『三文の得?』
日曜日の朝。昼頃まで寝ていても誰にも文句を言われない貴重な一時。
だというのに。
「なんでこんな時間に目が覚めちゃってるのよ」
枕から頭を上げてベッドの近くに置いてある時計を覗き込むと、あたしは思わずそうぼやいてしまった。
示されている時刻は午前6時。早朝もいいところだ。
「3時間くらいしか眠ってないじゃない」
言いつつ、あたしは再び頭を枕にポフッと沈めた。あたしだけの専用枕である羽村亮の腕に。
まだ起きるには早すぎる。従って、あたしは二度寝と洒落込むことに決定。
手足をマイ抱き枕――天然素材100%。素肌の感触――に絡ませて、あたし――こちらも同様――はそっと目を瞑った。
だが、
「うわ、ダメだわ、こりゃ。なんかすっかり目が冴えちゃってる」
30秒で挫折。もうすっかり覚醒状態。
「……大して寝てないし、あれだけ疲れたのに」
休日前夜ということもあり、昨夜の亮はいつも以上に遠慮や容赦がなく激しかった。具体的に何をしたかは言わないが。
ともかく、おかげであたしの身体はクタクタになり、本来なら昼過ぎまで眠っていてもおかしくない状態にされてしまった。にも関わらずこの早起き。
「たぶん、よっぽどグッスリと深く眠ったのね。それこそ泥みたいに。量より質、ってところかしら」
イマイチ釈然としないながらも、あたしはそう考え、一応納得した。
「ま、正確には『眠った』というよりも『半ば失神した』って感じでもあるんだけどね」
その原因を作った男の頬をツンツンと突付きながらあたしは苦笑する。
「……ん、ぅん」
何度も何度もほっぺたをつんつくしてると、不意に亮が声を漏らし頭を軽く振るような仕草をした。そして、ゆっくりゆっくりと目を開いていく。
――ありゃ? 起こしちゃったかしら。でも、亮がこんなので目を覚ますなんて。いつもは抓っても蹴っても起きないくせに。
そんなことを思いつつ、少々のイタズラ心の湧いたあたしは、特に深い意味はないがなんとなく眠ったフリ。無論、亮にギュッと抱き付いたままの格好で。
○ ○ ○
目を覚ました俺は、まずベッドの傍に置いてある時計へと目をやった。隣で気持ち良さそうに眠っている鏡花を起こしてしまわないように気を付けながら。
で、ビックリ。
「せっかくの日曜なのに、なんでこんな時間に起きちゃうかな、俺は」
普段では決してお目にかかれない時間表示。ちょっぴり感動するやら損をした気分になるやらで些か複雑な気持ちだ。
すぐさま『二度寝をしよう』という考えが当然のように浮かぶ。
しかし、
「ダメだな、なんか無理っぽい」
すぐに諦めた。最早完全に意識がハッキリとしていた。眠気も綺麗に消えている。
「大して寝てないし、昨日あんなに体力を使ったのにな。よっぽど深く眠った為に身体が満足しちゃったのかな?」
言って、体力を酷使する原因となった者へと視線を向ける。次いで苦笑い。
「しっかし、休みの日限定で早起きするとは、俺ってば小学生か? いつもは鏡花にどやされてもなかなか目が開かないのに」
ま、普段は滅多に目にすることが出来ないこいつの無防備な寝顔が見られただけでも早く目覚めた甲斐はあるかな。
俺の身体を抱き締めて眠る鏡花の髪に手を沿え、傷付けないように細心の注意を払いながら指で優しく梳く。
安心しきった穏やかな表情をしている鏡花。幸せそうに微笑みすら浮かべている鏡花。
俺が横に居る、ただそれだけのことに安らぎを感じてくれていたりするのだろうか。俺と同じ様に。
――なんて事を考えた瞬間、鏡花の笑みが濃くなった。俺に抱き付いてくる腕に更に力が篭った。まるで俺の問いに答えるかのように。肯定するように。
「お、おいおい。寝ていてまで心を感じ取るのかよ。しょうがないやつだな、お前は」
気恥ずかしさを隠す為に思わず軽口。しかし、湧き上がる嬉しさは隠せない。そして、込み上がる愛おしさも。
……ついでに、込み上がってくる物がもう一つあったりもしたが。
○ ○ ○
亮から伝わってくる心が気持ち良い。
いつまでも浸っていたい。そう思わせるだけの麻薬めいた心地よさ。
あたしを大事に思う心。あたしを愛する心。
ダイレクトに伝わってくる、あたしだけに向けられた甘美。
泣き出したくなるほどの幸福感。
そして、その中に落とされた一粒の情欲。……情欲?
「――って、こら! なんで急に『元気』になっちゃってるのよ! 雰囲気ぶち壊しでしょうが!」
「うわっ! お、お前、起きてたのか!? 狸寝入りかよ。ということは、さっきのやつ、本当に感じ取っていやがったな。寝たふりして盗み聞き!? わー、鏡花ってばいやらしーなー」
「う、うっさいわね! そんな細かいことはどうでもいいのよ」
亮の抗議を一刀両断で切り捨てる。
実はあまり細かくないかもしれないが、取り合えずは気にしないという事で。
「それよりも、問題はこれよ、これ! 良いムードが台無しじゃない。どうして急に盛り出すのよ!?」
「盛るって……人をケダモノみたいに」
「まんまケダモノでしょうが、あんたは」
「ひ、ひでぇな、おい」
あたしの容赦ない一言に亮がブツブツと文句を零す。でも、あたしは聞く耳持たず。だって、間違いなく事実なのだから。
「ここを唐突に大きくしておいてひどいもへったくれもないでしょうが。反論の余地なんて皆無じゃない」
「こ、これは……仕方ないじゃんか」
「なにが仕方ないのよ?」
ジトーッとした目を向けつつあたしが尋ねる。
「朝だしさ。それに……」
「それに?」
口ごもる亮に先を促す。冷たい視線付きで。
「世界で一番好きな娘に裸で抱き付かれていたら、どうしたって反応してしまうと思うぞ。押し付けられる胸の感触とかが絶品だし」
「……あ、そ。そういうことじゃ仕方ないかな。特別に今回だけは大目に見てあげるわ」
素っ気無く、これ以上はないというくらいに素っ気無く答えた。
内心では『世界で一番好きな娘』という一語に、柄にもなくドキッとして今更ながらにときめいちゃったりしていたが。
「そりゃどうも。ありがたくて涙が出てくるな」
対する亮も心得たもの。あたしの胸の内なんてすっかりお見通しの上で軽く返してきた。この辺、扱いやすいような扱いにくいような微妙なところである。
「ま、それはそれとして、だ」
亮があたしの身体を優しく抱き寄せながら話題を変えてきた。
「これからどうする? なんか随分と早く目が覚めちまったけど。夜の狭間の訓練までは暇なんだし、どっかに遊びにでも行くか? 今からだったら結構遠出も出来るぞ」
「うーん、そうねぇ」
亮にピッタリと密着しつつあたしは考えた。
遊園地で遊び倒すのも楽しそうだし、映画館を梯子するのも捨てがたい。お弁当を作って健康的にハイキングなんてのも乙なもの。水族館や動物園にまで足を伸ばすってのも有りだと思う。
だけど、
「今日は、このままがいいかな。一日中、ずーっとこのまま」
それらよりも、あたしにはその方が魅力的に感じた。
「このまま?」
「ええ。ベッドの上でくっ付いて、二人でダラダラとノンビリ過ごすの」
「ダラダラノンビリ? なんか鏡花らしくない提案だな」
亮が意外そうな顔を向けてくる。
確かにあたしは『休みの日には出歩く』派だから、そう思われても致し方ない。
「らしくない、かな?」
「ちょとだけな。でも……」
言うや否や、亮があたしの身体を自分の上に抱き乗せた。
「たまにはそんな休日もいいか」
「うん」
答え、あたしは亮の首筋に顔を埋めた。
彼の温もりが優しく心地よい。『ここ』があたしの居場所であることを強く実感する。思わず安堵の吐息が零れた。
「ところでさ、鏡花。こうやってくっ付いてると、やっぱり……その……また『元気』になっちゃうわけで……」
「却下。言ったでしょ、今日はノンビリ過ごすんだって」
亮の言いたい事を察して――心を感じて――機先を制す。
だって、亮がアレを始めたら絶対にノンビリなんて無理なんだから。体力から何から根こそぎ搾り出されちゃうから。
「だから、絶対にダメ」
「マジ? ひょっとして今日一日生殺しですか? オニオニアクマ」
「……向こう一週間禁止にしてもあたしは構わないのよ」
顔を上げ、戯けた事を宣う亮にあたしはボソッと言い放った。極上のスマイルと共に。
「すみません。私がわるぅございました」
「うむ。分かればよろしい」
ニッコリ笑ってそう言うと、亮の『トホホ』な心を面白く感じながら、あたしは再び顔を埋めた。
そして、なんのかんの言いつつもあたしに向け続けてくれる亮の穏やかな心に抱き締められながら――
あたしはそっと目を閉じた。
こんなにゆったりとした時間が過ごせるのなら早起きも悪くないわね。
胸の中でそう呟いて。
< おわり >
<余談1>
それからほんの30分後。
「りょ、亮……だ、ダメだって言ったの、にぃ……ふぁ、ああぁっ」
ベッドの上で、結局は鳴かされてしまってたりするのはここだけの秘密。
――ま、これはこれでいっか。
そんなことを思ってしまう、すっかり亮の色に染められてしまったあたしであった。
<余談2>
「ううっ。足腰がガクガクしてる」
その日の夜、既に体力がすっからかんになっていたあたしは狭間で散々な目に遭った。
敵には攻撃されまくるわ罠には引っ掛かりまくるわ。
「大丈夫か、鏡花。しょうがないなぁ。ほら、おぶってやるよ」
「……ん、ありがと。――って、なんであんたはピンピンしてるのよ!? あれだけしといて! 信じられない!」
「お前こそどうしてグッタリなんだよ。狭間での訓練があるってわかってるんだから、その分の体力ぐらい残しておけよな」
「正論っぽいけどあんたが言うなぁ! あたしが何度も『やめて』とか『もう許して』って言ったのに問答無用だったのはどこのどいつよ!?」
「そ、それは……。まあ、その、なんだ。可愛さあまって元気百倍? 若さゆえの暴走? ブレーキの壊れたスタン・ハンセン? えっと、つまりはそういうことだ」
「わけわかんないわよぉ! このバカおとこぉ!」
「わっ! こ、こらやめろ! 暴れるな! 殴るな! 締めるな! チロをけし掛けるなぁっ!」
今度からは早起きしても絶対に意地でも二度寝してやる。
本気でマジで強く強く思った夜だった。
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