之ちゃんとこうしていたい。浩之ちゃんの体温を、胸の鼓動を感じていたい。そうすれば……なにがあっても怖くないから」

「おう、お安い御用だ」

「それと……もう一つ」

「もう一つ? 一つと言わずにいくらでもどうぞ、甘えん坊のお姫様」

 上目遣いで言ったわたしに、浩之ちゃんが笑みを浮かべつつ冗談めかして返してきた。

「あ、あのね。これからも、台風の度に……こうやって……抱き締めて欲しい。そばにいて欲しい。ずっと、ずっと、何年経っても、何十年経っても」

 予想の範囲外の科白だったのか、浩之ちゃんが少しばかりポカンとした顔になる。
 そして、微かに赤面。

「え、えっと……なんつーか……お、お前ってば、ときどきすっごく大胆なことを言うよな」

「え? 大胆? なにが? なんで?」

 今度はわたしがポカンとする番だった。
 そんなわたしを見て、浩之ちゃんはプッと吹き出した。

「なんだ、言ってる本人が分かってないのかよ。やっぱあかりは天然だよな。うん、それでこそあかりだ」

「天然?」

「さっきの言葉を思い返してみろよ。まるでプロポーズみたいだったぞ」

「え? え? え?」

 言われたとおり、わたしは脳裏で先程の科白を反芻してみた。
 何年経っても、何十年経っても。何年……何十年……何年……。

「っ!? あ、あうあう」

 い、言われてみれば、確かに。これはプロポーズと言われても仕方が無いかも。
 理解した途端、わたしは激しい羞恥に襲われた。
 目にするまでもなく、顔どころか全身が真っ赤に染まっているのがよく分かる。

「あ、あああ、あの、ひ、ひ、浩之ちゃん。あ、あれは……」

「オッケーだ」

「は、はい?」

「だから、オッケーだって言ってるんだよ」

 間の抜けたわたしの声に、浩之ちゃんは頬を指で掻きながら照れくさそうに答えた。

「約束する。これからも台風の度に……いや、台風なんかじゃなくてもずっとそばにいる。何年だろうと、何十年だろうと、な」

 これを言われた時、わたしはどんな顔をしていたのだろうか。
 驚愕? 歓喜? 呆然?
 わたしには分からなかった。分かるだけの余裕も無かった。
 気が付いた時には、わたしは浩之ちゃんの胸元に顔を沈め大粒の涙を流していた。

「ひ、浩之ちゃん……浩之ちゃん……」

 外は相変わらずの豪雨。
 雨と風で喧々囂々。
 でも、そんなの、既にわたしの耳には入っていなかった。意識に上ることすらなかった。

「浩之ちゃん……浩之ちゃーん」

 わたしは台風が苦手。雨の音や風の音が不安を抱かせるから。
 だけど、今日からは、ほんの少しだけ好きになれるかもしれない。

 ――そんな気がした。









< おわり >






(余談)

「と、ところで、あかり?」

「なに?」

「あ、あのな。少しだけ離れないか?」

「えーっ!? どうして!?」

「な、何と言うか……プニッとしたのが当たっててな。このままだと、り、理性が。だ、だから……」

「……いや。離れたくない」

「お、おい!」

「それに……わたし、別に構わないし……。浩之ちゃんとだったら、いつでも……」(ポッ

「……」

 何かが呆気なくプチッと。

「わははははははははは。理性がなんぼのもんじゃーーーい!
 君は海、僕は船。大航海へといざ行かん! さぁ、めくるめく官能の旅路の始まりじゃーっ!」

「やーん、だからって乱暴にしないでよぉ♪」


 この日、藤田邸の中は、外の台風よりも激しくパワフルだったとか。
 さもありなん。





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