『バレバレ』



 駅前にあるデパートの食品売り場。
 その一角に設けられたバレンタインの特設コーナー。
 チョコレートの甘い香りと、多くの女性の弾んだ声。『お祭』特有の高揚感。
 それらが一体となって華やかな空気を醸し出しているその場所で、吉井はプラスチック製の買い物籠を手にして楽しげな笑みを浮かべつつ、

「これはちょっと包装が子供っぽすぎるかなぁ? けど、こっちのは少し地味だし」

 それでいて真剣にチョコを眺めていた。
 そんな彼女に、気配を消してソロソロと背後から忍び寄る影有り。

「よ・し・い・さん♪ お買い物ですか?」

「っ!?」

 不意に掛けられた声に、吉井は肩をビクッと震わせた。そして、驚愕の表情を顔に貼り付けたまま、勢いよく後ろを振り返る。
 すると、そこには『してやったり』と言わんばかりの悪戯っぽい笑みを湛えた琴音の姿があった。

「ひ、姫川さん!? も、もう、ビックリさせないでよ。心臓が止まるかと思ったわ」

「いけないいけない、驚かせちゃいました」

「……それ、キャラが違うって」

 クスクスと邪気の無い笑顔の琴音に、吉井は手で胸を押さえながらツッコミを入れる。
 そして、未だ激しく高鳴っている鼓動を鎮める為に一つ大きく息を吐いた。
 頭の中だけで『まあ、琴音ちゃんも充分すぎる程に電波な人だけどね。それこそ瑠璃子さんに匹敵するくらいに』などと思いながら。

「吉井さん? もしかして、すっごく失礼な事を考えてません?」

「気の所為」

 半眼となった琴音の問いに、吉井は間髪いれずにスパッと答える。

「それはさておき、姫川さんは此処には何をしに? 姫川さんもバレンタインの……って、訊くまでもないか」

 質問を中断して吉井が苦笑を浮かべた。
 このコーナーに立ち寄る理由など一つしか考えられないことに加え、琴音が手にしている買い物籠には大量のチョコレート。尋ねるまでもなく一目瞭然である。

「はい。お察しの通り、チョコを買いに来たんです。『姫川さんも』と言うからには当然吉井さんもそうですよね? 垣本さんのですか?」

「……どうしてそこで真っ先に垣本くんの名前が出てくるかな?」

 微かに眉を寄せて吉井が不服そうに零した。

「え? だって、吉井さんと垣本さんってお付き合いしてるんですよね?」

「してないってば」

 吉井がため息混じりに返す。

「えー? そうなんですかぁ? わたしには、吉井さんと垣本さんってラブラブに見えますけど?」

「……違うわよ。ラブラブなんかじゃないわ」

 微かに頬を色付かせつつも、吉井は琴音の言葉をキッパリと否定した。
 次いで、これでこの話題は終わり、と言わんばかりに「コホン」と小さく咳払い。

「それはそうと、姫川さんってば随分と沢山のチョコレートを買うのね。そんなに渡すの?」

 琴音が手にしている買い物籠に視線を向けて、少々驚きの篭った声で尋ねた。目の前の少女から向けられる、露骨なまでの「吉井さん、強引に話を逸らしましたね」という視線をキッパリと無視して。
 それに対し「ま、いいですけど」と、そう前置きしてから琴音が返す。

「えっとですね。これが来栖川のお爺ちゃん用。こっちがセバスチャンさん用に、各ご家庭のお父様用。後は、長瀬主任と研究所の皆さんへの物とクラスの男子へのばら撒き用。そして、佐藤さんと矢島さんの分に垣本さんの分です。いいですよね? 垣本さんにお渡しして」

「どうしてわたしに許可を求めるの? 別に好きにすればいいんじゃない? 姫川さんみたいな可愛い娘にチョコを貰えたら、きっと垣本くんも大喜びするわよ」

 至極平坦な声で吉井が返答した。極々自然に。
 ――その割には、口元が若干引き攣っていたりもしたが。

「ところでさ、その籠の中だけど、肝心の人の分が入ってないんじゃないの? 藤田くんのは? もしかして、あげないとか?」

「まさか」

 吉井の問いを、琴音は手をパタパタと左右に振って否定した。

「浩之さんにはですね……えっと……あっ、ありました。これこれ、これですよ」

 特設コーナーの片隅に陳列されていたチョコ。
 簡素な味も素っ気もない包装の為された、ダイヤの原石とも言うべきチョコ。
 それを一つ手にすると、琴音は大事そうに籠の中に入れる。

「なるほど。手作りするのね」

 合点が行ったという表情をして、吉井がポンと手を打った。
 琴音が手にしたのは『割チョコ』。手作りをする際の必需品である。

「これを使って、愛情たっぷりのチョコを作るんです。そしてそして、浩之さんのハートをガシッと鷲掴み。わたしのチョコを一番美味しいと言わせてみせます。言わぬなら言わせてみせよう藤田浩之なのです!」

「一番? なんか、なにを今更って感じ。別に何番でもいいじゃない。というか、藤田くんならどうせ『みんな一番』でしょ」

 拳を握って力説する琴音に、吉井が冷静にツッコミを入れた。

「そうなるのは、分かってはいるんですけどね」

 ちょっぴり苦笑する琴音。

「でも、それぐらいの意気込みで臨んだ方が面白いじゃないですか。現に、他の人たちもわたしと似たような事を考えてるみたいですからね。あかりさんやセリオさんはチョコの試作に余念がありませんし、理緒さんや芹香さんたちは何か手作りのプレゼントを添える手で来るみたいですし。皆さん、結構マジモードになってますよ。まあ、年に数日くらい、ライバル関係になるのもいいかなと思います」

 言って、琴音は楽しそうに微笑んだ。

「かもね」

 理解を示して吉井が頷く。琴音と同じく柔らかな笑みを浮かべて。

「けど、大変そうだね。神岸さんや保科さんたちを相手にするんでしょ? 勝ち目、ある?」

「ふふふ、もちろんです。その為の割チョコですよ」

 自信有りげに言い切ると、琴音は籠の中のチョコにそっと手を添えた。

「でも、神岸さんやセリオちゃんも手作りなんじゃないの? この人たちに料理で対抗するのは些か分が悪くない?」

「大丈夫です。わたしには必殺技がありますから」

「必殺技?」

 おうむ返しに吉井が尋ねる。

「はい。名付けて『感触がどっきどき♪ 嬉し恥ずかしトキメキ指ちゅぱチョコ』です」

「……はい? な、なにそれ?」

 思わず聞き返す吉井。

「まずはですね、湯煎をしてチョコレートを程よく溶かします。そうしたら、それを指に絡めて愛する人のお口に運ぶんです。舌の感触とチョコの甘さが絶妙なハーモニーを奏でるラブラブスイートでデリシャスな逸品ですよ。

『琴音ちゃんの指、とっても美味しいよ』
『あっ。ダメです。そんなにペロペロと舐めしゃぶらないで下さい』
『無理だよ。だって、こんなに甘いんだから』
『で、でも……優しく舐められ続けたら……わ、わたし、力が抜けちゃいます』

 なーんて、こんな感じで、ピンク色の空気になること請け合いです。間違いなしです」

「は、はあ」

「それでですね、それでですね」

 テンションに押されて困惑気味の吉井を後目に、琴音が更に話を続ける。

「最初は指だけなんですけど、段々エスカレートしていくんですよ。指から頬に、頬から唇に。優しく激しくペロペロされてしまうんです。
 そして、終いには……

『じゃあ、次は此処だね』
『ダメです。そ、そこはダメ』
『どうして? 此処は「早くして」って訴えてるよ』
『う、ウソです、そんなの』
『ウソなんかじゃないさ。ほら、こんなに硬くなってるじゃないか。ホントは待ち望んでいるんだろ?』
『そ、そんなこと……ふぁっ! ダメぇ! つ、摘まんじゃダメよ、か、垣本くん!』
『ふふふ。可愛いよ、吉井さん』

 てな感じで大人な世界に突入しちゃったりするんですね!? しちゃうんですね!?
 きゃーっ、もう、吉井さんったらエッチですぅ♪」

「……って、わたしかい! なんで途中で脳内キャスティングが変更されてるのよ!?」

「んー、まあ、演出の関係上必然的に。そこは、ほら、大人の都合というやつですよ。なにはともあれ、指ちゅぱチョコは至高だということです。吉井さんも是非お試しあれ」

 明るい笑顔で琴音が宣う。
 それを聞くと吉井は、痛むこめかみを揉み解しつつ、盛大にため息を一つ吐き落とした。

「なにがどう必然なんだか。あのねぇ、わたしと垣本くんはそんなんじゃないの。そもそも、わたしは義理チョコしか渡さないんだから、試すも何も、どこをどう間違ってもそんなアダルトな展開はありえないわ」

「え? オール義理チョコなんですか?」

 琴音が意外そうな声で問う。
 僅かに目にからかいの色を添えて。

「そうよ」

「本当に?」

「本当に」

「垣本さん、ガッカリしちゃいますよ? 愛しの彼女に本命チョコを貰えないなんて。ああ、なんて可哀想な垣本さん」

 芝居がかった口調で言うと、琴音は涙を拭うフリをした。わざとらしく「くすん」と鼻を啜る音まで付けて。

「……ねえ、姫川さん」

 刹那、静かな響きが琴音の耳に届く。

「はい。なんで、す、か?」

 声の主へと視線を送った途端、琴音は顔をピキッと引き攣らせた。

「いつまでも変な捏造をしてると……」

 言葉を途中で切り、吉井はニッコリと微笑む。穏やかに、柔らかく。
 ――背筋を凍らせる程に温かく。

「あ、あの……え、えっと……」

 流石にからかいすぎましたか。
 琴音の頬に冷たい汗が一筋流れ落ちた。

「あう。……そ、その……い、いつまでも立ち話してても何ですし……わたし、そろそろ帰りますね。そ、それじゃ!」

 早口でそれだけ搾り出すと、琴音はその場からそそくさと離脱する。
 ごめんなさい、と一言残して脱兎のスピードで。

「まったくもう。……しょーがねーなぁ、だね」

 琴音の想い人の口癖を真似ると、吉井は「やれやれ」と言わんばかりに軽く肩を竦めて苦笑を浮かべた。

「それにしても、わたしと垣本くんってやっぱりそう見られてるんだね。岡田たちも事ある毎にそんなことを口にするし。……誤解、なのにな。ま、まあ、正直言うと、悪い気はしないんだけど、さ」

 小声でポツリと漏らす。思わず零れ出た本音。
 ――が、次の瞬間、吉井は激しく頭を振った。己の言葉を否定するように。

「違うんだから。わたしと彼は、まだそんなのじゃないんだから。……い、いやいや。『まだ』とか、そういう問題じゃなくて! 違うの。違うのよ」

 自分で自分の発言に動揺して顔を真っ赤に染める吉井。
 一人で頭を振ってみたり恥ずかしがってみたり。挙動不審も甚だしい。
 四方八方から奇異の目が降りかかってくる。

「……ハァ。なにやってるのよ、わたし。ばかみたい」

 全身に痛いくらいに突き刺さるそれらを意識することで、吉井は冷静さを取り戻した。自分自身に呆れ、ついつい豪快な嘆息を放ってしまう。

「さっさと買い物を済ませてわたしも帰ろ」

 疲れたように言うと、吉井はチョコを買い物籠の中に放り込み始めた。

「これは藤田くんの分。これは佐藤くんの分。こっちは矢島くんの分で、こっちはお父さんの分。そして……垣本くんの分」

 垣本の分、と口に出すと同時に掴んだチョコレート。綺麗な包装の為された既製品のチョコレート。
 それを籠の中に入れようとして、暫し逡巡。
 悩んだ挙句、吉井は手にしていたチョコを棚に戻す。
 代わりに別のチョコを取り、そちらを無造作に買い物籠に放り投げた。

「ぎ、義理だからね。深い意味はないわ。う、うん。義理よ、義理。べ、別に指ちゅぱとか、そんなことはしないからね」

 頬を染めながら言い訳じみたことを口にすると、吉井は逃げるように特設コーナーから立ち去っていく。

 義理か、はたまた本命か。
 乙女の複雑な胸の内。
 その本心は、籠の中に投げ入れられた割チョコだけが知っている、のかもしれない。









< おわり >


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