秋子さんが仕事で帰れず、あゆは美坂家、真琴は天野家にそれぞれお泊り。
 家には俺と名雪の二人だけ。
 そんな、いつもとは少しだけ違う夜の事。



『お風呂で……』



「名雪ぃ。風呂のお湯、溜まったぞ」

 台所に入ると、俺は夕食を後片付けをしている名雪にそう告げた。

「風呂、入っちまえよ。美味い夕飯を作った褒美だ。一番風呂の栄誉を許してやるぜよ。ありがたく思いたまえ」

「なんか、祐一、すっごく偉そうだよ」

 苦しゅうないとでも言わんばかりの俺の不遜な態度に、名雪が軽く肩を竦めて苦笑しながら応える。

「気にするな。そういうお年頃なんだよ」

「……そっか。じゃ、仕方ないね」

 笑みを浮かべつつ、名雪は素直に俺の言葉を受け止めた。

「いや、納得されても困るが」

「ふーん。なら、納得するのやめる」

「随分と軽いな、おい」

「な゛ら゛、な゛っどぐずる゛の゛や゛め゛る゛」

「重々しく言おうとすればいいってもんじゃない。つーか、それはただ声が荒れてるだけだし」

「そう?」

 小首を傾げて名雪が問う。

「そうだよ」

「そっか。奥が深いね」

「深くない深くない」

 パタパタと手を振って否定した。

「そう?」

「そうだよ」

「そっか。奥が深いね」

「深くない深くない」

 パタパタと手を振って否定した、その2。

「そう?」

「そうだよ。ちなみに、先に言っておくが奥は深くないからな」

「……残念」

 俺に先んじられ、言葉通りの表情をして名雪が呟く。名雪としてはもう少しループさせたかったのだろうか。うむ、奥が深いな。

「で、強引に話を戻すが風呂だ。名雪、先に入っちまえよ」

「わたし? わたしは後でいいよ。祐一が先に入っちゃってよ」

「ん? ひょっとして、まだやる事沢山あるのか? もし、洗い物とかが残ってるんだったら俺がやっておくぞ。だから、風呂入っちゃえって」

「ありがと。でも、わたし、多分長湯しちゃうと思うから、祐一の後でいいよ」

 嬉しげに微笑みつつも、名雪はやんわりと断った。

「長湯ったって、別に二時間も三時間も入るワケじゃないだろ? いつもだって精々一時間じゃん。それくらいなら待ってても全然構わないんだが」

「けど……」

 俺の言葉に、名雪は困った顔をするだけで首を縦に振らない。
 その様を見て、俺はなんとなく思った。
 おそらく、今の名雪は『保護者モード』にでもなっているのだろう、と。
 先程、秋子さんから『今日は帰れないかも』という旨の電話があったのだが、その時に『祐一さんの事、お願いね』とでも頼まれたのではなかろうか。
 名雪のらしからぬ遠慮も、そう考えれば納得出来る。名雪の脳内で『お母さんに頼まれた=わたしが祐一の面倒を見る=祐一優先=自分は後』の式が成り立っているだろう事は容易に想像できたし。
 なら、ここは名雪の顔を立ててやるのが吉か。

「分かった分かった。それじゃ、俺が先に一風呂浴びさせてもらうわ」

「うん」

 俺がそう言うと、名雪はどことなくホッとした顔で頷いた。
 その安堵の表情を見て、ちょっとした悪戯心が湧き上がってしまったのは、漢として致し方ない事だと思うがどうであろうか。

「名雪、お前もすぐに来いよ。待ってるからな」

 歯をキラリと輝かせて、グッと親指を立てたサインを名雪へと送る。

「え? あ……うん、分かったよ」

 僅かな逡巡の後、妙に嬉しそうな満面の笑顔を浮かべてコクンと首肯する名雪。
 俺はそれを満足気に眺めると、足取り軽く風呂場へと……

 いやいや、違うだろ。そうじゃないだろ。
 俺の期待したリアクションはそういうのじゃないだろ。
『祐一、えっちだよー』とか『なに言ってるんだよー』とか、普通はそんな答えが返ってくるものじゃないのか?
 なのに、なんで至極アッサリと頷いてますか、名雪さんは。

「あのな、名雪」

「ん? どうしたの? お風呂、行かないの?」

 立ち止まった俺に、名雪が不思議そうな視線を向けてくる。

「一つ確認しておくが、待ってるとかいうのはあくまでも……」

「冗談とか言うのは無し、だよ」

「……うぐぅ」

 先手を打たれてしまい、思わずあゆあゆ化。

「あ、あのですね、名雪さん。先程のはですね……」

「ほら、祐一。早く行かないとお湯が冷めちゃうよ」

 妙に低姿勢になっている俺の言葉を遮って、名雪が行動を促してきた。
 なんか、名雪、ノリノリ?

「待て。いいから、ちょっと待て」

 いかん、このままではなし崩し的に一緒に入浴させられてしまう。
 秋子さんがいない、あゆも真琴もいない。つまり、理性のブレーキ役が誰もいない状況。
 そんな中で名雪とお風呂。狭い浴室に二人きり。
 若さに任せて突っ走ってしまうこと請け合い。『若さって何だ? 振り向かない事さ』とばかりに爆走する自信あり。
 しかし。しかし、だ。
 今のノリノリな名雪を下手に制止するのは危険かもしれない。本人、すっかり了承済みでその気になってるし。
 お風呂の中でも誠心誠意お世話しちゃいますby保護者モード及び尽くしスイッチオン名雪、ってな状態だ。
 変な理屈で行動を妨げようものなら、「祐一、うそつきだよー。極悪人だよー」の一言と共に紅生姜の刑が処せられるのは明白。
 それだけは避けたい。いやもうマジで。あれはホント夢にまで出てくるからな。破壊力は、ある意味、秋子さんのジャムに匹敵してるし。
 従って、可能な限り軟着陸させねばならない。

「お前と一緒に風呂に入るのはやぶさかではない。でもな、三国一のジェントルマン祐一君としてはだ、思春期の男女二人が狭い空間でスポポンポン、というのは些か倫理的に問題があるのではないかと思われたりするわけでおじゃるのよ。それは名雪殿も分かるで御座ろう?」

 俺の問い掛けに、意外にも名雪は素直に頷いてくれた。
 ――言葉遣いが怪しくなっている様に感じられるのは気の所為という事で。

「で、あるからして、非常に残念では有るけれども、今回は……」

「仕方がないね。高校生の男女が何も身に纏わないで一緒にお風呂っていうのは、確かにちょっと問題ある気もするし」

 了解、という表情で名雪が応える。
 その顔を見て、俺は小さく安堵の吐息を零した。

「分かってくれたか、名雪」

「うん、分かったよ。だから、今回は水着を着るね」

 ……分かったよ?



○   ○   ○



「なんつーか、名雪には下手に冗談を言うなという教訓だな」

 湯船に浸かりつつ、俺はため息混じりに漏らす。
 結局、あの後、名雪のノリと勢いに負け『水着を着るなら』と了承してしまった。

「……ったく、あいつって変なとこだけ押しが強いよなぁ」

 呆れつつ、再度嘆息。
 尤も、ちょっぴり期待しているドキドキワクワクな気持ちがあるのも否定できなかったりするが。
 名雪がどんな水着を着てくるか、気にならないといえば嘘になる。

「まあ、無難にスクール水着か何かだろうけど。……しっかし、あいつ、本当に来る気かね?」

 思わず一人ごちる。
 たかが入浴の為だけにわざわざ水着を引っ張り出したりするだろうか。そんな手間を掛けるだろうか。
 まず、俺ならしない。俺以外でも、普通に考えれば、しない確率の方が高い気がする。寧ろ、やらなくて当然だろう。そして、それは名雪も例外ではないと思う。
 ――とすると、さっきの会話は、単に名雪流のジョークだったのではないだろうか。風呂から上がったら居間で名雪が待ち受けていて、「本当に来ると思った? 少しは期待した?」とか言って悪戯っぽく笑うんじゃなかろうか。

「うん、ありえるな。少なくとも、俺だったらそうする」

 仮定を元に、俺の中で『名雪は来ない。先程の一連の会話は全て冗談』という結論が導き出される。

「そうだよなぁ。来ないに決まってるよな、普通は」

「なーに? 祐一、なにか言ったぁ?」

「ぬわっ!? な、名雪!?」

 不意に脱衣所の方から届けられた声に驚いた俺は、ついつい大袈裟なほど素っ頓狂な声を上げてしまった。

「そーだよー、わたしだよー」

 ガラス戸越しに名雪の間延びした声が聞こえてくる。

 おいおい、マジで来たのかよ!?
 ど、どうする? どうしよう? どうすれば?
 とにかく、見付からない様に隠れなきゃ。
 ……いやいや、隠れてどうする。
 そうだ、隠れたって仕方が無い。それよりも一刻も早く逃げなければ。
 ……いやいや、逃げてどうする。

 などと、俺が軽くパニックを起こしている間に、

「祐一、来たよー」

 名雪が静かに戸を開けて入ってきた。
 内心で慌てまくっている俺とは対照的に、静々と落ち着いた風情で。

「ほらほらー。ちゃーんと水着を着てきたよー。これなら大丈夫だよね」

 名雪の能天気な声が浴室内に響き渡る。
 独特のテンポに彩られたその声を耳にして、俺も徐々に徐々に平静さを取り戻していった。まだ心臓は激しくバクバクしてはいたが。

「見て見て、祐一。可愛い水着でしょ?」

 名雪の弾んだ声に導かれて俺は視線を移し……一瞬、ほんの一瞬だけだが、名雪が着ているのが下着だと思ってしまった。名雪が纏っていたのが白いビキニであったから。

「これ、わたしのとっておきの水着なんだよ」

「とっておき?」

 名雪が着ている白ビキニ、名雪がチョイスしたにしては随分と大胆な物に感じる。上も下もカッティングが何気に際どかったりするし。
 胸の谷間は強調されるわ、『お手入れが大変そうですね』なんて余計な心配までしそうになるわ。
 名雪曰くの『可愛い水着』だが、どちらかと言うと『エッチな水着』と評する方が正しいような代物だ。
 こんなのを、このおっとりとした従妹が持っていたとは、正直ちょっと意外だった。

「えへへ。これだったら、祐一もバッチリ悩殺されちゃうよね。どう? 色っぽい?」

 全くらしくないセリフを宣いつつ、名雪がせくしぃぽーず。
 似合わない事この上ない。

「何と言うか……取り敢えず、名雪が色気を語るのは10年早いという事だけは理解出来た」

 俺、完璧に素に戻っていた。
 先程まで抱いていたドギマギ感も綺麗サッパリ消え失せている。
 どんなに際どい水着を着ていても名雪は名雪、か。

「ひどいよ、祐一ぃ。それじゃ、まるでわたしが色気ゼロみたいじゃない」

「ゼロとまでは言わないぞ。少なくとも、あゆや真琴、栞とかよりはあると思うしな」

「……うー」

 複雑な表情をして唸る名雪。
 まあ、比較対象が比較対象だから素直に納得は出来ないだろうな。
 でも仕方ないのである。名雪が色気で勝てるといったらコイツらくらいしか居ないのだから。

「流石の俺でも、佐祐理さんや舞、香里に秋子さんといった面子に勝ってるだなんて大嘘は言えない。いくらなんでも無理」

「うー。祐一、ひどいよー」

「おおっ、思わず心の内を口走ってしまったぞ。ワザとだけどな」

「ひどいー。祐一、極悪人だよー」

 プクッと頬を膨らませて名雪が抗議してきた。

「こらこら、そんな風船みたいな顔をするな。バルーン名雪と命名したくなるじゃないか」

「むー」

 更にほっぺを膨張させて名雪が唸る。

「だから膨らますなって。破裂しても知らないぞ。……分かった分かった、俺が悪かったよ。謝る。イチゴサンデーを奢ってやるから機嫌直せ。なっ?」

 素直に降参し、名雪が本格的にへそを曲げる前に――リーサルウェポンイチゴサンデーを発動させて――先手を打っておく。
 ちなみに、本気お怒りモードの名雪を宥める為には、最低でもイチゴサンデーが三杯は必要。プラス悪夢の紅生姜三昧。
 経済的にのみならず、肉体的にも精神的にも痛い。特に紅生姜は。それを思えば、イチゴサンデーの一杯くらい軽いものだった。無論、痛いことは痛い。だが、背に腹は代えられない。紅生姜の恐怖よりは万倍マシ。
 つーか、名雪をご機嫌斜めにさせるような事を言わなければ、そもそもそんな出費をしなくても済むのだが……そういう正論に思い至るのは、大抵の場合、手遅れになった後だったりするのは美しきお約束である。自業自得とか言うな。

「イチゴサンデー? うん、なら許すよ」

 俺の申し出を受け、名雪がニパッと邪気の無い笑みを浮かべた。
 ……自分で買収しておいて何だが……現金な奴。

「それじゃ、明日、学校の帰りに百花屋へ行こうね」

「はいはい、了解」

 名雪の提案に首肯して応える。

「約束だよ。……ところで、祐一?」

「ん?」

「話は変わるんだけど」

「なんだ?」

「湯船から出てくれない? 背中流してあげる」

「……本気でガラッと話を変えてきたな。全く脈絡が無いぞ」

「うん。全然無いね」

 そう言って、名雪は「あははっ」と笑った。

「……いいけどな、別に」

「うん。いいんだよ」

「自分で言うなよ」

 俺がツッコミを入れると、名雪は再度「あははっ」と笑い声を零した。

「まあ、それはさておくとして。――なに? 名雪が背中流してくれるのか? 随分とサービス満点じゃん」

「うん。今日はサービスデーなんだよ」

「サービスデー?」

「そうだよ」

「初耳だぞ」

「だろうね。決めたの、今だし」

「いい加減だな」

「うん。いい加減だね」

「だから、自分で言うなって」

 突っ込まれて、三度、浴室内に笑い声を響かせる名雪。

「ま、いっか。それじゃ、せっかくの申し出だし、サービスしてもらおうかな」

 言うと、俺は湯船から出ようと腰を上げた。
 ――が、その動きはすぐに止まる。

「祐一? どうしたの? 出ないの?」

 不思議そうに名雪が尋ねてきた。
 そんな彼女に、俺はポソッと一言。

「エッチ」

 俺は名雪と違って何も身に付けていない。正真正銘すっぱだかである。

「へ? あ、あうっ! ご、ごめん!」

 顔を朱に染めて、名雪は慌てて俺に背中を向けた。
 その様を微笑ましくすら思いながら湯船から出ると、俺はプラスチック製の椅子に腰掛ける。ついでに、手で股間部分を多い、慰め程度ではあるが一応隠しておく。

「名雪ぃ。もうこっち向いていいぞぉ。ほれ、どーんとやってくれぃ」

「う、うん」

 ちょっぴり視線を泳がせ――俺の股間部分を見ないように気を付けつつ、名雪が俺の背後に回った。

「えっと……じゃあ、始めるね」

「あいよ」

 スポンジにボディソープを馴染ませて泡立てると、名雪は宣言通りに背中を洗い始める。
 ――と、その途端、

「ぅおおうっ!」

 図らずも奇声が口をついて出た。

「ひゃっ!? な、なに!?」

「悪い。擽ったさに負けて変な声を放ってしまった」

 驚いて手を止めてしまった名雪に、俺は簡潔に状況を説明する。

「え? 擽ったかった?」

「ああ。出来れば、もう少し強くしてくれると助かる」

「ん、分かったよ」

 俺の言葉に頷くと、名雪はスポンジを両手に持って、先程よりも力を込めて背中を擦りだした。

「これぐらいならどうかな?」

「うむ、今度は良い感じだな。気持ち良いぞ。褒めてつかわす」

「ホント? えへへ」

 賞賛されたのが嬉しかったのか、名雪の手に更に力が入れられた。
 ゴシゴシ、ゴシゴシと音を立てて背中を磨いていく。

「……はぁ……はぁ……」

 ――だが、暫く経つと、ゴシゴシがコシコシ程度へとトーンダウンしていった。

「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 代わりに、名雪の息がどんどん荒くなっていく。 
 女の子にとっては意外に重労働だったのかもしれない。

「名雪? 大丈夫か? もういいぞ。その辺でやめとけ」

「へ、平気、だよ。それに、あと少しだから」

 俺の制止を振り切って、名雪は手を動かし続けた。
 そして、荒い息を吐き続ける。

「おいおい、あまり無理するな……って……」

「……はぁ……ぁ……はぁ……っ……」

 呼吸音が妙に艶かしく浴室内に響き渡った。
 俺の背中に、首筋に、名雪の熱い吐息が届けられる。

「う゛っ!?」

 不謹慎だとは思うが、俺はそれらにセクシャルな興奮を覚えつつあった。
 股間で不肖の息子がワクワクし始めているのが見なくても分かる。

「……っと。はい、泡、流すよー」

 このままだとちょっとやばい? 若さが夕日に向かって大暴走?
 そんな危惧を抱いた瞬間、名雪の声が、同時にお湯が俺の背にザバッと掛けられた。

「んあ? 終わったのか?」

「うん。終わったよ」

「そっか、お疲れさん」

「うん。さて、今度は前だね」

 額に汗を浮かべつつ、名雪さん、サラッと爆弾投下。
 前? 前ってことは、いわゆる一つの前?
 それは流石にまずいっしょ。そんな事されたら、今度こそ確実に青春の握り拳?
 いかんです。いかんですよ。

「待て、名雪。前はいい。前はいいから」

「どうして?」

 どことなくポーッとした顔で名雪が訊いてくる。
 もしかして、名雪、疲れの所為で思考力が鈍くなってるのか? もしくは半ばのぼせてる?

「どうしても。それよりも……えーっと……そうそう、次は名雪だ、名雪」

 股間がキャノンボールしそうな状況で前なんか洗われたら堪らない。理性が危険で大ピンチである。
 だから、俺は必死になって矛先を変えた。

「え? わたし?」

 相変わらずポーッとした顔のまま、名雪が小首を傾げる。

「ああ。今度は俺がサービスする番なのだよ、名雪君。てなワケだから、ほれ、交代交代」

「ふぇっ? きゃっ!」

 些か強引に二人の場を入れ替え、名雪を椅子に座らせた。

「うっし。んじゃ、洗うぞ」

 名雪に有無を言わさず話をどんどん進めていく。
 スポンジにボディソープを垂らし、いざ出陣、

「あっ、ちょっと待って、祐一」

 ――という段階になって名雪がストップを掛けた。

「あん? どした? この期に及んでやめろとか言うのは無しだぞ。そんな事言ったらレッドカードでペナルティーキックの刑だからな」

「違うよ。ただ、背中を洗うのなら……その前に……紐」

 言うや否や、名雪は背中側で縛られていたブラの紐をそっと解く。

「ぬ、ぬおっ!?」

 俺の前に曝け出される名雪の白い背中。一糸も絡まない素の肌。
 たかが紐、されど紐。
 たった一本が無くなっただけで、視覚的破壊力が倍増。予想外の大ダメージ。
 い、いかん。このままでは本当にロケットスタートしてしまう。
 こうなったら、一刻も早く終わらせて風呂から上がってしまおう。そうだ、それがいい。

「祐一ぃ、どうかしたの?」

「……い、いや。なんでもない」

 俺は心の中で軽く『煩悩退散、色即是空、空即是色』と唱えると、なるべく名雪の肌を視界に入れないようにして手を伸ばした。

「名雪、洗うぞ」

「うん。いいよ」

 名雪の許しを得た後、俺は名雪の背中にそっとスポンジを這わせる。

「……っ……ふぁ……」

 刹那、名雪の口から零れ落ちる甘い声。
 聴覚直撃。

「……あー……えっと……く、擽ったかったか?」

「ううん。大丈夫、だよ」

 なら、何故にあんな危険な声を出しますかっ!?
 胸の内でそうツッコミを入れつつ、俺は再度スポンジを動かした。

「……んっ……ぅぁ……っく……」

 耳から飛び込んでくる強すぎる刺激。
 加えて、スポンジ越しにでも伝わってくる名雪の柔らかさ。視覚、聴覚に続き触覚でも被害甚大。
 若さが……若さが……あああああっ。



 ――で。
 結局、悪戦苦闘しつつもどうにかこうにか名雪の背中を流し終える事に成功した俺。

(燃え尽きたぜ、真っ白にな)

 本気でそんな心境だった。もう理性も空っぽ。すっからかん。
 でも、やり遂げた。俺は勝った。煩悩に負けなかった。

 そう。勝ったと思った。
 勝った、はずだった。終わったはずだった。
 それなのに……。
 油断、だったのだろうか。

「ねえ、祐一ぃ」

「なんだ、名雪……って、うわっ!?」

 激闘の余韻に浸り、ペタンと座り込んでいた俺に、目をトロンとさせている名雪がフワッと身体を預けてきた。
 そして、俺の耳元で甘く囁く。煩悩を呼び起こす土壇場の大逆転、ガード不能の超必殺技。

「背中だけじゃ、イヤ。前も、洗って欲しいな」

 もう理性も空っぽ。すっからかん。
 そんな俺に残された道は……

 ――プチン

「あ、あはは、あはははは♪」

 俺はもう振り向かないよ。ああ、振り向かないさ。
 若さって何だ!? 脇目も振らずに爆走する事さ!

 ――その後、俺と名雪が浴室の中で思う存分洗い合ったのは言うまでもない。
 おかげですっかりベトベト……もとい、ピカピカになった俺たちであった。





 ――余談

「ぶえーーーくしょい!」

 風呂場で散々秘境探検した次の日、俺も名雪も、様式美的お約束で思いっきり風邪をひいていたり。

「っくしょい! ぶふぇーーーっくしょい! てやんでぃばーろぃちくしょい!」

 これが若さか……。









< おわり >


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