『ぷるぷるぷるん』
風呂。それは命の洗濯とも言われ、心身ともに癒される、日本に生を受けた者の殆どが愛する憩いである。
もちろん藤田家の面々にとっても例外ではない。
此処、藤田低の風呂場でも、「ごくらくごくらく」と言わんばかりの心地よさをこれでもかと表現した吐息が其処彼処から漏れていた。気持ちよさ故の幸福感が溢れていた。
――そんな、本来ならば心のオアシスであるべき場に、
「はふぅ」
不意に吐き落とされた、周囲のものとは意味合いの異なる重い重いため息。
「あ、あの……マルチさん?」
その発生主は、呼び掛けの声にも構わずにとある一点にジッと視線を送り続け、
「はふぅ」
再度ため息。
「ひ、人の胸を凝視しながら盛大にため息を吐くのはやめてもらえませんか?」
居心地悪い顔をして、視線の的となっていたセリオが懇願してくる。
それを受けて顔を上げるマルチ。しかし、セリオの顔をチラッと見やっただけで、再び目をセリオの豊かなバストへと移した。
「同じ来栖川製ですのにどうしてこんなにも差が……。羨ましいですぅ」
指を咥えた物欲しい顔をしてマルチが零す。
「大きいですし、形も綺麗ですし。それに比べてわたしのは……」
自分の胸元に視線を送り――次の瞬間、滂沱。
「ううっ、わたしも大きいおっぱいが欲しいですぅ。一度でいいですから90くらいのサイズになってみたいですぅ。主任にお願いしたら大きくしてくれるでしょうか」
胸の前で手を組み、夢見る表情でマルチが口にする。
それを聞いて、セリオの脳裏に絵が浮かんだ。バスト90になったマルチが。他はコンパクトなのに、そこだけが大ボリュームになっているマルチが。
「……ぷっ」
違和感のありすぎる図に堪えきれず、セリオは思わず豪快に吹き出してしまう。
「ひ、ひどいです。なにも笑うことはないじゃないですかぁ!」
唇を尖らせてマルチが抗議。セリオには、背後に『ぷんぷん』という文字が浮かんでいるようにも見えた。
「うあ。す、すみません、マルチさん。あまりにもアンバランスなものを想像してしまったので……つ、つい……」
セリオ、平謝り。
尤も、火に油を注いでいる感も無きにしも非ずであったが。
「……まぁ、いいですけどね。どうせ、わたしにはこんな、指が埋まる程のきょにゅーは似合わないでしょうし」
頬を膨らませながら、マルチが人差し指でセリオの胸をムニュッと突っついた。
微かに表情に羨望と憧憬を入り混じらせつつ。
「ひゃっ!? な、なにを!?」
「うわぁ、やーらかいですねぇ」
セリオの驚きの声を聞き流して、マルチは尚も触りまくる。
「スベスベで張りがあって、なめらかでいてコクがあり、それでいてしつこくないこの手触り。まさに逸品です」
「マルチさん? 最近、なにか変なグルメ漫画でも読みましたか?」
珍妙な批評を受け、セリオの頬が微妙に引き攣る。
「ほんっとーに羨ましい限りでございます事この上なしだったりしちゃったりするザマスぅ」
「どこの方言ですか、それは!?」
すこぶる暴走気味のマルチに、セリオが堪らず声を大にして叫んだ。
しかし、マルチは全く意に介せずセリオへの『攻撃』を継続。もはやセリオの声など聞こえていない。全意識がセリオの胸に一点集中。
指でツンツンと突き、次に手の平で撫で、更には両手でムニムニと揉みしだいた。
「ま、マルチさん!? い、いい加減にやめてくださ……ふあっ……っ!?」
自分で自分の声に驚いたセリオ。ハッとした顔になると今更ながらに口を手で塞いだ。
図らずも甘い喘ぎを発してしまった事実にセリオの頬が羞恥に染まる。
「大きくて形が綺麗でしかも敏感、ですか。まさにパーフェクトです。セリオさんってば、本当に完璧な方なのですね。いいなぁ。わたしもこんなの欲しいですぅ」
感心した口調でセリオの事を心から誉めそやすマルチ。無論、手は動かし続けたままで。
「だ、だめですって……マルチ、さん……」
先の笑いの件が負い目になっている為、セリオは口以外での抵抗が出来ずにされるがまま。
結果、熱心に胸を弄くるマルチと真っ赤な顔で耐え忍ぶセリオという構図に。
風呂場に、妙に『妖しい』空気が充満しだす。
「こらこら、そこ!」
「変な雰囲気を作り出すんやない!」
矢先、そんなピンク色のムードを打ち消すようにツッコミが炸裂。
今までのマルチとセリオのやり取りを、呆れた顔で聞くとは無しに聞いていた綾香と智子が『そろそろ本気で危ない、いろんな意味で』と判断して止めに入ったのだ。
頬がほんのりと色付いているのは御愛嬌。
「ほら、正気に戻りなさい」
綾香が手の甲でコツンとマルチに衝撃を与える。
「はわっ!?
……あ、あれ? わたしはいったい何を?」
キョトンとした顔でマルチがキョロキョロと周りを見回した。
――が、すぐに自分がした行為を思い出したのか、全身を真っ赤に染め上げてしまう。
次いで、「ごめんなさいごめんなさい」とセリオに頭を下げた。
セリオに「気にしないで下さい」と言われても、それでもペコペコと頭を下げまくった。
――そして暫しの後、
「あのね、マルチ。あなた、なんかおっきなバストに憧れてるみたいだけど、別に大きくたっていい事なんか何もないわよ」
どうにか落ち着いたマルチの頭に手を置いて、綾香が苦笑を浮かべながら優しく諭す。その発言に智子が『うんうん』と力いっぱい同意していた。
「大きいと動きの邪魔になるし」
「肩こりの原因にもなるしな」
ポンポンと軽くマルチの頭を撫で叩きながらの綾香。肩をトントンと叩きながらの智子。
二人が腕を動かすたびに、立派な胸がぷるぷると揺れた。マルチのすぐそばで。
「……わたしは、マルチちゃんの胸、可愛くて好きです」
近くで湯に浸かっていた芹香が、マルチの方へと歩を進めながら会話に加わってきた。
一歩進む毎に豊かなバストがぷるんと弾む。マルチの眼前で。
「サイズが大きいと、プリティなブラもあまりナイしネ。ムネなんて小さい方がいいヨ」
言いつつ、同じく近くで湯を堪能していたレミィが大袈裟に肩を竦めてみせた。
その際、92センチの双山も一緒にぶるるんと豪快に振動。マルチの目と鼻の先で。
「は、はうぅ」
目の前で繰り広げられるぷるぷるぷるんぶるぶるるん。
何度も何度もぷるぷるぷるんぶるぶるるん。
フォローの数々を木っ端微塵に打ち砕くほどぷるぷるぷるんぶるぶるるん。
それはもう、しつこいくらいにぷるぷるぷるんぶるぶるるん。
「う、う、うわぁぁぁぁぁん。みなさん、イジワルさんですぅぅぅ!」
嫌って程に見せ付けられて、マルチ、滂沱及び脱兎。
「……えっ? マルチさん!?」
「なんや? 急にどうしたんやろ?」
「あたしたち、なにか悪いこと……した?」
「……不思議、です」
「マルチ、どうしちゃったんだろうネ?」
呆気に取られる残された面々。
ポカーンとした顔で、マルチの走り去っていった方向をいつまでも眺めていた。
「恵まれている人って、ときどき残酷だったりするよね」
「ええ。しかも無自覚に」
一同の騒動を少し離れた所から見聞きしていた、ピョンと跳ねた前髪が印象的な少女とショートカットの活発そうな少女が、滝のような涙を流しながらボソリと零した。
駆けていったマルチに心の底から同情しつつ。
そこからまた少し離れた片隅では、
「みなさん、贅沢です。巨乳もツルペタも、どちらも立派なチャームポイントなのに。文句を言うなんて間違ってます」
「一番割を食うのって、実は何気にわたしたちみたいなサイズだよね。これといった特徴が無くて微妙に中途半端だから」
イルカ好きの少女とくま好きの少女が顔を見合わせてため息混じりにグチグチと。
大きくても小さくても中ぐらいでも、それぞれ思うところがあるらしい。
乙女の悩みは尽きず、深い。
ちなみに、走り去ったマルチがその後どうしたかと言うと、
「は? マルチの胸? おう、大好きだぞ。とっても可愛くて反応が良くて絶品だからな」
「ぜ、絶品ですか? え、えへへ。嬉しいですぅ」
浩之に褒められて、アッサリと機嫌を全回復させていたりした。
己のコンプレックスよりも大好きな人の称賛。
――結局はそんなものだったりする。
< おわり >
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