『しょっぴん』



「しょっぴんしょっぴん、おっかいっものぉ♪」

 即興の歌を口ずさみながら、皮籐製の買い物籠を手に、足取り軽く商店街へ。
 今晩のおかずの材料を買うのですぅ。

「こんにちはぁ。くださいなぁ」

 まず立ち寄ったのはお肉屋さん。

「おう。いらっしゃい、マルチちゃん。今日は何を買っていってくれるんだい?」

 店主のおじさんが笑顔で迎えてくれました。

「えっとですね……これをお願いします」

 ポケットからメモ用紙を取り出して、「はい」とおじさんに渡します。
 あかりさんが書いてくれた『お買い物メモ』。これさえあれば鬼に金棒、ドジでノロマな亀さんのわたしでも間違えずにお買い物が出来るという優れものなのですぅ。
 ――我ながら凄く情けない事を言ってるような感じが無きにしも非ずだったりしますが……それはまあ、気の所為と云うことで。

「どれどれ。えー、なになに? 挽き肉が豚と牛で……割合が……。なるほどね。こりゃ、今日の晩御飯はハンバーグなのかな?」

「はい、そうなんですぅ」

 おじさんの推測を、わたしは満面の笑みで肯定しました。

「へぇ、いいねぇ。あかりちゃんたちの作るハンバーグか。さぞや美味しいんだろうねぇ」

 あかりさんやセリオさんの料理上手は、この商店街では既に周知の事実。
 お肉を秤に掛けながら、おじさんが羨ましそうに言いました。

「それはもう。とってもとっても美味しいですよぉ」

 アツアツでホクホクで。『ほっぺたが落ちそうになる』という表現があるそうですが、まさにそんな感じになります。
 浩之さん曰く「世界で一番」とのこと。わたしも同感です。
 お店で食べるハンバーグも美味しいとは思いますけど、わたしにとっては、あかりさんやセリオさん、琴音さんに葵さんが作るハンバーグが一番ですね。
 思い出すだけで、もう……。

「マルチちゃん、マルチちゃん。よだれが垂れてるよ」

「へっ? は、はわっ!?」

 おじさんの声に我に返り、慌てて口元を拭います。
 いけません。味を反芻してついついトリップしてしまいました。
 は、はずかしひ。

「まあ、いいんだけどね」

 苦笑しつつ、おじさんが「はい、お待たせ」とお肉を差し出してきました。

「ど、どうもですぅ」

 綺麗に包まれたそれを、わたしはペコッと頭を下げて受け取ります。少々ばつの悪い顔をして。
 そんなわたしに、おじさんは更にもう一つ。

「それから、これはおまけ。いつも買っていってくれるからね。サービスだよ」

「おまけ、ですか? わぁ、ありがとうございますぅ」

 笑みを浮かべ、礼を言いつつ手を伸ばすわたし。
 しかし、次のおじさんの言葉でちょっぴり硬直。

「浩之くんに食べさせてやんな。レバーだ。精が付くよ」

「せ、精が、付く?」

 顔が引き攣ったのが自分でもよく分かりました。
 そのわたしを見ておじさんの表情が怪訝なものに。

「ん? どうかしたかい?」

「い、いえ。な、なんでもないですぅ、なんでも」

 わたしは「あはは」と笑って誤魔化すと、財布を取り出して代金を支払いました。
 そして、再度お礼を言いつつ、逃げるように店を後に。
 おじさんはずっと不思議そうな物問いたげな顔をしていましたけど……言えません、言えるわけがありません。『浩之さんに精を付ける必要なんてないんですよ。それでなくても溢れかえっているくらいなんですから』だなんて。
 いつも以上にパワフルな浩之さん。それを想像して、思わず赤面したり青くなったりを繰り返してしまうわたしなのでした。琴音さん張りに『やんやん』しながら。
 やんやんやん。

「……って、いつまでも悶えていてはいけませんね」

 周囲の奇異の目も『痛い』ですし。

「コホン」

 取り繕うように咳払いを一つ。
 ――で、では、気を取り直しまして。

「こんにちはぁ。くっださっいなぁ」

 メモを片手に次のお店にいざ行かん、です。

「おう、いらっしゃい、マルチちゃん」

「あら、いらっしゃい」

 やって来たのは八百屋さん。お肉屋さんと同様に、店番をしていたおじさんとおばさんが笑顔で迎えてくれました。

「今日は何がいるんだい?」

「えっと……マッシュルームをお願いします。ハンバーグに掛けるソースに入れるんです」

 おしさんの問いに、わたしは例のメモを手渡して答えました。

「マッシュルームかい? あいよ。極上品を見繕ってやるからちょっと待ってな」

 メモに書かれた必要個数を確認しながらそう言うと、おじさんは言葉通りに綺麗な物だけを選んで袋に詰めていきました。

「あ、あの、そこまでしていただかなくても。少しくらい傷ついていても別に……」

「マルチちゃんとこは大事な常連さんだからね。ま、サービスだとでも思っておいてよ」

 遠慮がちに申し出るわたしに、おばさんが「いいからいいから」と笑いかけてきました。ついでに「あのスケベオヤジは可愛い娘に甘いから」とも。

「あ、そうそう。申し訳ないんだけど、帰ったらセリオちゃんに伝言をお願いできるかしら? この間教えてくれた料理、すっごく美味しかった。ありがとう。もしよかったらまた何か教えてね、って」

 セリオさん、御近所の方々にときどき料理をお教えしているのです。
 和洋中、様々なバリエーションのレシピは大変に評判がよく、このようなことは度々お願いされます。
 伝言を聞いたセリオさんは、いつもそれはそれは嬉しそうな顔になるのです。見ているわたしまでもが幸せになってしまうくらいに。

「分かりました。必ず伝えておきますね」

 今日もまたあの笑顔が見られるかと思うと、今から楽しみになってきます。
 と同時に、セリオさんが多くの方々に――一部では『先生』とか『師匠』と言われる程に――頼られ慕われている事に、家族として姉妹として誇らしさすら覚えました。

「ええ。よろしくね、マルチちゃん」

「はいっ」

 わたしは満面の笑みで請け負いました。帰宅後に待ち受けているであろう、優しく温かな時間に思いを馳せて。
 そして、その後、おばさんとちょっとした世間話。こういうのも商店街の、スーパーやデパートには無い醍醐味ですね。
 ――で、そんなこんなとお喋りしていると、おじさんがマッシュルームの入った袋を持って「お待たせ」とやって来ました。
 訂正。マッシュルームと『何か』の入った袋を持って。

「? なんですか、それ?」

「ああ、こいつは韮だよ。オマケだ。持って帰って浩之くんにでも食わせてやってくれや。スタミナが付くぞ」

 ……またですか? またそういう路線ですか? しかも、お肉屋さんがレバーで八百屋さんが韮ですか? もしかして、裏で話が通じていたりしませんか?
 どうも、商店街の人たちは『たくさんの女の子の相手をしなければいけない浩之くんは大変だねぇ』という認識をなさっているみたいです。
 逆です。逆なんです。『大変』なのは女の子の方なんですよぉ。
 浩之さんと云えば、体力のあるレミィさんや葵さん、綾香さんですら『ギブアップ』させてしまう猛者です。
 そんな剛の者が更にスタミナを付けたりしたら、それはもう凄い事に。
 何と言いますか、今日の『夜の人』に合掌したい気分です。
 ――って、あれ? ちょっと待って下さい。今日の夜の人って、ひょっとして……いえ、ひょっとしなくても……わ、わたしじゃないですか!
 衝撃の事実です。危険がでんじゃーです。このままでは『とんでもない目』に遭わされてしまうこと必至です。きっと、あんな事やこんな事をされてしまうに違いありません。非常にやばやばです。
 でもでも、それもちょっと良いかも、なんて思っちゃったりして。
 乙女のハートがドキドキでロマンティックが止まらない気分ですぅ。

「あらら。マルチちゃんってば赤い顔しちゃって。早くも心は『夜』に飛んじゃってるのかしら?」

「……へ? は、はわわっ!?」

 おばさんにからかい口調で言われ、半ばトリップしていたわたしはハッと我に返りました。

「い、いえ、べ、別に、その、あの、あうぅ」

 狼狽して言葉にならない言葉を紡ぐわたし。
 その様を見て面白そうに一頻り笑った後、おばさんはわたしの耳元で容赦なく追い討ちの囁き。

「浩之くんに精を付けてもらって、今晩はたっぷりと可愛がってもらいなさいな」

 わたしの顔が一気に真っ赤に染まったのが自分でもよく分かりました。ボンッと音を立てて。

「う、お、あ……え、えと……ま、ま、ま、まっしゅるーむありがとうございましたぁ。で、では、また来ますですぅ」

 最早、おばさんの顔もおじさんの顔も正視できない状態。
 わたしは俯きつつ、何とか声を絞り出してそれだけを言うと、手早く代金と商品の交換を済ませ、そそくさと店を後にしました。正式名称は『逃げた』です。
 背中に届けられる、笑い混じりの「まいどありぃ」の声にすらも羞恥心を刺激されて……ちょっぴり痛ひ。


 八百屋さんから離れること数十メートル。
 わたしは歩みを止めると、小さな吐息を「ふぅ」と一つ。

「あうぅ、恥ずかしかったですよぉ」

 手でパタパタと扇ぎ、火照った頬を冷やします。
 顔の色が引くのに比例して、気持ちの方も徐々に正常に。
 そうして、なんとか落ち着きを取り戻すと、もう一度「ふぅ」と吐息。

「たった二件の割にはなんだか異様に疲れた気もしますけど、とにもかくにもメモに書かれたお買い物はこれで終了ですね」

 ミッション・コンプリート。あとはもう帰るだけです。
 そう思い、改めて歩き始めたわたしの視界に、小さなドラッグストアが入ってきました。もっと正確に言うならば、店に積まれているティッシュペーパーの箱が。

「そういえば、部屋のティッシュの残りが少なくなっていましたね。ついでです。買っていきましょう」

 べ、別に『今晩に備えて』とかそういうのじゃないですよ。 
 確かに、たくさん使ったりもしますけど。特に、ふきふ……。
 ――コホン。
 部屋のティッシュが少なくなっているから補充するだけです。それ以上の意味なんて無いんです。ええ、ありませんとも。
 なにやら必死に言い聞かせているような感じですが、それは今日二回目の気の所為ということで。

「こんにちはぁ」

「あら、マルチちゃんじゃない。いらっしゃい」

 お店に入ったわたしを笑顔で歓迎してくれる店主のおばさん。

「えっとですね、ティッ……」

「いいのよ、皆まで言わなくても。ちゃーんと分かってるわ。これでしょ」

 わたしの言葉を遮っておばさんが言いました。
 そして、カウンターの上にポンと一箱。ゴム製品の。

「ち、違いますぅ。それじゃありません」

「おや? 違った? もしかして、これじゃなくてこっちの方が良かった? 極薄タイプのやつ」

「そうじゃなくて! そうじゃなくてぇ!」

 首をブンブンと振って否定します。

「それを買いに来たんじゃないんですぅ。そもそも、わたしには必要ない物ですし」

「ああ、そういやそうだったわね」

 合点がいったという具合にポンと手を打つおばさん。

「そんじゃ、何が欲しいのかしら?」

 ゴム製品を片付けながらおばさんが尋ねてきました。

「ティッシュペーパーです。一箱ください」

「了解。ティッシュね。でも、いいの?」

「なにがですか?」

 おばさんの疑問に、わたしは怪訝な顔で問い返しました。

「一箱で足りる?」

「へ?」

「なにかのプレイに使うんじゃないの? もしくは、一戦が終わった後でふきふきしたりとか」

「な、な、な、なにを言ってるんですかぁ! そ、そ、そ、そんなことあるわけないじゃないですかぁ」

 ……あう。どもりまくりです。しかも、頬をほんのりと染めて。
 これでは肯定しているようなものじゃないですか。思い切りバレバレです。
 大声で『いかがわしい事に使います』と暴露しているのと同じです。
 既に、店に入る前の『建前』など遥か彼方に飛び去ってしまっています。

「五箱くらい買っていったら? 明日、また買いに来ることになるかもよ?」

「だ、大丈夫でしゅ。ごしんぴゃいなく。ひとひゃこで足りましゅ」

 あうあう。動揺のあまり、口が上手く動いていません。

「そう? ま、いいけどね。それじゃ……んしょ……よっと……お待たせ」

 レジ裏の在庫置き場からティッシュを一箱取ってくると、おばさんが「はい」と差し出してきました。

「あ、ありがとうございまひゅ。で、では……」

 お金を払い、八百屋さんの時と同様にそそくさと立ち去ろうとしたわたし。

「あっ。ちょっと待って」

 そのわたしにおばさんがストップを掛けました。

「は、はい。なんです?」

「サービスよ。持って行きなさい」


 帰り道。
 思わず立ち止まり「ハァ」とため息。
 あの後、おばさんが取り出してきたのは栄養ドリンク。
 ……またまたですか? またまたこのパターンですか?
 おばさんは妙に楽しそうな顔で「これは効くわよぉ。浩之くん、一晩中元気になっちゃうこと疑いなし」とか仰ってましたけど……。一晩中って、それはわたしに死ねと、壊れろということですか?
 レバーと韮を食べて、更に栄養ドリンクまで飲んでハイパー化した浩之さんを想像して、心の中でダーッと滝の様な涙を流してしまうわたしなのでした。

 ――とか何とか言ってる割に、「怖いですけど、でも浩之さんでしたら」とか「明日の朝はきっと立てませんから、学校へ行くときは浩之さんにおんぶしてもらうというのも良いですねぇ♪」てな感じで、何気に楽しみにしてたりするのは、誰も知らない知られちゃいけないわたしだけの内緒の内緒。


 余談ですが。
 その日の晩御飯、浩之さんは実に怪訝な顔をしていました。

「ハンバーグにレバニラ、ついでに蝮の柄の栄養ドリンク。なんなんだ、この不可思議な組み合わせは?」

 無理もないです。
 尤も、それでもしっかり完食してましたが。
 浩之さん曰く「味は絶品だから文句は無いけどな」とのことですので、それも当然でしょう。
 まあ、仮に美味しくなかったとしても、浩之さんは絶対に残したりはしないですけどね。あかりさんたちの手料理なのですから。
 ――ちなみに、絶品なのは味だけではなかったみたいです。
 はい。実によく効いたようです。
 浩之さん、料理に続いてわたしもぺロリと。しかも何度も何度も何度も何度もおかわり。
 効果の程、身をもって思い知らされました。
 ハイパー浩之さん、凄かったです。本当に凄かったです。おじさんやおばさんたちに抗議したくなるくらいに凄かったです。
 だけど……ほんのちょっぴりだけ「お礼を言ってもいいかな?」と、そんな事も思ったりしたわたしでした。野獣な浩之さんもやっぱり素敵だということを改めて認識させてくれましたから、ね。

 予めお断りしておきますが、『結局のところ、浩之だったらマイルドでもワイルドでもどっちでもいいんだろ』などという野暮なツッコミは却下ということで。
 そんなの『当たり前』ですから。ねぇ?


 ついでに、もう一つ余談。
 次の日のドラッグストアにて。

「あ、あ、あの……ティッシュペーパー……五箱、く、ください」

 おばさん、予想的中。大当たり。

 ……は、はずかしひ。









< おわり >


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